十一話⑰
「ああ……。アンミ、お前も俺を責めてくれて良いはずだ。『それでも』……、俺の役割だったはずだ。誰からも、そう言い渡されていた。みんなに、それを期待されていた。だから、責めてくれて良いはずだ」
アンミがここに来た理由、おっさんが二人を連れていかなかった理由。良い方法に臨むにあたって市倉絵里が出した当初の条件。夢の女が求めた理想。ハジメとナナの不本意な決断。そもそも、俺が気遣ってやりたかったミーシーの不満。俺自身の後悔。
『頼れ』と、言わなかっただろうか俺は。嬉しく思わなかっただろうか、期待されて。
にも拘らず、いざこうなってしまえば、俺はアンミの落ち度をあげつらって自分は無関係だと言わんばかりだ。
「健介?あのね。健介はミーシーが戻ってくることあんまり信じてない?」
「もちろん戻ってくると信じてる。ただ正直なところ……、それも簡単なことじゃなくて、もしかすると時間が掛かるから、……だから少し不安になったりするだけだ」
「うん。でも、時間掛かってもいつか戻ってくる。もし……、時間掛かってもここには絶対戻ってくる」
俺はアンミに、説得され慰められている。もちろんミーシーが絶対に戻ってくるという根拠はアンミからも出ないし、アンミの声は疑問符のついた問い掛けのように聞こえるほど、弱々しくて、不器用だった。
俺なんかよりよほど、不安なんだろう。だからはっきりいって、アンミの言葉で俺の不安は少しも和らいだりなどはしなかったが……、ただ素直に俺は『そうできること』を立派だと思った。
愚痴をこぼすでもなく他人のせいにするでもなく、悲観に追い詰められるでもなく疑心に苛まれることもなく、誰かが、……この場合は俺なわけだが、誰かが心細そうにしょぼくれていればわざわざその側に寄り添って、声を掛けてやる勇気がある。
それも何気なく。嫌味なところなどまるでなくさも当然のように。
「本来はな?俺が、その……、アンミを元気づける役割をこなせたら良かったんだけどな?アンミが落ち込んでたら良かったとかそういう意味ではないんだが……、まあ、なんだ。ありがとな。多分俺を気遣って話にきてくれたんだろう。お蔭で俺はこう、どうありたいかを思い出すことができた。実際そう振る舞えるかどうかまでは保証できないんだけどな。……とにかく救われてる。どうした?もしかして慰めにきてくれたというわけじゃなかったか?」
「……うん?どうかな。自分でもあんまり分かんない。ただ、お昼御飯どうしようかと思ってて……。健介はまた手伝ってくれる?」
「ああ。じゃあ手伝う。もうやるのか?」
アンミが俺を訪ねたのは今回まあ、どうやら昼御飯の手伝い要請が主目的だったようだ。照れ隠しで冗談めかしたという様子でもない。ついでといってはなんだが、俺を慰めてくれていた。
良い方向に解釈するなら、気負って慰めようとしなくても結果的には相手を安心させてやることができるんだろう、アンミは。特に手伝いを拒む理由もないし、アンミについている時間も必要だろう。
ということで、俺は立ち上がったわけだが、別に今から料理の準備をするつもりではなかったみたいで、また必要になったら呼びにくると言ってアンミは部屋から出て行った。
「健介?どうかしたかニャ?」
「ん?……いや、ぼっとしてただけだ。どうもしないぞ?」
「なら良いニャ」
◆
いつアンミから呼び出されるか分からん状況では、誰かに連絡を取るなんてこともできないまま、俺はその後三十分くらいはベッドに腰掛けてぼうっとしていた。
何回かミーコに声を掛けられたが、俺が上の空だったのか、単に中身のない会話だったのか内容をしっかり思い出すことはできない。
それだけじゃなく、アンミに声を掛けられて料理をした時のことも、二人で食事した時のこともなんとも朧げで、その間の会話に至っては下手をすると質問と答えと、指示と相槌しかなかったようにさえ思える。
料理はまあ、不味くはならなかった。何故、『不味くならなかった』なんて感想になるかというと、アンミは今回の昼食ではほとんど調理に参加しなかったからだ。
