十一話㉗
「じゃあ……、まず、俺からアンミへ電話を掛ける。で、アンミの携帯が震えるから、受話器のマークを押してくれ」
耳にイヤホンをつけて俺側の携帯を操作しポケットにしまう。アンミ側の携帯がほんの一瞬遅れて震え出してアンミが操作するとコール音から静寂へと切り替わった。
アンミは訝しげに「もしもし」と言うと、こちらの左耳にもその声が届く。
「よし問題ない。じゃあそれ切らないようにしてポケットに入れて移動してくれ。こっちで切れたことが分かったらまた電話するから震えたら同じように操作して電話に出てくれ」
「こっち、あれ?健介の声は聞こえない?」
「ああ、俺は今携帯をポケットに入れてるからな。あーあーもしもし。これなら聞こえるだろう?俺側はそっちの音を聞いてる状態にしておくから、何かあったら取り出して普通に話してくれたら良い。その時に俺も携帯を取り出して何かしら指示を出すことにする」
「あっ、そっか。うん分かった。じゃあ私も?何もない時はポケットにそのまま入れてたら良い?」
「そういうことだ。じゃあ、ミーコ、アンミも。任せたぞ。こっちは任せろ」
「これは、……私が話したら健介が返事しなくても聞いててくれるってこと?」
「ああ、まあ、余裕があれば俺も返事するが、どちらかというとそっちが大丈夫か俺が確認したいということだから」
「あー。うん。分かった。じゃあもしかすると話すかも。ミーシー見つかるかも知れないし」
「……ああ。そうだな。そういう嬉しいニュースがあった場合とかも知らせてくれると良いな」
「じゃあ健介頑張ってニャ?」
「ああ。お前らも気をつけてくれな」
アンミが小さく頷いて、ミーコが一度こちらを確認してから歩き始める。市倉絵里がどちら方面から来るのかは分からんが、しばらく待ってから電話した方が良いだろうし、電話した後もどんな経路で来るのか聞き取りした方が良さそうだ。
アンミとミーコが一段落つけるところまで移動してから連絡をするとなると、まあおおよそ予定通り十一時か少し前に市倉絵里へ電話することになる。早めに出てちょうど良かったのかも知れん。
こちらからアンミに異常を伝える場合は、大声で叫んでポケットの中の携帯に気づいて貰うか、あるいは一旦通話を切って再度コールすれば良い。向こうに異常があれば普通に話してくれたら良い。
ミーコの察知能力は高い、はずだし、賢いから挟み撃ちされるような道順も選ばないだろう。魔法対策の範囲も分かるだろうから、近くに雑木林でもあればアンミ自身も身を守ることはできる。
夢の女の気配も俺には感じられないから、あちらへついていったか、見回りしてくれてるだろう。そこはもう、十分だ。あとは俺だ。
暗がりへ移動して、市倉絵里へ連絡する用の携帯電話の時計を眺める。あと、十五分。
市倉絵里のことを、考えてみた。それでもやはり分からなかった。家族や友人、仕事について悩みとか、俺たちを助けたいという想いであるとか、それらはどこまで深く繋がっているんだろう。
もしかすると俺が勝手に想像するだけで、まるで関係ないのかも知れない。
アンミを救ってやれたら、自分のことを誇らしく思えると言っていた。それはまあ、そうなのかも知れない。善行であるには違いない。
仕事が嫌になって家族のところへ帰りたいのかも知れない。大手を振ってクビになるための理屈にこの件を利用したいと思っている可能性もある。『それに近い』とは、言っていた。『言いたくない』とも言っていた。
市倉絵里は、俺に質問をする。それに上手く答えられたら、俺は市倉絵里の役に立つことができるんだろうか。
考えていたって仕方ないことなのに、俺はそれを頭から振り払えなかった。時間だけが追いついて、俺は何も編み出したりはできないだろう。
ほら、また一分が過ぎる。
結局、十一時を前にして携帯画面を見つめ続けて決心をした。どうもしっくりこない深呼吸を何度か繰り返し、ようやく携帯に視線を向ける段階にまで達した。アンミの方も特に問題は起こっていないようだ。
