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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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十一話㉚


「聞かなくても分かるくらいに、お前は正常じゃない。靴でそんなによろつくわけないだろう」


「そうはいっても……、普通の時であっても、いいえむしろ普段よりも、私は今真っ当だと思う。体は、少しそうね、よろついたりするかも知れないけれど、でも心はいつもよりも、ずっと良い。さて、時間稼ぎをしたいわけじゃないの。時間を取らせたいわけじゃないの。こうしている間に何も不都合なことが起こって欲しくないの。だから本題に入りましょう。ねえでも、先に言っておくけれど、……私多分、心地よいの本当に。健介君の声が心地よい。だからだらだらと、いつまでも続けてしまいそう。それだけなの」


「電話の時のお前は、いや、それ以前に一回会った時も、お前は今よりももっと覇気があった。そんな虚ろな目をしてたりしなかったはずだ。どうして薬を飲んだ?」


「その方が好みなら、そうするように努めるわじゃあ。私から、質問するわ。答えやすいようにいくつかに分割して質問をする。健介君は私に対して説明をしてくれる。私はその説明から正確な意図を読み取るためにいくつか聞き返したり確認したりするかも知れない。あなたは私が勘違いしている、あるいは十分な理解でないと感じた時、補足をしてくれて良いし、私に対して正しく伝わったかを確認してくれて良い。私が納得しない場合、更に別解を追加してくれて良い。論理的な矛盾や私の知る事実と反する説明があった場合私はそれを指摘するかも知れない。けれど、それをわざわざ加味する必要はない。また、あなたはあなたの論理を補強するために私から事実確認することを認める。取捨選択して都合の良いストーリーを作ってくれて構わない。一つだけ、質問に答える際の注意をしておく。あらかじめ言っておいたけれど、これはあくまで健介君が主体となった解答でなければならない。私が健介君の解答を気に入るか気に入らないかで正解が決まることではないし、私はいくら納得できない答えが与えられたとしてもそれとは関係なく見せたいものを見せてあなたに方法を知らせると約束している。この後のこととは切り離して、できるだけ私の表情も見ずに私の横やりを気にしないで、正直に、ただ、答えてほしい」


 バランスを気にしてか、両足を揃えて、少し丸めていた体も起こし、見開いた目でまっすぐに俺を見た。


 それは確かに、『市倉絵里らしい』と俺が思うであろう話しぶりや佇まいではあったろうが、その切り替わり具合はなお一層俺を不安にさせた。第一俺は、それが良いなどとは言っていない。


「あなたはまず、峰岸ミナコとトロイマンが同一人物であることを信じている?」


「……ああ、信じているというより、確信している。トロイマンと名乗った人物と実際に会った。ミナコの番号に電話して会話もしてる。俺がミナコを見間違うはずがないし、声だって聞き間違えない」


「あら、大した自信ね。そこを否定されていたら私が口を出す回数が増えてたわ」


「だが当然俺は、峰岸ミナコとお前の考えているトロイマンとは別人格といって良いほどに行動原理や優先順位が違うとも思っている。自分が研究所で偉くなるためにアンミを捕えると言った。セラ村にいたアンミが不幸だと言った。研究所の方がマシだと。それは嘘かも知れないが、俺と話をしたがらないし、陽太からも連絡がつかない。これは俺が、ミナコを理想化し過ぎてるのもあるんだろうが、俺の知ってるミナコであれば、こうまで極端な姿勢を取らないはずだ」


「誰かに強制されていたり、洗脳を受けていたりすると思う?私は別に、トロイマン自身の目的やアンミちゃんへの感想で嘘を言ったとは思わないし、何よりも行動原理や優先順位ということをいうなら、所内での彼女を長く見てきた私の評価と健介君の評価は全く対立する。研究の邪魔をされたくはなかったでしょうし、誰かの犠牲も厭わない」


「それはどちらが本心だったかという話だ。俺とお前のトロイマンのイメージは全く違う。俺は俺が見てきたミナコとしての人格があいつ本来の姿だと思っている。洗脳、……とまでは言わないが、ミナコが見聞きした情報が偏っていた可能性もある」


