十一話⑬
「そりゃそうだが、アンミを交渉に立たせないのは当たり前だ。ただし、あくまでアンミは家族と一緒にいたいと考えてる。だからおっさんやミーシーはアンミを守るために行動している」
それに加えて……、ミナコは当然知らないわけだが、俺はアンミの心情が表れた一連の行動を見た。ミーシーが出て行くと言った時、それを必死に引き止めようとしたアンミの姿を見ている。
もしもアンミが、『どちらでもいい』などと思っているのなら、ミーシーを引き止める意味などない。
アンミが事情を僅かばかりでも察していたのなら、ミーシーを失うわけにはいかなかった。事情を抜きにしてもミーシーと離れたくなかった。あの行動のどこにも『研究所の方が良い』要素など見出せたりしない。
「分かりました。それについてもどちらが正しいか決める必要はありません。仮に健介の意見の通りだったとして、私には私なりの目的意識があります。それこそ誰がどう言おうと大して関係はないのです。他の人を説得するつもりならともかく、元を正せば私は自分のために行動している。なので健介が私の感想を違うと主張しても別に意味はありません。なので、……ですからやめましょう。こんな意味のない話は」
「お前の目的?お前はどうして、アンミを研究所に連れ戻したいんだ?」
「研究所で、偉くならなくてはなりません。何かを差し置いても、私がそれを優先することは間違いない。健介の意見がどうであるとか、アンミちゃんの気持ちがどうであるとかは私にとってはそこまで重要なことではないのかも知れない」
「……偉くなったら、一体なんだっていうんだ。俺の知っているお前は、そんな利己的な理由で物事を決めたりはしなかった」
「もちろん、そうした事情については今まで伏せていた。今までとは違うと違和感を持つかも知れない。けれども今この私が偽りのない本当の姿であることを理解して貰わなくてはならない。そういった認識が足りていないから、健介はいまだに、私から譲歩を引き出せるつもりでいる。妥協はありません」
まくし立てる早口で、ミナコはそう言った。
「……今、理解した。それでも良いんだろうな。それで良いんだろうな。こと今回に関してはお互い譲るところなどないんだろうが、俺はむしろ、逆に、前までがこうだったら、ああ、……どれだけか良かったように思う。俺がどのくらい、お前をつなぎ止めたいかを、もっと伝えられていたと思う。意見など違って良い。期待するような答えじゃなくて良い。思い通りになどならなくて当たり前だ。…………。どうすれば良い?俺と、お前が、仲直りするには、一体どんな方法がある?俺が、アンミを諦めて欲しくてこんなことを聞くと思うか?悪いが俺は、演技などしてるつもりは今も、今までも、一度もない」
「おそらく確かに……、そうなのでしょう。『だから』健介は、アンミちゃんを諦めることもないのでしょう。ええ。ええ……それについてはよく考えてみます。もう……、良いですか?おしゃべりをしているような状況ではありません。他の話題はありませんか?」
「どうして、……アンミを閉じ込めておく必要がある?おっさんやミーシーが反発するのはおそらくそこの部分だろう。そこさえ研究所が譲歩すれば、穏便な話し合いで済む可能性だってある。真っ当な交渉ができるかも知れない。研究所がおっさんやミーシーを危険だと認識してるならなおのこと、その部分だけでも引っ込められないか検討すべきだ」
「…………。健介は、この件の全体像がまるで見えていないのだと思われます。何が最良なのか答えを出すための材料が不足しているのだと思います。とても狭い考え方をすれば、これは研究所とスイラお父さんの、どちらがアンミちゃんを引き取るかという問題ですが、実際にはそれだけで片づくようなことではありません。もっと視野を広げなくてはならない。それに、それぞれの立場で物事を考えなくてはならない。例えばですが、研究所がスイラさんやミーシーちゃんを危険だと認識していたのは、アンミちゃんの保護方針を決定する遥か以前からのことです。当然ながら、この状況を想定した上で取り組んでいる。妨害があることを前提として取り組んでいる。だから、予知圏外が用意されているわけです。なにも思いつきで閉じ込めたいと言っているわけではない」
「その方針は、正すつもりはないということだな」
