十話⑧
ミーシーがアンミを誉めてる、わけだが、アンミにこれといった特別な反応はなく、ただ微笑んだまま食器を洗い続けていた。
俺は結局アンミが食器を洗い終えて洗濯機を稼働させるまで何をするでもなく、何を呟くでもなくアンミの周りの空間を眺めていた。ぼうっと、ぼうっとしていれば時間はどんどんと過ぎていく。
ミーシーは茶のおかわりを要求し、それをちびちびちゅうちゅうとすすって食後の一時を過ごすことに決めたようだった。
ナナはアンミに話し掛け、洗い終えた食器の水気を拭う手伝いをして、しばらくすると暇を持て余すように洗濯機の前へ行ったり来たりを繰り返す。
ハジメは一人で居間へと歩いていき、どうやらテレビを点けてソファに腰掛けたようだった。
多分、三十分くらいの間、俺は何も考えずにぼうっと過ごしていた。洗濯機が音楽を鳴らすまで、俺は目を閉じていて良いのかも知れん。
目を閉じて……、目を閉じて時間が進んでいくのを俺がじっと待っていれば、何かが勝手に始まって勝手に終わるのかも知れん。
ああでも、そういえば俺は、日記を書こうとしてたはずだし、ミナコの機嫌の波を見極めて、今日会う前にもう一度だけ電話をしておきたい。
洗濯物を干したら、そうだな。陽太を家に呼んでも良い。
ミナコのことを聞いても良いし、何かゲームを持ってきて貰えたら助かる。そしたらだって、ほら、ナナは新しい遊びを楽しめるだろう。ハジメは新しい遊びに挑戦できるし、アンミも眠気に負けたことが心残りだった可能性が一応なくはない。
俺には日記に書くためのイベントが必要だし、ミナコに会う前に、なんていうのか……、コンディションをな、整えなくちゃならない。気負いもなくミナコと会うために。
まずはハジメに今日の過ごし方を提案してアンミとナナに承認を貰おうか。ミーシーから許可が出たら陽太に電話をして適当なゲーム盤でもカードでも持って俺の家に来てくれとお願いをする。
この順番ならすんなり話が通るだろう。陽太は遅刻こそすれ出無精というわけではない。人数を揃えてやれば俺の家の方が都合が良いことは分かってくれるだろうし、アンミとミーシーに一昨日の義理を感じてくれるかも知れない。
純粋にハジメやナナと遊びたがるかも知れない。そうでなくとも、まあ、陽太は俺が困ってれば助けてくれる。
俺はとりあえず、第一意見人に選択したハジメのもとを訪ねた。
「なんかあんたふらふらしてない?早起きつらい人?」
「まあ、つらい……?早起きはつらい人だが、そうか?全然自覚なかった。ふらふらしてるか?」
「?してるように見えたんだけど」
「?その……、動作がだよな?歩き方とかそういう」
「あん?歩き方が、うん。ん、もしかするとあと表情とかもまあそうかも知んないけど。えーとねえ、それ詳しく説明いる?」
「説明は大丈夫だけどな。全然自覚なかったから……。いや、言われてみればまあしゃきっとは歩いてない。あの、今日家にお客さん呼ぶと言ったら迷惑か?陽太なんだが」
「……。えっとぉ、ああうん、いいわよ別に。あの……、別に。ええと、さあ、何時から何時に?何しにくんの?」
「時間は特に考えてなかったんだが、午前でも午後でも。あいつ次第のところもあるが、念のため聞いてとくとお前らは予定あったりするのか?」
「な、何しにくんのかなあ、ってのがさあ、……あ、あんじゃん」
「?何しに?そうだな……。漠然とした、遊びに?きて貰うつもりなんだが。お前からなんかしら要望があるなら提案してくれても良いぞ」
「…………ん、んぅ。あったしがさあ、確認したいのはさあ。ちょっとあんたの話で定かじゃないのはさあ。あたしはそん時、いた方が良いのいない方が良いの、どっちっていう。あたしが山で迷子になった話あんた聞いてたわけでしょ?ここ来る時もスイラおじさん見失って困ってたの見てるわけじゃん。で、この辺田んぼしかないのに、お客さん来るから外出てろってのは、あたしの勘では……、なんての?もう少しこう、悪いなあみたいな。別に悪くないけど、そういう感じで言う気がすんのよ。朝とか外寒いし」
「…………。まずそんな大層な人払いする客じゃないからな、陽太は。俺があいつと話したければ単に電話するから。仮に荷物を受け取りたい場合でも俺が陽太の家に行くか店で受け取って持ち帰れば良い。陽太はアパート暮らしで部屋も散らかってるし大人数で何かする場所には向かない。お前らは陽太とな、仲良くやれてたと俺は思ってるし……、いや、俺は?」
