十一話⑩
「……。だから、早川を追い出す必要なんてない。なるほど……」
「ただこれももちろん、高田の目的というのを私が勝手に推測した上でのお話で、高田の目的がそうでなかったり、仮にそうであったとしてもそれを知らない人間からは、『早川が邪魔だったからトロイマンが彼を自殺へ追いやって研究所から排斥した』と受け取る可能性のある出来事だった。だからトロイマンの研究を妨害しようと考える者がいても不思議ではない。それが筋違いだったとしてもね」
「他にはあるか?」
「他には……、辞めていった人も多いわ。理由は一概にはいえないけれど、中には研究の内容に不満があった人はいたでしょう。加えて情報も規制されていたからどう誤解されて不満が生まれていたかは正直分からないわ」
「数、多いな……。裏切り者候補が……」
「そうね。そのくらいかしら。とりあえず思いつくのは」
裏切りも禍根も、市倉絵里の話ぶりからすれば単なる説明不足からの猜疑心が元にはなっている。
アンミを連れ出したのは研究所内の人間じゃなくセラだという証拠を示せば、裏切り者がいなかったと証明できる。
研究所内の人間に高田の目的を明かせば、早川を追いやったのがトロイマンじゃないことは分かって貰える。
早川を追いやったのがトロイマンじゃないのなら、トロイマンを疎むのは筋違いであると説明できるし、そうすれば研究を妨害しようなんて考えを消せる。
そんな考えを持つ人間がいないのなら、アンミを外に放しておいても問題はない。……という理屈になるわけだが、これは確かに、人の猜疑心を全て消し去って成り立つ理想論だろう。
実際のところ厳しい手段になることは目に見えている。むしろ裏切り者になり得る人間が多過ぎて……、アンミを放っておけないというのが当たり前のようにさえ思えてくる。
「分かった。アンミが安全だと証明するのは難しいかも知れない。仮にできるとしても相当な時間や労力が掛かる。他の方法も考えた方が良さそうだ」
下手な鉄砲をひたすら撃ち続けても、まるで意味がないことが分かる。その内もし仮に、的をかすめる答えが俺から出たとしてもだ、市倉絵里からその感触を得られる気はしない。
市倉絵里は、当てさせるつもりはない。方向を正すように指導するつもりはない。的がどこにあるのか分からないまま、弾がどこを飛んでいるかだけ知らせる。俺が的の中央に当てたら、『私もそう考えていた』と、ちゃんと教えてくれるんだろうか。
「そうかも知れないわね。ただ、他の方法の妨げになるわけでないなら、並行して考えを進めてくれても良いと思うわ」
「俺は、既に受け取っている情報だけで、お前の言う冴えた方法を、思いついていてもおかしくないんだよな?」
「ええ。思いついていておかしくない。それを選ぶことを決めかねている可能性はある。だから私はそれが最良であることをあなたに証明しなくてはならない」
的は、届く範囲にあるらしい。決めかねる可能性があるとしても、最良の方法に気づいていておかしくないらしい。それが最良である証拠を、市倉絵里は握っている。
だから、直接会って話をしなくてはならないということなんだろう。証拠ってなんだ。直接会わなくちゃならないなら、手渡せるようなものか何かだろうか。
研究所の不正を示す証拠だとして、……まあ、それで研究を止めることはできるかも知れないが、そんな情報を俺が前もって受け取っていたようには思えない。
不正を暴いて研究を止める、というアイデアくらいは思いつくかも知れないが、そんな漠然とした方法を、俺が選択肢に含めるのは考えづらい。高田誠司にスキャンダルはないとも聞いている。
だとすればアンミの代わりの研究成果を示す資料か何かか?それも不自然だ。俺はもちろん市倉絵里が予定している方法に辿り着く必要はないが、俺が、アンミの代わりの研究を、思いついたり決めかねたりするわけがない。
「お前の解決方法に、……ミナコは関係あるか?」
「質問は、受け付けない。ただし、ミナコちゃんに身の危険がないことは保証する。謎解きをして欲しいわけではないの。健介君の考えを聞きたいの。ねえ、例えば……、ミナコちゃんと仲直りするにはどうすれば良いと思う?健介君は」
「…………。俺が、アンミを差し出して研究に協力するか、ミナコと話し合って研究を止めるよう説得するかのどちらかだ」
「アンミちゃんを差し出すつもりはあるの?」
「ない。……ないが、それは程度による。現状、アンミを閉じ込めるつもりの相手に差し出すつもりなど全くない。研究所側から譲歩を引き出さなければそれは選択肢になり得ない」
「では、ミナコちゃんと話し合いをして、研究を止めるように説得できる?」
「…………正直なところ、それは」
「私は、『できる』と、答えて欲しい。『できる』と言って欲しいの健介君。見通しなんてなくても良い。細かな矛盾があっても良い。『できる』と答えて、『そうなる理屈』が欲しいの」
