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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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最終話⑦


「高田院長浮かない顔をしてますね」


 高田と呼ばれた男はぎょろりと目線だけを動かして、金色の髪の子を見た。


「確かに。最良とは言い難い。望む通りにはならんものだ」


「絵里さんのことを嘆いていますか?」


「嘆いていないように思うか?つくづく私は、ダイヤを磨くのが下手なようだ。早川も市倉も、どれだけ救える者だったか知れん」


「……佐藤も泣き喚いていました。こういってはなんですが、……絵里さんは愛されていましたね」


「それはそうだろうな」とため息一つ高田は呟いて、椅子から立ち上がり壁に取り付けられたモニタに浮かぶ図を一つ眺める。続けて指で払ってそれを切り替えた。


「何か準備したいことでもあるか?明日は人も少ないだろう。後になれば……、また辞める者も増えるかも知れんな」


「早川先生を愛していた人が辞めてしまったように、絵里さんを愛していた人も辞めてしまいますか?」


「覚悟はしておかなくてはな。そればかりはどうにもならん」


「……私は、絵里さんのことは好きだったと思うのですが、それはなんなのでしょう一体。高田院長は愛されていますね。例えばそれを犠牲にしますか?」


「…………。何を言っている?どうしたトロイマン?」


「気づいてしまいました私は。つまるところ結局のところ、私は、……愛されたかったのでしょう。愛する人に」


 高田はモニタを見つめていた。ただしカチャリと鳴る音を聞いてつぶさに、拳銃を手に取ってスライドを引き振り返った。


 トロイマンが、自らに拳銃を向けているであろうことを恐れながらけれども同時に、それが現実にはならないよう願いつつ、振り返って、ああ、……こうして二人は互いに銃を向けている。


「誇りたかったのでしょう、十年を、八年を、この一年を、胸を張って、どうですかと聞きたかったのだと思います」


「待て、何を言っているんだ。何をどうしたい?分かっているだろう、ここで私に拳銃を向けて何になる?」


 高田はこの局面においてさえ、トロイマンが自分を撃つ理由を見つけられないでいる。そして、撃つつもりはないのだろうと考えていた。


 トロイマンは狙いを定めるような姿勢で拳銃を構えられていなかったし、見るからに不慣れな様子で左手を彷徨わせている。


 ただし、不気味に表情は前髪に隠されていて、囁くように話し続けるその姿が、とても恐ろしくは思われた。


「そうするとですね、それは単に、それだけのことであれば、もう良いのではないかと思いました。もう簡単に叶うのではないかと思いました」


「銃を下ろせトロイマン、私は撃つぞ」


 毅然とした、震え一つない警告だった。と、いうのも、己の優位を確信して高田は言葉の通り、もしもトロイマンが拳銃を下ろさなければ直ちに、発砲するつもりでいた。


 そうしたところで殺さない絶対的な自信があって、そうしなければトロイマンを止められないことを疑いなく知っているから、行うべきことには迷いがない。


 良くも悪くも、彼女を、長く見てきたものだから、深く沈む目が、どんな感情を含んでいるのかを分かっている。


「いいえ、高田院長は撃てません。高田院長は、殺せません」


「殺しはしない。ただしケガはすることになるぞ」


「……聞き覚えは、あるでしょうか?」


 目線も外して、左手をポケットに差し込んで、小さな、音楽の再生機を取り出して悠長に操作をして、そうして、声が聞こえてくる。


「おじいちゃんっ!えっ、お父さーん!……すけて、おじいちゃんがっ、……どうしようったすけてっ」


「高田院長は、殺せません。私を殺すのは簡単でも、愛する家族を殺せません。殺すことなど、できません」


 高田が、それはもう何カ月ぶりかに聞く声だったとして、このような場面で、まして雑音だらけの音であったとして、それでもそれが、自分の孫の、発した声であろうことは想像がついた。


 動揺がまず指に現れ、目線が右に泳いでいる。実のところ、高田はトロイマンの動きに関してだけは、ここ数カ月に渡ってかなりの詳細を、把握しているつもりでいた。


 だから、それが外部の人間の手引きがなければ実現し得ない悪夢であるとまでは推測できる。少なくとも、トロイマン本人は東京に出掛ける余裕などあったことがないし、外部の人間との接触も限られている。


「佑一君を軟禁しています。いつでも殺せる状態にあります。それでも高田院長は銃を撃ちますか?高田院長は、佑一君を殺しますか?」


「目的を……、聞こう。まずはそれを確認してからだ」


 高田はまだ冷静に思考を続けている。銃を下ろすこともなく、どのような方法でいつ、それが可能だったかを考え続けている。


 孫の名前を調べることくらいはできたかも知れない。けれど、その声にはやはり聞き覚えがある気がしてならなかった。電話口ではしゃぐ自分の孫の声と重なる部分があまりにも多くて、それを例えば他人の子供が上手く演じられるようには到底思えない。


