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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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十話㉖

 ミーシーの姿は、すぐに見えなくなってしまった。無理をして立ち上がるべき理由はもうその時点で失われた。


 いざ体の感覚が戻ってくると、立ち上がることくらいはできたように思えてくる。多分、加減をしてくれたんだろう。俺が、立ち上がるのを諦める程度を心掛けて調整していただろう。


 呼吸は落ち着いてきたし、肩も動く。肋骨や肩甲骨は折れていない。ああ、アンミを、起こしてやらなきゃならないか。


 動くのをやめた木の根に手を掛け体を起こし、アンミのいる方へと目をやった。既に目は覚ましていたようで、アンミの腕が地面を撫でている。


 俺が体を起こしたことで腹の上に載せられていた小さな物体が地面に転がり落ちた。ミーシーが去り際に置いていったもので、粉々に壊れて捨てたと聞かされていた『俺が以前に使っていた携帯電話』だった。


 これをどうしてミーシーがわざわざ保管していたのか、どうして今になって返すつもりになったのかは想像がつかない。何かしら意図があるのか、それとも単に何かに使っていて今はもういらなくなったのか、ミーシーの都合なのか、俺の都合なのか、あんまり、深く考えることができない。


 とりあえず手に取ってポケットへとしまうことにした。


「アンミ……、起きられるか?」


「…………うん」


 薄く目を開けて何度か瞬きをした後、差し出した俺の手など見えていなかったのか、ゆらゆらと木の根を手探りで見つけ出してようやく立ち上がった。


 意識が朦朧としていてそうなのか、それとも単に気落ちしてのことか、アンミの表情はぼんやりとしたままでどこを見ているのかも分からない。


「健介、大丈夫?泥だらけ……」


 言われて軽く土を払ってみる。土に塗れているのはアンミも同じことで、『大丈夫か』と聞かれるなら、心配なのはむしろアンミの方だった。


 どうしてここにいて、何があったのか、ちゃんと覚えているんだろうか。


「そんな大したケガはしてないと思うが……」


「…………うん」


「とりあえず帰ろう」


「うん」


 アンミも俺と同じで、いまいち実感がないのかも知れない。ミーシーが、出て行く。そうなることをずっと恐れていたはずの俺ですら、いざ訪れた現実をこうも受け入れがたい。


 夢でも幻でもなく冗談でもなく、家に帰っていくら待っても、ミーシーが戻ってくることはない。探して見つかることもないだろうし、どこかですれ違って挨拶を交わすことなんかもないだろう。


 もしかしておっさんならミーシーを説得できる可能性はあるが、予知の優位性がない中での人探しにはどうしても時間が掛かるはずだ。


 それにそもそも、……無理に連れ帰る意味もないものかも知れない。問題を解決して、その後でなければ、今もう一度会うことに意味などないようにも思う。


「健介は、ミーシーのこと……、好きだった?」


「…………。ああ。もちろんそうだ。……いずれ、良い解決法が見つかる。アンミはどうだ?ミーシーのこと嫌いになったか?」


「?……ううん」


「なら良いんだ。それなら、きっとなんの問題もない」


 家に戻るまで、アンミは常に心細そうに左右を見回していて、時折「どうしよう」と独り言を呟いた。


 どうしよう……。どうにかできることなら、惜しまず尽くそう。でも何をどうして良いかすら分からない。辺りを見回したところで、誰も、何も見つからない。家に帰って、一体何をすれば良いんだろう。


 まずはおっさんへ連絡が取れないか確認しなくちゃならない。


 市倉絵里の持ってる方法はどうなるんだろう。全員が揃ってなくちゃならないという話だった。……だった気がする。ミーシーの果たす予定だった役割を、俺がこなせるなんてことはあるだろうか。


 ああ、土台が、……全て崩れているんだなあ。全てが破綻して、今更何もできないのかも知れない。


 左右を見回すアンミがあまりに哀れで、『探しても仕方ないんだ』と言ってやりたくなる。探さなくて良い。……見つからないんだから。そんな無駄なことをして悲しい気持ちになるべきじゃない。


 ただ家に着くまで結局アンミのペースに合わせて歩幅を縮めて歩いた。


「ただいま」


「?おかえり……。どしたのっ、あんたら……」


 玄関を開けると、すぐにハジメが出迎えてくれた。道中泥を払いながら帰ってきたが、それでもまだ汚れはすぐに分かるようだ。


「ああ……」


「ねえ、どしたの?」


「いや、大したことないんだ」


「大したことないって……。アンミ?とりあえず上がって、で、シャワー浴びてきたら?」


「…………。うん、そうする」


 ナナはとぼとぼと歩くアンミの姿を見つけて驚いている。そちらへと付き添ってやることにしたみたいで、特に何か声を掛けるわけでもなくアンミの手を引いて浴室へと連れ込んだ。


