六話⑫
「話を変えようか。まあ今回のこの事件はお前の足のケガを除けばすぐに解決する。最後の事件を除いて今日の買い物はどうだったか聞いて良いか?楽しかったか、……というのもあれだな。結局お前は最初からあまり乗り気じゃなかったか。服も気に入るのはなかったみたいだし」
「良い服があるかどうかで買い物するなら、首輪みたいにさっさと済ませて帰れば良いけど、買い物自体は、楽しかったと思うわ」
俺はできれば不満を聞いてやって、なら、今度はこうしようと予定を決めてやるつもりでいた。服を買いに来て一着の服すら買わなかったのに楽しかった、のを、俺は安堵して良いものなんだろうか。
想定とは真逆な返事であったから、言葉に詰まるし、言い間違いの訂正が入るんじゃないかと邪推もした。
俺が少し黙って間が空いたことを気にしてか、ミーシーは続けてこう説明をする。
「例えば、まあ……、魚釣りに行くとするでしょう。わざわざ、私は釣れるかどうかを全然見ないで釣りに行くわ。見るとしても、浮きがぴくぴく動くのを確認してその後はそれが本当に魚かどうかは見ないようにするわ」
「どんな魚が釣れるか楽しみだからか?」
「そういうことね。ただ川に流れてたごみが釣れてもそれでも良いのよ。釣りに行って魚が釣れるのは当たり前でしょう。せいぜい釣れるか釣れないかと、一杯釣れたかあんまり釣れなかったかでしょう?」
「……ああ、そりゃ、まあ、そうだが。釣れそうで釣れなかったとか、あの時こうしてこうだったらとか、釣りっていうのは色々エキサイティングする遊びだろう」
「ベストを尽くして釣れないのなら諦めるわ。本気で釣らなくちゃならないと思ってるのなら、どうすれば良いかは大体分かるでしょう、私は。釣れようが釣れまいがどちらでもいいけど、わざわざ釣りに行くのよ」
予知万能、というのはここではタブーだろうから、返す言葉には若干気を使うが、釣りが趣味でない俺ですら予知の釣りなど、本来の趣向をまるで無視した遊びに成り下がっていることが分かる。
予知せずやるべきだという感想が頭の中を何周か走り回ってニュアンスの変更が困難なことを再確認した後、なんとなく肯定して見えるようにだけ心掛けて黙ってやり過ごす選択をした。
「魚がどんな大きさかとかどうでもいいし、どんな種類でもどうでもいいし、ごみが釣れても良いと思ってたわ。でも、予知なしで釣りをする前は何か落ち着かなくて、時間が長く感じて、そういう感じは好きだったわ」
「本来はそういうワクワクするための遊びではあるからな」
「そうね。当たり前に、全部予知してから行った方がたくさん釣れるでしょう。そんなたくさんはいらないにしても、時間短縮にはなるでしょう」
「まあ、……漁師とかはそっちを選ぶだろう」
漁師なら。予知できない人間に予知するミーシーの気持ちは分からん。わざわざ合理を捨てることに納得がいかないと言われたら確かにそうだとは思う。
歩けるのに匍匐全身するような不自由さを自分にわざわざ課す必要はないんだろうし、俺の中では予知というのは仮想体験や想像といった類に分類されてしまうが、全く現実と同じように予知できるのであれば、……一回目というのが、ないわけじゃない。
俺が観測する現実のミーシーが、冴えた表情をしていなかったとしても、もしかすると一度目、予知の中では、新鮮な気持ちというのを抱いていたかも知れん。
「雪が目茶苦茶吹雪いてる目茶苦茶寒い日にも釣りに行ったのよ。その時はアンミが風邪引いて寝込んでたし、仮にアンミが元気一杯だったとしてもさすがに釣りは中止になってたと思うわ。とにかく雪は積もってたしもう横殴りブリザードで、それだと釣れない可能性も高いでしょう。そんな中、釣り好きな私は、アンミの看病もほっぽり出して釣りに行ったのよ」
ミーシーからこうして話を聞くのは初めてだったろう。少しずつ声に色が戻っていくのが分かる。元気一杯でもないし、喜び一杯でもないが、それでも感情の含まれた声というのが、ミーシーの場合は、割合はっきりと聞き分けることができた。
多分小さい頃の話だとは思う。
「くっそ、つまらなかったわ……。自分でも後から考えたら引くくらいイライラしながら釣り竿握ってたわ。もう途中から釣りが目的とか魚が目的じゃなくて、川に釣り竿をビタンビタンさせる意味の分からない遊びをしていたのよ、可哀相な人でしょう」
「俺はその光景は、その……、想像しかできないから、なんともいえないが、そうだな。お前も可哀相だし、放っておかれた……、まあ、その日くらいはアンミを看病してやってても良かっただろうな」
