十話⑩
「できない方が、かわいいと思うけどな。できたからといってどこかでこれが役に立つこともないだろうし」
「まあ……。そう言われたらまあそうなんだけど。アンミもねえ?根っこ操れるのすごいけど、どこで使うの?ってのはまあ、ねえ……、暇つぶしくらいにしかなんないか」
「うん。私も胸動かないから、でも思いつかないけどできるならどこかで役に立ったのかも」
「俺は暇つぶしで胸ぴくしたりもしない」
「ふぅん、勿体ない。折角動くのに。使い道なんかないか考えといたげるわ」
「いいや結構だ。考えてくれなくて良い。地味に多分荷物を運ぶ時なんかに少し使ってるはずだ」
「ミーシーお姉ちゃん呼んできてできるかどうか教えて貰う?ミーシーお姉ちゃんはスイラお父さんは似てるところがあるからできるかも知れない」
「……いやあ言っとくが、仮にミーシーができたとしても俺は良いリアクション取れないぞ。お前らが相手してやるなら自己責任で呼んでくれて良いが」
「うんっ、じゃあ呼んでくる」
「…………そうか。ああ、任せた」
遠回しにこの話題で連れ出すのは遠慮してくれとお願いしたつもりだったが、ナナは元よりどんな理由であれ、俺がどう言ったとして全員をここへ集めたいようだった。
ミーシーだけが引きこもっていることに気を利かせてのことかも知れない。ナナがとととと走り去ってしばらくするとミーシーの相槌を引き連れてナナの声が戻ってくる。
「ハジメお姉ちゃんが触ってって言ってたから健介お兄ちゃんが触ったけど、でも触り方が良くなかった」
「…………」
「おっぱいを触って、それでねえ触り方も良くなかった。ハジメお姉ちゃんはねえ、股を……、の方を触られたら良かった。ナナはお掃除をしてたのにね。健介お兄ちゃんがそういうのでお掃除は途中になってる」
「嘘つくな、ナナ。お前が掃除を中断してハジメをまさぐる誘惑に負けたんだ」
「ナナは勘違いすることはあるけど、嘘はね、つかない」
「そうはっきり言われるとそうなのかな……。まあ言い方というか聞き方次第だと思うが俺も掃除はしてたんだ」
「まあ概略は分かったわ。要するに胸の発達具合をハジメと比べたいとか、どうすれば上手に触れるか知りたいわけでしょう。腕挙げて前側の脇掴むと厚みは分かるわ。そこをぐりぐり親指で押すのよ。その内お互い恥ずかしくなってエロイ雰囲気になるわ」
「あんたもアンミほどじゃないけど、胸おっきいって自慢してくんじゃん。でもこいつなんて胸ぴくできんのよ?どうなの?あんたできる?」
「できないわ。私のは胸ぴくする用じゃなくて、妊娠できるかどうかを男の子に見分けさせるためについてるふわふわの飾りなのよ」
「……はあ?んなことで見分けたりしてないでしょみんな。んなのあたしだってできるわ。別に胸なくても」
「できるというならやってみなさいよ」
「…………。やってって、ん?にん、は?……それは、……そのだって」
「ほら見なさい。できないでしょうが」
「いやや……、やっ、んなのやってみなきゃ分かんないじゃん、いやできるって普通に」
「じゃあやってみなさいよ」
「え、だって、それはその……」
「ほら見なさい。できないでしょうが」
すまんなハジメ。俺は毅然とした態度でただ黙っていることにする。セクハラ問題に詳しい専門家でもきっとここでは介入を避けるだろう。そもそもハジメがそういう話をさっさと切り上げれば良いだけのことだ。
「で、でも……、せ、生理とか来てるし?」
「また見栄を張って……。毎月痔なだけでしょう?ハジメは」
「毎月痔ってなによ……。来てんだって。んなことおおっぴらに言わないだけで」
「言ってる気がするけどなあ……」
「え、あっ、でもだって、あんただって種なし呼ばわりされたら反論するでしょ?出るわって」
「…………」
「……出ないの?……ごめん」
「あんまり俺は……、そういうのを注意すると今後会話に混ぜて貰えなくなるかも知れないから多分女子同士の会話ではこういうのも普通なんだろうなと気にしないようにするが、俺の方がお前らよりよっぽど乙女だから……」
「あたしも乙女なんだけど」
「ああ、たまには前後か、あるいは思い出エピソードでも構わんから証拠を提示してくれると嬉しいな。この流れで言われてもギャグにしか聞こえない」
