表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AM ‐ アンミとミーシー ‐  作者: きそくななつそ
180/289

九話⑨


「…………」


 ミーコはまだ帰ってきていない。部屋の鍵を掛けるべきなのかは、まだ正直迷っている。とりあえずはドアを背に立ったまま、ミナコへと発信してみた。


 だが、コール音が続くばかりで、誰も電話に出る様子がない。じゃあ仕方ないかと思って携帯を耳から離した。まあ陽太が相手ならもう少し粘ってもみるが、普段のミナコの電話の取り方を考えると、ワンコール目以降は消化試合みたいなものだろう。


 忙しいのかも知れない。外出中か、就寝中か、……こちらは時間を改めても良い。忘れないようにだけしていれば、大丈夫なはずだ。昨日の相談事がなんだったのか、留守電はどういう意図だったのか。


 相談を受けてる最中に寝てしまってごめんなと謝っておかなくてはならない。俺がどう力になれるのか改めて聞かなくてはならない。最近、調子はどうだ、バイトの件は気が変わったりしないか、今度いつ会えるのか、楽しみにしてる。もしもミナコに電話が繋がったら、俺はそのままベッドか椅子かへ移動しただろう。


「じゃあ……」


 結局、ドアの鍵を掛けた。で、念のため、ドアから離れて部屋の隅へ移動する。市倉絵里に、電話できる環境にはなった。頭の中で一度話すべきことを整理してみようかとも思ったが、悩んでいる時間もあまりないだろうし、相手がどう動くのか分からない時点で台本など作りようがない。


 まあとりあえずは、俺の記憶喪失について触れようとしなかった点をあげつらって信用度のパラメーターがまた下がったといちゃもんをつけよう。


 相手が怯んだら、俺にとって有利な条件を引き出す。あと、向こうからの連絡が一度もないところを見ると本当にいざという時役に立つのか少し不安にもなってくる。


 確か最初に、『要求されるまでこちらからは電話しない』とかそんなようなことを言われていたような気がしないでもない。『何かあれば電話して欲しい』と、一応俺からも伝えておくべきなのかも知れんな。


 まあ……、掛けて損することはないはずだ。なら掛けるべきなんだろう。


「もしもし?」


「ええ」


 二、三度コールが続いた後電話が繋がった。


「おはよう。聞きたいことがあって電話した。今時間大丈夫か?」


「おはよう、健介君。そうね、今日はアンミちゃんを探してるということにしてお散歩していれば良いだけだから、お仕事の時間の方がむしろ暇かも知れないわね」


「ああ。そうなのか。こっちは一応タイミングを見て電話しないとならないからな。なあ。まだそんなに長い期間てわけじゃないが、お前から電話を貰ったことがなかった。なんかあった時はちゃんとこっちに電話してくれるのか?」


「健介君がそうして欲しいなら。そうするけど。緊急で必要そうならもちろんこちらからも連絡しようとするでしょうし、あまりに健介君から連絡がないようなら他の手段がないかも考えるわ。私だって健介君がちゃんと電話をしてくれるのか不安に思ったりするのよ?電話してしてくれたらしてくれたで、声を聞くまでは安心できないけれどね」


 俺は、電話がないことを不安に思うし、電話が掛かってくれば何事かと身構えるだろう。ただ、一体、市倉絵里が何を不安に思うことがあるだろうか。


 想定外のイレギュラー連絡を不安がっているのかも知れないし、俺が反旗を翻す可能性を不安に思っている、ということかも知れない。本当に不安がっていたかどうかも疑わしく思うくらいに、声は平坦だった。


「ねえ、健介君。毎朝、毎晩、電話をしてくれて良いのよ?こちらの都合は気にしなくて良いし、別に聞きたいことがなくても電話をしてくれたら良い。健介君はどう?声を聞けたら安心しない?『ああ今日も、普段と変わらないんだな』と、それだけ分かれば想像したって分かりっこないことを考えなくて済むでしょう」


「だからな、ああ。一応俺の側はタイミングを見て電話をしてる。今は周りに誰もいないタイミングで電話しただけだ。緊急でもないし、聞きたいこともまとまってない。ただ、ちょっと聞いておいた方が良さそうなことは一つ見つけた」


「ええ。まあ。別に用がなくても。つまらない話題でも、声を聞いてホッとするためだけでも、電話くれて良いのよと、言っておきたかっただけ。意味のないお仕事をしている私の暇つぶしにもなるでしょう?何気ない会話をして、信用を積み上げることも大切でしょうし。どうぞ?健介君が聞きたいことは何?」