布の擦れる音は一定で、時折アンミがミーコに話し掛けているのか微かに声らしき音が聞こえている。通話も途切れていない。じゃあ、いざ、手順を頭の中で反芻して、ここからは注意力の勝負だ。市倉絵里に、電話をしよう。
「もしもし?どうしたの?」
「悪いんだが、今すぐ、テレビ電話に切り替えてくれるか?」
「ええ?まあ、はい。これで良い?どうしたの健介君?」
……やはり、顔色は悪い。服はスーツを着たままで、まだ寝るつもりはなかったみたいだ。寝不足だったりするんだろうか。椅子に座ってぼんやりとはしている。だがとりあえず渋ることもなくテレビ電話へと切り替えてくれた。
「今から、会えるか?良い方法を聞きたい」
「ああ、そういう?うふふ。なるほどね。待ち合わせ時間と場所を決めておいたら、待ち伏せされるからということ?」
「そういうことだ。加えて、お前が不審な動きをしたら今回会うのはキャンセルになる。誰かに連絡をしようとしたり、緊急通報ボタンみたいなのを押すような素振りをしたら俺たちは身を隠すことにする」
「そう……。じゃあ、これくらい離して見えていた方が良いかしら。手が疲れるけど、ええと、外に?私も出た方が良いのよね。車は使っても良いの?」
「俺の家周辺まで徒歩で来られる距離なら歩いて貰った方が良いが、そうじゃないなら車を使ってくれて良い。ただ、車載ホルダーを使って、運転中でもお前が見えるようにしてくれ」
「うん、ええ良いわ。ごめんなさい。……不審に思われないようにしたいけど、薬だけ、薬だけ飲ませて貰って良い?錠剤の一つや二つなんだけど」
「……じゃあ、カメラを上からにして、手と飲む薬も見えるようにしてくれ」
「これで見える?ここに薬が置いてあるわ。それを、うん。まあ水なしでも飲めるから」
市倉絵里は丁寧にアングルを変えて、薬の錠剤を押し出す場面と、それを飲み込むところまでを映して見せた。足元にボタンの類は見当たらないし、片手は携帯、片手は薬しか触っていない。
「車のキーがバッグに入ってるのだけど、バッグの中身を一度出して見せた方が良い?あ、ちょうどここに置くとよく見えると思うわ」
カチャと多分充電器に携帯を立てたんだろう。これで市倉絵里のほぼ全身が映るようになった。
掛けてあったバッグの紐を持ち上げてこちらへ戻ってきて、「チャックを開けて良い?」と俺に聞いた。俺が「ああ」と答えると市倉絵里はチャックを開いてバッグを逆さまに持ち上げ、中身を全て机の上にぶちまけた。
続いて「車の鍵を触って良い?あと財布に運転免許証が入ってる。家の鍵もこれなの」とそれすらも俺に確認をする。バッグの中身は本だったり手帳だったりがほとんどであとは財布と鍵の束、だった。
俺が了承して市倉絵里が財布を開くと免許証らしきカードの他にもう一つカードが入っているのが見えた。
「IDカードか?それ」
「ええ。よく知ってるわね。研究所に入るのにこれがないと入れないから財布に入れてるわ」
「ああ、どこまで確認すれば良いんだろうな。財布の中身はどうだ?小銭に紛れて発信機とか入ってないか?」
「入ってないわ。…………ほら。まあそれに、この携帯電話は高総医科研に監視されてない」
またジャラジャラと小銭を全て机の上にぶちまけて、おまけにお札まで抜いて広げて見せた。
「電波妨害の機械はどこにある?」
「ちょっと待ってね?これよ。どうする?本当にこの機械かどうか試すと一回通話が切れちゃうでしょうけど、すぐに掛け直してこれを置いて外に出るのを見る?」
「……いや、そんなことはしなくて良い。じゃあバッグに財布入れて、車のキーと家の鍵を手に持って、そのまま自分が映るようにして家から出てくれ。ごめんな、本当に悪いと思ってる。罪悪感はあるんだ」
「いいえ気にしないで?エレベーターは使っても良い?私四階に住んでるから普通のエレベーターだけど、ボタンを押さないとならないから」
「ああ、まあ、見える状態にしといてくれるなら普段通りにしてくれて良いと思う」
「じゃあ、靴箱を開けるわ。これ貰い物なの。ちょっと似合わないけど、これを履いて行って良い?できればシャワーも浴びてから会いたかったけど、それは無理よね」
