九話⑭
「おわ、……い、いるなら言えよ。びっくりするだろう?」
「いましたニャ。急に飛び出したわけじゃないニャし、こういう場合は気づかない方が悪いニャ」
「いや、そういうもんか?俺が洗面所に入った時に気さくに声を掛けてくれたりしないか?」
「静かにしてるだけで、健介気づかないのニャ」
「じゃなくてお前が俺を驚かそうと身動きもせず背景と同化していると、だろう」
「別に背景と同化しようと思ってるわけじゃないし、びっくりさせようと隠れてたわけでもないニャ。でも、どうせ私は存在感薄いニャし」
「まあ、存在感、は薄くないぞ。そうか、そうだった。ぼうっとしてるんだった。俺は今。お前のことに気づかんくらいに」
「……そんなに普段と変わらないように見えるニャけど、、ある程度しゃきっとしてられるようにしてくれると良いニャ」
「普段と……。変わるぞ?俺の本気を見たことのないお前には想像できんかも知れんが」
「そうかニャ?そうかニャ?いや、多分変わらないと思うニャ」
「変わらん、……か?普段からぼうっとしてるか?」
「例えば私が…………。他の猫と混ざってたら、健介はどれが私かすら分からないニャ。私がじっとしてると、いることにすら気づかないニャ」
俺がミーコの存在に気づかなかったことに対する皮肉のつもりなのか、……人でいうところのため息混じりの残念そうな口調でそんなことを言う。
もの悲しく、投げやりで、怒っても仕方ないことを愚痴るかのように、どうせ俺には猫の見分けもつかないだろうと挑発している。
「前にも言ったろう。柄が柄だから気づく。同じ柄の奴が百匹いたら少しばかり難易度は上がるがお前は喋るからまず絶対に分かる。そして。お前がただの猫だったとして……、まあ一切喋らず大して珍しくもない柄だったとして、それでも多分俺はお前に気づくだろう。あくまでなんとなくだが。そういえば、……逆にお前はどうだ?人の顔とか見分けつくのか?」
「健介は調子の良いこと言うニャ……。まあ、顔とか似てても『健介』と呼んで、返事するのが健介ニャ、多分」
「雑なこと言うなよ。悪かった。ぼうっとしてただけだ。あんまりそんなシチュエーションもないだろうが、お前が一心不乱に背景と同化してようが仮に同種の猫と混ざっていようがいざとなれば俺が本気を出して見つけてやる」
「私の、柄が変わっても見つけられるかニャ?健介に」
「さすがに柄が急に変わったりしないだろうが……、仮に脱色されてても見つけてやる。代わりと言ってはなんだが俺が金髪になってても気づいてくれ」
「生まれ変わって別の動物になっても見つけてくれるかニャ?」
少し、様子が変な気もする。俺の鈍さに呆れて嫌味を言いたくなる気持ちは分かるが、柄が変わったり生まれ変わったりなんてあり得ない想定で難題を出して俺を試す意図もないだろう。
まあ、『見つけられる』というのが正解なんだろうが……、その後『嘘つけ』とヒステリックにゴネられたらもうどうしようもない。
そしたら俺は……、そうだな。『それを信じられるように抱きしめてやる』とか、そんな感じのことを言おうか。猫心も難しいな。
「…………?どうかしたのか?ああ、見つけてやる。お前がお前だと言うなら、俺は多分見つけてやれる」
「はあ、まあ、無理だと思うニャけど、一応頑張ると良いニャ。勘違いして恥かかないように気をつけると良いニャ」
ヒステリックにゴネたりはしないか、ミーコは。だがこの流れはちょっと不安になる。重苦しいというほどでもないが、少なくともミーコの話ぶりははつらつとした感じではない。
「もしかして……、体調悪いのか?生まれ変わりなんて縁起の悪い話しないでくれ。今から病院行くか?ちょっと遠いが、猫専門の動物病院がある。言えよ……?もし、調子が悪いとかなら」
「ただのたとえ話ニャ。健介、そして多分ニャ?体は全然健康ニャけど、病院行かなくちゃならない時は私から言うニャけど、猫専門の病院に行ってもきっと精神科なんかないニャから、私が寂しかったり心細かったりする時、健介は私の側で寝てないとダメニャ。そういうところ気を使ってくれないとならないニャ」
