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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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最終話⑤



 経験者に言わせれば、突然何か得体の知れない不気味な叫び声に囲まれるような、そんな感覚だったらしい。


 どこから聞こえてくるのかは分からないが、ただ彼女と目を合わせた瞬間にそれに気づくようになる。狂人が纏う空気をどこからともなく被せられ、体は縛られたように自由が利かない。


 しばらくすると、肺の奥から泥水が沸き上がり自分が上手く呼吸すらできていないことに気づくのだ。手足の先から徐々に痺れに蝕まれ、これから自分は意識を失うのだという確信が足音を立てて近づいてくる。


 『それ』の発生源は、明らかに、『彼女』だった。


伏目がちな、幼い、少女。小さな女の子が、今にも牙を剥くのではないか。赤い髪が逆立ち、にたりと笑って自分を殺してしまうのではないか。『そうなる理由が』、『どこにでもあるのではないか』。


 ……程度の差はあれ、もちろん人によるとはいえ、その不安の根源はいくらかの時間を経て解明された。


 人と人とが対面した時、互いの気持ちがまるで分からないのなら、私たちはやはり、宇宙に放り出されたように未知を恐れる。良くも悪くも、目の前の生き物が近しい間柄を築きうるかどうかを、生物的な本能によってまず察してしまうものなのだという。


 いくら姿造形が愛らしく人に似せられていたとしても、理解可能な心が届かなければ、目の前に立つことさえまともにはできない。


 いくら精巧でもマネキンに温かさを見て取れないように、人は人を見分ける術をいくつも持っている。人と人とが信じ繋がる方法は決められている。


 私はそれを聞いて、人と向き合う時、人がどれほど優遇されているのかを理解した。いや、それどころか犬、猫の畜生ですら、それなりに人と分かり合う機能を持つのだと悟った。


 そういった意味で、彼女の造形や振る舞いは、人々にとってまるで意味のないものだった。……意味のない、ものだった。まっすぐな、瞳に見えた。遠慮のない、まっすぐな……。


 とても前向きな、何かを決めたのだろうと思った。晴れやかで誇らしげで、ああ、まあ、だからどちらにせよ、私たちが彼女を止めるなど、土台無理な話だったのだ。


 根に括った男のことを、まっすぐに見つめて、そうして、誰かを不幸にしてしまう。


「他の場所で、探そう。君の見つけたかった美しい花は、ここじゃないどこかなら、きっとたくさん見つかったはずだから。抱えきれないくらいに、見つかるはずだから」




 ゆらゆらと動く人影が、まず右腕を肩の位置にまで上げて、左手を下から重ねるようにして合わせた。それがどういう動作なのかを、俺は知っている。


「離せっ、離せっ!アンミっ、早く隠れろ!」


 厚手のジャケットを着ていたのが幸いだったのか、まず右肩が根の拘束から抜けた。限界まで身体を捻りアンミのフードを掴み、引き倒して右に振り払った。


 その間に、二発、銃声が聞こえた。


 一発は、大丈夫だったろう。もう一発は、どこに当たったのか分からない。ただアンミは俺が引きずり倒してから、立ち上がるような気配がなかった。


「……アンミ、おい、早く、隠れろ、逃げるんだ、逃げてくれ」


「健介っ……」


「アンミを見てくれ、くそ、外れろ、離れろっ!」


 俺が必死にもがいたところで、拘束は微動だにしない、その間も男はこちらへ銃を向けていた。だが、当たり前のことなのか、周りにいた同じく黒服の男たちにそいつは取り押さえられ、すぐに銃を奪われた。


