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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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最終話⑥


 点滴を取り外して、携帯の画面を眺める。画面はヒビが入っていたし、よく考えると電話が繋がるかどうかは定かじゃなかった。


 それに……。電話をするとすれば、……一体誰に電話をすれば良いのか、頭がしっかりと働いていないのか、それがまず決められない。


 ああそうだ、日付と時間を確認しないとならん。液晶は画面の下半分が虹色に染まって正しく表示されなかったが、機能自体は問題なく操作できそうだった。


 肝心の日付は、俺が出掛けたのが夜中だったから、あれから、要するに、俺が日付を勘違いしてなければ、まだほんの数時間?しか経っていないのか。


 何日も寝込んでいたかのように、体は重たいのに、まだあれから、たった数時間しか、経っていない。そうするとなおのこと、誰に電話をしてみるべきなのか、よく分からなくなった。


 よく分からないままに、履歴画面を開いて、多分おっさんのであろう番号を見つけることができた。深く考えることもなく、発信を押してみた。


 とりあえず今までのことを頭の中で思い起こしながら、おっさんに伝えよう。確か俺は、……どう言うんだっけか。


 おっさんは確か予知の中で俺が、なんか言ったと、そういうのを聞いてたはずだが。


「健介か。悪いな健介。ミーシーの居場所は分かったんだが……、ちょっと時間を掛けないと難しいかも知れん。そっちの状況で何か変わったことはあったか?予知妨害が間にあるから状況が掴みきれてない」


「良かったっ。ミーシーは見つかったのか」


「ああ、一応な。そっちはどうだ?」


「こっちは……。ああ、全部解決した。だからなんなら、ゆっくり話し合って連れて帰って来てくれ。ミーシーを。別に時間が掛かったって良いんだ」


「?ああ、なら、甘えさせて貰うが、どこにいるんだ?外か?」


「そうだな。家からは出てる。アンミも近くにいる。少ししたら、アンミは帰るから」


「そうか、気をつけてな?解決したってのはどういうことだ?」


「どう、と言われてもな。まあ、とにかくこっちの心配はいらない。詳しいことは俺にも分からんし、俺はこれで良かったと思ってる。じゃあ、ミーシーだけ、任せるから。ちゃんと帰ってくれ。できればまあ、無理はしなくても良いが、早めに」


 思えば、俺がおっさんに告げるはずの『アンミが側にいる』なんて合い言葉は、実のところあんまり意味がなくて、おっさんが何度も何度も予知の中で俺に電話したとして、実際に何も起こっていない時も、俺がミナコに寝返った時も、拳銃を突き付けられて脅されている時も、……そして今も、俺はこう言う。『アンミは側にいて、すぐ帰る』と。


 おっさんは俺が電話に出て安心しただろうか。今この状況の場合、俺は正直にことのあらましを伝えようなどとはしないだろう。たとえ、何度こんな状況になったとしても、俺はおっさんに何も伝えたりなどしない。


 これで、解決なら、それで良い。


 アンミは治療が済めば解放されるだろう。俺が代わりに研究に協力すれば高総医科研ももう満足だということだ。


 多分、……そういうことなんだろう。もう、それで良いだろう。これが冴えた方法だった。


 俺にできる、精一杯だった。もう良いだろう……。


「きゃあ」と、女の甲高い声が扉の外から聞こえた気がした。ただ別にギャーとか、ウワーとか、そういう類の叫び声でもなかったし、大した事態ではなさそうだと思った。俺はじゃあ、もう寝ていよう。眠くて眠くて、仕方がないから。



『まだ、……間に合うかも知れない。最後の最後で、間違ってしまうかも知れない』


 とても昂った感情が、俺に近づいてくるのが分かる。俺のことをこんな窓一つない部屋の中にいるのに当然のように見つけ出して、俺はもう眠り込んでいるのに、まだ俺に、話すことがあるらしい。


