十話㉙
「健介お兄ちゃん?ハジメお姉ちゃんは大丈夫そうだった?ナナが今見てるのは大丈夫そうに見える」
「俺にも、そうだな。大丈夫そうに見える。良いお父さんなんだろう。あんまり聞き耳を立ててると話しづらいかと思ってちょっと身を隠したがナナや、アンミとミーシーのことも話してた。良い友達ができて、勇気が出て、お父さんとも仲良くしたくなったんだって、そう言ってた」
「ナナもそれ良かったと思うな。ハジメお姉ちゃんはちょっと家族こと心配してる素振りがあった」
さすがにナナはその辺り気づいているか。嘘偽りのない感想にはホッとさせられる。アンミも顔を上げてナナの話を聞き、少しだけ微笑んでいた。
「ハジメお姉ちゃんはナナの家族のことはよく聞くのにナナが聞くとすぐ他のことでね、気を逸らそうとする」
「そうだったのか……。じゃあナナもあんまりハジメの家族のことは知らなかったりするのか?」
「ちょっとのことは聞いてる。ヒゲはあるのはナナ知ってる。ハジメお姉ちゃんと一緒に写ってる写真のを見たことあると思う。ハジメお姉ちゃんはなんでも買って貰えたって。ナナがナナのお父さんのお話したらハジメお姉ちゃんのお父さんはちょっとおかしいくらいハジメお姉ちゃんを好きだったらしい。少し普通と違うってハジメお姉ちゃんは思ってた」
「大好きっぽかったな」
「大好き過ぎるとキスしたくなるらしい」
「そうなのか。……そうだな。ナナも大好きだとキスしたくなるか?」
「ナナはまだちょっと早い。大人になったらナナもハジメお姉ちゃんにキスしたくなる」
「ナナは大人びてるけどな。しっかりしてる」
「ナナが?大人び?もしそうなのはあんまり良くない」
「まあ、子供は子供らしく、甘えたりわがまま言ってる方が良いかも知れん」
そうこう喋っている内に、ハジメの声が聞こえなくなった。意外と短く切り上げてしまったようだ。明日話せば良いという感覚なんだろうか。
向こうはそうは思わないだろうが、ハジメとしてはとりあえず用件を伝えることが重要だったようにも思える。
ただこれも……、不安に思い始めればきりがない。
『おっさんは、ハジメとハジメの父親が一緒に暮らすのがまだ早い、ということを分かって貰うために、電話じゃなく直接出向くことにした』
直接会うことで感覚が少し違ったりもするんだろう。だからなんだったら、重要な心の内だけは電話越しでも良いから言葉として受け取っておくべきようにも思われる。それがもう『分かっていること』であったとしても。
これはあくまで保険染みた個人的な意見であって、口に出すようなことではないが。
「電話終わった。全然変わってなかったわ。まあ良かったっちゃ良かったけど」
「やはり父親でも美人に思うみたいだぞ。男と一緒に住んでいるのを心配してた。恋人だと思われてたしな」
「えぇ……、そりゃ多分冗談だと思うけど。あんまそういうデリケートなとこ言う?言わないもんでしょ。親子なんだしさ。冗談じゃなくて首突っ込んでくるのはちょっと引くわ」
「まあ?ただ、お前のことを良く見てるだろうし、お前の良いところは分かってる。親は絶対結婚もしてるわけだしな。身近な……、なんていうんだ?恋の?相談相手はしてくれるんじゃないか?」
「…………。え?」
「違うか?」
「……?うん、いや……、違う?言われりゃまあそうかも知んないけど、そんな?さらけ出す?てか、あんたもしかして恋したこととかないんじゃない?男と女で違うのかも知んないけど、ええ……、分かんない。分かんなくなった。あのさあ、ウチだけかも知んないんだけど、やっぱなんか違うわ」
「違うのか」
「そもそも、恋してますとか言わないもんなの、普通は。人にあれこれ言われたくないでしょ」
「そうか。ああ、まあ、なんとなく分かった。なんにしろ自分の気持ちが一番大事だからな」
「いやもう、なんかあんたもそうなんだって。見守ってやろうみたいなのもう腹立つわ。上から目線なのが腹立つの。なんであんたから恋のアドバイス受けなきゃなんないのよ。言うほどあんたベテランじゃないじゃん」
「……そういうこと言うなよ」
「まあ?あんたこそ頑張れば?アンミはどう?ちょっとは元気出た?」
「うん。みんなのお蔭で元気出た」
「本当に助かった。ハジメやナナがいなかったらどうしようもなく落ち込んだままだったろう。ありがとうな、ナナも。ハジメも」
「まあでもアンミさあ、あんま具合良くなさそうだわ。ベッドで横んなってたら?」
「……うん。じゃあ私そうする」
「で、あんたはご飯……。食欲どうよ?別に無理して食べなくてもいいかも知んないけど」