「じゃあその、あたしを遊びに誘ってくれてるわけ?」
「ああ。そう。……そうだ。なあ、俺はもしかして、言ってなかったのかな?お前に」
「何を?」
「何を、いや……。おかしなことを聞くかも知れない俺は……、お前に、『友達になってくれ』と、言ってないんだな、多分」
「まあ?言ってないけど。ん、んふふ、ああそういうこと?友達なら遊びに誘ってることぐらい分かれってこと?んー、じゃなりましょ。別になってもあたしの物分かり良くなったりしないけど」
「友達になってくれと、わざわざ言うもんかな、普通?」
「さあ?あんま言わないんじゃない?まあでもほら、言っといた方が良いのかも知んない。あたしとかミーシーにそんなん言ってないからさ、いきなりあっちから友達じゃないみたいなこと言われたら言い返せないでしょ。さすがになろうって言ってうんって返事してたら言ったでしょって話にはなるじゃん。てえか、なんか機嫌損ねて友達じゃなくなるのとかなら良いんだけど、なんてんだろ、ずっとこっちが友達だと思ってたのにそうじゃなかったとかだったら、もう声掛けらんないしさ。そういうのの保険で言っといたら良いのかも知んない」
「ああ、そういう、言ってたら、お互いそう認めてたら、安心かも知れないな。少なくともいつの時点から友達だったかは分かる。今、俺とお前はもう友達、だもんな」
「そおそ。まあ、うん。ところで何?友達になるとなんかあんの?なんかしないとおかしいとか」
「…………。ないと思う。いや、人それぞれだと思う。普通友達確認もしないと思う。お互い大体分かってるもんなはずだから」
「ふぅん。でもなろうって言われて嫌な感じとか全然しない。あたしもアンミと友達になろって言ってこよっかな。ミーシーとナナにも。ナナとかは絶対ねえ、『もう友達だよ』とかって言うのよ。ミーシーにも『うん』て言わせといたらもうちょっと素直にねえ、友達みたいなことできるわきっと。で、なんかお願いする時とか『友達でしょ?』って言うわけ」
「友達でしょって言うのは、友達になろうって言ってからじゃないと安心して聞けないか?普段友達っぽくしてきてたとしても」
「んなこたないと思うけど。いや、あんのかな。あんたの場合とかならあんのかも。悪い意味じゃなくて単に付き合い短いからまあ。気、使って合わせてくれてるとか遠慮して言わないこととかもあんでしょ?あんた友達以前に良い人だから、なんか誰でも遊びとか誘いそうだわ。変な奴でもさ」
「気遣ってるかもな。気遣われてると思ってるから。でも遠慮してはない。お前はどうなんだろう。気を使ったり遠慮したりなんてあるか?」
「分かんない。あんま考えたことなかったし、あんたの基準とかも多分あたしと違うでしょ。あんた例えば……、亀助けたとすんじゃん。で、のろまな亀助けたぐらいで龍宮城招待されたとすんじゃん。いやあそこまで期待してないしやり過ぎじゃない?って思ったりするわけ。あたしとか亀すら助けてないしさ。亀助けてないのに龍宮城招待されたら、なんで?って思うじゃん。そゆこと」
「亀はきっとお前のことが気に入ったんだろう。一緒に遊べば楽しそうだから誘ってる。俺がのろまな亀だとしたらな」
「て……、照れんじゃんやめてよ。あたしとか誘っても楽しくないんだけど」
「良かったら俺がのろまな亀として比喩表現されてるところもフォローしないか、一応」
「うん。あんたもさ、のろまな亀はちょっと自己評価低いんじゃない?」
「……低いな、多分な。……ちょっとというか大分な。で、陽太が遊びにきたら参加してくれるってことで良いか?」
「おっけー。誘ってくれてあんがと」
変に、ハジメのというより、魔法使いの特性なんだろうが、そういった背景を知ってしまったせいで、むしろ自己評価が低いのはハジメの方のように思われる。
じっと顔を眺めてみて、……表情の豊かさからは想像し難いが顔の筋肉が薄いのか凹凸のない頭蓋骨にぴったり皮膚を張り付けたような綺麗な丸顔をしている。
首の細さが顎のラインをシャープに際立たせている。細マジックで書いたかのような半目でも分かるパッチリ二重だし、唇は短い吊り橋のように自然な曲線で微笑みの印象を与える。
体つきは豊満でもなければモデル体型というわけでもないが、女の子にしては長身だろうし、金髪ツインテールでさえ小顔に見えるくらいの程よい肩幅はある。
