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AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
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十話⑭

『牧野怜夏は、愛をないがしろにしてた』


「牧野さんはよく……、人の臓物見た後に平気でご飯食べられますね……」


 ご飯を食べたいとすら言い出せない軟弱で可哀相な後輩を見かねて、わざわざ簡単に終わる仕事を振って食事に誘ってやったというのに、人が食べてるものにいちゃもんをつけるような奴だった、佐藤とかいう人間は。


 見ると男の癖にサラダセットとか用意してフォークでミニトマトを転がして遊んでいる。まったく、腹が減っているだろうと思っての親切だったというのに、敬うべき先輩に対して感謝の一言もなくトマト遊びとは大したもんだ。こいつも、世渡り下手なんだろうか。


「ああ、まあ言いたいことは分かるんだけどさ。慣れると逆になんない?いやあだって、あいつの肝臓、めっちゃ美味そうな色合いしてたじゃん。栄養価高そうな、そういう色してたらさ」


「すごいですね……」


「…………。はいはい。きゃー、ないぞうだあー。こわくてこんなのたべれないよー。はあ……、本気でそんなこと思う奴いると思ってんの?あんたと一緒に無人島行って遭難したら、そんであんたが先に死んだら、頑張って料理して生き延びるわ、私は。まあ、ただ、あんたは不味そう。顔色悪いし。腹減ってないの?」


「狂ってますよね、牧野さんは。お腹は、そんなに減ってないのかな。最近決まった時間にご飯食べてないせいか、もうなんというか、ちょっと自分では分からないんですよ。まあ、とりあえず無人島には、牧野さんとは一緒に行かないことにします。というか私の場合もうずっとここから出ることないんじゃないかってくらい引きこもってますし、ここの食堂がもう、外国みたいなもんです。いきなり外に出たらもう直射日光で死ぬかも知れないので、出張は他の人探してください」


 なるほど初々しい。確かに慣れない内から一カ月缶詰にされると普通、外の世界など考えられなくなる。市倉女史の庇護の下から引っ張り出されて雨風に打たれたら、ぽかぽか温室育ちちゃんは枯れて元気もなくなるもんだろう。


「あんた鬱病なんじゃないの?治験紹介してやろうか?」


「え、そんなことないですよ。私どちらかというと今ハッピーですし。すごい忙しいんですよ?なんでボランティアまでさせられなきゃいけないんですか」


「そう?ところであんた昔いじめられっ子だったりしたの?」


「いえ、あ、いや、ううん……。別にいじめられてはないです。なんですか急に」


「なよなよしてるからいじめられてたんじゃないの?」


「だからいじめられてないですって……。なんですか?いじめっ子目線での直感ですか?」


「いじめっ子て。誰がいじめっ子だ。まあ、……確かに。逆に聞きたいわ。いじめられっ子目線でだと私のこといじめっ子に見えたりすんの?当たりが強いことはあるけど、あったけど、まあ今割とマシになった方だと思うんだけど」


 こうして後輩を食事に誘ってやり、なんなら体調やら性格面を気遣ってやる心優しい人間になってしまうほどに、今の私はいつの間にやら毒抜き浄化されている。


 昔の私と比べてそれはちょっとさすがに、優し過ぎやしないか?媚びてるようで引かれやしないか?まあでも、この佐藤に関しては、引いてる時に引いてることを隠せないような馬鹿正直者のようだった。


 現に今の何気ない談話で私の優しさ以外の何かに、既に引いてる様子だった。


「マシに……、そうなんですよね。私、割と几帳面な方なので、異動になる前に一応噂ぐらいは聞いておこうと思って、牧野さんの……、いやあ……、マシになってますね。お前みたいなのろまは絶対怒らせるから先に高級なワインを注文しておけと周りの人から言われました。言い方とか態度が目茶苦茶キツイって。私あんまり仕事できてないですけど怒られてないですし、みんなが折角募金してくれたのに、実はそれまだ使ってないんですよ。多分牧野さんがマシになってるんでしょうね」


「おうおう。ちょっと前だったら私もあんたのことドツいてたわ。ご飯も誘ってやんなかったし、フォローとかもしてやんなかったわ。佐藤の場合はまあ、……仕事できないとかじゃないけどさあ」


「…………。もしかして私、好かれてます?牧野さんに」


「ぶっ殺すぞ……。どこら辺があんた好かれる要素あったんだか言ってみろマジで。一個でも挙げてみろとりあえず」


 私が常識、なんてつもりは毛頭なかったけど、こいつもこいつでやっぱりちょっと頭がおかしい。私の周りにまともな奴がほとんどいない。頭をおかしくする悪い電波の発信地がもしかして近くにあるんじゃないかと疑わなくちゃならないくらいに。