 できれば事前の予定の通り問い詰めるように話を進めたかったが、緊張感のある空気が作り出せない。


 まさか俺が雑談をするために電話しているなんて考えてるわけじゃないだろうに、とぼけた様子でそれらしく何気ない会話へ誘導しようとする。


 確かに声を聞けば緊急時かそうでないか、それくらいの判断は俺にだってできるだろう。それによっていくらか冷静さを保つこともできるだろう。


 だが、何もわざわざ緊急時を想定したライフラインで暇つぶしをしたいなどとは思わない。この命綱が安全かどうか、どう備えるべきか、俺はそうしたことを確認すべく連絡を取る。


 その理由ありきの打算的な行動を責められているようにも感じた。いや、自分自身、それを恥じるべきことのように感じた。


 もし、……市倉絵里が本当に俺との信頼関係や、下手をして友人関係を望んでいるとするなら。それがしっかりと明らかだったなら。用がなくても、つまらない話題であっても、何もこんなふうにこそこそせず堂々と、電話を掛けるべきだと決めただろう。


 果たして本当に、市倉絵里との何気ない会話は、俺の判断を誤らせることになるだろうか。そんな確証のない部分に市倉絵里が賭けたりするだろうか。


 そもそも人はこうも露骨に、嘘くさい演技を一貫して続けていられるものだろうか。


「なあ。お前は……、信用が欲しいと言った。嘘はつかないとも言った」


「言ったわ」


 ならその点に、矛盾撞着がないかを俺は暴く。矛は盾を突かなくてはならない。特にこの関係上、お互いが正直であるために。


「俺が記憶をなくしてることに、お前は気づいていたのか?」


「…………。そうね。ああ、最初に健介君と話した時からまあ、可能性は高いと思ってたわ。話していておかしなところもあったし、その割に二人のことをとぼけたり隠すわけでもなかったし。それにアンミちゃんがそういうことをできるというのも知っていたといえば知っていた。そういう聞き方をするということは、これは私が信用を損ねたということになるのかしら」


「俺はそう思ってる。俺に関わることだし、おそらくアンミの事情にも関係してるだろう。気づいていて伝えなかったなら、これはまたお前を疑う理由になり得る。これから先もお前は言わなかったは嘘じゃないと開き直って必要なことを伝えず事を運ぼうとするかも知れない」


 自分の発言がいちゃもんのように思えてくる。いたたまれない空気を自ら作り出して息苦しさで先にギブアップしてしまいそうになる。だが、思いの外市倉絵里の静かに落とした声の調子は反省しているように聞こえなくもなかった。


 ここで釘を刺しておくのは後々のために重要なことのはずだ。心を鬼にして多少理不尽なことを言うべきだろう。市倉絵里が気づいていなかった、あるいは確証がなかったと言えば『そんなはずはない』と返さなくてはならないし、嘘はつかないとしか約束していないと言えば『嘘と同類だ』と突きつけなくてはならない。


「言い訳をしたいわ。健介君。私、伝えない方が都合が良いこともある、と言っておいた。まず一つ、私が最初健介君に会った時に、『アンミちゃんがあなたの記憶を消した可能性がある』ということを話していたら、あなたはそのことでアンミちゃんやミーシーちゃんに不信感を持ったかも知れない。それに、健介君自身不自然な行動をして事情を詮索しようとしたかも知れない。下手をするとあなたが二人を追い出すということもあり得た。私は健介君がそうしないという確証がない限りこれを伝えるべきではないと考えた」


 ……一理ある。追い出していればそこで話が終わってしまう。市倉絵里がそれを危惧するのも当たり前といえば当たり前だ。


「二つ目、あなたが記憶を消されていたとしたら、その期間、誰かにとって都合が悪い出来事が含まれていた可能性は高い。仮に健介君が一人でその事実を探し出したとして、三人での暮らしに支障が出るリスクが少なからずある。誰があなたの記憶を不都合と感じたかはともかく実行したのがアンミちゃんである以上、あなたの失われた記憶はあなた自身を含めて三人を幸せにしてくれるようなものではなかった。それにミーシーちゃんが予知できる状況だったなら、客観的に見てある程度の、記憶を消す妥当性とその後の見通しはあったのだろうと思った」


 ……確かに。思いつきで消したわけじゃないだろうと思っている、だからこそ、俺はこの電話で、何故二人がその判断に至ったったのかを探るつもりでもあった。


 それを客観的に妥当だとか見通しが立っていたと言われてしまえば、そう表現することもできるのかも知れない。


 そして黒い女に拉致された後に記憶が消えているなどと知らされていたら、俺はやはり今と同じように、各方面に探りを入れようとはしただろう。それをここでの暮らしに支障が出るリスクだと評されるのも、納得ではあった。