「結局その時は何度か予知しても釣れないことが分かったからガチガチ震えながら家に帰って布団に包まって鼻水啜りながら晩御飯待ってたのよ。今までは全く釣れなくても良かったのに、なんでそんなに疲れて嫌な思いしたのか、よく考えてみたら、なんていうのか、その時気づいたわ。ごみとか藻が釣れても、まあ、大きな魚が釣れた時が一番だとは思うけど、アンミがどんな顔するか見たかったのよ。それが楽しみだったし、それは……、私が例えば予知の中で見たとしても、実際にアンミが喜んだりしてないわけでしょう?だから、釣りに出掛けるのよ。だから、予知はしなかったのよ。一人で釣りして魚が欲しいなら、いくらでも予知するし、いくら魚が釣れても多分結局つまらなかったと思うわ」
「わざわざ、現実世界でも行動するのは、俺たちのためか。ありがたいことだ。お前に、買い物行ってたらどうだったなんてのを聞かされても、実際に買い物に出掛けなかった俺にとってそれは仮想体験だからな」
「色々あったわ。予知していた方が良かったと思ったこともあったわ。私が予知してないから、アンミが逆に魚に釣られて川に流されていったこともあったし、釣り竿は何回も骨折して添え木してやらないと使えなくなったし、何時間粘っても釣れない時もあったし」
いつ途切れてもおかしくない声の響きだった。苦い思い出がそうさせるのか、歯がゆい思いがそうさせるのか、……それでもミーシーの話はか細いままに続けられて、やがて何秒かの沈黙が訪れる。
結局のところ、その話が今どうして、ここで俺が聞かされることになったのかというと、やはり、ミーシーが心細く思っていることが、原因だった。
「アンミは……、嫌いじゃないにしても……、私のこと好きじゃないと思うわ」
「そんなことはないだろう」と、本心のままの感想を言ったつもりだった。だが、その反射的な否定はあまり良くなかった。その後に、ミーシー本人よりも俺がよく知っているようなことを続けて挙げられたりしない。
端から見ていてどうだったかなど今更聞かされるまでもないだろうし、ミーシーも落ち着いて考えてみれば自分が間違っていることに気づくはずだ。
それなのに余計なことを言ってしまったせいで、ミーシーは否定されたことを否定するための話をせざるを得ない。
「今までも、よく誘ってくれてたわ。魚釣りも虫取りもそうだったし、遊園地とか買い物みたいに、行きたい行きたい。でも、ミーシーが行くなら私は留守番でも良い。そんなの、……アンミが行きたいわけでも、私と一緒にいたいわけでもないでしょう。私が遊園地に行きたそうにしている時があったし、買い物に行きたいと言ったことがあっただけで……、別にアンミが行きたいわけじゃないわ」
普通であれば、それはそれでも構わない話ではあったろう。せいぜいタイミングなんかが悪かっただけで、少なくともアンミはミーシーのことを考えてそう提案したに過ぎない。
お互いがお互いのことを考えていたのなら、そこに小さなすれ違いや不都合があったにせよ、一番重要な部分は揺らいでいない。
「海外の古典文学でな、妻は夫のために髪を売って時計の鎖を買って、夫は妻のために時計を売って櫛を買うという話がある。クリスマスのプレゼントにだ。そうするとどちらも無駄になってしまったように思われる。話し合いをしなかったのが悪かったようにも思われる。ただな、思いやりというのは時に、失敗に終わったり、結果が伴わないことだってある。それはどちらが悪かったわけでもないし、なあ、受け止め方というのは人それぞれだったりその時々によったりもする。相手を思いやる気持ちがあることだけは分かってやらないとならない」
「知ってるわ。でも、あなたにしたってそうよ。親切そうな人が良いとは言ったわ。楽しく話せる人が良いとも言ったわ。そんなのどうやって探せば良いのよ。私はびくびくしながらアンミをあなたの家に連れていったわ。アンミは誰でも一緒みたいだったから、私がマシそうなのを探すしかないでしょう?」
そうか。そういう……、流れだったとして、そういう流れで、俺は割とマシな方だったのか。
住む場所を探す時に、ミーシーが俺を選んでいる。アンミは確かにどんなでも文句言わなさそうだから素直に喜びづらいものだが、俺は一応、ミーシーからはぎりぎり合格点を貰っていたことにはなるようだ。
これももうかなり意外な事実だが、その前提があるなら俺はミーシーから平均点を超えた評価を受けていることになる。