「あのなあ、……それは解決のための方法じゃない。お前が俺を観察したいから聞くだけのことだろう。俺は意味のない方法に取り組むつもりはない」
「そう。まあ、……そうね。でも別に、何かの妨げになったりはしない。健介君の考えが知りたい。もし最初から健介君が信用してくれるようだったら私、何も、良い方法があるなんてこと言わなかったわ。特に目的もなく会ってくれるなら、その時に教えてあげれば良いだけだったの。ねえ、良い方法を教えてあげる。だから代わりに……、良い方法以外考えたくないなんて言わないで」
市倉絵里が、何も思いついていないと思っているわけじゃない。俺はそれに縋って思考が濁っているんだろうか。ごちゃごちゃと泥臭い方法を列挙して、丁寧に問題を解決していくのを、『確かに、諦めている』。
ミナコと話し合いをすることは全く実現不可能というわけじゃない。ミナコから条件を引き出せるかも知れない。その条件は、もしかすると、俺にどうにかできるものだったりするかも知れない。
解決する可能性は低くても、……市倉絵里が冴えた方法をちらつかせていなかったら、俺はそうするより他なかったはずだ。そうしなかったのは冴えた方法に固執しているからだとはいえる。
「俺がミナコと話し合いをして、何か条件が引き出せると思うか?」
「分からない。けれど、トロイマンが必ずしも、研究を第一に据えるとは限らないでしょう」
「仮に条件を引き出せたとして、俺がそれを達成することができる見込みはあるか?」
「もちろん条件の内容による。けれどね、健介君。例えばトロイマンが何か求めたとして、ありもしないものを寄越せと言ったりできもしないことをやれとは言わないでしょう。達成して欲しいことを条件として提示する。普通、そういうものだと思う」
「……俺が用意できるものなどたかが知れている。……金なら今ちょっと手元にあるが、これはあんまり」
「お金ではダメなことくらい分かるでしょう?ねえ、健介君は何を差し出せるの?健介君は、また少し前みたいに、ミナコちゃんと一緒にいられるようになる。そのためにどうすれば良い?トロイマンが欲しいものは何?何を代え難いと思うの?どうすれば仲直りできるの?」
「なあ…………。本題はそこじゃないはずだ。どちらも選べるような状況じゃないはずだ。お前が冴えた方法があると言うからそんな話になるだけで、俺には、トロイマンが研究を諦めるようなものを差し出せたりはしない」
「いいえ、そんなことはないと思うし、トロイマンの目的も、何を欲しがるかも、私や健介君も知らない。健介君はそれを確かめるべきだとは思わない?」
「お前がトロイマンの目的を知らないのならなおのこと、それは良い方法とは関係ない。トロイマンがほいほいと、何かをくれたら研究をやめると譲歩するのか?俺にはとてもそうは思えない」
冴えた方法に、……縋り過ぎている。自分の頭で考えることをまるで放棄している。市倉絵里がそう仕向けているのかも知れない。考えても無駄なことを考えさせて、結局冴えた方法しか目に入らないように。
……だってそうだ。俺がミナコと話をして解決方法が手に入るなら、…………。そもそも初めから、ミナコはあんな目をしないだろう。あんな話し方をしない。仲直りなど、……できるように思えない。
「そもそもミナコは……、トロイマンはな。俺が例外であることを知っていて、なあ、何度も話が戻って悪いが、俺がアンミを受け入れる候補だったから一緒にいた。……見張っていた。そういう説明を受けている。だからそもそもこれは、仲直りというものじゃない。問題が解決して、そしたら友達になれるというものじゃない」
「…………。がっかりさせないで、健介君。いくらでも言い訳ができることを何も考えず言われたままにしか受け取らないの?さっき健介君は、自分が十分な情報を私から受け取っているのか確認したけれど、健介君が私よりもよく知っていることがあるのではない?何を見て、何を聞いて、どう感じていたのか、私よりも当然よく知っている。ミナコちゃんのことも、アンミちゃんやミーシーちゃんのことも。私のする余分な話よりもそちらの方がよほど大切だと思うの。私の話す情報は目新しいものかも知れないけれど、そればかりに目を向けていてもきっと答えは見つからない。あなたが知っているであろうことは、私はわざわざ伝えていない」
言葉だけじゃなく、声色にまで落胆が含まれている。
「ミナコが嘘をついてると言いたいのか……?」
