十一話⑲
「ええ。持ち出せるし、場合によっては使わざるを得ない時があった。じゃあ、今回は持っていかないことにする。最後だもの、私も少しくらいは賭けに出ましょう。私は魔法対策のアイテムを持たずに健介君と会う。そういう約束を追加ということね」
「まさかとは思うが魔法対策をしてないと上手くいかない方法だとか、そんなことを言い出したりはしないよな。良い方法に取り組むのに万全は尽くして欲しいが同時に、俺はアンミと電話が繋がってない状態で出歩くのが不安だ。もし賭けになるとか言うなら、問題点については協議したい」
「これは最初から伝えていたと思うけど、ミーシーちゃんやスイラお父さんに知られないようにしたいというだけよ。予知を妨害した状態で健介君と話ができるのなら、健介君だけを信じていれば済むけど、予知できる状態で隠し事をするのは、少し賭けにはなるでしょう?ただ、まあここまで止められなかったのなら、私のことは知られていないと考えても大丈夫そう」
結局、そういうことになった。俺はミーシーに伝えていないし、伝えるような過去も未来もなくここまできた。
逆説的にいって、ミーシーが感知するような問題が、市倉絵里が犯人だと分かる形では『発生しなかった』のだともいえる。
ミーシーが、俺を餌に市倉絵里をおびき出すために、予知妨害させない状況を作り出し、自らは身を隠している……、というのが万に一つはありそうで怖いとこだが、ミーシーが冷静な判断力を持っていたなら、よほどのことでない限りおっさんやハジメ、ナナにまで響く方法を選ばないだろう。
むしろそこまで市倉絵里を危険視するのなら、それが分かった時点でミーシー側の思惑に乗り換えるのが賢明だ。
……ないだろうな。市倉絵里を捕まえたい場合でも、そんなどうなるか分かりづらいところを期待して待つ意味がない。ミーシーが市倉絵里のことに気づいているのなら、『もう知ってるから話せ』の一言を放つだけで俺は観念せざるを得ない。たったそれだけで俺が市倉絵里を頼る選択肢は消える。
「じゃあ持ってこないという、ことで良いな?一応……、あのな、検討はしてくれ。必要になりそうなものを絶対外せとは言わない」
「今回は、持っていかないことにするわ。まあ、実際会うまで証明できないけれどね」
「そうかもな。そこは信用する」
そうは言いながら、通話状態のまま待ち合わせ場所まで来て貰うことになるだろう。少なくとも到着までの間、通話の電波が妨害されないことは確認できるし、テレビ電話状態で監視もする予定でいる。
二人で待ち合わせ場所に着いてから持ち物検査をして、……で、その段階で仮に持ってきていたら一体どうなるというんだ。
俺を外へ引っ張り出して、アンミとの連絡手段を途絶えさせることで、高総医科研はアンミを捕まえやすくなる。
……ちょっとは、なる、かも知れん。だが、それが狙いだとすればあまりに遠回りだ。市倉絵里の言った通り、俺の家の中で捕まえようが、外で捕まえようが大きな差はない。
下手をすれば居場所が分かっているものを外に出したくなどないと考えているかも分からん。ということで、最初から行き着くところ最後まで、市倉絵里が高総医科研に味方しているといえるような根拠を、俺は見つけることができないだろう。
だからそもそも、市倉絵里は高総医科研の味方をしていたりしないんだろう。けれども最後の最後、良い方法を聞き終えるまで、俺は市倉絵里を完全に信用したと、言い切ることはできない。
これがもし人間性を測るテストだったら、おそらく赤点なんだろうな。俺は、こうありたいと思う理想に反していることを強く自覚させられている。
「健介君、そういうのをね、条件なんて言わないで。単に健介君からの要望でしょう?重要なことなのかも知れないけど、私、健介君からのお願いがあるなら、できるだけ応えようとするわ。仮に断ることがあったとしても、説明できるかどうかは別としてちゃんと理由がある。私が誠実に応えようとすることを、まるで強制されてそうだったように言われたくはないし渋々妥協して認めたように思われたくない。……普段ならこんなこと言わないけど、少し贅沢を言わせて。私と健介君は会う約束をしていて、……お願いがあるなら話してくれたら良い」
「……すまん。ああ、気に障ったなら謝る」
「気に障ったというか……、普通そうなのは分かってるわ。わがままを言わせて欲しいだけよ。普通、ほら、人付き合いをしていて、お互いに条件を出したりなんてしないでしょう?調整をすることはあるでしょうけど」
