九話㉜
「アンミは風呂はまだ入ってないんだよな?」
「うん?ちょっとしたら入る予定」
「?今誰か入ってったんじゃないの?てか、あんたももう入ったでしょ?」
「ああ。ミーシーが今風呂に入ってる。そうだな?俺ももう入った。で、アンミも風呂に入ってからで良いんだが、またトランプしないか?」
「あ、そゆこと?じゃ、あたしもそれ参加していい?」
「……もちろんハジメもナナも誘うつもりで来た。ミーシーも参加してくれる」
「そうなんだ。じゃあ、お風呂私も入ろうかな。ミーシーと」
「いや、全然急がなくて良い。待ってる間はナナの日記を見せて貰うつもりだったし、なんだったら、人数少なくても始めてられる。あと、さっきちょっと……、怒らせたかも知れん。ミーシーを、俺が」
「健介、ミーシーが機嫌悪いの分かるの?」
「一応はな。とばっちりを受けたら俺のせいだと思ってくれ。すまん、先に謝っておく。で、まあそうすると一緒にお風呂に入るのは、それを考慮して決めてくれ」
「じゃあやめとく。後で入ることにする」
ミーシーがゆっくり一人で疲れを癒せるよう配慮してなのか、機嫌が悪いとされているミーシーに近づかない方が賢明だと判断してなのか、割とアンミのお風呂スケジュール変更は即断だった。
笑顔で言う以上そこまで深刻に捉えてはいないだろうし、ネガティブな決定でもないとは思うが、どんな根拠にせよそれが正解ではあるらしい。
「てかあ、別にあんたのせいでもないんじゃないの?昼ぐらいからあんま機嫌良さそうじゃなかったんだけど。あんたが寝てて何もしてなくても」
「助かるフォローだ。誰でも機嫌良かったり悪かったりもするからな。別に激怒してるとかではない。そこまで怒らせてたらさすがにトランプに誘えてないし。まあなんだかんだ遊びに付き合ってくれる」
「健介お兄ちゃんは寝過ぎて寝れない?トランプはナナもやりたいなあ。日記を先に見てる?」
「今日はナナが寝るまでトランプをしよう。この時のために寝ていたとすれば少しは道理も整うはずだ。もちろんアンミとハジメは眠くなったら寝てくれて構わない。ということで、先に日記を見せて欲しいな。ナナが寝た後だとこそこそ見てるみたいになってしまうだろう?」
「ナナもねー、でもねえ、全然眠くないよ?健介お兄ちゃんよりも全然眠くない」
「そうか。じゃあ、まあどっちが起きてられるか勝負するか?たまの一日くらいは夜更かししても問題ないだろう。今日から明日に掛けてだけは、俺が許可したということにしよう」
「ふうん。じゃっ、あたしとも勝負しましょ。寝たら……、寝たらねえ、どうしよっか。いや、よく考えたら別になんかして欲しいこととかないからまあ、勝ったとかそういう雰囲気だけで良いわ」
「無欲だな……。ただ別にハジメと無意味に勝負するつもりはあんまりなくて……」
「えっ!なんでよ、ん?」
ナナとハジメの間に入り、ナナに背を向けてハジメに対してはちょこちょこと小さく指を丸めて見せた。続いて振り返る。
「とりあえず日記を参考にさせてくれ、ナナ。今日の分はもう書き終わったのか?」
「?今日は?迷ってる。ナナの日記は明日と今日と分けてない時もあるから、トランプするのは明日の方になるかも知れない」
「まあ、明日で良いだろう。そういえば日記を楽しくするアドバイスというのも教えてくれ。俺も書くから。あと、トランプも用意してくれるか?」
ナナを先頭に立たせ、後ろから仏間の戸を開けてやり、俺はその場へ立ち止まる。ナナが奥へ進んだのを確認してハジメの横で小声で今回の経緯について軽く説明をした。
「ナナからの誘いを断って寝てたことへの償い的なイベントだ。そういう意味でお前と不眠耐久勝負する意味がない。ナナが寝たら寝てくれて良いし、俺も寝るかも分からん。もし別で用があるならそれは起きてて聞こう。だが、勝負をする意味はあんまりない」
「なあんだ、仲間外れにされたのかと思ったわ」