明るくて元気で思いやりがあって、ちょっと抜けてるというのは、……モテそうなものだ。本来なら連日きらびやかな龍宮城パーティーに呼ばれていてもおかしくはない女の子が民家のお遊戯会を嬉しそうに快諾するのは、……不遇に見えなくもない。
そんな感想を抱いている間、まったく目を逸らさず、適当な話題を挙げて誤魔化そうとかしない物怖じなさも魅力の一つだと思う。
しばらくの間静止していたハジメはぴくんと右腕を一瞬持ち上げ、少し躊躇うようにしながら俺の目の前で手のひらを振った。
「……?」
「考え事をしてたんだ」
「考え事してたんだ。何してんのかと思ってたわ。あたしいつでも暇だからまたいる時呼んで。まだなんかある?」
「とりあえずはそれだけだな。こっちこそありがとな」
ハジメが大丈夫なら多分他も問題ないだろう。続けて三人の了解を貰って陽太に電話を掛けよう。ハジメと話していたのは多分十分くらいだったと思うが、まだ洗濯機は稼働を続けているらしい。
そしてミーシーはいまだに茶をすすっている。じゃあ、とりあえずミーシーからでも良いか。
「ミーシー、今日陽太を家に呼んで良いか?遊びに誘おうと思ってるんだが」
「どうぞ。一応知らない人を呼ぼうと思ってる時はみんなに聞いてくれた方が助かるわ。まあでも、あとは大抵、あなたがどうしたいと思うことにいちゃもんつけたりしないのよ、私は。買い物とか遊園地とか嫌がったり、あなたと遊びたがらなかった理由もいずれ分かると思うわ。今回はみんな喜ぶでしょう。私も反対しないわ」
「なら良かった。ちなみにその遊びに付き合ってくれたりはするか?」
「ほどほどにはそうするわ」
反対する気はないようだが、ハジメとの対比でそう感じるだけなのか気が抜けている。無理強いするものでもないし、本人のほどほど具合に任せておこうか。「じゃあ頼んだ」とだけ声を掛けて、次は洗濯機を待つ二人の元へと進んだ。
「先に俺が回しておけば良かったな。あとどれくらいで終わりそうだ?」
「あと、……百回くらい?ナナが百回数えるくらいには終わる」
「百回転ってことか?そんなもんかもな?」
ナナが元気良く洗濯槽の回転に合わせてゆっくり数を数えている間、俺は洗濯機のパネルに表示された残り時間をナナの一カウントに掛かる秒数で割り算してみる。
百、という区切りの良さから考えて、さすがに単なる偶然か途中ナナによるカウント調整が入ったかだと思うが、終了予定時間とほぼ一致している。
「偶然か?ほんとに百で終わりそうだな」
「さんじゅぅ、健介お兄ちゃんはなんで分かるの?」
「え、計算したからかな。脱水の残り時間が出てるから」
「じゃあ後どれくらい?」
「三分ちょっとだな。カゴの準備をし始めても良いかも知れん」
「じゃあ、カゴ、ナナが持ってて良い?」と、ナナは途中でカウントをやめてしまった。ほぼぴったりの予定だったことを考えるとなんか勿体ないが、割とそんなことはどうでもよくさすがのナナもちょっと待ちくたびれていたようだ。
手持ち無沙汰でカウントしたりしてみただけで、実際それが正解かどうかは特に重要視していない。今度はカゴの持ち手をぱかぱか開いたり頭に被ってみたり、ナナなりの暇つぶしが始まる。
「アンミお姉ちゃんはあとどれくらいで終わると思う?」と、さっき同じ質問をアンミに投げ掛けてアンミは「もうちょっとじゃないかな」と答える。
普通に過ごして普通に話をしていればもう少し時間が過ぎるのも早かったろうに、同じ動作を延々繰り返すだけの洗濯機を眺めながらでは会話も盛り上がらない。
ナナが一体何度この質問をしたかは定かじゃないが、とりあえず俺もアンミに被せるように「もうちょっとだ」と言っておいた。事実そうこうしていると洗濯終了の音が鳴った。
「ナナがこれを開けたり閉じたりしてるののね、開いてる時に入れる遊びする?」
「うん。やろっか」
やるのか。アンミの忍耐強さは底が知れんな。普段てきぱきやってたら多少なり焦りも生まれそうなものなのに、全然その気配がない。
にこやかに微笑んで洗濯機を開けて衣服を一つずつ取り出し、ナナが持ち手を開けたタイミングでカゴへ投げ込んでいく。ただし、ナナもナナで別に本気のゲームをしたり意地悪をするつもりではないらしい。
アンミがカゴへ入れようとするタイミングに合わせて持ち手を開けて、そうでない時に持ち手を閉じている。ナナの「よいしょ」の掛け声も相まって餅つきのような共同作業感が出来上がっていた。
洗濯機からカゴへ移し終わった後、ナナは満足そうに何度かぱかぱかと持ち手を動かして、それを持ち上げる。