「三つ目。私は、『記憶が消された』ということに健介君が気づいたとしてもパニックにならないようにそれとなく、落ち着いた時に時間をおけば気づくようにヒントを伝えていたつもりだったし、少なくともアンミちゃんと出会った後の記憶が消される分には私に連絡が来るように『見覚えのない連絡先がある携帯電話』を渡しておいた。仮に二人が出て行ってしまった後だったとしても私が十分フォローはできるつもりだった」


 ……なるほど。


「……いつも私は、あなたのことを心配していた」


 ぞわりとする、決め台詞だった。


 得体の知れない恐怖によるものなのか、それとも別の感情によるのかは分からない。


 つい少し前に電話をしたばかりなのに数時間後に『お久しぶり』と言う市倉絵里の表情を俺は知らない。一体それがどんな心情を孕んでいたのか俺に察することはできない。


 もし俺が、何か不都合な事実に気づいてまたアンミに記憶を消されていたとしたら、何故か手にしている携帯電話の見覚えのない電話帳の番号を選んでコールしただろう。


 聞き覚えのない声に『お久しぶり』と言われて何も思い出せない俺に対して、市倉絵里は一体どんな言葉を掛けただろう。


 一体、どんな声で……。


「隠し事を……、しないでくれ。俺だってお前のことを信用したいと思ってる」


「まだあるけど……。健介君が怒ると思っていなかったのよ。悪意があるわけじゃないの。伝える時期も大切だと思ったから、その時まだ伝えていなかった。健介君が聞きたくないと思うこともあるでしょう。私が言わなくていいことを言う必要はないと感じたからそうしていた」


「理屈は分かった。俺の記憶を戻すことはできるか?もしそういう情報があるなら知っておきたい」


「普通の、それは健忘症とは違うから……。無理だと、思っててくれて良いわ。もしかしたら、方法はあるかも知れないけど、アンミちゃん本人にもそれはできないでしょうから」


「アンミの立場上という話か?それとももう物理的に無理ってことか?」


「アンミちゃんが仮に記憶を戻してあげようと思ったとしても無理、ということになるでしょうね。アンミちゃんが小さい頃、記憶を消す臨床試験に立ち会った医師に『元に戻してあげて』とねだったことがある。アンミちゃん本人ができないからそう言ったんでしょうし、記憶を復元できたなんて記録は見たことがない。そして医学的にも、『存在しない記憶を与える』なんてことはできそうもない。これも伝えなかった理由になるわ。私や健介君がどうにかしようとしたところでその時の記憶はもう戻らない」


「少し言い方が引っ掛かる。簡単に戻せる方法はないのかも知れない。だがその前に……、もしかしてというなら、詳しい話を聞かせてくれ」


「詳しく話したら、この件は許してくれる?どの道健介君の記憶は戻らない、と、私は思っているけれど」


「…………許すって。隠し事をしないでくれと釘を刺したかっただけだ。第一俺が許さないと言ったところで別にお前にダメージなどないだろう」


「いいえ。変に溝を感じたくないもの。ここで許して貰わないと言い出すタイミングがないでしょう?後になって一々蒸し返したくもないから、できるだけ早く解決はしておきたい」


 元々俺が持っていた切り札はいつの間にか『許してくれないなら話さない』というカードに化けて市倉絵里の手元に回ってしまった。


 これを後々使われるのも厄介といえば厄介だし、言い訳された後となっては許さない理由などもない。もちろん許さなかったとして、俺が何か効果的に市倉絵里を攻撃できたりもしないから、後々蒸し返して『話してくれないならあの時のことを許さない』カードとして使うのも難しいだろう。


 市倉絵里が巧妙なのか、俺が無能なのかはともかく、結局俺は終始劣性で会話を進めなくてはならないのが当たり前のようだった。元々持ってるカードに差があり過ぎるし、組み立てなども隙を見出せない。


「じゃあ許そう。だが、今後隠し事はしないでくれ。俺が聞いたことに正直に正確に、できたらお前の意見も合わせて聞かせてくれ」


「良かった」と一言聞こえてきた続きに、どうせ俺が理解できないお経が降り注ぐことになった。トロイマン研究所でアンミの記憶消去能力に期待されたのは精神病を根治する画期的な方法の開発だったとか、脳の記憶領域にある病巣を取り除く研究が今まで幾度も重ねられていたとか、その大半のお話は仮に俺が完全に理解できたとしても現状俺たちの役には立たないだろうものだったろう。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