 その評判を聞いていて、普段の私の態度を観察してみて、どうしてこういう遠慮のない雰囲気が作れるものか。それとも私が思っているよりも人間というのは、心の壁を作らないように努力するものなんだろうか。壁を一枚隔ててもこういう態度なもんなんだろうか。


「え、えっと、ほら私、結構従順というか、素直で、反発しないですし。牧野さんはなんていうか、そういうのと合いそうって、そういうふうにも言われてましたし」


「…………。あんたのその、悪気ない感じで思ってること言っちゃうの良いとこだわ。なんでかポジティブだし。でもそう思われんのかな。そう思われてても別に損しないわけだし、あんたがもし私のこと好きだったりしたら、私もまああんたのこと少しは好きになんのかも知んない。今んとこどっちでもいいけど」


「私が、牧野さんのこと好きだったら、牧野さんも私のこと好きになったりするんですか?」


「そこは引かないんだ。…………。結構前にさ、ちょっと人生観変わるようなことあって。あんたもその一種だけどさ。あんたみたいなのがいるんだなあっていう。はあ……、一人でできるって強がってんのが馬鹿らしくなってきちゃって。誰彼にでも好かれてる方が良いのかもね」


「牧野さんそういうイメージないですよね。好かれようとするオーラゼロというか」


「…………。ちょっとは変わったんだよ、そういうところが」


「へえ。人生観なんですか?性格とかじゃなくて。……いや、あの、性格がキツイと言ってるわけじゃないんですけど」


「性格はそのまんまかも知んないけど、考え方がちょっと変わったの。例えばだけど、私が公園とかで小さい犬いじめてるとするじゃん?」


「?なんでいじめるんですか?……や、やめてくださいよ」


「いや例えばってつってんだろ、話聞けよ真顔で止めんな。で、話続けるけどっ、小さい犬はどうしたって私に勝てたりしないわけよ。私の方がでかくて強くて頭良いわけだから。でもさ、はあ……、その犬が、もしべったり甘え上手で、誰彼かまわず好き好きオーラ振りまいてどいつからも可愛がられてたとしたら、私はもうどうしたってその犬っころ一匹にも敵わないわけ。そいつは私より強い奴何人にも守られて、助けて貰って、誰にも手出しできない、想像できる?」


『それ』は犬っころを馬鹿にして叱りつけていた私を、とても惨めする事実だ。元々ある程度才能に恵まれていたとしても、私は私なりに努力をして他人を負かしてきたつもりだった。犬っころ扱いされないように頑張ってきた。


『それ』は努力してもどうにもならない相手に負けてきた私を、とても哀れだとする事実だ。仕方ないと嘆いていた私があまりに愚直だったことを知らせている。


「つまり牧野さんは、その、こっぷく、うふ、仔犬に、なりたい、という、わけですね。一人ですぅんー、つ、強がるのが馬鹿らしくなって」


「口元隠すなおい佐藤何笑いそうになって堪えてんだ?声高くなってんぞこら」


「すぅーふぅふぅ、笑ってないです。いやでも牧野さんみたいな強いのは強がりとは言わなくてですね。それ単に強いだけですからね。全然、仔犬とかに憧れなくても、牧野さんは牧野さんの良いところがあると思うんですよ私は。別に牧野さんに言い負かされた人も決して牧野さんを悪く言ってたわけではなくてですね、なんというか、言ってることは正しいと、ただ言い方がちょっとキツかったという、それだけのことですので」


「おどおどしてる癖に言いたいこと言い放題だよな佐藤。まあいいわ。なんか、そういうのが、……私は多分そういうのも、ムキになって反論してたのかな。……あんたさあ、かないっぺ知ってる?」


「?……?金井さん?ですか?」


「やっぱ知んないか。あんたは総務来ないもんな。私も重ちゃんの手伝いとかで偶然一緒に仕事することになっただけだし。噂は一応聞いてたけど、実際会ってみて初めて分かるヤバさだったし。口では説明しづらいんだよなあ」


「ヤバイ、人なんですか?」


「うん、まあ、……人生観変わるくらいに。私が、間違ってたって、言わしめるくらいには。ああやって世界がさ、あの子中心に回ってるのを見たら、もうこっちも反論する気もなくなるわ。あんたも一回見てきたら?」


「…………。室長と、どっちがヤバイですか?」


「ぜんぜんかないっぺだけどな。室長のどの辺がヤバイのかも聞かせてくれる?告げ口してやろうか佐藤?」


『牧野怜夏の人生を変える人』


「ちょちょちょっーとっ、あぁんた何やってんのっ!もーう、バーカ。バーカバカバカバーカバカっ!」


「うっ、うぅ゛、牧野さんがあ、バカって、バカって十回も言ったあー……」


「六回だよっ!、数えてもないのに適当なこと言うなっ!あんたはそういうことがダメなのバーカバカっ!」


「うっ、……に、二回?、二回言ったあ……」


「二回だけどそこ重要じゃないのっ!バーカもうっ!」


『ここの総務は、研究に飽きた研究者達の天下り先』、と誰もがそう信じていた時代がある。というより、ほんの二年前、私が入所したての頃なんかはまさしくそれは否定しがたい事実ではあった。