…………昨日、下で寝たから怒ってるのか?さすがにそれはないと思うが、まあでも、ミーコの定位置が俺のベッドの下なら俺も自室のベッドで寝るのが良いのかも知れん。
俺への要望があるなら当然俺だって応えてやるべきだ。本当に心細かったり寂しかったりというのなら、俺には唐突に思えるが……、なんかそう思うに至る原因があるのかも知れん。
「なんか悩み事でもあったりするのか?ええと、そうだな。俺よりお前の方が問題解決力は優れているんだろうが、ほら、馬鹿でも相談くらいは乗れるぞ?……と、ハジメが言ってた。あいつは良いこと言うな。さあ、俺に相談してみろ」
「…………。何の不満もないのに、たまに少し気分が落ち込むとかそういうことニャから、特になんか相談とかはないニャ。悩みができたら相談するニャ」
「いや、……けどな。……ああ、お前は例えばほら、自分で悩んでいることに気づいてないだけで実は悩んでいるに違いない。さあ、相談しろ。俺は別に悩んでるに違いないとか言われても嫌な気にはならなかったが、もしかして鬱陶しいか?俺はお前を心配して相談事をせがんでいるわけだが」
「別に鬱陶しくはないニャけど、それもハジメかニャ?健介こそなんか悩んでるなら私聞くニャから。まあとにかく二階上がってお昼までゆっくり休むニャ」
「そうだな。あと……。今仮に、お前は一時的に悩んでいないかも知れないが、過去には何かしら悩んでいた可能性がある。どうだ、当たってるだろう?ならそれを相談しろ。話を聞いてやればきっとお前は心が楽になる。俺も……、悩みがないと言えば嘘になるが、今はお前が優先だ」
「まあ。猫は難しいこと考えて悩んだりしませんニャ」
「……普通の猫はな、そうかも分からん。上行くか。いつでも受け付け中だから、なんかあれば言ってくれ」
「結構なことニャ。悩みができた時のこと不安に思わなくて済むようになりましたニャ」
さて階段を上って自室へ戻り、俺はそのままベッドへ背中を預けて天井を見上げた。ミーコはどうやらベッドの下の定位置へ潜り込んだようだった。
さっきの会話ではミーコの何やら沈んだ気分を完全解決してやれたなんて自負は到底得られないわけで、俺はわざわざ蒸し返すようにしつこく同じことを言った。
「なあ、実際……。俺はお前を見つけてやれるかも知れない。他の猫と混ざって、柄が変わっていたとしても」
「私から言っといて何ニャけど、もうその話は分かったニャ。健介が困るかと思って聞いてみただけニャ」
「なんかそんな気がする。こうしてお前の姿が見えなくても、お前が近くにいることが分かる」
「さっき一緒に部屋に入ったからニャ」
まあ、ミーコの返事も素っ気ない。例えば俺の姿形が変わったとして、ミーコは俺のことを見つけてくれたりするだろうか。気づかなくて仕方ないと思うかも知れないし、気づかないなんて薄情なことは言わないでくれと泣くかも知れない。
見つけてくれそうな気はする。だが、普通に考えたら見つからない。見つからなくて当たり前の時、見つけてくれたらどんなに嬉しいか、そんな話なのかも知れない。
「お前がいる雰囲気が分かる」
「ちょっと前洗面所で気づかなかったのにニャ」
「声とか姿とか、表情や仕草じゃなく、お前のいるこの部屋の空気が分かる。心を澄ますと分かる」
きっと微かに空気から伝わるミーコの存在感が、俺の頭の中に出来上がっていたミーコちゃん受容体と結びついて、心身の安定剤として機能している。
俺は考え事をしていたはずなのに、どうしてかミーコと一緒にいると、呼吸と心拍は緩やかに落ち着いて、コレステロール値が下がり血液がさらさらになる。
周りの空気は有害物質が除去された上、実際より俺の至適温度に大体二度くらい近づく。吉凶のうねりは正常化され運気が上昇し、宝くじが当たりやすくなるし、彼女もできやすくなる。
……だから、ミーコがいることが分かる。俺には、その空気が分かる。
◆
ウトウトベッドで微睡んでいるつもりだったがギィバタンと部屋のドアが開いて閉じる音がした。階段上る足音に気づかなかったということは、どうやら知らん内に意識が飛んでいたようだ。
「健介お兄ちゃんもお昼寝してた?お昼御飯の準備もうちょっとでできるって」
「おお。寝てたな、多分。ナナもお昼寝じゃなかったのか?」