 ハジメの声は、……なんて優しい響きをするんだろうか。俺には返す言葉が見つからない。


「あんたもちょっとしたらシャワー浴びて休んだらどう?ケンカ?ミーシーと」


「ケンカ……。柔らかい言い方してくれるんだな。ああ、まあ、そういう種類なんだと思う。ただ……」


『ケンカ?』と聞かれて、『ケンカ』と答えて、ハジメがそれをすんなり受け入れられるとは思えなかった。


 正しく説明をするには、色々な事情を並べなくてはならない。実際に話すべきかどうかは別として、俺もこの現状を、正しく評価しなくてはならない。


 ここに至ってようやく、俺はトロイマンの要求がなんであったかを理解することができた。研究所の裏切り者を警戒しろと、そう言っていた。銃を持ち出して研究を妨害する人間がいることを想定しているようだった。


 今の時点で俺に接触した研究所の裏切り者は市倉絵里ただ一人だけだが、他がいないとも限らない。最悪の事態を想定するなら、研究の妨害のためには、アンミを殺すのが簡単な方法になる。


 市倉絵里がそれを目的としていたらどうだろう。市倉絵里でなくともそういった人物がいたらどうだろう。あるいは仮にその想定が的外れなものだったとして、……トロイマンがアンミを捕えるために強硬な手段を選ぶ可能性が消えるわけじゃない。


 いや、むしろ……、その危険性がなくて、ミーシーが家を出て行く理由に説明がつきそうになかった。この家が、この場所が、危険なんだと、認識しておくべきなのかも知れない。


「…………?」


「ちょっと考えさせてくれ」


 ハジメやナナは、おそらく市倉絵里の計算には含まれていない。そうなると……、ハジメに、俺は事情を説明して、ここを離れるよう説得した方が良いんだろうか。危険だからアンミを置いてここを離れろと言って、ハジメが納得するんだろうか。


 なんなら全て事情を伏せたまま、ここを出てくれと頼む方が、アンミのことを後ろめたく思わせずに済むのかも知れない。


「なんにも聞かないで、あんたの言う通りにしたげる。大したことできないと思うけど、まあでも、『うん』て言ったげる。だからしょぼくれてないでさ、嫌なことはとりあえず置いといてさ、……少し元気出しなって」


「…………。ああ。そんなに、俺は……、落ち込んでるように見えるか。約束を違えるような……、お前に、最低のお願いをするかも知れない。お前のことを思えば、他の方法があるにも拘らず、俺は、それを選べないかも知れない」


「あんたまず自分のこと考えないと。何?どんなお願い?」


「お前に、ずっとここにいて良いって言ったが、俺は、……俺はその約束を守れない。理由があるんだ。どうしても理由を聞きたいなら話す。ただ、それを話したら、お前に後ろめたい決断をさせなくちゃならないのかも知れない。だからできたら、話したくはない。……ちょっと、一旦な、ナナを連れて、……ここを出てくれないか?」


「理由はまあ言いたければ言えば良いけど。うん、そっか。ねえ、もしその、ここ出ろってのが言いにくいって思って落ち込んでんなら、別にさあ、あんたが思ってるほど悪いことになんないって。あたし別にホームレスってわけじゃないんだしさ。何?そんだけ?」


「出て行きたくないって言ったろう?俺は出て行けなんて言わないと約束した」


「まあでも、ほらそういうこともあるでしょ。こういうのもなんだけど、あんたに嫌われて無理やり追い出されるとかじゃなかったら別に良いわ。あたしのお父さんに連絡して、ナナ連れてここ出れば良いわけね。そんだけのことでしょ?なんにも難しいことじゃないしさ、いや……、なんてんだろ。約束したなんてそんな大層に思ってくれてたなら、あたしはそっちの方がよっぽど嬉しいわ」


 結局俺は中途半端な他人任せの提案をして、ハジメの優しさに甘えることしかできなかった。


「おっさんに、連絡してみる。話はそれからかも知れないが、多分状況は変わらんと思う。こっちに来てくれるかも知れないが、……だがもしかすると、ミーシーを探すのが先になるかも知れん。それも相談しないとちょっと分からない」


「うん。じゃあ、スイラおじさんに一回連絡してみてよ。あたしはまあ言ってくれたらすぐお父さんに電話して話するから」


 努めて明るく、何事でもないかのように、日常の役割分担のようにハジメはやるべきことだけを復唱した。悲観も言い訳もなく愚痴や疑問も口にせず、立ち尽くしているだけの俺の手を引いてくれる。


「ただ、……伝わるかな。何もなければ俺は、……ずっと」


「伝わってるって。……あたし、あんたと会えて良かった。抱っこしてあげたら元気出る?」


「それはいい。恥ずかしいから……。まあただ、次誘ってくれたら抱きつくかも知れない」


「あ、そ。ねえあのさ、そんな顔しないで?早くてどんだけ?遅くてどんだけ?ずっとバイバイってことはないでしょ?」


「…………。そんなに長く掛かることじゃないと思ってる。どんな結果になってもお前に会いにいく。それだけは、……代わりに約束する。俺はまた弱気なことを言って、失敗した時にお前に慰めてもらうつもりなのかな。会いにいく。それだけは約束する」


