最終話⑨
◆
『そして、あなたの知らなかった峰岸ミナコの生きてきた世界』
「ねえ、この子は君のようにピアノを弾けるようになるだろうか」
「ええきっと。私よりも上手になります。それよりあなたのように優しい子に育つでしょうか」
「ああ育つとも。私よりも優しい子に。それよりも、どうだろう料理を作ってくれるだろうか」
「あら、あなたがいつものように喜んでくれるならきっと、料理も大好きになります」
「美人に育つだろうね。歌も上手いだろう」
「お勉強もできるに違いないわ。あなたのようにお医者様になったりして」
「ああ、それも良いな」
「「けれど」」「「この子が幸せなら」」「「他にはもう何もいらない」」
『他には何も、願うことがない』
それがいつ、壊れてしまったのか、それがどうして、彼女を傷つけるようになったのか、彼女はもちろんそんなことをあなたに話したりはしない。
そして、最後に至るまで彼女本人もそれが壊れているのだと、認識していなかった。
◆
本をよく、読み聞かせていました。あの子が眠る前に机の上に用意しておいた本を、読み聞かせてあげます。とはいっても、私が子供向けに買った本はマナが生まれるのが楽しみでもう何度も何度も読み返していたから、私はページを捲るのに合わせて、声を出していただけでした。
「お母さん、よく、……?見えていないのではありませんか?」
「いいえ?どうしてそんなことを聞くの?読み間違えたりしていないでしょう?」
「ページの捲るのが少し違っているかと思いました」
「そう?でもマナは本当にどこでページが変わるか覚えているの?」
マナは途中まで、私が間違えずに捲ることを確認すると、それで安心したのかすぐに眠ってしまいました。
だから……。
私がその本の最後に、『愛しています』と小さく書き足されていたことに気づいたのは、それから、もう、四年も過ぎた頃でした。
マナが全てどの本も一文字ずつの場所を覚えていることがすぐに私にも分かって、マナが一人でも眠れるようになって、幼稚な本を拙く聞かされるのが可哀相になって、本を読むのをやめて……、マナがいなくなって。
もう、四年が過ぎていました。
一人懐かしむように、慰めるように当時の本を開いて、「めでたし、……めでたし。……終わり、愛しています。……私もよ、マナ」
◆
『月刊こどものかてい十一月号 渡辺昌広』
緒方マナ。作品名は『わたしのたからばこ』二歳四カ月時。
これはもう、私が取材を行った当時、つまり八年も前の出来事だ。
彼女はクレヨンを使って自宅の外観を描いた。クレヨンは黒と、誤った部分を上塗りして消すための白、その二色のみを用いて、画用紙を二枚セロハンテープで留めたものに描かれている。
彼女の自宅は二階建てで車庫が二つ、物置一つが家屋と繋がったいるため横長であった。彼女の母親は一枚に納まるようにもう一度描いたらどうかと提案したが、それが正しく伝わらず、もう一枚の紙に続きを描き始めたらしい。
市の主催する幼児絵画のコンクールへ送り届けられたものの、当時の市職員は、これを『二歳児が描くものとしては卓越し過ぎている』、または『規定通りの形式でなかった』として、賞を与えたりなどはしなかった。
大人がふざけて描いたものだろうという意見が多くあった理由は、どちらかといえば作品自体の技巧によるものではなかっただろう。
作品名、『わたしのたからばこ』は、とても二歳の子どもが可能な表現を超えている。そもそも、この時期の幼児達はひらがなを十分に使うことも難しい。
読めず、書けずが当たり前のはずにあって、何かの拍子に聞いた模倣的な表現であったとしても、その後に続いた緒方マナ本人直筆とされるコメントは、こうだった。
『じっさいのこうしよりもふたつすくない』
その文章の下に母親が付け足すように柔らかい文体で、当時の彼女の様子を綴っている。
『おそらく、できるだけ実際の建物と同じように描きたかったのでしょうけれど、後で見直して実物と物の数が違ったことが気に入らず、捨てたいと言い出すようになってしまいました』、とそう、書いてあった。
これは福祉課の職員が興味を持って緒方マナの母親に連絡を取ってようやく明らかになったことではあったが、彼女は、東の書斎で机の下に潜り込んで、写真も実物も見ず、記憶だけを頼りにこれを描き出していた。
一時間程度夢中で描いていたとのことだが、その間に父親も母親もそれを眺めていただけで、あれやこれやと口を出すようなことはしなかった。
福祉課の職員はおよそ以下のような質問を緒方マナの母親へ向けた。
『本当に、二歳の子どもが描いたものなのか』『本当に、実物、または参考資料を見ずに描いたものなのか』
母親の証言によればどちらも、その通り、間違いなく、二歳の子が、紙だけを見ながら描いたのだとされた。
続けて添えられたアンケートとコメントにも触れる。
『捨てたがった理由はなにか』『格子の数を覚えているか』
その質問に対して母親は多少戸惑いながらも状況の説明を始めた。描き上げたその瞬間には、本人は満足そうにしていたに違いなく、捨てたいなどと言い出す素振りもなかったそうだ。
むしろその上にものを広げることを避け、大事そうに抱えていることもあった。
それが変わったのは、おそらく彼女が作品名を付けた後だったのではないかと推測していた。捨てたがるようになり、なだめながら理由を尋ねても、実際の手すりの格子と数が違うからなのだとしか説明をしなかった。
一体何が悪かったのかは、はっきりとは分からない。
母親によると、手すりの格子の数については、おそらく実際よりも少ないということが分かっただけで数を覚えているわけではないはずだと語った。
何故なら、『彼女の言った数は、自分が数えたものよりも、正しくは四本少なかったのだから』。
『わたしのたからばこ』