 体はもう眠っているのに、頭だけは呼び起こされて、その声の呼び掛けに、ひどく心が、揺らいでいる。


 一秒が一秒でない時間が、俺の中に広がっていく様子が見えた。それはいくつもいくつも同時に進行していて、当然目で追えるようなものではない。だが、その全てを、俺がこなせるように、配分してくれているようではあった。


『どちらかに会わなくては……、いいえ、それももう』


 ただ、そう。夢の女が、極めて焦燥していることだけは分かる。


 夢の女の見せる一つは、ミナコの現在か、あるいは過去なのか、多分だが俺が車で運ばれたよりは後の出来事なんだろう。


 もう一つは、今までの、紛れもなく過去の出来事で、俺とアンミたちのことだった。


 そしてそれらを包括してなのかこれは夢の女の、所感というやつだろう。過去の出来事というのはまあ、およそ俺も知っている内容のままで、特に目新しく見られるものもない。


 ただ、……幸福な時間であったように思った。


 夢の女は、『まだ間に合うかも知れない』と言った。


 ただしそれは十中八九間に合わないであろうことを含んだ言葉だった。


 『どちらかに会わなくてはならない』と言った。


 それはアンミか、ミナコか、その二人のどちらかということなんだろうが、その二人はどうやら今一緒にいるようであるから、要するにそこに突入しなくてはならない。


 何を目的に、どうするために、そこへ行くのかを、俺に見せるつもりでいるらしかった。ただし、まあ、間に合わないだろうという諦観を含みながら。


『あなたを失った後に、峰岸ミナコの見た世界』


「ああ……、もう、もしかして万が一と思っていたのも、もうダメですね」


 峰岸ミナコがあなたの前に姿を表して高総医科研の存在を告げたのは、研究所の裏切り者がアンミの命を狙う危険性を知らせるためだった。身近な、一見して信用できそうな人物であったとしても、警戒しなくてはならないと、そう伝えたかった。


 次に会う時もそう。あなたの住む家の近くで何事かが起きた時、まず一番にあなたのことを案じていた。もう半ば、壊れてしまっているあなたとの関係を抜きにしても、あなたの身を案じていた。


『愛することに、資格などいらない』


 むしろそれが彼女の信条ではあったのでしょう。どれほど愛されずとも愛することが、美徳であるとすら考えていたことでしょう。けれど、やはりどうしても、彼女も愛に飢えて、不器用に差し出してはいた。あなたのために、精一杯に。


 たとえるならば、あなたは気の良いパン屋の主人で、彼女は貧しくひもじい乞食のようなものだった。


 あなたの与えた愛はパンの耳のようで、あなたが受け取った対価はたった何枚かの一円玉だったとして、あなたも彼女も、互いにそれで満足だった。


 そうして、彼女は、飢えを知る。


 あなたを癒す言葉もなく、あなたに寄り添う温もりもなく、とうとう、何一つ手渡すものがなくなった時、彼女はあなたの前を早足で通り過ぎていく。あなたはもう、パンの耳もくれないでしょうから。


「銃で撃ってくる友達など嫌だと思います。僕でも嫌です」


 まあそうでしょうね。けれど、どうでしょう。


 あなたはまたパンの耳を袋に詰めて、彼女に手渡すつもりでいる。呆然と、ただ待っている。逃げるように去った彼女を、追わなくてはならなかったというのに。


「シャワーですかお風呂ですか?いいえ着替えるだけで良いでしょう」


 ミナコはクローゼットを開け手早くシャツだけ着替え、また上着を拾い上げてそれを羽織った。


 袖を通した時にゴトンと重そうな何かが床に転がり、「おっとしまった」と言いながらそれを屈んで拾い上げる。俺はそれが……、モデルガンであることを願うしかないが、さすがにこうまできて、オモチャを持ち歩くジョークなどもないだろう。


