十話⑬
「ハジメの生まれも海ない県でしょうが。地理の勉強しなさい。海なくても海産物売ってるでしょう」
「えっ、奈良も海ないの?嘘でしょ?お父さん自分で獲ってきたって言ってたんだけど。サザエとかよ?確か。サザエは海でしょ?」
「奈良県は海ないな。サザエは海でしか取れんな。ただまあ……」
「いやいや奈良市にはないかも知んないけど、いやでもちっちゃい頃とか車ですぐ海だったって」
「お前のすぐというのがどの辺りかは分からんが、じゃあ大阪湾だろう。それか琵琶湖を海と見間違えたかだろう。海がない県だが場所によってはそこまで海が遠いわけでもない」
「……そうだったんだ。岐阜県とか海ないの内心馬鹿にしてたのに」
「馬鹿にすんな。奈良県も海ないんだ」
「……海、ないんだ」
「何を愕然としてるんだ……。海のない国とか普通にあるし、そういうのに比べたら全然困らんだろう。隣の県には海あるんだから」
「隣にしかないんだ……。隣に借りないとないんだ……。整理つくまでちょっと待って。今ほんとにショック受けてるから。岐阜県馬鹿にしてたのに」
「馬鹿にすんな」
「それさあ……、売ってやんないって言われたらどうなんの?隣のその、海あるとこから海の幸的なのをさあ、売ってやんないって言われたらもう食べられなくなんの?海のない県の人って」
「奈良県が独立して日本に対して法外な関税を掛けたらそうなるのかもな。大丈夫だきっと。そんな時もナナが密輸して持ってきてくれる」
「ナナは愛知県なんだけどさ、愛知は海あんの?」
「伊勢湾があるからなあ」
「伊勢って三重県じゃないの?お伊勢参りは三重県じゃん」
「それは知ってるのか……。あのな、こういうふうに。ここが三重県で、ここが愛知県だ。この間が伊勢湾でこっからずーっと海だ。良かったな。伊勢湾は別に三重県だけのものじゃない。愛知県も権利を有している」
ショックを受けるに至るまでの思考回路もよく分からんな。海を隣の県に借りるだの隣の県に売って貰えなくなるだのの発想は斬新だが、まあ確かに、内陸国なんかは国際情勢によっては海産物が品薄になったりするのかも分からん。
ついでに奈良県の奈良市がこの辺で大阪を経由してすぐ海であることも空中に指で描いて教えてやった。
「あんた頼りになるわあ……。あたしん中で全然解決してないけど」
「お前は話題は尽きなくて良いな。一体どうすりゃ解決するんだこの問題は」
「そのさっきの、大阪がちょっとどけば良いんじゃない?そここうやってちょっと空けてくれたらさ」
「…………。府知事と交渉してくれ。俺にはどうしようもない」
居間のままごとはきちんと皿洗いまで終えたようだ。昼食の準備を始めるのか、アンミとナナも立ち上がってこちらへと向かってきた。
「川の魚って一体なにがあんのよ。メダカとか……、小魚しかいないじゃん」
「ニジマスとか、あとウナギとかはいるだろう。そもそも海産物が買えなくなったりしないから心配するな」
「サンマは?川?目黒って海あんの?」
「目黒……、目黒区は、どうなんだろうな。なさそうな気はするけど。一応言うと、サンマも海だ。そして目黒はサンマの産地じゃない、多分な」
「アンミ、今日のお昼選んでおいたわ」
「わあ、うん。ミーシーが選んでくれたら安心。ハジメ、私も見て良い?」
「んー。これはアレ?海の入ってんの?」
「ハジメお姉ちゃんどうしたの?海が気になる?」
「うん、……気になる」
「ナナと海開きする?」
「しよっか……。気分だけでもさ。んじゃ広いとこ行こ?ささっと魚捕まえよ」
「じゃあナナは海開きで取ったのを持ってきながらアンミお姉ちゃんが料理するの見ることにする」
「そ、じゃ、よろしく。あたしサンマ獲ってくるから」
「?うん、うん」
「ああ、頑張ってな」
海開きというのは、漁師ごっこなんだろうか。漁師ごっこだとして何漁なんだろうか。気になるところだが、野暮なことは言わないでおこう。
「じゃあここが海ね。ナナ、サンマの役やって」
「えっ、そういう遊び?ナナと一緒に魚を捕まえるのじゃない?」
「えっ、じゃあ魚はどうすんのよ?」