「ナナは?ナナはごろごろだけしてた。スイラ先生も途中からごろごろだけしてナナとお話してた」
「そうか。こうやって朝からゆっくり布団で温まるというのも良いな。割とみんな早起きだし、俺だけ早起きの体質じゃないし……。空気があったまるまでは、保温に努めるという、俺は今そういう健康法を試しているところだ、ナナ」
「健康になってる?」
「ああ、なってる……。今なってるところだ」
「じゃあ、アンミお姉ちゃんにどうやって説明する?なってる途中をナナは待ってたら良い?」
「ああ……、今、なった。大丈夫だ、起きられる。アンミが作ってくれた美味しいご飯がある。ご飯できたってことだよな?」
「そろそろできるからってアンミお姉ちゃんが言ってた。ナナはねー、ちょっと前に朝御飯食べたばっかりなのにもうお腹空いてる」
「そしたら、お昼御飯も一杯食べると良い。晩御飯までもまた時間があるからな。ミーシーは?」
「ミーシーお姉ちゃんはナナが出てきた時からずっと座ってご飯待ってた」
ご飯、作るのを見てたんだろうな。「じゃあハジメは?」と聞くとお風呂掃除を終えてテレビを見て、しばらくすると一旦仏間に戻ってきたが、その後庭先をうろうろ出歩いていたのが窓越しに見えた、とのことだった。
お昼寝する気にならなかったのか暇そうな動きをしていたらしい。ちょうど俺とナナが階段を下りきる頃におっさんもハジメも席に着き、アンミは最後の茶碗を机へと置いた。
ミーシーはずっと座っていたんだろうが、茶をカップに注いで一息ついて手のひらを合わせた。大体各々ミーシーに合わせて「いただきます」を口にして、食事を始める。
今回、サラダがおそらく、フランス料理の一品なんだろう。言い張れば何でもフレンチというわけじゃないが、まあ確かに、主張されなければ線引きが曖昧なところはある。
違いの分かる眼力などないし、ひけらかすような知識もない。俺などは粉チーズが掛かっていればヨーロッパチックな気分だとさえ思っている。カレーも……、もしかして粉チーズを掛けたらフランス風だったのかも知れんな。
「あたしフランスで思い出したんだけどさ。オムライスってフランスの料理?になんの?」
「ピュアな疑問だな。多分オムレツはフランス料理だ。ピラフは微妙だな。ぎりぎりヨーロッパだといえるかも知れん。混ざったのがオムライスだ。混ぜたのは日本らしい。そこは本当かどうかは知らんが」
「へぇー。フランス料理じゃないんだ。フランスっぽいのに」
「かといって、日本発祥だから日本料理だ、とはいいづらいどちらからも見放された不遇のポジションでしょう、オムライスは。どちらも心と文化を広く持つと良いわ。和食ではこれが一番美味いぜと外人にカリフォルニアロールを握ってやる寿司職人くらい温かさと懐の深さを持って料理に接しなさい。実際、本当に美味しくてまかり通ったのがオムライスでしょう。別にフランス料理でも良いのよ。フランス人も多分、嫌がりはしないわ」
「そういうことだな。日本育ちの外国人もどっちと聞かれたら困るもんだろう。フランス料理で良いぞ、別に。日本料理だと言われても特に否定はしない」
「ふぅーん、あたしアレだわ。フランス、的なものをね、見分ける能力?みたいなのあるわ多分。サラダがフランスなのよ。分かった?あんたら。これがフランス、あと普通」
「ん、ああ。……そうだな。すごいな、ハジメ」
「あ、いや待った。今のナシナシ。うわあ、何それ。あんたよく考えたら専門家じゃん。気づいてて言わなかったわけ?今気づいたのか、みたいな」
「でも、すごい。ハジメもしかしてね、フランスのが分かる?お菓子とかも見て貰えば良かったね」
「店長のお土産のか?あれはどう答えるのが正解なのか分からんけどな。俺は別に専門家じゃないぞ。まあまあ、お前が一番最初に自信満々に言ったわけだし、見分ける?何だ、能力があるな。そしてアンミもさすがだ。分かる奴にはぱっと分かるくらいフランスだそうだ」
「うん、よかった、ハジメありがと」
「どういたしまして。あたしの見る目信じた?なんだったらあたしになんか相談しても良いかんね。フランスっぽいの選んだげる」




