十話㉜
「まあ、それもあるわね。そういうのも含めて、小さい頃、私は、性格の善し悪しは育ちで決まると思ってたわ。少し大きくなったら自分より性格の良い子がいくらも現れ始めて、その時は、栄養とか経験とか、その時の気分が足りないのだと思った。その中の筆頭がカナエちゃんだったけれど……。大人になって考えてみるとどうやら、私には性格が良くなる遺伝的な才能がないことに気づく。同じように生きてきたわ見た目だけは。同じようなものを食べていたはずだし、同じような課題を終えていたはずよ。ただ行動が同じでも動機が違うようだった。結果が同じでも得たものは違っているようだった。好奇心と楽観と快楽とで生きてきた人々と、恐怖と不安と後悔とで生きてきた私とで、結果や目的が重なることにはなんの意味もない。多分そういったものは頭の検査すればすぐに分かることよ。というか、検査しなくても、まあ分かる人には分かるはずよね。カナエちゃんは、特にそういう意味で、『頭が良かった』」
「それこそお前のように勉強ができる才能というのは遺伝するかも知れん。……考え方がネガティブだったりポジティブだったりするのは遺伝とかで決まってたりなんてしないだろう」
「決まらないのかも。でもそれでいてなお、私は私が普通だと思っていて、あなたを私の目線で評価する。あなたのことを『強いのね』と、『私は弱くてダメね』と、そう思うし言うけど。私には、どうしても無理なのよ。健介君は私にもお勉強の才能があるように言ってくれるけど、ねえ、健介君がもしも、私のように脅えていたら、きっといくらでも勉強をして私と同じように勉強ができるようになったに違いないの。私がもしもあなただったら、テストの点数なんて気にもしなかっただろうし、そんな無駄なことをしなくても愛される自信を持てたに違いないわ」
「俺のテストの点数が悪かったのは俺が根拠もなしに自信満々だったからじゃない。それがお前の言う、『愛される才能』か?」
「ええ、多分。それに愛する才能もそうでしょう。私、カナエちゃんと会わなかったらそんなことにさえ気づかなかったと思うのよ。どうして世の中に幸福な人とそうでない人がいるのかも分からなかったと思うのよ。人それぞれ生き方が違っていて簡単そうに手に入れる人と、そうでない人がいることも知れなかった。同じようにして、なんならそれ以上に頑張って、それでも報われないのはあんまりに救いようがないでしょう?ただね、健介君、私が、幸福になれないと言っているわけではないの。ただ『神様がくれるような奇跡的な幸運』と、『正しい方向での努力』が必要だった。それで私は、人並みに愛して、人並みに愛される。出会いというのは重要だと思うの。これが私に与えられたチャンスだと思うの」
愛する才能というのも、愛される才能というのも、俺にはいまいちピンとこなかった。普通の人は、そこそこに愛していて、そこそこに愛されている。社交的な人とそうでない人はいたとして、それは本人がそうしたくてそうしてるに過ぎない。
まして仮にそれを才能と呼ぶとして、テストの点数のように数値になるようなものじゃない。言い方は悪いが目に見えないものを、ないものねだりしてるようにしか聞こえない
「話しぶりから考えると、……その友達と今はもう会ってないのか?」
「転校したの、私が。両親を残して親戚の家で暮らして、そちらで大学に通った。だから?まあ少なくとも十年以上は会っていないし、手紙や電話もしなかった。海外だったから、……お金掛かるでしょう?」
「会おうとは思わないのか?忙しくて会えないか?連絡先が分からなくなってたりするのか?」
「…………。今、会うと、惨めだと思う。近況も知らせていなかったし、もう私のことなんて覚えていないでしょうし、仮に会ったとして何を話して良いかも分からないわ」
「そんなことはないと思うが……。他に……、じゃあそれ以降にも友達はいただろう。なんだろう、あえてそんな話をしてるのか?別に今まだ仲の良い友達の話をしたらどうなんだ」
「いいえ。いなかった。今思うと、すごく幼稚な話し方をしていたと思う。だから同級生も相手してくれなかった。まあ同級生ではあっても同年代ではなかったし、こういうのもなんだけど、向こうの人もアジア人をどう扱って良いか分からなかったと思うのよ。私にも分からなかった」
