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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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十一話㉜


「なあ、どんどん不安になってくる。お前は今ちゃんと普通の感覚で俺に接してるか?まともな精神状態でこの件を考えてるか?一体どういう意図での問答なんだ、これは。意味がない。俺が自慢したりすごいことを言ったら羨ましがってくれて良い。何を羨ましがることがあるんだ、お前に」


「あなたの、あなたに見えている景色が、とても羨ましい」


 馬鹿にしているような言葉を、もの悲しげに投げ掛けて、俺の言葉を待っているようだった。だが、市倉絵里の言葉から、言葉以上を見出せない。


 単に能天気で深く考えない性質を羨ましいと言ったんだろうか。それにしてはあまりに、切ない表情をしていた。


「言ってる意味が分からない……。アンミが俺を気に入る理由が他にあったってことか?」


「毒にはならないことを信じて話すけれど……。例外であるあなたが、そもそも記憶を失う理由は何?少なくともそうする段階では、あなたはもちろんアンミちゃんもミーシーちゃんの予知可能域で生活していて、彼女たちにとって不都合な事実が漏れないようにすることなど大して難しいことではなかったでしょう?」


「それは……、俺が……」


「あなたが?あなたは二人から単なる家出だと説明されても納得しただろうし、実際にあなたは、周りがどういう状況で、どういった原因が存在しているのかを知らなかった。あるいは、事実をありのまま話したとして、あなたは二人を救う決意をしただろうし、実際に健介君は、私がどういう状況で、どういった原因が存在しているか説明した後も、アンミちゃんから離れようとはしなかった」


 俺の記憶が消された理由は、俺自身にあることは分かっている。ただし話の繋がりは一向に見えてこなかった。


「ねぇ、健介君。ある程度、どこで何が起きたかというのを、私たちは調べなくてはならなかったの。もちろん、アンミちゃんの目撃情報を優先してだけれどね。例えば、どこかの店で万引きがあったとか、どこかのマンションで窓ガラスが割られたとか……、そういったどうでもいい情報も一応報告書が回るしデータベース化されることになってるわ。でないと、『何も見つかりませんでした』という報告ばかりになってしまうでしょう?」


「アンミの目撃情報はなかったはずだろう」


「まあね、アンミちゃんの目撃情報というのはなかった。でも町の様子というのは一通り出来事として知っているの、私は。GPSと符合する形で報告が書かれているかをチェックしなければならないし、もし所員の誰かが立ち止まっていて、『人だかりがあった為、その場で話を聞いた』と書かれていたら、その内容も読み取らなくてはならない。普通は鼻で笑うようなどうでもいい話題であってもね。そんなに大事件というのは滅多に起こらないものでしょうし」


「町の様子……?」


 俺の記憶については、……できれば聞きたくない話題だった。自分の呼吸が少し荒くなっていることに気づく。かろうじで聞き取れた単語をオウム返しするのが精一杯で、市倉絵里が何を話すつもりなのかまでは考えられなかった。


「今日からだと十七日前……、青年は車にはねられた、ように見えた。車はある程度のスピードを出していて一見した様子では確かに衝突したように思われた、ものの、青年はかすり傷を負っただけで自力で歩ける状態だった。警察にも連絡されず、近くの診療所でもそれと思われる受診履歴はなく、車体にも大きな損傷は見つからなかった。運転手は蒼ざめていたが、実際には青年が驚いて飛びのき転倒しただけだったのだろう」


 ドキリと、心臓を突き刺されたような衝撃が走った。別にそれ自体は知られていて不都合などない。


 だが市倉絵里はゆっくりと、一つずつ、何かを組み上げていく。


「あら、そう。何てことのないつまらない事件ね。でも、どうかしら?大したケガはなかったそうよ。自力で歩けたそうよ。そして妹が付き添っていったらしい。ケガは、なくても、ただ……、その青年には外傷体験となったのかも知れない。事故やらケガというものに異常な反応を見せたかも知れない。目に見えない心の傷は何てことのない出来事でぱっくり開いて、例えば健介君はその時、正常な思考で正常な行動を取れたのかしら?」


 そう、言葉も出ない。市倉絵里に、弱い部分を見せたくなかったとか、そんなプライドが俺にあったんだろうか。


 アンミの目撃情報がなくとも、この地域での異変があれば市倉絵里は当然それを知っている。そして俺の身に起こったことも、およそ推測するに足る材料を揃えているんだろう。


『他にもあるけど』と、言った。俺が記憶を失っている件について知らせないことを責めたてた時、俺がもう十分だと言った後に、市倉絵里は全部は語っていないと俺に知らせた。