「高田院長、銃を捨てて貰えませんか。ケガをさせますか佑一君に」


「……分かった。お前も銃を下ろせ、話をするだけだ。私はここから動かないことを約束する」


 冷静に、思考を続けても、答えに至ることはない。というよりも実際のところ高田はトロイマンの話を、およそ実現不可能なものだと結論付けていた。


 けれども、万が一によぎる不安と、トロイマンの興奮気味の恫喝を抑えるために、銃を手放す選択をしたに過ぎなかった。あるいはこの時、高田が銃を足元に捨てなかったとしても、結局のところ、同じことが起きたに違いない。


「すぐに拾えるような場所に置かないでください。高田院長を見くびってはいません。予備の銃はありますか?」


 言われて仕方なく、高田は床の銃をトロイマンの方へと蹴り飛ばし両腕を広げて見せる。トロイマンは高田に銃を向けたまましゃがみ込んで足元の拳銃のシリアル番号を確認する。


「もう一つは、そちらの保管庫だ。私の静脈認証でしか開かない。それを取り出して確認するか?」


 トロイマンはほんの数メートルがまだ遠いと思ってか高田へと一歩近づき、パンと、音が響いた。


 高田が拳銃を身につけていないであろうこと、高田のすぐ手元に拳銃がないであろうと判断をすれば、トロイマンはこうも容易く引き金を引く。


 高田はそのまま冷たい地面へとうつぶせに倒れ込んだ。銃弾の貫通した右膝の上を押さえ込んで、苦痛に表情を歪めながら、それでもまだ、トロイマンから視線を離さずにいる。


「高田院長、そちらの隅でなら、止血をしても構いません。治療具の棚には触っても良いです。ただし、そこよりもこちらに近づくようであればもう一度撃ちます」


「……殺す気がないのなら、……もっと下を狙うべきだな。下手くそめ」


 深大腿動脈から熱く血は溢れ出して、白い床は赤く染められていく。高田はベルトを外して傷口の辺りを絞り上げ、立ち上がることもできずに部屋の隅へと這いずる。


「私を憎んでいるのかと思った。私を殺すつもりなのだと思った。まあ、結果的に、死ぬかも知れんが、何が目的だトロイマン。私の、孫は、……どうするつもりだ?」


「高田院長は、たくさんの人に、所員の人にも愛されていますね。誕生日おめでとうございます。誕生日というのは、その人が生まれてくれてすごくありがたくて、その人を愛している人はとても幸せな日ですので、高田院長にプレゼントを贈る予定だったそうです」


 流血が、高田の思考力を奪っていく。


 そしておそらく、適切な処置を施さなければ、命すらも、少しの時間を経て、奪うことになる。であるから、トロイマンの話などもはや何にどうつながるものなのかを考える余裕などはなかった。


「高田院長、私は高田院長のことが好きだったのだと思います。それにたくさんの所員も、高田院長の家族も、高田院長のことが大好きなのだと思います。これが、プレゼントです、どうぞ。でもそれを聞いて、僕は不幸だなあと思いました」


 這いずる高田の後ろでトロイマンは音楽の再生機のボタンを一つ押して、そうしてまた声が流れ出す。


「えっ、おじいちゃんへ?おじいちゃんへのメッセージ!なんで?電話で話したいのにっ」


 続けて、これは特別な、誕生日のためのメッセージなのだと、女性の声が子供を諭している。子供は父親を呼び出してそれをまた同じように説明して、まずは何を伝えるべきなのかうんうんと悩んでいた。とても微笑ましい、家族の光景が浮かぶ。


「どうしようっ、色んなこと話したいけど、でも僕はおじいちゃんがすごいお医者様なんだって、みんなに自慢してるよっ。おじいちゃんは世界中の人をたくさんたくさん命を助けて、本当にすごいお医者様なんだって。だからおじいちゃんとも一杯話したいし、けどおじいちゃんが、帰ってくるのが少しなのは、そういうすごい大切な使命のためなんだって分かってる。僕はね、僕もねっ、おじいちゃんにすごいって言わせるように頑張ってる!」


 それは確かに、興奮気味で早口な、詰めきれぬ想いをもどかしがっているような話しぶりではあった。けれど高田にとってはそれが、とても苦く思われた。


「嬌声と悲鳴との区別もつかんとは、……耄碌したものだ。あの子の声をもっと聞いておくべきだった。こうして聞くと……、随分と雑な、編集だなトロイマン……」


 自嘲するように蒼ざめながら這いながら、高田の跳ねる呼吸は小さな笑いへと変わった。


 再生機の声はまだなお続いている。次の順番は誰にするのか、どんな内容を話すのか、団欒として温かな空気が、まるでこの場にそぐわないけれど、高田は心なし、痛みが和らいでいくようには感じていた。