「アンミは……、おい、アンミ……?アンミっ!」


 ミナコは静かに片手を上げて、スーツを着た一人をこちらへ呼び出し、アンミを運ぶように指示した。


「治療を最優先としてください。緊急事態ですので、報告はこちらから上げます。あと、そちらの三人もこちらへ来るようにしてください」


 アンミを抱えた男はすぐさま男たちの方へ走り出し、男たちとすれ違う時に一言だけ発したようだった。抱え上げられたアンミは、脇腹辺りに赤いシミを作っていた。


 良かった、ああ、まあ、楽観的でいよう。頭や心臓だったら死んでいたかも知れない。だからきっと、アンミは大丈夫だ。


 ぽたぽたと俺の血が滴っていて、右腕は肘から先の感覚がない。ない、というより、熱く焼けて痺れているようなひび割れているような、痛みと呼ぶには違和感のある妙な感覚だった。


 体のほとんどを根に絞り上げられているからなんだろうか。ただ徐々に、気分が悪くなってきて、強い吐き気が迫ってきた。


「どうして撃ちましたか?」


「室長、彼の止血だけ、……でもして良いですか?」


「ええどうぞ。手錠などあれば小杉井を拘束してください。どうして撃ちましたか?」


「それは多分、室長に危険があったからなのではないでしょうか。QCの効果が十分でなく、それこそ」


「いいえ」と、銃を撃った男は、仲間であろう男の声を途中で遮って、首を振った。


「弁明があるなら一応聞きますが、この件での処罰は免れません。どのような意図で発砲しましたか?」


「弁明……?警察に引き渡してください。そこでこんな……、馬鹿げた事情を説明します。銃を持って、女の子を追い回し、殺そうとして撃ちました。……彼女が不憫でならなかったから、殺そうとして撃ちました。今でも、私は、彼女のことを、死んだ方が幸せなのだと思っています。だから撃ちました。できることなら、後を追って私も死ぬつもりでした」


「いいえ、……室長、ちょっと待ってくださいね。彼は動揺していますし、先にも……、市倉シニアマネージャーの件や高総医科研での騒動がありましたので……、だからこんな、混乱しているわけです。彼が発砲しなければあなたにだって危害が及んだ可能性は十分に考えられますから、処分の検討については十分に吟味してまず……」


「絵里さんの件?というのは一体なんでしょう?」


「あっ、……いえ。まだ、確認は取れていませんが、……その、市倉シニアマネージャーが、亡くなられたと、聞きました」


「亡くなられた?絵里さんが死んだということですか?」


「…………。ええ、そういった連絡がありました。ですから、その、所員は全員かなり、動揺しているというか」


「そうでしたか。分かりました。それなら報告書は私は担当しません。そちらで作成するものとします。ではこのチームだけ一旦QCを切ってください。彼を研究所に運ばなくてはなりません。私たちでこれを取り外すのは難しいですので、その後彼が確保できたら、研究所に戻って検査を受けさせてください。治療も並行して行いますが、基本的には全体の、詳細な確認です」


 意識が、少しずつ薄れていく。幸いなのは右腕が心臓より高い位置で固定されていて、どうやら傷口自体の応急手当ても、布か何かでやってくれたんだろう。


 目を閉じていたから誰がどうやってかは分からないが、話している内容だけはぼんやりと、頭の中へ入ってきた。ミナコは思っていたよりしっかり指示を出しているようだし、俺は研究所に運ばれるらしい。


 頑張って目を、開けなくちゃ、ならないが、瞼を開けても焦点が決まらないのか視界がぼやけたままだ。


 ただミナコの姿は、俺の確認できる位置にある。というよりも、俺の真正面で、こちらを見ていた。いや、俺の顔を見ているわけじゃなく、手当てされた後の、俺の右腕を見ているようだった。


「…………」


 この友情が、ミナコと俺の友人関係というのは、一体どこまで続いていくのか、当然誰にも分かるはずがなかった。だから俺もミナコも、いつまでも怯えていたのかも知れない。いつそれが消えてなくなるのか不安に思っていたのかも知れない。