 他の会社なんかがどうなのかは知らないけどもだ、少なくともここの総務は、他の部署の網に引っ掛からずにすり抜ける分類不明業務の担当部署で、むしろ仕事の大半は分類不明の業務に理由をつけて各部門へ割り振ることだった、二年前までは……。


 誰が今のこの惨状を予想したものだろうか。ここ一年で、退職者を含め総務課を去った人間は四十人にもなるという。ついにその窮状のその場凌ぎ策として、『総務急募』のポスターが所内に貼り付けて回られることになった。


 事の発端は、私のとりあえずの正所属である分子生物学分室からの無茶ぶりであろうし、開発局との連絡役というのも私が引き受けていたわけで……。


 だから、さすがに、あんまり関係もないのに巻き込まれてしまった重ちゃんを見て見ぬふりもできず、……週に一度は必ず寄越される回覧を無視できず、私も条件付きで総務の仕事を手伝うことになった。


 とはいえ、根本的には私のせいではないわけだから、私も相当イライラしていて入所から今に至るまでずうっとこれ以上ないくらいかわいがってくれていた重ちゃんにまでつらく当たり散らすことにはなった。


 別にかわいがって貰った覚えなどない他の人間にはもうことあるごとにブチ切れた。忙しい。忙しい上に、クソつまらない仕事ばかりだった。


『誰もが、断固として、自分の担当でないと言い張る、やり甲斐も感謝もない、クソつまらなくて面倒くさい仕事』が、私という歯車に黒く付着していくのが耐えがたかった。


 重ちゃんはきっと神様なんだろう。私は人間だからこんなことをやってたらその内キチガイになる。ただでさえキレやすい性質なのに、その内理由もなくキレるようになる。私の今までの経験上、いつそうなってもおかしくはなかった。


 なのに、意外なことにいつまでもその限界は訪れなかった。ストレスはもちろん溜まる。それなのにある瞬間、まるで栓を抜かれたようにすぅと不満が消えていく。


 それがどの瞬間なのか初めの内は分からなかったけど、どうやら使えない新人らしき人物をボッコボコに罵倒してる時がそれらしかった。


 人を罵倒して、ストレスを解消するような、そんな人間になりたくなかった。それはでも、そんな人間になりたくなかったのは……、私が誰かを傷つけるようなことがないように、私が誰かから嫌われることがないように、そういうことだったのなら、私は何一つ気に病むようなことなどなさそうだ。


「あんたといると、ああなんでか、……落ち着くわ。あれかなあ。言いたいこと言い放題だからかな。ブタにブタって言っても言い返される心配とかないしさあ。前はイライラしてたはずなんだけどなあ」


「ブー、ブヒー。今、ブタ語でブタじゃないですって言いました。ねえそれよりこれどうやるんですか?私覚えた通りにやったのに」


「……フタ閉めてないじゃん。逆転してるじゃん。アラート出てるのに解除せずに突っ込んで詰まってるじゃん」


「ブヒー……。そんなの気づかないとか、私ブタかも……。ちょっとブタかも」


「……そうかもね。でも良い傾向だわ。総務も新人雇い始めたわけなんだしさ。あんたもその内後輩できるわけでしょ。そん時はこれ、これね。注意してやるように言ってやって」


 総務へ新人を、このレベルで見境なく、採用するようになったのなら、いずれこの激務もちょこちょこ芽を出した何人かによって収束していくだろうと思った。そうなれば、私も、可哀相な重ちゃんもここから大手を振って逃れることができる。


「でも、去年から一人も……、新しく来てないですけどね」


 絶句した。のは、この子がまあ少なくとも二年目だとすると、この激戦場の死屍累々たる総務の生き残りということになる。


 この要領の悪さで一年ここで耐えることがどういうことなのか、たまに手伝いに来るだけの私にはなかなかリアルには想像しづらいけど、いや、いくらなんでもメンタル強過ぎやしないか。


 少なくとも私がいる昼間は、高総医科研と開発局の情報中継だけで平均二分に一回電話が鳴る。外部の業者が絡むとはいえ、この期に及んで秘密等級審査をやらせるものだから、常時六台の複合機が電子化のために紙を吐き出し続けている。


 さすがに法務までは引き受けていないとは思うけど、決してこの子が忙しくないというわけじゃない。サボってるわけでも、手を抜いてるようでもない。


 純粋に要領が悪くて、一生懸命やっても間に合わなくて、どんどん仕事が増えていくのに、それでどうしてこう、安定感を持って地面に立っていられるんだか。


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