せっせと食器や調理器具を並べたり食材を取り出したり、本のページを捲ったりはしていたものの、どうやらアンミは、俺が料理を手伝うことよりも俺の料理を手伝うことを望んでいるようだった。
別に気力を失っているわけでもなく、サボろうとしているわけでもなく、むしろ真剣に献身的に、俺が料理している側でサポートに徹していた。
多分事前に冷蔵庫に残っている食材をチェックして、俺でも取り組めそうな簡単な料理を、……ミーシーが付箋をつけた中から探してくれていたんだろう。
それはむしろ、手間だったろうと思う。
もっと手早く思い通りに、柔軟で自由に、アンミは料理をできたはずだ。だからこの役割分担に俺はいまいち釈然としなかったし、アンミと二人で協力して料理を作り上げたという達成感なんかも薄かった。
俺の手柄で美味しくなったようにも思えなかったし、かといってアンミのお蔭だとも言いづらい。
だからアンミが『美味しい』と言った時にも、俺は本当にそうなのかよく分からないまま『ああ』とたった一言答えるだけだった。
食べ終わるとアンミは、俺が調理をメインで担当したことを一通り労った後、代わりに片づけをしてくれると言った。それにも俺はぎこちない返事をしたはずだ。
何かこう、俺が手伝うことで逆にアンミが不便しているように感じていた。アンミが片づけをしているのを眺めながら、努めて自然に当たり障りない会話を何個か見繕って、それが終わるとまた俺は自室へと戻った。
ミーコは相変わらずの位置で全くポーズも変えずに俺を待っていたようだ。
「アンミともっとゆっくりおしゃべりでもしてきたら良かったのにニャ?」
「ああ。…………。そうだな。うん」
「それが無理なら、市倉絵里に連絡して準備進めておくと良いニャ」
「そうだな。どちらかをやっていた方が良いんだろう。せめて何かやってた方が、気が紛れるんだろうな。俺は、なんでこんなに、……不安なんだろう。ハジメならともかくアンミが底抜けに楽観主義というわけじゃない。俺が不安がり過ぎているのかな?」
「健介は元から心配性な方だと思うニャ。悩んだり困ってたりして良くなることなんてないのニャ」
「頭で分かってても、心がどうにもならない。いや……、お前の言う通りだな。一個ずつ問題解決に取り組むしか方法はない。それ以外でどうにかできたりもしないだろう。まして時間が限られてる状況だし、少なくとも予定してた準備だけは進めなくちゃならない」
その場合、分類も優先順位もなく、市倉絵里への連絡以外残されていない。つまり、やるべきことは明確に示されている。
俺はそのやるべきことが嫌だったり、何もやる気が起きないわけじゃなく、ただ単に、『他にも、やるべきことがある』ような気がしていた。
どうしてそう思うのか理由を説明できそうになくて、何をやるべきなのか思い当たることがなくて、姿形のないそれに焦らされるばかりだ。
とはいえ、俺は別に錯乱してやるべきことを放り出すつもりなんかもないわけで、結局市倉絵里へ連絡することを決めた。ミーコに見回りをお願いするのは連絡の後で大丈夫だろう。大体の流れを頭の中で組み立てながら話すべき内容を決めていく。
「もしもし」
「ああ、健介君?こんなに早く連絡が来るとは思ってなかったわ?どうかしたの?」
「どうかしたというか、会う会わないでの話を調整しないとならないと思って……。早いか?研究所の準備が整ってしまう前にこっちは良い方法を実現しなくちゃならない……、だろう、多分だが。で、あとそういえばどうして今日は、俺の記憶が消えてないかの確認問答がないんだ?」
「あら。……ああそうね。細かいところに気づくのね健介君は。ええと、……」
俺自身、その確認作業をして欲しかったというわけではなかったし、それがなければ不自然だというつもりもない。ただ何気なく触れただけの話題だったのに、市倉絵里は答えを言い淀んでいるようだった。
「ええと、……どの程度のことを嘘だと思われるのか分からないけど、確認しなかったのは別にわざとそうしたわけじゃなくて……、もう必要ないと思ったのかしらね私が」
「?なんでそう思う?その理由はなんか俺に知らせるとお前に不都合があることなのか?言いづらそうにしてるが」