「ちょっと間を空けてから食べることにする。そのまんまにしといてくれて良い。俺もちょっと部屋に戻って休むことにするから」
「そ。じゃ、あたしは荷物まとめたりとか、そういうのやってるわ」
「私、良くなったら手伝う。ハジメとナナと話したい」
「アンミもさあ、別に改まって話したいとか言わないでよ。じゃあゆっくりやってるけど、ウチにだって電話くらいあるし、もしかしたら、また戻るかも知んないし、なんだったら遊びにきて良いってあたしのお父さんは言ってんだから」
「確かにな。最後になるわけじゃないんだから、しんみりするのも違うかも知れん。じゃあ、とりあえずごめんな。休憩してくる。もし手伝うことがあるなら俺も呼んでくれて良い」
「はーい、おやすみ」
「ああ、お前も極力はな、休めたら休んでおけよ」
そう言って背を向けた。まずはミーコに事情を説明して、方針を決めよう。
おっさんとミーシーが不在、トロイマンにアンミの居場所は知られている。市倉絵里にはどこまで知らせて良いものか。
市倉絵里が、……トロイマンのいう裏切り者である可能性もまだ残っている。裏切り者にとって研究妨害を達成するためにはアンミを殺してしまうのが手っ取り早い確実な方法で、市倉絵里が、研究を妨害したいと思う動機があるとすれば、俺が一手間違えただけで致命傷になり得る。
ミーコは結局出掛けたりもしなかったのかベッドの下にいて、俺がいなかったせいもあるんだろうが晩御飯もまだ食べていないようだった。いや、出掛けて俺より先に戻ってきていたのかな。色合いのせいで分かりづらいがちょっと汚れているようにも見える。
ミーコは、俺が説明を躊躇っているのを察してなのか、話を始める前にしゅんとうなだれた様子で「大体事情は分かってるニャ」と言った。
「だとすると、俺がお前に相談したいことも分かってたりするか?」
「市倉絵里に電話することになるニャ。健介は市倉絵里がアンミの不利に動くこと心配してるニャ?」
「そこまで分かってるか……。あともう一個。お前にだけ、話しておいた方が良いかも知れない。俺のな?友達だった……、ミナコが、実はその研究に関係しているらしい。らしいじゃなくて、まあ本人がそう言ったから……、嘘でもないだろう。ああ、そうだ。と、いうより、ギャグみたいに思うかも知れんが、これを投げつけられた。俺は拾ってたんだな。なんか無意識にポケットに入れてたみたいだ。そういうことでアンミの居場所をトロイマンに知られている」
パチリと床にプラスチックの板を置く。言葉ではどう説明して良いのか見当もつかない。自分で言ったようにこんな状況ギャグでしかない。親友がラスボスだったとかいうストーリーの陳腐さがギャグといえばギャグなんだろうし、俺の滑稽さなど笑うに笑えないギャグだ。
「……。ショックだったかニャ?」
「俺はもしかしてまだ……、信じられないのかな。仮にそうだったとして何か重大な、……そうしなきゃならん理由があるんだと思い込みたい。だが、ミナコの、いや、トロイマンの話では、俺は要するにアンミを保護するであろう候補だったから、そういう理由で友人のような振る舞いをしてきたんだと、いうことだった」
「健介はそれに納得かニャ?」
「いいや全く。ただ本人はそう言った。そう言うように脅されているでもないし、誰かが病気でその治療にアンミがいるという話でもないみたいだ。理由は謎だが、そのどちらでもないなら、俺は『友人のような振る舞いをしてきたこと』を、『友人だった』と思うよりむしろ、『騙されていた』と感じるべきなのかも知れない」
「でも、ミナコが言ってることがおかしいのは健介も分かってるニャ?アンミが健介の家に来るよりも前に、健介はミナコと友達になってるはずニャ」
「ああ、……しかも。俺の記憶が間違いじゃなきゃ俺から声を掛けてるはずだ。まあ声を掛けてもその後友達らしく振る舞うかどうかはあいつ次第だったろうが、あの時もう……、俺のことを知ってたってことなのかな。まあ、それは正直、置いとこう。こんな小道具を作って芝居だったなんてこともないだろう。どの道、市倉絵里に確認が取れたらもう覆らないことだ。重要なのは、『トロイマンが裏切り者の存在に気づいていて、研究所での準備が整うまで、俺にアンミの保護を依頼してきた』ということだ。裏切り者の目的が研究の妨害だったとするとアンミを隠すより、……『殺してしまう方が簡単で確実』なんだと言ってた。その裏切り者というのが、市倉絵里を指している可能性がある。市倉絵里の目的が本当は研究の妨害だという可能性がある。そうなると迂闊にこの現状をそのまま報告はできない。かといって……」