「……そこは我慢してくれ。俺と会うためにシャワーを浴びる必要性がない。靴は好きにしてくれたら良い。よほど怪しげな見た目じゃなければ止めたりしない」
市倉絵里が靴棚を開けると、たった一足だけ……、確かに市倉絵里には似合わなそうな赤っぽいハイヒールが入っていた。似合わないというのは、……市倉絵里に似合わないわけじゃなく、スーツに赤のハイヒールというバランスのとっ散らかり具合が気になるわけだが。
市倉絵里はそれを手に取って片手では不自由なのか足を入れて踵部分を起こしてゆらゆら揺らして具合を確かめていた。それを両足済ませてようやく立ち上がり、玄関の鍵を開けて外に出て、鍵を掛けて通路を歩く。
不審な点は見つからないが、当然不自由そうには見えた。片手を上げているせいか画面も左右にふらふら揺れるし、市倉絵里自身も上手くバランスを取れていなくて歩きづらいのかまっすぐ通路を進めていない。
右へ寄ったり左へよろついたり、華奢な体とはいえそこまでだろうかと気になるような動きではあった。エレベーターに乗り込むと「手が疲れたから右手に変えても良い?」とここでも俺に聞く。
それぐらい勝手にやってくれても問題ないと考えていたが、これも一応市倉絵里の配慮なんだろう。
「ああ、……悪いな。構わない」
そうして市倉絵里は駐車場へ行き車へと乗り込む。車のホルダーはこれを見越してとも思えるほど市倉絵里の姿をよく捉える配置だった。ハンドルを握っている手すら見えるくらいに、ちょうど良く市倉絵里を映していて、会話をするにも特に不自由のない距離のようだ。
「今、俺の家の近くの公園で待ってる」
「折角……。ねえ、監視するためなのは分かるけど、お話もしましょう。もし、健介君の都合が悪いなら黙っているけど、電話が繋がっていて、お話しないのは変な気がしない?」
話に集中させて、俺の気を逸らすつもりでいるのかも知れない。
しかしながら、正直疑うことに疲れてきている。車へと乗り込んでエンジンを掛ける市倉絵里に、不審な挙動は見られなかった。むしろ先回りして怪しむべきところを自分と並べるようにして映して見せてくれたりした。
「理由があると思うんだ。お前が、アンミを助けたいという理由がちゃんとあるはずだ。助けられる立場だからとかじゃなく、助けようと積極的に思う理由が」
「チャンスだと思ったの……。いいえ、何か誇れることが欲しかった。誰かを幸せにしてあげたんだって、そんなふうに胸を張ってみたかった。健介君、私があなたを幸せに導く手助けをしてあげたら、あなたは喜んでくれる?」
「まあ。感謝するだろう」
「誰かに私がいて良かったと言って欲しかった。だから、この私でもなれそうで、この世界で一番偉いと思っていたお仕事に就いた。お飾りしてみたらまるで似合わなくて恥ずかしくなったの。ああ、私は違ったんだなって、心底痛感させられた。ああはなれないから」
「苦労して立派な仕事の免許を取ったわけだろう……」
「免許はね。免許というのはやっても良いというだけでね、やらなくてはならないわけでもやれば何かが得られるという保証でもない。だからそちらはもう諦めても良いと思うの。でもね、けれどね……、いつか何かあるんじゃないかな、私にも、何かあるんじゃないかな……、来ないかしら?ドラマチックに、……価値ある美や善の一部になれる時が。美しいと思うものが見つかったわ。私が昔考えてたものとは違うけれど」
「…………」
「だから、アンミちゃんを、助けてあげたい。健介君やミーシーちゃん、スイラお父さんを助けてあげたい。でも……」
「でも?」
「ええ、でも健介君には分からないと思って話してるわ」
「お前の気持ちがか?」
「……そうね」
「分かってやれたら良いと思ってる」
「ええ、ありがとう。道順は指示してくれる?岐阜市にいるの。特にないなら一番早く着けるようにするけど」
「まあ最短で来てくれて良い」
一応、変に迂回されない限りミーコの行く方向とほぼ真逆から市倉絵里は到着することになるだろう。