「そんなわけじゃないけど。でも健介君は……、その、ええ。ミーシーちゃんが出て行ったかどうかというのは私に明かしたくない、わけでしょう?私が変に安心してるとミーシーちゃんがいないことを決めつけて掛かってるみたいだから……」
『ミーシーがこの家にいない場合は、アンミが独断で俺の記憶を消すなんてことはあり得ない』という想定なんだろう。
それはともかく、おそらく俺が指摘するまで市倉絵里は無意識でそう判断していた。どこかから情報を得たのか、それとも最初から俺のハッタリなど気にもしてなかったのかミーシーがこの家にいないことは、もう揺るぎなく確信しているようだ。
「ああ……、まあいい。余計な話はせずに本題に入ろう。今回の問題解決に助力してくれるということだった。良い方法があるということだった。全部を解決して誰一人不幸にならない方法だ。で、それを実行に移すには、直接、……なんでかはともかくお前と会う必要がある。会う時間や場所というのは俺が決めて良い。そういうことだったよな?」
「ええ。そうね。健介君の今言った通りよ。それと、私からも念のために確認をしておくけど、私が『質問をしたい』と言ったのを覚えている?できれば、直接会って質問をしたいと言った。これは、良い方法を伝えるのとは別に、私の個人的なお願いではあるけど、何度も会うつもりでないのなら、一緒に済ませてしまった方が良いと思うの。だから、会う時間や場所は、健介君が自由に決めてくれて構わないけど、私が良い方法を教えてあげる前に、ある程度は、お話をする時間を作って欲しい。あらかじめそうした時間を用意するつもりでいて欲しい。いざ直接会ってからこんなこと言い出したら、健介君は私からのお願いはどうでもよくなってしまって良い方法だけを聞きたがるかも知れないし、あるいは、また私のことを疑って、しょうもない話で時間稼ぎしているなんて誤解をするかも知れない」
別に、『市倉絵里からの個人的なお願い』を忘れていたというわけじゃない。ただ、どこか、それがもう済んだこととして扱われることを期待していた。
単に会話を誘導したり俺の行動を皮肉ったりするための道具のことを、市倉絵里が『お願い』や『質問』と呼称しているだけ、だったら良いなと思っていた。
「構わない。ただし、不審な動きがあれば俺がその場に留まるとは限らない」
「うふふ、まあ当然そうね。私も不審に思われないように気をつけるわ」
……何故、済んだことにしてしまいたかったのかというと、それは俺が自信を失っているからに他ならないだろう。どんな話の流れでどんな質問がくるのか不安で仕方ない。
それに、きっと余裕のある時にゆっくり時間を掛けて考えた方がまともな答えを出せるはずだった。俺はできることなら、市倉絵里を納得させ得る答えを用意したい。
「こっちの答えの正解、不正解に関わらず、解決方法は教えてくれるという約束だったよな」
「ええ。正解も何も、正解が欲しいとは言わない。愛し方や、愛され方のお話よ。健介君の」
市倉絵里を、納得させ得る、答えを用意したい。だが、おそらく、……たとえ俺がどれだけ真剣に時間を掛けて考えて、心の底から信じ切った答えを口にしたとしても、それでも、市倉絵里は納得してくれない気がしている。
「じゃあなんで聞きたがるんだ?俺の答えがお前の想定と真逆だったり全く参考にならない場合でも、それでも構わないのか?」
「それでも良いわ。投げやりにそう言ってるわけじゃないの。健介君の考え方は、私の想定と近いかとか私が納得するかとか、そんなことを基準にして価値が変わったりはしない」
「そりゃそうだろう。だがな、そんなものに価値があると思い込んでるのは多分お前だけだ。期待外れかも知れないと、言ってるんだ俺は。それこそ……、すごい在り来りな答えでがっかりするかも知れん」
「……どう言って欲しいの?健介君は。別に在り来りでも個性的でも構わないわ。私は……、極端な話、健介君の話を聞いても共感どころか理解すらできないかも知れない。だから、元から納得させてなんて言っているわけじゃないの。ねえ、私は内容について条件を出してるわけじゃないわ。時間を作ってくれるかどうかを確認したのよ?問題ないのよね」