「……外国語を、な?ちょっと待て、いつの話だそれは。小学四年生まで町立の学校に通ってて、大学までそっちにいたってことだよな?」
「海外の大学へ行くことになったから、小学四年生の時に、転校したの」
「…………?まさかとは思うんだが、小学生が大学入試の問題を解くのか?」
「ええ。まあ、そういうこと。SATや入試はともかく、色々無茶ではあったんでしょう。最初のテストはボロボロだった。怖くて通知書を見れなかったくらいに。大学でも高校でもそうよ。こちらがどうなのか私は知らないから、あんまり特別なことだとは思っていないけど、あちらだと高校に通いながら大学にも通うのが普通だった。どちらも馴染めなかったし、友達はいなかった。他のみんなは仕事をしていたけど、私には仕事もなかったし、成績が悪いと授業料が掛かって迷惑になってしまうから、ずっとずぅっと、お勉強だけしてた。挙げ句に、アメリカではお医者様になれないことが後になって分かって、それでこちらへ戻ってきたの。馬鹿みたいでしょう」
「いや……。小学生が?海外の大学で飛び級して、それ、馴染めなかったとかそういう話なのか?そりゃ、まあ、お前は大変だったろうとは思うが……。正直なこというと、そりゃ人種の問題じゃなくてどう扱って良いか分からんだろう、同級生も。医者になれなくて戻ってきて、こっちで大学に入り直したのか?」
「こちらでは大学へも行ってない。国内だと早川の前例があったから高総医科研で研修を受けられたし、予備試験に良い成績で通れば年齢に関係なく医師免許は取れることになっていた。まあそういうわけで、……そんなこんなで、私のお友達はせいぜいカナエちゃんと、健介君がお友達になってくれるならあなたと、人生でたった二人だけね。選り好みなのかしら。声を掛けるのを我慢できないくらいに、これを逃したら後悔すると思わないと、私は自分から声を掛けたりできないもの」
「そのカナエちゃん、探して、会ってみたらどうだ?何を惨めに思うのかも分からんし、向こうだって今もしかしたら小さなことでくよくよ悩んでいたりするかも知れない」
「『会ってみたら、どうだ』というのが、私の中には浮かんでこない。それがね、健介君と私の、どうしようもない差なのよ。会えない理由もある。私、転校する時に、カナエちゃんからおじいちゃんの病気を治してって、お願いされたの。その約束破ってしまったことになるから」
「小学生の頃のお願いだ。深刻に受け取ることなんてない。相手だって別に本気で言ってたわけじゃないだろう」
「でも私は、その言葉の意味も分かっていたし、医者になった。偉い、お医者様になった。実際なってみて思っていたのと違ったけど、もうそれは、なかったことにできるものでもないのよ」
「後悔してるのか、医者になったのを」
「…………。遠慮のない、質問ね。向いていなかったの。医者に向いている人などいないといわれてるけど、その中でも特に向いていなかった。それにね、健介君。私、農家の子なの」
「農家の子だから医者が向いていないなんてことはない。事実お前は十分に才能があって医者になった、そういう話だったはずだ」
「……私、不幸だったわ。何も知らないで始めて、後戻りできなくなってから気づいて、あの時もしかしたら別の方法があったのかも知れないって、そんなことばかり思う。健介君は、理科は好きだった?」
「まあ……、得意かどうかはともかく嫌いではなかった」
「じゃあ、トンビがタカを生むと思う?」
その質問の意図を汲み取るのに少しばかり時間が掛かった。優秀な市倉絵里に、誰かが、そう言ったんだろうか。トンビはまあ、生物学的にはタカを生まないだろう。
農家の子が医者になると、そんなふうに揶揄されるんだろうか。ただ、市倉絵里は、医者には向いていなかったと、……なってみて思っていたのと違うと、そんなことを漏らした。
「…………。農家に、なりたかったのか?」
「いいえ。別にそういうわけじゃない。でも、トンビはトンビを生むでしょう?カエルの子は、どんなに違って見えてもカエルから生まれてカエルになる。ただ、生き方を間違えて、……偉いお医者様は折角綺麗な白衣を着ているのだから土を触るような仕事をしてはいけない、なんてことも知らなくて、いつの間にか私は畑の仕事もできなくなった。私の仕事の話は難しくて分からないから聞いても仕方ないし、大学の入学金と、私の生活費のために、小さな方の畑は売られてしまった。期待に応えられるようにと思ってのことだったけど、大口を叩いて家を出たから、それからずっと一人だったから、私には『ただいま』すら言えないの」
