五話③
「ミーコ、頼みがあるんだが、お前は時計読めるよな」
「大体の場合は読めると思うニャ。時計が部屋にあって見方が分かってる時は読めるニャ」
「?見方は分かってるんだよな。おそらく大丈夫だとは思う。俺がよほど意志薄弱な人間でない限り今から寝ようなんてことはしないと思う。だが万に一つ俺がベッドに潜ったりしたら……、それは相当にヤバイ事態だと思ってくれ。俺はまるで寝るつもりなんてないのにもう意思の力ではどうにもならなかったということだ。その時、ベッドに入る言い訳をごちゃごちゃ呟くだろうが、一旦納得したふりをして九時くらいに起こしてくれ。その際の手段は問わない。鋭い鉤爪があるだろう?顔とかはやめて欲しいが足とかをな、ガリガリやってくれたらさすがに俺も起きるはずだ」
「別に良いけど、今から寝るのはやめた方が良いの私も賛成ニャ。目覚まし一応掛けといたら良いと思うニャ」
「お前の言う通りだ。寝ないし一応目覚ましはセットしておく。あるいはもっと良い方法がある。九時まで俺と喋っててくれ。人間は多分会話してる最中だったら寝ない」
大人しく言われた通り目覚ましを九時少し前にセットして、椅子に腰掛ける。
会話中なら寝ない、とはいえ、ミーコの声色はキンと耳を突くようには高くはない。腹に響くように低くもない。上手くいくかどうか、……結構心配ではある。
「誰と会うのかニャ?」
「誰と?ああ、うむ。十時に待ち合わせをしてるんだ。相手は女の子で……、昨日も話した、ミナコちゃんだ。そして陽太君と一緒に遊ぶ」
「健介君は前回の待ち合わせをすっぽかしてそのミナコちゃんには嫌われてるはずニャ?どんな子ニャ?」
声の具合はともかくとして、話し相手にはなってくれる。その上で俺をこう詰問するわけか。ズバリと痛いところを突かれている。自分で自分に言い聞かせるよりもよほど効果的だ。俺を眠らせないための最善手に違いない。
「よく分かったな。どんな子かは、まあ……、少し特殊な子だ」
懐かしい夢を見た。そういえば当初からやはり特殊な子ではあったろう。今なお特殊な子という説明を強いられるわけだが、最初の頃を思えば幾分かマシになっているようにも感じる。
良い夢だった。答えを見つけられなかったことを、ゆったりと考えるには最適な時間だった。夢の続きがいくらでも続けば良いと思えるほどに。
「…………。その前回の待ち合わせの件では少しも怒ったりしてなかった。電話で話してみた分では少なくとも怒ってる様子はなかった。頭は良いはずなんだが、ぱっと見るとな、馬鹿みたいに見える。時に邪悪なことを言ったりもするが、おそらくそこに悪気はなくて、無邪気で温和で楽しい子だ。優しい子かも知れない。優しさが実りある形で発揮されることはかなり珍しいだろうが」
「おそらくではなくて、健介は悪気がないこと分かってるニャ?優しいけど不器用な子なのかニャ?」
「それを、上手くは説明できそうにないな。あいつが何を考えてるのかとか想像できるようなものでもないだろう。個々のエピソードならいくらでも例は出せるが、こうだったからこういう子という結論には結びつかない」
それを俺は、簡単には、説明できない。簡単に説明して俺が納得できそうにない。
ミナコの感情の成り立ちについては、首を傾げるような場面ばかりが思い出される。何度か……、不満そうにしていたりしょげかえっていることはあったが、概ね元気一杯でいる。
だからといって、元気な子だ、というのは説明が足りない。
元気な子というのは通常は元気だが、何かしら重大な事件が起これば怒ったりしょげたりもする。しょうもない小さなことで怒ったりしょげたりはしないから元気な子という評価がなされるのであって、わけの分からんことで突然しょげたり怒ったりし始めるミナコとは大分種類が違うように思える。