「まず、トロイマンが見聞きした情報が偏っていたということは事実に反する。彼女は全て自由に報告された情報を取捨選択できたし、例えばセラ村でのアンミちゃんの報告は制限なく必ず彼女を経由することになっていた。むしろ偏った情報を作り出せる側の立場だった。私や他の所員も彼女の公開した記録でしかセラ村の内情を知らない。高総医科研の分子生物学分室のトップは彼女で、今回のアンミちゃんの件に限っては、高田から所員への指示伝達と、高田への報告役を担っている。『知らなかった』とか『聞いてなかった』とか、そういう理由で判断を誤ることはあり得ない」


「…………」


「健介君はミナコちゃんを具体的にどんなイメージで見ていたの?それを演技だったと思わない理由はある?」


「まず、そもそも……、あいつは、こういってはなんだが才能というのを、全然使いこなせてるようには見えなかった。能力は高いだろう。確かに記憶力とか計算能力とか、そういう部分は突出してた。だが例えば、……サラリーマンに向いているかと言われたら絶対にノーだと答えるくらいに、人としての基礎を満たしてなかった。良くいえば自由奔放で素直だったし、悪くいえばものを知らなかった。それは根本的な部分だろう。そこを偽れる人間がいるとは到底思えない。だからむしろ、ミナコが研究所で働いていたというのなら、それこそ高田か誰かに指示を受けてなければ破綻してるはずだ」


「もちろん高田からの指示や全体の方針というのはあったでしょう。ただ、早川が研究所からいなくなった後、それでも一人研究を続けていたのは紛れもなく彼女本人の意志によるものだった。峰岸昭一が止めなければ、高田が人を補充しなければ、彼女はずぅっと一人で、今も、研究を続けていたことでしょう。そして資質について述べるなら、十分過ぎるほどにトップとしての能力と実績がある。副転写因子の変異法則とリフォールディングの生成機構を特定したのもトロイマンだし、これが個体の適合性によるとはいえ、普通の人を魔法使いに変える理論の根本になっている。開発局と協働して魔法妨害の、QCの改良原案を提出したのもトロイマンだった。もちろん、早川の基礎研究と開発局の尽力があってだけれど、こと特質症研究の範疇において彼女ほどの成果を上げた人間は世界に一人もいない。ものを知らなかったというのは、私も同じで、いいえ彼女は私以上に、流行りの歌もテレビも知らないでしょう。研究に没頭していたわけだから」


「流行りの歌を知らなかったりテレビ番組を知らなかったのはそれで説明がつくとして、精神のあり方とか、物事の捉え方とか、そういうのが一般水準に達してなかった。要するに一般常識が備わっていなかった。加えて、熱血とは真逆の、調和を求める人間だった。冷血とは真逆の穏やかで温かい人間だった。素直に感動したり喜んだりできる人間だった。幼くさえ感じるくらいに」


「そう、あって欲しいと健介君が思ったのなら、そのように都合良く演じていたのかも知れない。彼女なりに周りに合わせようと努力していたのかも知れない。あるいは並列で何か考え事をしていたか、もしかして単なる冗談だったのかも知れない」


「都合良く演じるのならもっと上手いやり方があったはずだ。周りに合わせられていたようにも思えない。並列どころか思いつきで話し続けていた。もしかしたら、仕事は上手くやっていたのかも知れない。だが、どちらが本当の姿かというのは俺とお前では完全に水掛け論になる」


「健介君。あなたが見ていたその幼くて穏やかな峰岸ミナコという人格は、彼女が心を許した時にだけ覗かせる一つの表情だったと、そう言いたいのよね。ただ、あなたたちの程度に合わせるのために一度頭を空っぽにして、ゼロから言葉を覚え直していたのかも知れない。……私は両方だったと思う。甘えられる相手に対して精神的な幼児退行があったとして不思議じゃない。少なくとも彼女は部下とのコミュニケーションを上手くとれないことが多かった。それどころかこちらでは彼女が日本語を話せることすら知らない者がほとんどだし、誰かが室長室と研究室の通路以外で彼女を見たなんて言ったらその日一番のニュースになる。ほとんど、誰も、会話したことがない。少なくとも彼女は、日本語で、友人関係で、言葉の交わし方を、学習する機会が、少なかったとはいえる。どうかしら?健介君。ずっとずっと研究漬けで、友達同士のおしゃべりの方法が分からない時、彼女は聞きかじった言葉を使ってコミュニケーションを取るしかない。それが正しい振る舞いなのか間違っていたのか、相手の表情や行動から感じ取ることしかできない」


