現在(2)
屋敷の中に戻ると、雰囲気が一変していた。使用人たちが走り回らんばかりの、何やら慌ただしいというか、活気に満ちた様相である。とりあえずお嬢様を部屋まで送ってから、誰かをつかまえて理由を聞こうと広間に入った。
「ぶもへっ」
「酒池肉林のアウィスが戻ってくるって伝令が入った。もう、すぐそこまで戻ってきているらしいよ。それにしても急だね」
「そ、そうですか。それでこんなに、バタバタしているんですね」
「そ。大げさな出迎えも歓待も不要だって、いつも言っているのに」
「皆、したくてしてるんですよ。私も手伝おうと思いますので、離していただけませんでしょうか」
私がそう言うと、領主様はウエストに巻きついていた両腕をしぶしぶといった感じでほどいた。
領主様が出先から戻られたときなどは、使用人一同が道をつくるように両脇にずらりと並んで出迎えをする。ご本人はこれを嫌がるのだが、誇り高き使用人たちは頑としてこの習慣を止めようとしなかったし、居心地悪そうにする領主様を見て喜んでいるふしもある。
今回は、アウィス様の出迎えに加えて、長く留守にしていらした彼を歓待すべく、簡単な飲食や部屋の用意のために皆が走り回っているのだろう。急なお帰りということで、あたふたしている様子がありありだ。
給仕係りが盆のうえに皿だのスプーンだのを積み上げて、カチャカチャいわせながら危いバランスをとって歩いてくる。それを避けて立ちどまると、今度はリネン類を山のように積んでよろよろ歩くアカリナがやってきたので、荷物の半分をかすめとった。
「あら、カロル。アウィス様がお戻りになるの、楽しみね。でも、領主様よりは厳しいところのある方だから、注意しなくっちゃ・・・って、カロルはアウィス様のこと、知らないんだっけ」
「そう、私がここにあがったときには、既に出発されていたから」
「そうだったわね。領主様とは違ったタイプだけど、素敵な方よ。ほんと、リーリ様も含めて、お仕えしがいのある方ばかりで、嬉しい限り。私なんてここに来るまで、ずいぶん苦労したもの」
「そうね・・・」
そうなのだ。ここの使用人は、そういう人間を集めたのかと思うほど、苦労人が多いのだ。そして今では揃いも揃って、ご主人様びいきである。
「あらやだ、今、ベルが鳴らなかった? たいへん、もう戻られたんだわ。行かなくっちゃ」
リネン類をわきに置きやり、二人で慌てて入口の方に戻ると、それぞれ使用人の長い列で定位置につく。その場で頭を垂れると、お帰りの旨が高らかと告げられて――何とか間に合ったようだった。
やがて、頭を垂れる私の前を、アウィス様の足先が通りすぎて行き、使用人の誰かと短くことばをかわすような声も聞こえる。
その声を耳が捉えると、顔をあげて姿を見てみたいような気持ちが思いがけなく強く湧きあがって、思いとどまるのに苦労した。
周りの人たちが姿勢を戻す気配を感じて、私もようやく背を伸ばした。いまだに頭をあげるタイミングがよく分からないので、周りの真似をしている状態だ。
アウィス様の方をうかがうと、こちらに背を向けて、領主様と何やら話をしている。髪の色は・・・ミルクティーの色。
そのまま何となくその背中を見ていたとき。
彼がふいとこちらに頭をめぐらせた。
漂うような視線が、一瞬だけ私の上で焦点を結んだ。
――ウィル?!
すぐにまた向こうをむいてしまったその顔。それに大きく心が揺らされた。あまりにも昔の知り合いに似ている気がしたから。
すぐさま呼び起こされた、昔の記憶。清冽な花のかおり。それから――聞きたくない音、嫌な匂い、赤い色。踏みしだかれた白い花。
気がつくと、周りに並んでいた使用人たちがそれぞれの持ち場に戻り始めており、自分一人が棒っきれのようにつっ立っていた。
これから平常心でお仕えできるだろうか・・・とにかく、自分の本来の仕事はリーリ様のお世話だ。アウィス様には、もう少し落ち着くまで、なるべく近寄らないようにしよう。
そう心を決めると、少しは波立つ心がおさまった。
先ほどリネン類を置き去りにしたところに戻ると、ちょうどアカリナもやってきたところだった。同僚の明るい表情に救われた気分になって、二人して重いリネンを運んだ。