「さあさあ、遊んでないでさっさと掃除を済ませてしまいなさい。まったく出るだの出ないだやるだのやらないだの朝っぱらから卑猥な話してないで掃除をさっさとしたら良いでしょう。アンミはそんなエッチな話はしない子だったわ。アンミに伝染ったらどうするのよ」
「お前と一緒にいて大丈夫なら大丈夫だろうな今後も」
「やーいやーい、皮肉られてやんのっ」
「『やーい』とか言う子、この子以外見たことないのよ」
「俺も見た記憶ないけど、多分小学校とかにいるんじゃないかな。まあ、……そんなことは置いといて、掃除をな。掃除をしていたろ、ナナ?」
「掃除をしてた。ナナは……、それと、何を出ない?のか考えてた。ハジメお姉ちゃんは何を聞いてた?」
「なんだろうな。俺には分からんがナナもそんなこと気にしなくて良いぞ。さあ掃除をしよう」
ミーシーはナナの肩を掴んでくるりと後ろに回し、続けてソファとハジメの背の間に右足をぐりぐり差し込んでハジメを押し出した。
「健介、ここも後で拭いておきなさい。というか今ならハジメのお尻の匂いとか温度とかが残ってるわ。硬さも多分こんなもんでしょう?今これがハジメのお尻みたいなもんでしょう」
一応掃除の監督をしてくれているらしい。障害物だったハジメを退けて、俺が見落としていたソファも掃除対象に含めろと座面をパシンと手のひらで叩いた。まあただ、掃除自体をするつもりはないらしい。
「あたしのケツに見立てたもん叩かないでくれる?あたしさあ、ちょっと鈍感なとこあるんだけど、今結構鋭い洞察しても良い?」
「何だ?どうぞ。鈍感なところがあるのか、へえ。お前は割と事実をねじ伏せる直感行動型の人間だと思ってたな。鈍感というのは分類するに、おっとりほんわかしておおらかなものだ。厳しめの監督官が増えたから俺は掃除をしようと思ってるんだ。鋭く察したか?忙しいぞ俺は」
「良いじゃんやりながら聞けば。勘違い……、ってこともまああるでしょうよ。そりゃ、何。人間だしさ。ねえでもそういう時は、ほらちゃんと確認した方がお互い良いわけよ。お互い、お互いのためにさ」
「ああ、そうだな」
「……あ。あの、もしかしてさあ、あ、あたしのことせ……、性的な目で見てたりすんの?気のせいなら良いんだけど、そのお、だって胸触るし、あとほら、出る出ないの恥ずかしがってたりすんじゃない?あたしもなんかちょっとその、なんてんだろ。そりゃ確かにホントにそういう相手とかに聞かれたら恥ずかしいってか。う、上手く言えないんだけど」
「…………そうかもな」
「ええぇ?なんだもう、ちょっと、そういうこと?えっとじゃあさあ、あっ、あたしのどこがアレなわけ?」
「どこがアレなんだろうな。割と……、全体的にアレなんじゃないかな」
「いや、具体的に、ほら、なんかしらはあるじゃん、さすがに」
どこに惹かれるのか、とかそういう意図で聞いているんだろう。
「なんかしらはあるだろうが、俺があれが良いこれが良いと言う瞬間にミーシーが掃除機止めるだろうから掃除終わってからにしような、そういう話は」
「じゃあ私は掃除が終わった後ナナとアンミとジェイソンごっこするわ。誰が一番掃除機でチェーンソーっぽい音を出せるか競うのよ」
「なあんで邪魔すんのよっ」
「邪魔してないでしょう。どうせなら大きな声で言って貰った方がハジメも嬉しいと思っての心遣いでしょう。さあ任せなさい。良いタイミングでコンセントを引き抜く準備はできてるのよ」
「ナナの掃除を邪魔するのはやめてくれないか……。笑顔が素敵だ、ハジメ。元気一杯で思いやりがあって面倒見が良くて、率先して馬鹿やってくれる愛されるキャラクターだ。お前がいるだけで活気がある。そしてたまに心配になるような謙虚さというか弱気な、人間らしさがある。お前はいろんな人から助けて貰える素質があるだろう。良かったな、良いとこばっかりだ」
「だってさ。なにあんた予知っ子の癖に掃除機止めるタイミング失敗してんのよ。掃除機途中で首傾げてるみたいな唸り声上げてんじゃんもうっ。わあいやったやった。あたしそんな良いとこあんだってさ」
「そのツッコミのセンスも良いな。切り替えの速さもさすがだな」
ミーシーが失敗したのかは定かじゃないが、掃除機は確かに『ウウゥゥーン……?』と唸り声を上げて掃除をやめてしまった。
ナナとアンミは呆然としてミーシーと俺を交互に見て首を傾げている。ハジメは誉められれば基本的になんでもどういう状況でもいいのか嬉しそうに喜んでいた。
