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「!」

 悲鳴をあげそうになって、飛び起きた。窓の向こうの外はまだほの暗く、起床するには少し早い時間だったが、もう一度寝台に横たわる気にはなれなかった。


 こちらを振り返ったアウィス様の顔。そこから昔のことを連想したためか、久しぶりに子どもの頃の夢を見てしまった。それも一番思い出したくない日の夢を。

 無性に静かなミュケの花が見たくなった。部屋着の上にガウンを羽織り、忍び足で戸口の方へ向かう。戸口で番をしていた人が、私を見て驚いたような顔をしたが、庭へ出たいと話すと通してくれた。


 未だ夢の余韻で動悸の静まらない胸を押さえて、ミュケの花が植えられている場所に向かう。近付くにつれ、薄闇の中でも何か違和感と胸騒ぎを感じずにいられない。その場所に立つと、その違和感は決定的なものになった。

 ミュケの花がない。一株も。昨日の午後には白い花を目にしたはずなのに。


「どうして? どうしてよ。土が掘り返されてる。なんであの花だけ・・・」


 思わず声に出して言ってみるも、答える人などいるはずもない。つむった瞼の裏側が真っ赤に染まる。脳裏を埋め尽くす、踏みしだかれたミュケの花。


 どこか別の場所にあるのかもしれない。霧が降りた薄暗い庭園を、白い花を探して歩きはじめた。


 ない。ない。どこへやったんだろう。誰かが盗んだのか。ミュケの花だけを? そんなはずはない。どこかにあるのだ。あそこの場所は、日当たりが良すぎたから、植え替えたのかもしれない。

 それならもっと、そうだ、お屋敷の裏手へまわってみよう・・・



 それからどれぐらい歩きまわったのか。

 夜が完全に明ける気配が濃厚になってきて、ふらつく足を漫然と前に進めていたときだった。


「うわっ!」


 踏み出した足の先に、あるはずの地面がない。身体が前方に大きく傾いでようやく頭が異変に気づいたとき、後ろから抱きとめられたのを感じた。


「こんなところで何をふざけているんだ、君は」


 アウィス様だった。冷たい石で形造ったような、固い表情。


「何でも・・・ありません。少し、散歩をしようと思いまして。申し訳ありませんでした。それに、助けていただいて、ありがとうございました」


 目の前の地面には、大きな四角い穴がぽっかりと口を開けていた。そういえば、堆肥用の穴を掘ったから注意するようにという説明を聞いたおぼえがある。してみると、お屋敷の裏の端まで、かなりの距離を歩いてきてしまったのだ。


「足は? 捻っただろう」


 言われて足踏みしてみると、少し痛いような気もしたが、普通に歩けないことはなさそうだった。それよりも、服の裾が泥で汚れきっているのが妙に恥ずかしいように思えた。


「いえ。大丈夫です」


 やはり似ている、と思った。正直言って、今この状態で、これ以上は話を続けるのが辛い。

 それで思わず、つかまれというように差し出された腕を辞退する動作が、大きなものになってしまった。必要以上に。

 アウィス様の目の上に、何とも表現しがたい色が浮かび上がった。

 まるで傷ついたようなこんな目を、私はどこかで見た気がする。


「こんな時間にそんな格好で散歩か。気楽でうらやましいぐらいだな」

「・・・」


 謝罪のことばを口にしたいのに、私はただ、息をひそめて、固まることしかできなかった。

 どちらにしてもアウィス様は、私のことばを耳に入れるのを厭うように、私の姿を目にするの拒むように、それだけ言い捨てると立ち去ってしまわれた。

 私はその場に座り込んで、あっという間に私との距離を広げて行くアウィス様の手が土に汚れているのを、見るともなくみていた。



 ふと、消えたはずのミュケの花のかおりが、どこからか淡く届いた気がした。



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