「親に言われたのか?トンビがって」
「ええ、そう。逆に親からしかそんなことは言われていないと思うけど」
「……お前はもしかして魔法使いだったりするのか?」
「うふふ……。境遇が似ているから?そうですらないのに、それでもこうなの。恥ずかしい話よね。あんまり人には言えない」
「悲しそうに語るが、それはな、お前の思い込みだろう。親がお前を誇らしく思わないはずがない」
「そうかもね。人が聞いてそうだと思える話はいくらでもあるけど、結局私がどう受け止めるかの問題なのよ。田舎に戻れば失望されるでしょうし、ここにいて自分が誇らしくなることもない。じゃあどうすれば良いと思う?」
「向いていないと思うなら、無理をすることはない。親はお前の頑張りを見て応援はしただろうが、なんなら農家になりたかったと言えば良い。そんなことで失望したりしない」
「…………。どうすれば良いか……。私は考えてみた。私には私なりの、価値観というのがあってね。幸運なチャンスがある。私は自分を誇らしく思えるかも知れない。まあ、……家にも帰れるわ。私がお医者様になりたかったのも元はといえば……、それは周りからお医者様が偉いのだと聞かされていたこともあるけど、私自身としては、誰かの役に立ちたかった。私は誰かの何かのために必要とされて、私が誰かの救いになることを願っていた。それが私の原風景だった。小さい頃は良い点数を取れば誉めて貰えたし、それはお父さんやお母さんを幸福にしているんだと思っていた。でも別に、……はあ。『得しないじゃないそれは』。私が良い点数を取ってお父さんもお母さんも喜んでいるように見せてくれていたけど、何の役にも立っていないじゃない。理屈が繋がっていなかったのよそんなことは」
「研究所の裏切り者になればクビにされるだろうってことか?だから家に帰ることもできて、それが俺やアンミたちのためなら、お前は自分を誇らしく思えるってことか?」
「さあ?答えたくないわ。でも似たようなものね」
「…………」
「健介君や、アンミちゃんの役に立ったら、……そう、だから。失敗して貰うわけにはいかない。さて、話は逸れちゃったけど、健介君は私がどんな質問をするかが聞きたかったの?」
「いや……。それももちろんあったろうし、ミナコのことも確認したかった。だがそれ以上に今、こっち側で問題が起こってる。それについて相談しなくちゃならない。これは……、お前の組み立ててきた前提をブチ壊すことになるかも知れない」
「ええ、聞かせて?」
「…………。今この家に、ミーシーがいない。行き先が分からない。アンミと離れてる状態だ。お前の方法の中にミーシーの役割があるとすれば、それを変更して貰わなきゃならない可能性がある」
「なるほど。確かにね。健介君には難しい注文だったと思う。アンミちゃん落ち込んでるでしょう」
「ああ、かなりな。それもそうだが、お前の方法はミーシーがいなくても成り立つか?」
「まとまっていてくれた方が良かった。ミーシーちゃんがいないとなると、少し余分に時間が掛かることにはなるでしょう。戻ってくれるのが一番良いけど、それは難しいでしょうから、健介君には少しの間協力して貰うことになると思うわ」
「…………?良かった、のかな。俺が協力してなんとかなるのか?ミーシーの代わりだぞ?」
「健介君は、ミーシーちゃんの代わりに何をするつもりでいたの?ミーシーちゃんがいなくては成り立たない方法だと、それはもう御破算になってしまうでしょう。連れ戻せる確証があるなら別だけど、ミーシーちゃんに限ってそう簡単には捕まってくれないわ」
「そりゃそうだが、……予知は関係ないのか?ミーシーをアンミと一緒にいさせるようにしなくちゃならないものだと思っていた」
「それが一番良かった。それが一番リスクが少なくて簡単だった。スイラお父さんは?健介君の家にいる?」
「おっさんもいない。今ミーシーを探してる。連れ戻せるかは分からん。約束はしてくれたが、簡単ではないことは俺にも分かる」
「そう」