「確かにそうだ。その通りだな。ああ……。なあ、俺は、逆にな、ちゃんと分かってて欲しい。普通であれば、当然条件など出さないし、こんな疑いながらの人付き合いなんてあり得ない。良い方法の内容が明かされていなくて、アンミが今現在狙われていて、そんな事情があって俺とお前はこういう、普通じゃあり得ないやり取りをしてる。普通のふりをしたって意味がない。そんな、普通のやり取りは、普通の時にしたら良い。お前が俺を裏切らなければ、そんなのは今後いくらでもできる。なんなら俺へ一方的に不利なお願いでもなんでもしてくれたって、俺はこの件が済んだ後なら、……いくらでも付き合ってやれる。感謝を述べて、謝罪して、悩みがあるなら相談しろと言う。俺はその時お前の力になれることを嬉しくさえ思うだろう。助けて貰ってるわけだからな。返したくなるのが当たり前だからな。だが、今じゃない」
「ええ、そうね。今じゃない。でも、私は、今そうして欲しいと、わがままを言ったの。無理なら構わないわ。絶対そうしてと言ったわけじゃない。それで?他のお願いは?」
「…………。何とは限定はできないが、何かしら不都合があったら中止か延期を申し出るかも知れない。一応、時間は決めて良いということだったな。明日の夜にまた電話をしても大丈夫か?これはもしかするとこっちの準備の都合で十時とか十一時とかになるかも知れない」
「ええ。いつでも電話してくれて構わないし、待ち合わせ時間はいつでも構わないわ。健介君の都合が良い時間にしてくれたら良い」
「分かった。じゃあ、とりあえず明日、準備ができ次第連絡をするし、その時に待ち合わせ場所を伝える。おそらくこの近辺になるとは思うが、多分車で来ることになるだろう?こう、携帯ホルダーというか、そういう、通話しながら車の運転できるようなアイテムは持ってるか?」
「?必要かしら?まあ、そうね。地図に載ってないような場所なら、案内して貰った方が良いかも知れないわ。じゃあ、今日中に用意しておく」
「あと、ええとな?この電話ってテレビ電話って使えたりするのか?」
「ええ。まあもし、……ないとは思うけど徒歩で移動中に迷子になったら、それで教えて貰うこともできるでしょうね。ほら、多分、そうね、ええと、あんまり使わないから絶対とは言えないけど、こうすればこちらの、様子が映ってるでしょう?画面に。迷子になったら周りの風景でも映すわ」
どうやら、通話中に操作一つでテレビ電話との切り替えはできるようだ。
なるほど、『道案内のために必要だからテレビ電話ができるか確認させてくれ』と言い訳すれば良かったのかと思った。
市倉絵里が『ちょっとした不都合があったとしても、わざわざ直接会って見せたいものがある』と言いながら、テレビ電話が使えることを承知しているのが不思議だった。
色々と考えていたせいで、俺は、何に注意を向けるべきなのかを、すぐには気づくことができなかった。『ああ、テレビ電話ができるのか、なら問題ない』と、画面から目を離しかねなかった。
おかしい。……これはおかしい。
俺が、市倉絵里と、直接顔を合わせたのは、『それほど前じゃない』。
なのにどうしてこんな……。
「ああ、そうしてくれ。あと、……一応、気をつけてくれな。俺に言われるまでもないことだろうが、トロイマンとか、まあ、周りに怪しまれないように」
「うん、気をつけるわ」
「…………」
「他にないなら、じゃあまた明日ね」
「大丈夫か?やつれてないか?」
「やつれてる?ように見える?照明とか、カメラのせいではない?少し暗く映るかも知れないわ」
本人に自覚がないのだから、もしかすると、単に俺の気のせいなのかも知れない。照明の加減とかカメラの解像度とか、あるいは化粧とかそういったもので少し印象が変わるかも知れないし、俺の記憶だって細部を完全に色鮮やかに再現してくれるようなものじゃない。
でもそんなことは常識として俺は百も承知で、それでも違和感がある。照明が暗ければ影が落ちることくらいもちろん俺は理解しているのに、それだけじゃ説明がつかないほどに市倉絵里の顔色は悪い。
顔色?いや、目線?首を上に持ち上げた時に、眉や瞼に、全く動きがないように感じた。唇の動きがあまりに小さい。
多分俺は、……ああ、今までずっと、電話している時、少なからず市倉絵里に表情を見出していた。
『誤解していた』。