 右のポケットに入りきらないことを残念そうに見つめて腰の辺りのズボンに引っ掛けて上着で覆って隠すという発想に至ったらしい。


 左のポケットには前に見た覚えのある、音楽再生機と何やら折り畳まれた紙切れを詰め込んで、いくらかぎこちなくドアを開け廊下へと出た。


 廊下には誰もいなくて、そして何も置かれていなくて、とても寂れた印象だった。何よりも薄暗い。それを俺は、まるで自分が幽霊にでもなったみたいに、遠くから眺めている。


 あるいは、ミナコの見ている景色から、それらが作り出されているのか、ミナコはそこで立ち止まって右耳を中指で撫でた。


 髪に隠れてほとんど見えないが、どうも電話か何かのスイッチを入れるための動作だったらしく続けて「高田院長そちらの状況はどうでしょうか」と一人で話し始めた。


 首は上の方へとだらんと回して口も開きっぱなしで、腕も脱力しきっていた。


「問題ない。意識は戻ってないが傷はすぐ治る」


 この低い声の主が、高田という男か。イメージ通りというか、老齢であろうにいかつい声色をしている。


「そうですか。予備分布の解析はしますか?個体コードの電位でカウンタが動くかを確認して抑制の適合値を取りたいのですが」


「ん……。いや急ぐこともない。今日はもういい。また色々と、……嫌な仕事も多いだろう」


「嫌な仕事とは?」


「…………。惜しい人材をなくした。怪我人も多い。中からも外からも説明は求められる。これほどの事態になればそれはやむを得ん」


 惜しい人材というのが、俺の中に苦く響いた。それが明言せずとも市倉絵里のことを指しているのはまず間違いなかったし、そして、高田という男の声は、心底それを、嘆いているようでもあった。


「まあそれはそうなのですが。高田院長はどうされるつもりなのでしょう?アンミちゃんが目を覚ましてから研究に戻るつもりですか?」


「そうなるだろうな。状況が状況だった。意識が戻ってからここでの役割や過ごし方の説明をした方が良い」


「それはもう、当初はそういう予定であっただけで不可能なのでは?アンミちゃんも銃で撃たれています。こちらへ好意的な解釈が望めるとはとても思えません」


「それは詫びる他あるまい」


「…………。そうですか」


 通話の内容だけであれば、ミナコも仕方なしに納得したかのように聞こえたかも知れない。高田は多分、そう思っただろう。


 だが表情を見ればそれが全く真逆の意味での沈黙だったのは言うまでもない。ミナコはまるで、納得していない。むしろ、嫌悪を抱いて頭を掻いていた。


 それはそうと、……アンミに、ここでの過ごし方を説明する、というのが、引っ掛かる。アンミが目を覚ましてから研究を始めるというのは、それはつまり、アンミを研究に協力させるつもりと、そんなふうに聞こえる。


「とにかくそちらへ向かいます。様子だけでも見ます。よろしいでしょうか」


『トロイマンを……、ミナコを止めてください……。彼女は勘違いしていますから……』


 階段を一段一段下っていく。高田が返事をしたかどうか、俺には分からなかったし、ミナコはもうその返事がどうかなど関係なく目的地を目指して進んでいくつもりらしかった。


 階段を下りて右へ曲がって、ミナコは通路脇のでっぱりの下に右手を差し込んだ。


 そのでっぱりと手のひらの間に赤い光が一瞬漏れて、目の前の白いガラス扉が開いていく。意味が分からんことに、それと同じガラス扉が更に四つ続いていて、一つが開くと一つ手前が閉じるというSFチックな仕組みのようだった。


 そんなふうになっているのは不法侵入の予防策か、あるいは逆に脱走防止のためだったりするんだろう。アンミがそこにいるのなら、そういった構造にも納得がいく。




『ああ、そうして終わるのか、この物語は。出会うべくして出会っておいて、手近なところに答えを置いて、どんなハッピーエンドを迎えるのかと思って見てたら、結局誰の願いも叶えることなく終わるのか。……まあそれでも、ミナコがそれで良いのなら、それはそれで、……そうだね、よく、頑張ったと思うよ』





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