「ミーシーに今度会ったら、あたしがびしっと言っといたげるわ。あんたが次会った時、めそめそしてたら、しゃんとしろって言ってやるわ。ほら、落ち着いたらスイラおじさん電話して、で、ミーシー探すの頼んで、その後はあたしがお父さんに電話する。そういうことで良い?」


「ありがとう、ハジメ。本当に感謝してる」


「はいはい、お互いさま。じゃああたしアンミ見てくるからね。んなとこ立ってないで。ほら、靴脱いで」


 まるで子供に対する呼び掛けのようだったが、事実俺はその時言われてようやく、自分がまだ靴を履いたままであることに気づいた。


「すまん。面倒を掛けるな……」


「まあ?恩返しって大したことじゃないけど、折角焼いてやれる時に世話焼いとかなきゃさ。あたしも、あんたとかアンミにも感謝してるんだから」


 玄関を開けて、こうしてハジメが話してくれなかったら、俺は何から始めて良いのかも分からなかっただろう。


 おっさんに電話する。アンミはハジメとナナにひとまず任せて、おっさんに連絡しなくちゃならない。玄関からようやく居間へと抜けて、まだ片づけられていない遊具が目についた。それすら感傷的な風景のように見えた。


 市倉絵里支給の携帯に不在着信が一件入っていた。おっさんが事態の異変に気づいてすぐに連絡をくれたんだろう。多分、おっさんの番号だと思う。ミーシーが出て行くと宣言した前なのか後なのか、どのタイミングで電話が鳴っていたのかは分からない。


 ミーシーは『おっさんの加勢は間に合わない』と言った。『ハジメの加勢も間に合わない』と言った。多分それは正しくて、電話を取れたかどうかは結果に影響しなかったはずだ。


 とりあえず第一声も決めないまま携帯を操作した。


「おっさん……。まあ、言うまでもないと思うんだが、……上手くできなかった」


「……悪かったな、健介。あいつは大丈夫だと思ってたんだけどなあ……。何、考えてんだろうなあ……」


 ミーシーの心情を推し量ることは難しい。おっさんの声は落ち着いてはいるものの、少し寂しげな響きを含んでいる。


「…………」


「…………。なあ、重ね重ねで悪いが、お前を頼るしかなくなった。俺が、絶対ミーシー見つけて連れて帰る。それは絶対に約束するから、だから、アンミと一緒に待っててくれると助かるな。あいつが気に食わなかったこともなんとなくは分かってる。説得できるつもりでいる。……なあ、ただ、俺はな?お前の気持ちを十分分かった上で、俺の不甲斐なさでお前がそんな立場に置かれてること踏まえた上で、それでも危ないと思ったら逃げた方が良いとは思ってる。お前が責任を感じるべきじゃない」


 じわりと痺れるほどに、声の温度が温かい。


「…………。おっさんが戻ってくるのを待ってる。忠告は聞くが、アンミと待ってる。それで良いか?俺には何もできないかも知れないが」


「ありがとな、健介」


 他にどんな言葉でも良かっただろう。だがおっさんはごちゃごちゃとあれもこれもと言わなかった。分かっていて、汲んでくれていて、優しくたった一言呟くだけだ。


 ハジメやナナの避難についても相談してみたが、どうやらおっさんも何をどうするのが良いのか決めかねているようだった。安全策としてはそれが最上で、だが簡単にはそれと決められない。


 ハジメとナナと、それに俺とアンミも離ればなれにならない方法があるならそれを選びたいと思っている。責任を感じるべきじゃないと言った手前なのか、おっさんは「俺もそれで良いと思う」とだけ言った。


 煮え切らない返事のように感じたのは、単に俺が他の方法を願っていたからだろうか。ただそれをおっさんから引き出せるようではなかった。


「ああ。おっさんのことを、頼りにしてる。ミーシーを連れて戻ってきてくれ。この問題が解決したら、解決するなら、ミーシーだって出てくなんて言うはずないんだ。仲直りできるはずだから……、アンミと待ってる。あと、またこれもおっさんを頼ることになるのかな。ハジメとも約束した。今回ハジメに譲歩して貰って、また会う約束だけはした。どういう形式になるのか分からんが、おっさんにも調整役をお願いしなくちゃならないかも知れない。一時、我慢して貰うことになったとして、最後はちゃんとハジメが満足できるようにしてやりたい」


「みっともなかったなあ俺は。なあに、今度こそ、任せとけ。なんにも心配することはない。全部上手くいく。じゃあ。またな、健介。安心して待っててくれたら良い」


 俺の安らかな安堵に対して、おっさんはどれだけの負担を強いられているだろう。『任せろ』と言えるような、状況じゃないように思われる。『何も心配するようなことはない』わけがない。


 誤魔化してしまいたくなるような場面で、なんて力強いんだろう。これが俺とおっさんの器の差なんだろうな。


「俺もそう言ってやれるように努める。アンミにも、ハジメとナナにも」


「ああ」


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