元気な子というのは些細なことで大げさに喜んだり騒いだりするものだ。だけれども、どうでもいいことや意味のないことで喜んでいたり騒いでいたりするのはやはり別種なんだろう。
……それにはミナコなりの思考回路があるにはあるんだろう……、が、結局その方程式なんかはひどく複雑怪奇な代物で、俺を含めてほとんどの一般人には理解不能な行動に捉えられてしまう。だから、精々のところ、健康体で、本人にとってそれなりの理由があれば元気ということにしかならない。それを解き明かして元気だった理由を見つけられることはほとんどない。
「……というか、悪くいうと自己中心的な、周りが見えてない感じの……。俺と陽太に対してはさすがに俺たちが普通に意見を述べるからだと思うが、他の人間には結構辛辣な当たり方をしてたことも、あったりする……。本人目の前でこいつがいるなら自分はやめますみたいなことを平気で言うような子だった、特に最初の頃は。元から人付き合いを知っている性質ではなかったし、気配りする場面も他人とはズレてたりはした」
「ふニャ。悪気はないニャ」
「だろうな。悪気はなくて、単に本人は遠慮したふうを装ったのかも知れない。やめとくというのは邪魔しちゃ悪いというつもりだったのかも分からん。だが、俺たちが期待した答えじゃなかったのは確かだ。結局、あいつは俺と陽太を除いて他との付き合いはご遠慮したいみたいだった。あと、一応ミナコについてこれが一番周りから納得される特徴なんだろうが……、多分知能指数とか偏差値でいったら俺と比較にならないくらい高いと思う。人間性が残念なせいで成績から減点されて同じ大学に入ることになったんじゃないかとさえ疑ってる。結局、……知能は、高いとは思うんだが、どうも常識的な行動が抜け落ちている。暗算が目茶苦茶早くて辞書とかも丸暗記できる。だからきっと成績も良いが、理解力までがすごく高いわけじゃない。知識量と理解力のバランスがそこで崩壊していて、その上、想像力とかが明後日の方角を向く。結果として変人が出来上がる。教師からの評価というのはそこでかなり下げられたりするんだろう。一般入試なら東大だったろうが、何故か推薦で編入らしいしな。近いからということで同じ大学に通ってるのかも知れん。その辺りも理解できない変人具合を表している」
「変人。健介それ困らないのかニャ?よく付き合ってるニャ」
「三段階くらいあってな……。最初、いちいちミナコが発言する度に愕然とした。確実に違う人種だと思ったし、真剣に不思議だった。しばらくすると、それはジョークなんだと思い込むようになった。ギャグだったのか良かったと安心したがる」
種々様々多岐に渡って迷言を聞いた。それは、……頭が狂っているというよりは、……ジョークだったというよりは、今となっては、上手く伝わらない何かだったんじゃないかと思う。
「そして、現在だが、割とな、悪気もなく何かしらこう……、言いたいこととかやりたいこととかそういうのがしっかりあって、それがよく分からん結びつきをしているような気がし始めた。俺は確かに困ったり大変だったりしてるのかも知れんが、どのみち……、何故か分からんながら大切なお友達なのは間違いない。俺は自分にない何かを求めていたりもする」
「何故かというのはどうかと思うけど健介心広いニャ」
「放っておけば余計に大変なことになったりするようにも思うし、色々思い出して考える度に正しい答えがきっとあったんだと気づいたりもする。考え方が違うから、新鮮だとか……。いや、それに結局一緒にいることが楽しくてそれが自然だった。迷惑を掛けられて疲れたら俺は文句も言う。ただ、そういうのがな、なければないで俺はバランスを崩すに違いない」
「健介は割合に世話焼きなところがあるニャ」
世話焼きと評されるのがこそばゆいなんてのもあるが、俺が甲斐甲斐しく世話を焼いていたなんて事実もない。単にツッコミ役だったというだけだろう。