 あのタイミングでは、わざわざ俺に言う意味などなかったんだろうが、ここに来て、その時言わなかった残りの理由を、真正面から俺に突き刺した。


「何気なく、彼女らと出会うことはできたのかしら?」


「無理だったろうな。俺にはできなかったと思う」


「『何かこの辺りで変わった出来事はありませんでしたか?』その六日後、夜中にね、若い男性が、シャッターの閉まったお店の前で立ち尽くしているのを見た人がいる。『中に入れてくれ』と呟いていたらしい、その場にうずくまって動かなくなってしまったから、『大丈夫ですか』と声を掛けたそうよ。そしたら、その青年は『誰でもいいから話を聞いて欲しい、自分は孤独だ』と涙を流した。けれど、一向に何かを打ち明けることはなかった。しばらくなだめていると携帯電話を取り出してふらふらと歩き始めた。青年は電話に向かって話していた。ただし、少ししてもう一度携帯電話を操作し始めた。続けて聞き取れた言葉は『姉さん』。お姉さんに電話を掛けたのね。でも、繋がらなかったのよね?」


 そうだ、そうだろうな。失われている記憶というのは、何も一日だけというわけじゃない。……一週間の間、俺は悪夢に閉じ込められていた。


 こうして事実を並べられると、いかに夢の女が、マイルドに知らせてくれたかがよく分かる。いかに、……アンミやミーシーが、優しかったがよく分かる。


「わけの分からないことを叫び散らして、……そこに、一人フードを被った少女が現れた。あなたを抱きしめて、一緒になって泣いてあげた。あなたは覚えていないでしょうけれど、あなたは自分がそうであったことが想像できないでしょうけれど、それが事実かそうでないかはアンミちゃんが知っている」


「その辺りは初耳だな……。そうか、そうだったか」


「……人ってやっぱりどうしようもなく崩れてしまう時があるもの。本人は無自覚にバランスを取って平凡に生活しているつもりでいても、たった一つ支えがなくなっただけでタガが外れて泣き出すことがある。誰も信じられないのに、誰かに側にいて欲しくて、誰かを傷つけるほど憤っているのに、誰かが癒してくれることを期待して、分かってあげられると喚く癖に、分からないことが世界の終わりのように感じられる」


「ありがとうな、……教えてくれて」


「ありがとうじゃないのよ健介君。私はこれが、薬になると思って渡しているの」


 市倉絵里も呼吸が荒くなっていることに気づく。やはり足に力が入らないのか走る電車の中に立つように右へ左へと体を揺らしていた。目はまた、虚ろになって閉じ掛けている。


「あなたは人を愛していたと思うし、愛されていたと思う。普通に好きになって、……普通に結婚をして家庭を持って、普通に子供が生まれて育てて、……それをそつなくできて、かつ幸せを感じていられる能力のある人が、『そういうのが良い』と言う。『私は人とは違うんだ』って、『そんなのは人それぞれなんだ』って、むきになって否定しても、どんな動物だって、何億年もそうしてきたのに、私だけが違うなんてことあるかしら。きっと本当は、本当に……、そういうのが人としての幸せなんでしょう。これは気づいてもね、どうすれば良いのか分からないの。愛することが人としてあるべき姿でも、愛し方なんて分からない。愛されることが幸福であると説かれても、『多分そうね』としか、答えられないわ、私には。どうすれば愛されるのというより、いいえ。『愛されていた』と思うわ、私。でも、ダメなの……。どうして?愛したいと思うわ。誰かを排他的に扱ったりなんてしなかった。誰かを中傷したり貶めたりなんてしなかった。人に悪意を向けたことなんてない。私は自分ではそう思っているけど、ねえ一体、どうしていたら愛していることになるの?許せば良いの?気づかないふりをすれば良いの?どちらも……、私は、やだ。信じていれば良いの?一体、どれくらいの間?ねえ、ずっと我慢していれば良いの?ドラマチックな映画のように、全てが報われるのを、死ぬまで待っていれば良いの?ヒーローなんて現れないし、天国なんてない。つまらない始まりとつまらない終わりの間で、私は望まないことに慣れ始める。人生が何度もあれば良かったのに。そうすれば、少しは乱暴に生きられた。例えば、あなたの胸に顔を埋めて涙をこぼすことだってできた。そうしたところで何も意味がなかったとして、一回くらい、そういうのがあっても良かった。ただ……」