「だとしても、ミナコがどうありたいかは、決まってるはずだ。どちらが幸せだったかに疑問はない」


「健介君が、いきなり猿の小屋に入れられて友達になれと言われてもできないと思うもの。猿と比べて健介君は、あまりに賢過ぎるから。トロイマンはそれすらできたのではない?あなたに合わせて、あなたの言葉を覚えて、あなたが信用するに足る行動を取った。それが幸せな振る舞いだったかは分からない」


「同じ、人間だ。同じように考えて同じように感じていておかしくない。俺とミナコと、陽太と一緒にいた時に、お互いがお互いをどう思ってるかがかけ離れてるわけがない。俺が抱いてたのと同じように心地よくいられたはずだ。猿に混ざって猿の振る舞いを真似るようなことが幸せなはずがない。俺には、俺と一緒にいる時のミナコが、幸せに見えた」


「ええ、私にも、観察する分にはそう見えた。あなたとトロイマンが一緒にいる時、そう見えた。ただねえ、健介君。無数の分子に光が衝突して、人の目に届く頃にようやく空が青い。地球は果たして、宇宙から見た時本当に青かったのだろうけど、そんな分かりきっていることはどうでもいいの。もっと目を凝らして?もっとよく考えて?宇宙からはちっぽけな人の姿なんて見えるはずがないのだから、あなたは遠くから眺めた感想と同じものを抱いてはならない。もっと細かに、心の機微を見なくてはならない」


「幸せそうに見えたというのが、幸せだったという根拠にならないのか?俺たちはずっと、お互いに、良い友人関係を続けてきた。アンミの件でもそうだ。何を見て、一体どうしてあれが家族に見えない?不幸なわけがないだろう」


「便利な言葉で、短く答えるのはやめて。権利と保証が欲しいから、そういう契約?家族だ友達だ。家族だから。友達だから。安心したいのね。楽をしたいのね。それさえ口にしておけばことはまるで自明だと言わんばかりに自信満々なのね。血のつながらない家族という関係は存在する。血のつながった家族であったとしてその関係が全て良好だという法則はない。健介君、信じる根拠を他人の常識に頼るのはやめましょう?一般論や確率の話をしているのではないのよ。今ここでは、あなたのお話をしているの。別にアンミちゃんの話でも良いけれど、どうしてあれが家族に見えるのかを説明してちょうだい」


「家族だから家族の絆があると言ってるんじゃない。友人だから親しいと言ってるわけじゃない。お互いに想い合っていてそれが通じているのなら、それを友人や家族という」


「トロイマンには十分な動機があって、実際にアンミちゃんを手に入れるためにあなたとの関係は重要だったはずよ。一方通行だった可能性を考えたりしないの」


「きっかけが仮にそうだったにしろ、それだけが全てだったわけじゃない。俺の監視をするためだけに何も楽しくおしゃべりしたりお出掛けしなきゃならんわけじゃないだろう。それこそ俺との関係などトロイマンの目的からしたら最低限であっても問題なかったはずだ」


「いいえ。目的のために、万全を期すかも知れない。私に分かるのは健介君が、ミナコちゃんのことを好きだったということだけ」


「万全を期すというのならむしろ、お前のように分かりやすいメリットを提示して俺に近づいてしつこく何度も友達になろうと言い続けただろう。それでも友達になったかも知れない。だが友人関係というのはな、何かが一つあって続くものじゃない。少しずつお互いがお互いを認めていってようやく深まる。極端なことをいえばこれは相性以外の理由はない。はっきりいって俺や陽太以外にあいつが俺たちに向けたのと同じ振る舞いをしていたら嫌われていても不思議じゃない」


「…………なるほど。それは健介君の言い分が正しそうね」


 しばらく目を瞑って、どういう理屈だかそれにだけは納得してくれたようだった。俺と陽太とミナコを監視してたことがあるのなら、たまたまミナコの傍若無人な振る舞いを目撃していたのかも知れない。


 そうであれば、その時の俺たちがどれほど楽しげだったかも推し量ることもできるはずだろうに、この問答は終始、ミナコの気持ちが不透明だという前提で進められている。


 そこからもずっと、押し問答が続いた。俺が質問に答えれば、それに続けて市倉絵里が追加で質問をする。


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