「ミーシー抜きで良い方法が実現できるかどうかは聞かなきゃならないニャ……。まあでも、それ聞いた時点で状況誤魔化すのは難しいニャ」
「先にこれは聞いておくべきだった。増える分には問題ないということだったが、減ることなんて考えてなかった。ミーシーが出て行くにしたってアンミを連れていくはずだと思ってた。ミーシーに役割があったかも知れない。そうなると俺がその分担をこなすのは正直難しいだろう。揃っていた方が良いということだった。今その条件を満たせていない。仮にその条件がミーシー不在の状況を俺から聞き出すためのものだとしたら、……それはそれで怪しい」
「もし……、健介が、スイラに助けを求めることになるなら、予知できる状況にいるスイラはそのこと分かってたはずニャ。ミーシーのことには気づいて対応してるニャから、……少なくとも、健介がこっちのこと話したとしてもすぐに目に見える形で状況が悪化することはないように思うニャ」
「……その理屈でいくと、俺は結局市倉絵里のことをおっさんにもミーシーにも伝えなかったってことだろう。……どういう状況になろうと市倉絵里は尻尾を出さず俺を最後まで騙し通したか、ミーシーやおっさんが知っててわざと触れない善意の人物か、あるいは俺を捕えて連絡できないようにする手筈があるのかも知れない。今は手元に二つ携帯があるが、市倉絵里支給分の一個は細工されてても不思議じゃない」
「……健介はちょっと疑心暗鬼になってるニャ?疑うのが当たり前になってるかニャ?」
ミーコの心配そうな声はむしろ意外だった。よく考えて疑うべきところを見つけるべきだと言われるつもりだったのに、『俺が疑心暗鬼になっている』?
「お前は、……市倉絵里を信用できると思うのか?俺がミナコの件のせいで、人を疑って掛かる人間になってしまったように思うか?」
「……健介はどう思うのニャ?市倉絵里のこと、ミナコのこと、自分のこと、深呼吸した方が良いニャ」
「自分のこと……。なあ、ミーコ。『俺は』、『見抜けない人間だった』」
「健介まず深呼吸するニャ」
深呼吸をして、俺の緊張が和らぐようには思えない。疑うべきだ。だってそうだろう。
「あれだけ一緒にいて、何一つ分かったりしなかった。……そうすると俺は、だから、疑わなくちゃならない」
「健介。……健介は本当にダメな子ニャ。友達と一緒に遊んでいて、その友達の仕事のことまで分かるはずないニャ。分かるのは、一緒にいて、相手が何を思っていて、健介が何を思っていて、これからどうしたいかということニャ。はっきりとミナコは友達のふりをしてたと言ったのかニャ?そうじゃないと思うニャ」
そうだっただろうか?俺がもし?ミナコを信じているのなら、そういう無謀な解釈を今も手元に置いていられただろうか。
「…………。受け取り方次第だ。この件が露見してなお、友達だと思い続けるのはやめた方が良いだろうと言われた。事情が絡んでの振る舞いを友達だったかどうかは自由に評価すれば良いだろうと言われた」
「楽しそうにしてたようには、思わないのかニャ?きっかけがどうでも、目的があったにしても、健介の気持ちはそれを知ったら後になって変わってしまうのかニャ?どんな表情してたニャ?今とその前と、どちらが幸せそうにしてるニャ?幸せそうにしてる方と、そうじゃない方の、どちらが本当か分かるかニャ?」
「……今、不満そうにしているように思える。多分、こんなことがなければ、ずっと一緒にいられたように思ってた。そう思ってて問題ないくらい、友人らしい振る舞いだった」
でも、だからこそ、俺はこの状況で、『人を信じるのが馬鹿らしい』と思うんじゃないのか。汲んでやれるつもりだったのにそうじゃなく、汲んでくれるはずだったのが勘違いで、一緒に過ごしていてなおそれが分からないのなら、俺には何一つ知れることなどない。
「健介。自分にだけは、嘘も隠し事もないニャ。健介だって、隠してる気がなくても、嘘をついてるつもりじゃなくても、本当のことを伝えてなかったりするはずニャ」
「誰にでも隠し事があるという話か?俺は聞かれたら答えられる。俺本人のことに関しては聞かれて都合が悪いことなどあんまりないだろう。今回の件で言う言わないはそりゃあっただろうが……。ミナコの場合とは少し違う。トロイマンは、俺が気づかないように振る舞っていた。俺が気づくと不都合があった」
「今回の件と関係なしに、健介には言う言わないがあるニャ」