「アンミは……、楽しそうにしてるように見える?私にはもう分からないわ。服だって……。私はアンミ本人とか、あなたよりもずっと知ってるわ。何選んでも一緒なのよ。どこ行ったって一緒で、私がアンミに何しようが一緒でしょうが。……ただ、……まあ。強情なこと言わない子ではあったから今までとはちょっとだけ違う気もしてるわ。アンミはもしかして本当に遊園地に行きたかったのかも知れないし、服が欲しかったのかも知れないし、あなたのことも気に入って本当に喜んでるのかも知れないけど……、見分けもつかないけど、どれか一個くらいはアンミのためになにかしてあげられたなら、悪いことじゃなかったはずだから。だから、買い物も楽しかったわ。ただアンミが、私のことを好きじゃないというのが気に入らないだけなのよ」
「そんなことはないだろう。十分仲良く見えるけどな、お前とアンミは」
俺はせいぜいその程度の月並みなことしか言えなかった。誰もが端から見てそう思う至極当たり前なことしか言えなかった。
何してあげても同じように笑っている。何をあげても一緒。だから本当に何が欲しいのか分からない。ミーシーは予知を繰り返して最上を探すだろう。だが、そこに確信がない。
アンミを思い通りにできないという不満は、少しばかりアンミの性格に難儀しての愚痴みたいなものなんだろう。
「仲良く…………。私は家族になりたかったのよ」
ぽつりと零れたミーシーの言葉は、とても恨めしそうな響きだった。距離がこう物理的に耳に近いと、静かな声の波の幅はよく伝わってくる。
ちょっと考えてもみる。『家族になりたかったのよ』、もしかして、遊園地も、単なるペアチケットならそもそも手に入れようとすらしなかったのかも知れないし、手に入れたとして陽太とでも行けと俺にすんなり押しつけてたかも知れない。どうなんだろう。
俺なども例えば、業務用と書かれていたら個人向けのものよりもなにかしら特化しているものなんだと思うだろうし、興味のある分野でプロユースとか上級者モデルなんて書かれた商品があればさぞ購買意欲をそそられるものだろう。
俺はファミリーチケットのファミリーというのが、単なる商品名称の一部で、単なる適用範囲であると分かっている。
使えばそうなれるというわけじゃない。
俺の想像が確かだなんて証拠は一つもないが、たった一欠片、『家族になりたかった』そんな言葉の割れ具合は、ミーシーの心情を想像するのに程よい形をしていた。
行きたいわけでもなかったのに、遊園地のチケットを手に入れた。プロになるつもりでもないのにプロユースの野球グローブを買った俺と同じように憧れと落胆とがあったろうか。
「健介、好きな乗り物ができたわ。ジェットコースターより宙づりブランコより、飛行船より丸太ボートより、コーヒーカップよりプラスチックの馬より……、好きな乗り物ができたわ」
「…………俺だったりするか?」
「ええ」
「無茶な注文だったりしない限り大抵無料だ。大抵家にいる。いつでも呼んでくれ」
それはもしかすると、乗り物扱いされた俺からの不平を引き出すためのジョークだったのかも知れないし、俺の足のガタつきに気づいたミーシーなりのリップサービスのつもりだったのかも知れない。
どうしたって呼吸だけは背中越しに伝わっているだろう、俺の限界が近づいていることを察しているのは間違いない。俺がへばらないでいられるのは、そのささやかな、俺の心が変換してようやく判別される、『頑張れ』という声援のお蔭ではあった。
あとまあ、ぎゅっと抱きしめられているような感触と温もりが、なんとか俺を前へと進めている。……正直なことを言えば結構な重労働だった、これは。その重労働とちょうど程よく、釣り合いを取っている。
◆
俺の足の痙攣も、呼吸の音や振動も、もう隠しようがなくなってようやく、ミーシーを家に送り届けることができた。
玄関を開けるために鍵を取り出す前にミーシーは自主的に俺を解放してくれて、「ありがとう」と優しくお礼を言った。
もうミーシーを背負ったままでは屈むことが不可能だと俺はもちろん自覚していたが、最後まで弱音を吐かない俺でいさせてくれた。むしろ俺がありがたく思う。
最後まで、降りてくれ、休憩させてくれと言わない俺でいられた。レンジャー隊員などはこれくらいの重い荷物を背負って、山道を歩くわけだ。おそらくほとんど飲まず食わずで、装備を背負って豪雨の中でも歩く。そんなニュース特集を見たことがある。
俺は可憐な美少女を背負って耳元で「もう少しよ頑張って」と囁かれてもここまでぎりぎりの消耗で我が家に辿り着く。普段の運動不足がこんないざという時の備えに足らなかったのか、それとも元々のレンジャー隊員との才能の差なのか、とにかく俺は格好良くはこなせなかった。
ただ、レンジャーの勲章など得られるほどの能力はないが、それでもミーシーのお礼を、俺は一つ、誇るべき勲章として良いだろう。よく、……頑張った。