 母が父が、息子の育ちを語り、彼が立派な医者を目指しているのだと、それはおじいちゃんを目指してのことなのだと言った。学校での成績は良いし、友達想いで、小さなケガをした人も放っておけない子なのだと、そう語った。


 医学書を買って欲しいとねだることもあるし、その内容が難しいことが分かると俄然やる気になって、どうすれば分かるようになるのか、いつも尋ねて回るのだという。


「ねえ僕の話は良いでしょ?おばあちゃん?おばあちゃんは誠司おじいちゃんの、どこが好きになったの?」と、子供の声。そして続けて、ゆったりと、高田の妻が語る。


「優しいから。温かいから。良いところはいつも聞かれるし、私はいつもそう答えるわ。けれどね、そう答えた後に必ずと言っていいほど、寂しくはないかも問われる。高田誠司は優しいし、温かいから、私の答えは嘘ではないのよ。ただ実は、彼には私からプロポーズしていて、あの時の私は『あなたの崇高さに恋をした』と言った。神様みたいな人だもの。私は一度だってあの人を独り占めしようなんて悪巧みはしなかったし、そんなことをしたらどれほど大変なことになるか知っていたわ。高田誠司は、受け止めきれないほどの愛を世界に降り注いでようやく、ああして自信満々でいられるのよ。誉めるところにならないほどに純粋で繊細で、人の痛みと自分の価値とに敏感だった。今でも私はその崇高さに恋をしている」


 少しばかり茶化すように、孫にも語って聞かせるように、高田の妻はそう述べる。


「家に帰らないあの人が夫で、あなたは寂しくないのかとね。いいえ、いいえ。とんでもない。私はあの人と相思相愛だったことなんて一度もありません?私はあの人の崇高な夢に恋をして、あの人は世界の全てを愛しています。高田誠司という偉大なお人にまさか愛されてなどしまっては、油断してくしゃみの一つもできませんわ。まあけれど、私のそういう物分かりの良いところは彼も気に入っているのではないかしらね」


 和気藹々と、老齢の恋の話など面白おかしいでしょうと言わんばかりに苦笑を交えて、それに家族の声が交わっていく。


 高田にとってそれは、大層に意味のある、声だった。生きたいと思うほどには。


 ただしそれを流し続けるトロイマンはもうまるでその音を聞こえないもののように、コンソールへ立ち、時折だけ高田の様子を窺うだけだった。


 画面は次々に切り替わり、トロイマンはそれを指で引きずり回すことに必死でいる。低発現量のコードは書き換え、代謝経路の生成阻害条件を排除し、個体適合値の算出を続けていた。


「0.28パーセントか……。生体依存だとここまで下がってしまうようです。一つだけなら三割程度は保てるのですが、……どうでしょうこれは、高田院長?」


「……まず、間違いなく死ぬだろう。私の、ものではないな、それは。お前が何をしたいのか、ようやく分かった……」


「まあでも構いません。これで生成します。アンミちゃんの予備分布解析のお蔭で定着率は下がっていませんので。あはは、私はこれで、でも。ようやく、手に入れられる気がします」


 トロイマンの見ている世界が、とても薄暗い。この世界に、ぽつりぽつりと明かりがあったとしても、それが手の届かない場所にある。


「セラにまではなれませんが、これで良いでしょう……。発現の活動電位はクリアしました。器質不一致と発現競合についてはこの際問いません。じゃあこれで、一旦、一度……、お別れですね、高田院長。死なないでください、どうか」


「やめろトロイマン、死ぬつもりか?」


「いいえ、でもエンドロールはもう、お好きにどうぞ。あは、ふは、あははっ、……うっ、うぅ」


 諦めきれないでいたが故に、愚かな決断を生む。いつ以来の、涙なのか知れない。トロイマンですら思い出すのが難しいほどに、遠い昔に一度、涙を流していたのでしょうけれど、少なくともそれ以降、ぽろぽろと、こんなふうに泣くことなどなかったのに、ともあれ彼女はこうして、世界を呪う。


「……うっ、ざまあみろ、……ザマアミロォ───っ!!」


 深く深く、憎悪を宿した瞳を向けて、トロイマンは絶叫する。その声の先に、誰がいるわけでもない。


 ただ世界に向けて、あるいはもう少し小さく、彼女の運命に向けて、彼女は叫んでいた。


「お前の……、ああ、そんな表情は、初めて見た。だがずっと、知っていた。ずっとずっと、そんな表情をしていたか?ああ。私はついに、恐れていたように、……治せずに死ぬか。もう少しだと、思っていたのに、そういえばもう、あれから……、そうだ。……随分、経ったなあ。あと一人か、二人か、治してみたかった。良い、夢を見た分、寝覚めは悪いな」



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