不機嫌であれば眉をひそめているだろうと思い込んでいた。楽しそうに話す時には頬を上げているだろうと思い込んでいた。
でも、実際は違ったのかも知れないと、そう思わせるのに十分なほど、市倉絵里は無機質に、読み取りがたい表情を浮かべていた。もちろん、これは今までどうだったかを示す証拠というわけじゃない。
たまたま今日、ちょっと疲れているだけということもあり得る。寝不足だと言ってた。だから隈がある。だからぼんやりしている。
…………。
だがそれは俺の『だったら良いな』という願望を含んだ感想なんだろう。
「そうか……」
「じゃあ、また明日ね。楽しみにしてる」
「ああ、また明日」
電話を切った。電話を切った後も市倉絵里の声は、簡単に思い出すことができる。なのに、市倉絵里の顔や、人物のイメージはまたすぐにぼやけてしまった。
どんな顔で笑うのか、どんな顔で涙を流すのか、果たしてそのどちらも、存在しないような気さえする。俺は市倉絵里に対してそんなひどく偏見染みた失礼な感想を持った。
感情がないわけがない。表情がないはずがない。でも少なくとも俺は、距離を見誤っていた。近くにいることを期待するあまり、僅かとはいえ打ち解けつつあるかのような幻想を抱いていた。
あるいは、市倉絵里が、そうした幻想を俺に抱かせたのかも知れない。どちらにせよ、俺はひどく、その事実にがっかりした。
市倉絵里のことは、俺のカバーする領域じゃない。まして、今この状況においてはまだ、取り組める段階にない。
俺が思い悩んだところで意味なんてないんだから、市倉絵里が占める割合はできるだけ低く抑えるのが正しい。できるだけ、考えないようにした方が良い。でなければそわそわと落ち着かない気持ちが、俺の脳みそを鈍らせてしまう。
「ミーコ、じゃあ、見回りを頼んで良いか?待ち合わせはまあもちろん見回りの結果を加味して決めるが、何も問題なさそうなら公園辺りにしようかと思ってる。そっち方面で、怪しい人や機械がないか見てきてくれ」
「了解ニャ。まあ市倉絵里の話の通りなら見張りもいなそうニャけど、ちゃんとぐるっと回って見てくるニャ」
「すまんな、任せた。一応、ほら、……なんか危険に直面したらすぐ戻るようにしてくれ」
「大丈夫ニャ。もしかするとちょっと遅くなるかも知れないニャけど、変に私のこと探しに出たりとかしないで欲しいニャ」
「遅くなる?いやあ、どうだ?近場だけじゃダメか?考えてみればお前だって狙われる理由がある。もし敵に内情が筒抜けだったら、お前を先に捕えようとしてもおかしくない。戦略立案の要だ。狙われていると考えた方が良い」
「…………考え過ぎなのニャ。気をつけて行ってくるニャし、怪しい人でもいたら戻ってくるニャ」
「ああ。まあ、くれぐれも無茶だけはしないようにな」
「安心して待ってると良いニャ」
ミーコの動きや声に不安や気だるさはない。普段通り散歩に出掛けるのと同じように、軽やかに立ち上がりすたすたと歩いていく。むしろずるずると引きずられたのは俺の方だった。
『安心して待っていろ』と言われたのを全く無視して俺はわざわざミーコが風呂場から家の外へ出るまでずっと後ろをついていき、姿が見えなくなってようやく、『やっぱり一緒に行こう』と言うのを諦めた。
俺だけが何も、なすべきことをなしていないように思えてならない。俺だけがぽつんと静かな場所に置き去りにされているように思えてならない。何も考えずぼんやりしてて良いわけがないのに、俺の想いなど放ったまま、もう外側のことは、何かに定められてしまっているかのように進んでいく。
焦りこそがこの窮屈さを生み出しているというのに、息苦しさを紛らわせようと心は常に、もがき続けている。
まずは、落ち着こう。俺が今、頭の中でごちゃごちゃとかき混ぜていることの内、九割九分九厘が、『どうしようもないこと』だ。そんなことは考えていたって仕方ない。だから深呼吸をして、『できること』を探そう。
それは必ずしも、重大なことに限定されるわけではない。小さなことで良い。俺はせめて、俺が取り組み可能なことについて、考えるべきだ。
例えば、……例えば、そう、アンミは今、俺の手の届く場所にいる。アンミの様子を見て、アンミが不安そうにしているのなら、それが少しでも和らぐように俺が話をしてやるべきだ。
…………。いや、アンミが不安そうにしているように見えるかどうかは関係ない。この状況で一人放っておくのが良くないはずだ。