「魚は……、魚はあることにしたら良くない?ハジメお姉ちゃんはそういうのを求める?」
「いや、あることにしよっかじゃあ。ナナはそっちから追っ掛けて。あたしこっち担当ね」
海開きというのは、ナナの中では要するに海開きごっこ、ということのようだ。海開きのシーズンに海水浴場辺りに出掛けたつもりで仮想の海を満喫する遊びらしい。
ハジメは魚獲りがしたいわけだから若干趣向が違うわけだが、協力して魚を獲る遊びもカバー範疇ということになった。
ナナはしゃがみこんでぶくぶくすいすいーと水をかき分けて進む動きをして時折寝そべってバタ足をして床をずるずると這い回ってごろごろ転がり魚を捕まえるために両手を中空でパチンと叩く。
「ザブン。ハジメお姉ちゃん、潜ると魚が一杯いる」
「まあ、……思ってたのとちょっと違うけどそういうアレね。おっけ了解。間違ってナナ捕まえるかも知んないけどごめんねザプーンっ」
「ええー、なんでそうなるー?ナナは魚と似てないのに、ぴちぴち」
五分と経たず、ハジメはナナをお姫様抱っこして台所へと戻ってきた。
「……アンミ。サンマ獲れた」
「ナナはサンマじゃないのに捕まってしまった」
「……そうか、可哀相に。でも、サンマのふりをしてあげるとハジメは喜ぶと思うぞ」
「ありがとうハジメ。ナナもありがとう」
「部屋散らかってる時とかごみをこう、サザエとかアワビに見立てて回収する遊びとかにすれば、ハジメの海の幸を集めたい気持ちとごみの片づけの仕事を相殺できて一石二鳥だと思うわ。というかハジメは海の幸を集めたいなんてわがままな気持ちを、ごみを集めたいという気持ちに作り替えなさい。錬金術とかを使って」
「錬金術て。そういうこと言う?錬金術師なわけね、あたしが」
「気持ちの錬金術師だな……。スポーツ選手とかが勝ちたい気持ちをトレーニングしたい欲求に置き換えるのとかそういうのかな」
「それはごみ散らかってる時にあんたらがやろって誘ってよ。タイミング的に全然今じゃないんだって。カチっ、カチっ、ボオー」
「えっ、ナナ焼かれた?火がついた今?ぴちぴち」
「ライターで、サンマに火をつけたのか……?お前はもうちょっとあれだな。いくらごっこでも、せめて俺でも分かる調理法の誤りは正した方が良い気がするな」
「もぉー、いいのっ。どうせ実際にサンマ捕まえることなんてないんだからっ。あと、肉でも魚でも燃やしたら大抵食べれるようになんの」
「燃やす……。うん、焼くとな。燃やすのと焼くのは似てるのは似てるが、ちょっと、考え方が違う。細かいこと言ってすまんな」
「くっそ、ごっこでダメ出しされたわ。なあに?あんたはもっと上手くやれるってんならこっち来てやったら?やりたいんでしょ?サンマってのはそのまんまで出てくるでしょうが」
「いや……、じゃあその、なんでもない。そうだな、そのまんま出てくるよな」
「ナナからねー、良い方法。魚の役はねー、すごい簡単だから今度ハジメお姉ちゃんが魚やると良さそう」
「あたしがあ?はいはい。もう好きなようにしたげる。ナナはどんな魚好きなのよ?」
「ナナはメダカとか金魚が好き。でもハジメお姉ちゃんの好きなお魚の方がハジメお姉ちゃんはやってて楽しいと思うよ」
「ああ、あたしもメダカ好きだわ。ほれ、すいー。捕まえてみっ」
「ナナはメダカ見てるの好きだから、見てる」
「すいー、って。んふふ、すごい馬鹿っぽくない?あたしがメダカ役ですいすい泳いでて、ナナがそれ見てんの。どうよ、この遊び。あんたはどう思うのよ?」
「ん?多分、癒し効果があるんじゃないかな。見てるだけでちょっと楽しい気分になる」
サンマはもう良いのか……。捕まえて満足したのか今度はメダカ役をやるらしい。果たして平泳ぎで息継ぎをするメダカがいるかは定かじゃないが、ともかくハジメなりにメダカ役をして、ナナはそれを鑑賞する、そういう遊びだ。
仮にこれがジェスチャークイズだとしたらメダカ要素はほとんど見出せない高難易度問題だが、そもそも最初から特になりきるつもりもないものかも分からん。
「すいー。パクパクー、ナナ餌ちょうだいよ。恥ずかしいから向こう行ってやろ?」
「わあい。メダカは何食べる?」