「そういう誤解もありそうだから一応説明したが、ナナに遠慮されても意味がない。ああ、まあ、なんだ。勝負したいなら勝負するか?俺が眠くないのは間違いないからな。ただ、大の大人が本気で不眠勝負すると二十時間くらいは続く。当然翌日体調を崩す。俺は平和を望む男だしお前に無理もさせたくない。ただ、そうするとお前との勝負に本気で向き合っていないと受け取られるかも分からん」
「……。ぇ、ぃゃいや、そそ、そんなそのお、あ、あったしも、別にあんたに無理させようとかそういうんじゃなくて、あんたがなんか勝負する気満々なのかなって思っただけで」
ハジメに納得して貰う間にナナが日記とトランプを用意してこちらへ戻ってくる。パラパラとページを捲って軽く内容を確認していた。
「良い日記帳だな。俺もそういうちゃんとしたやつを買ってれば少しは長続きしたのかも知れん」
「うん?これは良い日記帳?ナナはそういう良さは言われないと分かってなかった。ちゃんとしてない日記帳とかがある?」
「ポケットに入るくらいのちっちゃいやつとか、もっと薄くてページの少ないやつがあったりする。俺が使ってたのは日記というよりスケジュール帳みたいなのだったから、イベントがたくさんあると次の日にはみ出さないと書き切れないという残念なことが起こったりした。まあ今どき、紙に書かなくても色々残せるから単に俺が面倒くさがっただけではあるんだけどな」
「へえー、ナナはでもそういうのにも憧れる。書き切れないくらいに一杯あるのを困るのが夢。……?ハジメお姉ちゃんは?今何か困ってる?」
「困ってない困ってない。こいつがなんかチャラいこと言うの。あたしは全然気にしてないけど」
「チャラいことなんて言ってないだろう。デマを流すな」
「どうかなあ。良いなあ、起きてられるの。気づいたら座ってても寝てる時があるから、ハジメみたいに夜起きてられないかも」
「アンミは早起きしてるからな。眠くなるまでで良いんだ。なんだったらいつも寝る時間までで良い。……ん、となるとミーシーはどうなんだろうな。よく考えると寝てるとこすら想像できんな。ハジメも実際見てなければ想像しづらかったが、普通に夜は寝るよな」
「ミーシーも寝ようと思わなかったら寝なくて大丈夫なタイプでしょ、あたしとおんなじで。……ん?見てな、けって、いつ見てんのよあたしが寝てんの、やめてよ怖いわ」
「……いつってお前、ソファで寝てたろう。店でも寝る寸前だったろう」
「え、嘘……。あれ、あたしがおかしい?いや普段そんなことないのよ。普段そんな変な想像してたりしないんだって。たまたま、その、今回誤解してあんたが見にきてんのかと思って。これアレだから。たまに偶然勘違いするアレだから」
「そうなのか。俺は割と頻繁に誤解を受けてる印象なんだが、偶然なら仕方ないな。俺に怪しい挙動があったら確認してくれ。もしかすると弁明する余地があるかも知れない」
「は……、うん、まあ、そうするわ」
しゅんと落ち込んで反省する素振りも実にそれらしかった。思い返せば初対面から今に至るまで結構な頻度で誤解を受けている。何かしら、俺側に先入観を与える原因があるんだろうか。思い当たる節もない。
一応、「そんな反省することないぞ、怒るようなポイントじゃない」とだけ伝えると、ハジメは「あたし寝てるつもりなかったのよ、ソファに座ってた時とか」と返した。
見た目完全に寝てたが、ハジメの中であれば寝てる分類に入れないのなら、まあ……、どこで見たんだという疑問にはなるのかも知れん。完全に寝てたが。ハジメもその言い訳の厳しさに気づいてか、まさに今日俺が寝ているところに突入してきたことを思い出してか、気まずそうに顔を逸らしていた。
「ならまあそういう誤解にもなるだろうな。さて、ナナ。読んで良いか?」
俺が聞くとナナは「うん、どうぞ」とこちらへ日記帳を開いたまま手渡し、そこが記入済みの最後のページであることを説明してくれた。