「花壇の水やり当番なんて面倒な作業だろう。だがな、ある日いきなり花が根こそぎなくなってたりしたらそれは相当に不安定な気分になるはずだ。周りがな、全部まともだったら逆にどうして良いのか分からん。ツッコミどころがなさ過ぎると俺の頭がぼけていないか心配になる。俺はまだ若いのに、もう何も間違いを指摘するところがないのかと、焦りのような感情が芽生えてくる。すぐそばに奇人変人がいてくれるだけで、俺は間違い探しの答えを見つけてクイズを解いて、俺がおそらく常識の中心点にいて、少し分かってやれた、少し分かってくれたごっこができるんだ。そういう、意味不明な習慣が出来上がってるし、そして俺には、それが必要なことだったろうと思ってる」
個々のエピソードを語るのをそれとなく避けたのは、実際に起きた出来事をいくら詳細に伝えたところで、何の本質も理解できないことを知っているからだろう。
俺がその出来事に抱く感想というものをいわばフォローのような形で付け加えなければならない。事実と違うかも知れないあやふやな要素を織りまぜてこういう人物だと説明しなければならない。
実際の出来事だけを伝えてしまうと、想像の中にはとんでもない人格破綻者が組み上がってしまうはずだから……。かといって、まともに思えるまともな事例を添えたところで人物紹介になどなりはしない。
映画館へ行って……、戦争を題材にしたヒューマンドラマを観て、普通、どうだったかと聞かれて『楽しかった』とは答えない。映画の内容に向けての感想と混同されるからだ。『映画は悲しい内容だったけど、みんなで映画を見て今日一日楽しかったです』、というのがせめて正しい。あるいは、映画の内容についてのみ絞って『悲しくて切なかった』とするのが正しい。
あいつは元気に「うん、楽しい映画だった」と言う、……ちょっとなあ。
寝てたんだろうと俺と陽太は詰め寄るし、内容を鮮明に記憶していることが明らかになった後には気まずい無言が空間を支配した。
実際の出来事を語るとすれば、ミナコは、涙を堪えるのが当然の悲しい映画を見たにも拘らず、楽しいなんて感想を持っていた。
だからこそ、フォローしなくてはならない。本当がどうだったかは別として、多分こうだったと付け加えなければならない。
きっと、ミナコは映画の内容について強く興味を持つことはなかった。『暗くて画面と音が大きくてひょこひょこ出てくる字幕が漫画の吹き出しみたい。そして、机もないのに部屋の大半が椅子で占められている、これは面白い』。
そりゃ……、言われてみれば机もなしに部屋の大半が椅子だというのは普通の家とかであれば面白い。俺の家の床面積八割が椅子だったりしたら面白いのかも知れない。ただ、映画館にしろコンサートホールにせよ、普通客のための席が用意されている。それを何故新鮮に思ってしまうのか不可思議に違いない。
なんにせよ、かなり譲歩してひいきしてミナコの発言を解釈しないと、お出掛け総評『楽しかった』は人格破綻者の感想になってしまう。
……まあ、俺は一応、理解、できないこともなかった。
他はどうだろうか。
『幸せそうな人間は殺して良いと本に書いてあった』と真顔で返したことがあったが、後日指差された文章には『全ての人間は、笑って死ねるなら本望だ』と書かれていた。実際に殺すつもりでないことは分かるな。おかしな本を読んでいるわけでもない。
ちょっとした誤解から本に書かれた内容を間違って受け取ってしまっただけのことだ。
『ウォシュレットも使えない未開人のくせに生意気だ』と、偉大な科学者を罵った。どうやら陽太はこの台詞を気に入ったようでやたらそこかしこで使っていた。過去の偉人の大半を貶める痛烈な批判だったわけだが、別に差別主義者というわけじゃない、……と思う。
後にミナコは『その時に紹介された人物写真がただ単になんか嫌な奴だった』と弁明している。現代社会に貢献している人物については尊敬の念を抱いているとも言った。