「正す正さないで言うのならこれがそもそも正しい。危険を承知でなお、こうすべきだという確信があって今こうなのです」
「じゃあ、その理由はなんだ?お前はアンミの管理にコストが掛かると言った。研究所の裏切り者がアンミにとって危険だから外に出せないということか?」
「はい。それもあります」
「実際には、アンミに危害を加える裏切り者などいない」
「そうですか。だとしても他にも理由はあります」
「アンミが周りに危害を加える可能性を心配してるのか?」
「?アンミちゃんが周りに危険を及ぼす可能性はあります。どういう意味ですかそれは?」
「どういう意味?何がだ?」
「…………。まあいいです。健介はもしかすると研究所の裏切り者と接触している。不思議に思っただけです。もしもちゃんと説明を受けていたのなら、私とこんなやり取りをする意味がありません」
「他に理由はあるか?たったそれだけだろう。危険な裏切り者などいない。アンミが周りに危険を及ぼす可能性などほとんどゼロだといって良い」
「その他が、もちろんあります。その他を、健介は一月足らずでは気づくことはできないわけです。そして、先に挙がった二点だけでも、十分に健介が諦める理由にはなるはずなのですが」
『一月足らずで、気づくことができない』というのは、俺がアンミとミーシーと一緒に過ごした期間が短いということを指摘しているんだろう。
過去研究所で保護していた期間の方が長いから、アンミの気に入る場所を提供できるというつもりなのかも知れないし、『アンミとおっさんに血の繋がりがないこと』に俺が気づいていないと思っての発言なのかも知れない。
どちらにせよそれは、……到底的外れだ。
「家族は家族だろう。一緒に過ごして心が通っていたら家族だ。元は他人でも結婚したら家族になる。そういうものだろう」
「一般的にはそうなのでしょう。健介はもちろん本心からそう信じているのでしょう。ただしそうはならない時というのがあります。そうならない時にはその主張は間違っているのです」
「これも平行線か……」
「何度も言いますが、私と健介の意見を言い合う意味はありません。それぞれ感想は違っているらしい。とはいえ、結果はどうしたって出ます。…………。アンミちゃんはまだ健介の家にいるか、健介と接触できる場所にいる。どういった情報のやり取りをしたかについて詳細は不明ですが、研究所内に健介と接触した人間がいることは分かりました。それ以上にこちらが特に確認すべきことはありません。状況が変わったらまた連絡をしてください。健介に、危害を加える予定はありません。それは約束します。では」
「待て……。おい」
通話は切れた。譲歩も、条件もない。
「分からなくなった。なおのこと分からなくなった。あいつは何かを勘違いしてるか、誰かに騙されてる可能性がある。どうすれば良いんだこれは」
「ミナコが、何か勘違いしてるかニャ?」
「それか、騙されている。どうなんだろうな……。アンミがひどく貧しい暮らしをしてるとか、家族と険悪だとか、そういったことを説明されて鵜呑みにしてるのかも知れない。そしたら、研究所で保護した方が良いと考えてもおかしくない」
「ミナコのこと、健介はどう感じたニャ?」
「…………。なんとも、……言い切れないが、ああそうだな。あれはやっぱり演技じゃ無理だ。今回の電話で、あれが演技だったなら、……そういう、『アンミのためを想って』というのが嘘だったとしたら、もうな?俺のブレ具合を笑ってくれて良い。まあ、ただ、研究所で偉くならないとならんのだとな。それは想定してなかった。単に俺が否定できない事柄を挙げただけかも知れないが」
「仲直りはできそうかニャ?」
「…………。諦めきれないことが分かった。結局のところ、ほんの少し話しただけで、俺はミナコをひいき目に見ちゃうんだろう。違法行為をしていても目を瞑ってフォローするための言い訳を考え始めてしまうのかも分からん。普通だったらな?悪意を感じていておかしくない。悪いことしたら嫌われておかしくない。俺を疎ましく思っていると考えるのが当たり前だ。お互い邪魔し合おうと思ってるわけだから。逆にあいつは、俺に裏切られたように感じてたりするのかな。俺が譲ってやるのを、少しは期待してたりしたのかな」
「……。仲直り、できると思うニャ。アンミの件が終わったら、仲直りできるニャ」