「そうは言わない。健介君がなんて聞いたのか正確には知らないし、健介君が私に話した内容が全てならそれはおそらく事実でしょう。健介君とミナコちゃんは偶然出会ったのでしょうけど、確かにトロイマンは健介君が例外であることを半ば確信していて、アンミちゃんが逃げ込むなら例外が候補となることは分かっていた。研究所側の準備が整うまで実際に行動を起こすことはなかったにしろ、健介君と出会う以前からアンミちゃんを探していたし、研究所で保護したいと考えていた。ただ別に、アンミちゃんが村にいることが確定している時間に、あなたと何度も会う必要はなかった。アンミちゃんを理由として特別に親交を深める必要はなかった。トロイマンが実際にあなたの家にアンミちゃんがいると確定させるまでに、あまりに時間が掛かり過ぎている。ねえ、……そんなことは私が知らせるべきこと?それならこうだ、それでもこうだ、健介君はむしろ、私に対してあなたしか知らないことで反論していておかしくない」
「……アンミはセラ村に隠れていた。アンミが村を出ることが分かっていたなら、近隣の例外を受け入れ先の候補と考える。候補は他にもいただろうが、絞り込むには時間が掛かるし、ある程度信用させておかなくてはいざアンミが逃げ込んだとして正しい情報が引き出せないかも知れない。だから、実際にアンミが村から出るよりも前から監視に取り組んでいた。親交を深めていた。俺は一人暮らしだったし、部屋も余ってた。例外の数が少ないというなら、有力な候補だっただろう」
「そうね。『私は、健介君に、そう説明するでしょう』。事実を組み合わせて、矛盾の少ない組み立てでそう説明する。『私には、破綻しているようには思えない理屈』ね。でも同時に、それこそ証明のしようがない。トロイマンがどの程度の範囲から候補を探していたのかも、どれだけ前もって準備していたのかも、監視をするために親交を深める必要があると考えていたのかも、実のところ定かじゃない。だから、健介君が組み立てる部品はそんなものじゃないの。土台は、そんなところじゃない」
「…………ミナコは、俺の大切な友人だった。演技をしていたようにはまるで思えない。直接会っていなければ別人だと、そう断言した。ミナコは俺の話を聞いてくれるはずだと思っていた。俺のために、多少損をしても融通を利かせてくれるものだと思っていた。何をしてやれたと胸を張って言えることはない。だが、お互い、近くにいて、十分に心を通わせていたはずだった。お前が引き出したいのはこの辺りのことなんだろう。これは俺の主観でしかない。客観的な事実で反証があるのなら、俺が間違っていたのだと認めなくちゃならない」
「どちらも、憶測に過ぎない。加えて、仮に客観的事実があったとして、それは一つの側面でしかない。客観的事実の反証として健介君の主観を述べて良い。十分に心を通わせていた。だからミナコちゃんが話を聞かないはずがない。そのことを証明できると思うわ、健介君は」
「ミナコと連絡を取るように誘導してるのか?」
「そう受け取られるわよね。というより、私は『健介君ならそうするだろう』と決めつけていた。私ではなく本人にしっかりと確認をしたがるはずだし、裏切られたのだとしたら怒って文句を言うべきだと思う。もし、私からの指示を聞くつもりがあるなら一つだけお願いがあるわ」
「……お願い?聞こう。聞くだけはな」
「私が、健介君の協力者であることは、まだトロイマンには伝えないで。私が健介君と直接会うまでは身動きが取れなくなると困るから」
「それは……、言うつもりはない。それだけか?そうなると俺は本当に、……単に文句を言って喚くだけになるかも知れん」
「それで良い。それが後々役に立つ。仲良くしたかったんだと、裏切ったのかと、そう言っておくのが良い」
「ただ、ミナコが電話に出るかは分からん。こればっかりは正直どうしようもないところだ」
「今、電話したら繋がると思うわ。少なくとも一度は取らざるを得ないでしょう」
「?どうしてそんなこと分かるんだ?今まで繋がらなかったことは何度もある。もう俺とは話したがらないだろう」
「どうしてって……。アンミちゃんに関する緊急連絡の可能性があるから。ただ、……そんな素っ気ない理由じゃなくて、健介君からの連絡を待っている可能性もあるでしょう?所内でも連絡を受けられるようにしているはずだわ」
「そっか……。分かった。いや、俺はお前に言われなくても、確かにそうすべきだ。意味のない行動のように思っていたかも知れない。だが、別に……、意味なんていらないのかもな。俺はそうすべきだ」
「意味がないわけじゃない」
「ああ、意味がないことなんてないのかもな。得をしないということだ」
「ええ。得をしたいわけじゃないということね。でも、得もする。これがきっと良い結果につながる。すぐには分からなくても、結果的に役に立つ」
「そうか……。ありがとう。助かる」
「うふふ、いいえ。私はまだ何もしてない」
「何かあれば連絡させてくれ。俺に知らせるべきことが出たら教えてくれ。会う場所と時間と方法は考えておく」
「…………。じゃあまたね、健介君」
「ああ、また」