「んー?ボウフラ。蚊の幼虫とか食べるから。ぴょこぴょこパクー」
「わあっ、食べたー。今のがボウフラ?」
「うん。今のボウフラ。ぴゅーんっ、待てー」
「…………」
「ハジメはどちらかというと追い掛ける方がやりたいのよ」
「そうなのか。まあ、なんか、そういう感じはするな。とりあえず何かを追い掛けたいのか」
アンミが料理の準備をしていて、ミーシーはそれを眺めている。ハジメはメダカをやっていて、ナナがそれを眺めている。俺も黙ってそれを見ている。
俺は水面に身を沈めながら、波風は立てず、それでいてどんな流れがあるのか見極めなくてはならない、か。どんな……。流れといっても、目立った変化は見られない。
普段通り穏やかに流れる水に違和感などない。むしろ俺個人の交友の方が波風立って渦を巻いているようにさえ思われた。
ミーシーは、たとえ問題を抱えていたとして、少なくとも先に延ばせる間だけは、こうして穏やかに過ごしたいと願っているんだろうか。おっさんもそうかも知れない。
アンミが気づかない内に済ませられるような、そういう解決を望んでいるのかも知れない。
結局俺は料理が出来上がるまで席も立たずあっちやこっちや眺めていたわけだが、やはり料理が出来上がる以外の流れなど見つけられなかった。そもそも何も渦巻いてなどいないようにさえ思えてしまう。
ミーシーが料理の本に付箋をつけておいて、それをアンミが料理する。料理が出来上がる前から良い匂いに釣られてハジメもナナも集まってきて、配膳される頃にはみんな、箸を置いて座って待っている。
『いただきます』と声を合わせて料理を頬張って、いつも通り、文句のつけようもなく美味い。正しく澄んだ流れであって、淀みなく、万事が進んでいく。
「ごちそうさま。美味かった」
「じゃあナナは日記をとりあえず書いてくる。陽太お兄ちゃんは何時くらいに来られる?」
「そうだなあ。昼からとしか言ってないから、普通に考えたら一時くらいには家を出ると、思うんだが。まあゲームとかの準備も頼んだりしたし、ちょっとは遅くなる可能性もある。一応後でもう一回電話して確認しておこう。今はまだちょっと陽太も飯食ってたりするかも知れないしな」
「ナナも間に合うように頑張る」
「おう、頑張ってな」
さてと思って立ち上がり二階へ上がってちらりとだけ時計を見た。陽太ほど気軽に連絡を取れる相手ばかりならどれほど良かったか。
市倉絵里との友達ごっこと比べればまだマシなんだろうが、ミナコへの連絡を、こうも躊躇することになるとは思ってもみなかった。ただし、相手が市倉絵里にせよ、ミナコにせよ、電話を掛けない利点などもないものだろう。
俺が話すべきことなどは、今の方がよほど簡単に決められる。
携帯電話を耳に当てて、数秒が過ぎた。コール音は鳴り続けている。一回、二回、三回……。鳴り続けている。それでもミナコが電話に出ない。俺からの電話であることが分かっているからだろうか。それともたまたま偶然に不在だったろうか。
「…………まあ、こういう場合は、諦める他ないか。友達ごっこを上手くやる前に、友達とすら上手くできないな」
いっそ俺が市倉絵里のお友達観を聞いてみたくなる。参考になる部分もあるかも知れない。市倉絵里が普通に付き合う友達はどんな人物なのか。何を求めて友達になって、何があるから友達だと証明できるものなのか。どうやって友達になったのかすらも。
それこそ赤い糸を引き合って友人になるのかも知れないし、一方が猛烈にアタックして友人関係を築くのが、一般的だったりするんだろうか。
繋ぎ止めたはずのものがほつれてちぎれることはあるだろうか。引き合う力が弱まることはあるだろうか。そうして自然に、関係性が消えてなくなることが、もしかしてあるんだろうか。
愛される才能があると誉められた。愛する才能があると誉められた。そうしてその目線での答えというのを、市倉絵里は俺から聞き出そうとしているようだった。
市倉絵里は、一体、どんな質問をするつもりでいて、どんな答えによって満足するんだろう。それをどうして、俺なんかから引き出せるつもりでいるんだろう。
コールは、鳴り続けている。