 たった一つもしも俺が、……変わらぬ友情を誓えたのなら、これが苦い思い出にすり変わってしまうことがなければ、ミナコはずっと信じていてくれただろうか。


 例えば再会の約束など繰り返し問うことはなくなっただろうし、変に人の顔色を窺う真似をしなかっただろうし、不満があれば打ち明けてくれた、だろうか。


 右腕を見ているのは、ケガをさせない約束を反故にしてしまったことを悔いているんだろうか。


 仮に意見が食い違ってケンカになったとして、『だってあの時約束したじゃないか』と、『忘れるはずのないお前』に対して、『胸を張って友達であること』を、主張できた。


『お前』はいつだって『それを引き合いに出して』、『俺を困らせてくれて良かったのに』、こんなケガ、すぐに治るんだから、誰もそんなことを気にしないのに、互いに互いの繋がりがまるで細い糸のように思えてしまったものだから、ただ一つ、『今も友達なのか』、怖くて怖くて、そんなことを疑い始める。そんな自分のことを、信じてくれる自信がなくなる。


 十年前に決まっていたことでなく、一年前始まったことでなく、二週間前に動き始めたわけでもなく、……お前はついさっき、俺を見て、俺の友達をやめたんだろうな。


 たった一つ、もしも俺が変わらぬ友情を誓えていたら、信じることも、信じられることも、できたのに。


 だから、そんな、無関心に、無感動に、俺を見ているんだろうな。


 俺も、……市倉絵里を、殺した。


 なあもう、だから、こうして終わったんだ、全部。



 記憶が、途切れ途切れで、それすらぼんやりとしか思い出せないのは、俺が何度も何度も意識を失っていたからなんだろう。


 何人もの男が俺を下ろそうと悪戦苦闘している様子は覚えている。根は少しずつ緩んでいたが、遠慮のない這い回り方であったし、もう役目を終えた後だからなのか、動きはとても緩慢で雑なものだった。


 引き剥がされて男に肩を抱えられ、ここで右腕に激痛が走ったことを覚えている。その後は担架で運ばれて救急車じゃなく黒い車の後ろへと降ろされた。


 アンミはもちろんいなかったし、ミナコも同乗はしないようだった。言葉が出なくて、呼吸も苦しくて、俺に分かるのはせいぜい、男が俺の右側で、俺の腕に何かしていることくらいだった。


 消毒なのか、麻酔なのか、ともあれ痛みとともに何か雫が伝っていく感触だけが肘の裏にあって、俺はがたごとと揺られながら、また眠りについた。


 何度も目を開けたとは思うんだが、それでも何が起きているのかはよく分からないままで、最後はっきりと今意識を伴って見ることができるのはこの白い部屋だった。


 白い天井と、窓のない白い壁と、ベッドと点滴台だけが隅に置かれている。俺はそこで眠っていたようで、時計などもないし、外の景色も見えないから、あれから何時間が過ぎたのか知る術がない。


 この点滴は勝手に取り外して良いんだろうか。右手は多少違和感があるがもう処置は済んでいるようで、強い痛みはない。多少重く感じるが指は動くし、傷口自体はとても小さいのか十円玉くらいの白いシールが貼ってあるだけだった。


 点滴は鎮静剤か、痛み止めか、そんなところだろうな、多分。右腕のケガで全身麻酔をしたりなんてしないだろうから、俺が今こうしてぼんやりしているのは、点滴の管から流れ込んでくる薬のせいなんだろう。


 白い部屋は当然のように誰もいない。病室らしい横にスライドする扉が見えるが、俺を逃がしたくなければ、……まあ当然鍵を掛けているだろう。


 一応試したいから、点滴台を持っていくか、点滴を外すか、まあいいか、外そう。


「ん…………?あれ」


 起き上がる時に腰の辺りに異物感があった。まさぐって確認すると、携帯電話が見つかる。続けて他の持ち物を確認するが、他は全部取り上げられてしまったようだ。


 ということは多分、見落としだろう。携帯電話を二台も持ち歩いてる奴だとは思われなかったのか、最初に市倉に直接手渡された方の携帯電話は尻ポケットに入れられたままになっていた。


 イヤホンと市倉絵里支給の携帯がなくなっていることからして、これを没収されないのは不思議ではあるが、単におそらく、幸運だったと、そういうことか?


「いや、……」


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