大体四分の一かそこらで、二行を使うナナの文字の大きさから考えると、……どうだろうな。さすがに文字を不自由なく書けるようになってそう何年も経っていないだろうから、一年かそこらでこの量なのか。
書いてない日もあるということだったが、一日辺りの文量が多いからかそれなりの量にはなる。
「読み方は分かる?ナナの日記はちょっと読みづらいところがある」
「ん?字も丁寧だし、大きいし、読みづらくはないぞ?」
平仮名主体だが、文章はですます調のいかにも日記のノリで綴られている。当然文章は平易なもので、大抵が『~でした。』『~思いました』で締め括られていた。
口語表記の間違いを消しゴムで消して書き直しているところから察するにハジメかおっさんかが監修しているということだろう。あからさまに間違っている場所はぱっと見た段階では見つけられない。格助詞が連続して美しくないなんて意識を持っているとしたらさすがに天才児だと思うが。
「ナナはね、明日のやりたいことを書いて、本当にあったことをその時に書いてる。先に書いてる方はナナがやりたいって思ったことだから本当には起こってない」
「そういうことか。ああ、まだそこまで読んでなかった。それがナナの言ってた日記を楽しくする方法か?良いな、確かに。そうすると予定帳の代わりにもなるし、目標達成の手助けにもなる。反省材料にもなるし、実際つまらない日があったとしても少なくとも半分は夢一杯の日記になる。想像力と目的意識と遂行力と観察眼を育む、そういう日記なわけだな」
「ナナそういうのはよく分からないけど、書いておくとワクワクして楽しくなってる。本当にそういうことが起こった気になる。あと、本当に起こったことがある」
「おっさんとかがそういうふうに書くように言ったのか?」
「あっ、そうそう。出掛けるってさ。スイラおじさん。だからトランプはスイラおじさん抜きだわ、一応言っとくと」
「ああ……、そういえば、そういう、ことも言ってたな。明日戻ってくるという話だった。俺も一応聞いてる」
「スイラ先生じゃなくてね、ナナが思いついてそうしてる」
おっさんの外出は特に詮索されずに流せそうだ。ハジメもそんなに気にしていない様子だし、ナナが返事をしてくれたお蔭で不自然な間もできなかった。変に長引くと余計な言い訳をして墓穴を掘りかねない。
ナナの日記監修者がおっさんだろうと思った理由は、ナナがおっさんのことを先生と呼ぶから、というのもあるが、『未来のことを書いたらどうか』というのが、なんとも予知能力者っぽいアイデアだからだ。
ナナが読みづらいところがあると言った理由も流し読む内になんとなく理解できた。『~をしたい』とか、『~をする予定』という書き方をせず、『~をしています』とか、『~をしました』と現在進行中か完了後のような表現で明日が記されているし、『今日の目標』というようなタイトルを書き込んだりもしていない。
予備知識なしで読めば確かに混乱するかも知れない。ただ、目標と実際起こったこととで、明確にページを区切っているようだった。であるから、最初のページからは予定で、スペースの空いたページの次からが日記だということになる。
「真似させて貰おうかな」
その、目標設定と日記をセットにするアイデアそのものは確かに悪くないんだが……、多分この方法は継続するのに相当な努力が必要そうだ。
ナナみたいな几帳面とされる人物であってもそう毎日毎日明日のあるべき姿を明確にできたりはしない。そうなるとまあ、目標ページについては後から埋めることもあるんだろう。
実際に起こったこととぴったり合致してしまう日が何日か続いたりしている。あと、『せがのびました。』とか、努力でどうこうできない目標設定も時々見つかる。
じゃあ、最初に書き始めた時はどうだろうかと思った。一番最初のページを開いてみると形式は違うとはいえ、やはりそこにも同じように、目標設定が記されている。