「だと良い。その目は十分にあり得るようにも思えた。それは良かった。ただし、市倉絵里依存にはなるな。良い解決策がなければどうしたって禍根は残ることになる。アンミが研究所に引き取られて、俺は見て見ぬふりしてミナコに会ったりできないだろう」
「まあ、そう、ニャ」
「とにかく現状のままではミナコから譲歩は引き出せそうにない。そっち方面での努力が実を結ぶ可能性も低いように思う。アンミの状況だけを心配しているのならまだ内々にアンミと対話させる手も考えられたが、自分の目的が偉くなることだと言われた後じゃあ、そんなことをしてもこじれるだけのような気がする。となると、……市倉絵里の方がやれることは多いかもな。会うための方法を考えなくちゃならない。仮に市倉絵里が良からぬことをたくらんでいたとしても状況が悪化しないような方法を考えなくちゃならない。良いアイデアはあるか?」
「そう言われてもニャ……。確実といえるような方法はあんまり思いつかないニャ。健介の元々持ってた携帯なら細工の心配ないニャ?あと、市倉絵里が変な行動しないか監視できるようにはした方が良いのニャ。テレビ電話で手元とか周りを映して貰うなりするか……。まあそんなとこかニャ」
「テレビ電話とかできるのかこれは?」
「健介が市倉絵里から受け取ったのはできるのニャ。通話中に切り替えもできるはずニャ。もちろん向こうが許可しないと向こうの状況は映らないニャから、市倉絵里がボタン一つで研究所に、状況を知らせるような手段があるとあんまり意味ないニャけど、こっちとしてはテレビ電話への切り替えを要求してあんまり時間差があるようなら会うのをキャンセルするくらいしか方法ないニャ」
「お前の方が携帯電話の操作に詳しいとは……。これくらいは俺の方が勝ってても良いだろうに……。なるほどな。タイミングを見てそういった要求をした方が良さそうだ。なんならフェイントで何回か電話していきなり今から会うとでも言い出せば市倉絵里も準備に手間取る可能性はある。まあ結局ボタン一つで周りに知らされたら意味もないが、考え出せばきりがないことだ」
「なんなら翌日以降に時間指定しておいて、夜中に呼び出すのとかでも良いと思うニャ」
「なるほど。……すごい迷惑な奴ではあるが、時間は自由に決めて良いということだった。こういう状況で遠慮も必要ないだろう。それで慌てたりするようなら会うのをキャンセルすれば良い、と……。慌てたりするのかな」
なんとなくの感想でいうのなら、会話が研究所に筒抜けになっているとは思えなかった。というのも、例えばトロイマンなどは所内の情報を何一つ語れないというように話していて、それと対比するとあまりに、市倉絵里は語り過ぎている。
加えて、個人的な話をそう他人に聞かせたくもないものだろうと思った。もしも、市倉絵里が本当に身の上話をしていたのなら。
「向こうの行動を制限できるのはそのくらいだと思うニャ。こっちを裏切ること前提にすると全部に対応できるとは思えないニャし。もし備えるなら健介が市倉絵里と会ってる間アンミをどうするか考えた方が良いかも知れないニャ」
「アンミを移動させるか、見張りを立たせるか、か……。市倉絵里が挙げた方法だが、普通に考えればそれだけでも十分な気はする。これもそれ以上の対策は取りようがないよな」
「それか、アンミを連れていくかニャ」
「連れてくというのは、……あんまり気が進まない。ミーシーに内緒にしてた相手と会うから来てくれ。もしかするとお前を捕まえようとしている奴かも知れない、……というのは、ちょっと説明しづらい。俺の気持ちの問題だからメリットがあるならそうすることも考えるが」
「アンミが勝手にどっか行っちゃう心配しなくて済むニャ。見張りの人が危険になることはないニャ」
「まあ、……確かに。見張りを頼むとしたら、まあ順当に陽太辺りにはなるだろうしな。おっさんくらいならともかく、陽太は特殊能力持ちではないから。極力巻き込まないようにはしたい。あれでいて、陽太も割合正義漢だからな。事情についても伏せておくのが良いように思う。だが、……危険が少なくて誰かを頼る必要があれば、陽太を頼ろう」
場所をしっかり指定しておけばアンミが勝手に移動することは考えづらいが、……もう家でも外でもあんまり変わらんだろう。とりあえず、アンミの監視をお願いできるのは……。
「家で待ってて貰うにせよ、連れてくにせよ、私が見てるニャ」
「だな。……頼む」