私はこのやり取りが、いくらか奇妙なものに思われた。偶然にもその描かれた元の家というのが近くであったから、私も一度、それを見てみたくなる。
古びた様子も見られないがそこにはもう人は住んでおらず、私は無遠慮にそれをじっくりと眺めることができた。
何枚か写真を撮って、それを見比べてみると、ようやくその奇妙に思われたやり取りの、答えらしきものを見つけ出すことができた。あくまで私個人の推測によるものではある。
緒方マナは、格子の数を一本二本と数えていたわけではなかったのだろう。そして、おおよその数を覚えていて、それより少ないからと不満を抱いたわけでもない。
玄関を出て、七段の階段を下り、おそらく、坂に続く植え込みの辺りで一度振り返った。私が屈んだくらいの目線であったとすれば、その時に見えた家を、彼女は描いたのだ。
当然クレヨンのような製図に不向きな用具で細かい部分を表現することは不可能だったろうが、少なくとも窓などの比較的数えやすく描きやすいものの数は完全に一致している。
そして、手すりの格子は、その場所、そこで振り返って、目を細め、慎重に間違いのないように数えると、実際の数よりも、四本、あるいは二本少なく見える。
一番上と一番下の手すりは途切れる部分がコの字に折れており、他よりも太くなっていた。見る角度によってはそれに隠れて、実際よりも四本少ない。
写真を確認するとそれが明らかになるがともあれ、彼女は、数えて描いたのではなく、見たままを描いた。母親の証言の通りであるのなら、それはただ何気なく振り返った時に一瞬見えただけの光景だったのだろう。
で、あるから、福祉課の職員も話を聞く内に、不安を覚えたのではないだろうか。
『緒方マナは普段どのような子どもなのか』
比較的おとなしい、あまり自分のことを話さない子だったという。沢山の『もの』に囲まれるのが好きなようで、引き出しを漁り中身を並べるのが日課のようになっていた。
それを母親も父親も叱るようなことはしなかったが、後片付けには苦労をしている様子だった。
少しばかり目を離すと動き回り、新しい発見を求めて彷徨うような癖が、彼女にはあった。当時は専ら父親の仕事部屋、書斎の物陰で眠ることもよくあった。
『緒方マナの行動に、不安を感じることはあるか』
明らかに、彼女は、一般的な児童にはない才能を持っている。何故このような質問が、絵画の話から飛び出すのか、想像に難くない。絵画の出来不出来など、もはや大した問題ではなくなっていた。
職員の問い掛けは以上のせいぜい十を下回る程度であったのに対して、実際のやり取りの中では母親からの質問が多かったとしている。
その詳しい内容については伏せるとしても、要するに、あまりに優秀な子どもを抱えた家庭で、どのような育児を行うべきなのか、母親は強い不安を抱いていた。
「マナは、リビングで落ち着いて過ごすことができません。……どうも、飽きてしまったようなのです」
それが涙ぐむような声だったのだという。
「引き出しの中身を、私よりも詳しく知っていて、物置に行きたいと言うことが増えて、けれど、そこももう、マナのお気に入りの場所ではなくなってしまいました」
母親が不安を抱いて、格子の数を数え始める理由が分かるだろう。母親の不安が消えない理由がおそらく分かるだろう。
「ものの場所を入れ換えても意味はありませんでした。ものを買い足しても意味はありませんでした」
母親は、こう評するのもどうかとはいえ、極めて、普通の、人だった。母と子が、その差を見つけてしまった時に、こうして狼狽する。
「書斎にいるようになりました。あそこには本やら何やらたくさんのものがあって、マナの背では届かないものも多いですから」
このような才能を、羨む人もいる。引き出しの中身、物置の中身、全てを覚えてまだ足りないような、その旺盛な興味と意欲と、絶対的に恵まれた記憶力というのを、私もまた羨ましくは思う。
ただしそれが本人やまして母親にとって幸運であったかは定かでない。
「取って、と言うのです。マナにはまだ早いわと、私は止めます。けれど、それが、とてもつらくて……」
誰にとっても、それを解決する術を想像することは難しい。おそらくであろうが、母親は実のところ、彼女が格子の数などとうに覚えていることを理解しているのではないだろうか。
それが大して重要な、彼女を止める理由にならないことを、理解しているのではないだろうか。
「マナに、マナと同じ歳の子にあげるような本を与えてはダメでしょうか。あの子はこのままでは、全部、全部覚えてしまうのではないでしょうか。この家から、いなくなってしまうのではないでしょうか。あの子は、……」
福祉課の職員はそれをなだめるように、いくらかの提案をした。それでも悲痛な声が続き、やがては一つの結論を作り出してしまう。
「あの子は、きっと、……飽きてしまうでしょう。書斎の本に飽きて、もしかするとそれよりも先に、私のことに飽きてしまう。私はだって、……あんな難しい本の内容なんて知りませんもの。この家を出て、もっとたくさんの本を欲しがって、きっとええ、きっと偉い偉い、とても偉い学者にでもなるのだと思います。私は、……何も、与えることができません。意地の悪い母親でいます。取る本が減るのが怖くて、本を取ってあげません。愚かな母親でいます。教えられることがなくなってしまうと私は捨てられてしまうに違いないから、何も教えてあげません。そうして、……少しの間だけ、私はマナの母親としていられる」
『そんなことはありませんよ』と職員はそう、言うしかなかった。
「私の宝箱というからには、ご両親のことをとても大切に思っているのでしょう。あなたの家に住むあなたや父親を宝物だと思っているのですから」
「ああ、そんなふうに考えることも、できるのですね」と母親は驚いたように言った。
続けて、「私は、マナが宝物なのだと思っていました。それを入れておくための宝箱なのだと思っておりました」
◆