「ごめんなさいね、ナナ。でもハジメはなんか喜んでいるでしょう?ハジメを喜ばせたくてやったことなのよ。叱るならハジメを叱ってちょうだい」
「そうなの?ナナそれなら仕方ないと思ってる。ハジメお姉ちゃんが喜ぶならナナでも止める」
「良い子ね、ナナ。じゃあ掃除の続きをしましょう。あともう少しよ。それが終わったらジェイソンごっこをしましょう。掃除機の音がチェーンソーに似てるのよ」
「えっ、ホントに?ジェイソンって何?それをミーシーお姉ちゃんとやる?ちぇーんそーって何?」
「チェーンソーは木とかを切るための道具よ。それを使って襲ってくるのがジェイソンよ」
「じゃあナナ頑張って早くお掃除終わらせないと。ミーシーお姉ちゃんちゃんと待っててね」
ジェイソンごっこが果たして楽しいものかどうかはさておいて、ミーシーがナナに声を掛けて構ってやる構図も微笑ましい。
それが珍しいことなのかナナは随分と……、聞いたこともないジェイソンごっこのために張り切って掃除を再開した。
アンミもそれに混ざるつもりらしく、ジェイソンの詳細をミーシーに尋ねている。じゃあ朝の予定はジェイソンごっことして、陽太は昼から来て貰うことにしよう。
掃除を終えてから、陽太へ電話した。
「もしもし?」
「もしもし陽太?今日、昼過ぎとかなんか予定あったりするか?」
「あるといえばあるのだが?最近は寝る間を惜しんで忙しかったりするのだが、まあまず健介の話を聞いてやっても良いぞ?」
「忙しいとは……。店のことでか?そっちの話も一応聞きたいな。仮に店のことなら俺も協力すべきだろうし」
「…………。店のことも、まあ、関係なくはない、と、も、いえるかも知れないな」
「なんだ歯切れが悪い。隠し事か俺には」
「健介には秘密だな。で?健介は何の用なのだ?」
開店イベントの準備か何かだろうか。それを俺に隠すということは、俺からの反対の声を予期してのことだろうが、まあ悪気もなく熱中してるのなら、陽太からの発表まで、水を差すのは差し控えよう。
「秘密にしてて悪びれないんだな。なあまた急で悪いんだが、今日俺の家に遊びに来れないか?スイラさんが……、な、ちょっと出掛けることになって一緒に祝賀会やった女の子がいるだろう?覚えてるか?今家に全員いて、お前が遊び相手になってくれると嬉しい」
「お、楽しそうだな。峰岸には連絡したのか?誘ってないなら俺から誘うのだが」
当然のように陽太は、『ミナコ』の話を持ち出した。祝賀会で面識のある人間の集まりではあるから、別に今回ミナコは関係ないだろうと、言おうとは思ったが、……だが、よく考えてみれば俺が『不自然に、ミナコを誘っていない』んだろうか。
普段であれば、打診くらいはしてみたかも知れない。陽太も自然に確認しただけだろう。ミナコを誘った後に電話を受けたのか、それともこれから誘うつもりなのかと。
イエスかノーかの簡単な質問だったのに、俺はここで少し答えに詰まった。
「あ、ああ……。そうだな。いや、誘ってない。誘ってないし、もしかすると俺とはちょっと険悪な感じかも知れない。なんというか、色々、いや、色々ってこともないのか。ちょっと悪いことしてな。一応今日会う約束はしてるんだが」
「ん……?じゃあまあ、どうなのだ?一応俺から誘ってみて良いのか?なんかあっても全然ケロっと忘れてそうなものなのだがな」
「悪い……。一回誘ってみてくれ。俺のせいで行きたくないと言うかも知れんが、かといって誘わないのも嫌な感じだしな」
「じゃあ電話しておくのだ」
「すまん頼んだ。昼からで良いか?お前の予定に合わせる。みんなでできるカードかボードゲームなんか持ってきてくれると助かる」
「昼からな。おーけー、じゃあ切るぞ」
ミナコが、全部ケロっと、忘れた振る舞いをしてくれることを、俺も期待している。だけどあいつは忘れることなんてないだろう。忘れたように振る舞ってくれるだけだ。
俺とでなく陽太となら話をしてくれるかも知れない。俺への不満を語って、陽太はそれをなだめてくれるかも知れない。俺を仕方のない奴だと馬鹿にして笑って、気持ちが晴れるかも知れない。
……ただ、俺が思い出すあの声の冷たさが、そんな淡い期待を、簡単に不安で塗りつぶしていく。俺はどうしても胸のつかえを取り去ることができない。
電話を切った途端に、肺に取り込まれる空気の重さが増した。