「なあ、俺も、……お前は」


「私は満足したいだけなのよ。答えを見つけたような気になった。だけど、私多分、正常に判断できるような状態じゃない。あなたに違うと言われたら、もうそれだけで分からなくなる。せめてあなたが、私と同じ方法を思いついてくれていたら、私はそれでも納得できたと思うわ。でもあなたは思いつかなかった。私と違って、思いつかなかった。まるで馬鹿にされているみたい。私が一生懸命考えた誰もが幸せになる方法は、あなたが口にもしないようなくだらないものなんだって」


「気持ちは分かるんだ」


 それは半ば、嘘だったかも知れない。口に出してみて嘘っぽさが苦く感じられる。ただし少なくとも、俺は市倉絵里のために、その言葉をひねり出した。


 そうだったろうと思う、俺も、苦しい時には苦しい思いをして、つらかった時には支えなしに立つこともままならなかったはずだ。だから、市倉絵里がその飢餓感に耐えかねた、声を出していることを、俺は少しは分かってやれるつもりではあった。


「私、分かるはずがないと思って話してるわ健介君に」


「どこを見ている、市倉絵里。人の目を見て話せ。俺とお前が話してる。お前の気持ちを、俺だって全く分からないわけじゃない。お前が苦しんでることの概要は分かった。アンミの件が終わったら協力を惜しまない。友達になろう。楽しいおしゃべりをしてお出掛けをしよう。お前は自分で思ってる以上に疲れてるんだ。ゆっくり休んで気ままに過ごして楽しい時間があれば、人を好きになることが難しいなんて思ったりしない。人から好かれてそれを信じられないなんてことにならない。言ってる意味は分かるか?」


「分かるわ、健介君。だから羨ましいと言ってるの。さあ、健介君。あなたはここに、アンミちゃんを、あなたを、ミーシーちゃん、スイラお父さんを、幸せにするための方法を聞きにきたのでしょう?あと、ミナコちゃんと仲直りするための方法を」


「…………。ああ。それを、聞きにきた。今更そんな方法はないなんて言わないよな」


「でもその前に、ああ、もう時間がないわ。ちらっと話したかしら。今回の件で協力して貰ってた人がいるの。そちらは多分、……そろそろ私がいないことに気づいてしまうと思うから。その人、頭が良いから、あなたの家の徒歩圏内の候補を回って、ここだって、多分分かってしまうと思うの」


「……協力者が来る前に方法を教えてくれるってことか?それともその協力者が必要だから待ってたら良いのか?」


「まあ、待ってることになるわ、健介君」


 そう言って市倉絵里はよろめきながら俺から一歩遠ざかって、バッグの中身を漁り始めた。そこには財布と鍵と、せいぜい携帯電話しか入っていないはずだ。だから、携帯を取り出して連絡を取ろうとするのかと思った。


 だが、市倉絵里がバッグから取り出したのは、あるはずのない、黒い、拳銃だった。不器用にそれを右手に持ってこちらへ向け、もう不要だとばかりにバッグを肩からすり抜け地面へと落とす。


「どういうつもりだ……、おい」


「動かないでね。健介君。お願いだから、動かないで」


 銃口をこちらへ向けたまま、市倉絵里は慎重に、一歩ずつ一歩ずつ街灯の方へと後退した。


 まだ、……現実感がない。


 市倉絵里が?俺を裏切ったのか?人質にでもするつもりでいるのか?


「俺を、……裏切ったのか?嘘をついてたのか?」


 それはおそらく、確認するまでもないことだったろう。この構図でそれ以外があり得るとは到底思えない。


 良い方法があるととって餌をぶら下げておいて、俺が食いついた瞬間に拳銃をこちらへ向けて、それが裏切り以外に一体なんて呼べるのか。


「違うわ、健介君。あなたに、良い方法を教えてあげるの」


「お前のその、作り笑いが気に入らない」


「作り笑い?……嬉しいことがあれば笑うと思うのよ。でも嬉しいことがないの。あれば笑うと思うけど、でもないの」


「時間稼ぎをしたいだけだろう。俺に銃を突き付けて、協力者が来る前に暴れられると厄介だから時間を稼いでるのか。お前の身の上話も時間稼ぎのためだったのか?……おい、なんとか言え、市倉絵里」


「…………」


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