八話㉕
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神経衰弱をする場合、基本的にミナコには法外なハンデが課される。最初普通にプレイしていて、続いて俺と陽太が相談をできるようにして、更にミナコは目隠しして俺たちがカードを読み上げるようにして、俺と陽太の取得カードを合算するようにして、カードのデック数を増やして、ミナコのターンは俺たち二人とジャンケンで勝った時のみに制限した。
連日そういったハンデを拡張していって何とかゲームが『フェア』に展開する方法を模索していたわけだが、『神経衰弱』は『元々は、記憶力』を競うゲームだ。それが覆しようがない実力差でなければ、こんな一方的に不利な条件を飲ませる必要などなかった。
ミナコはゲームに負ければ悔しそうにしているが、こちらは勝った気など全然しない。もはや俺にとってはミナコが『不運』や『ルールの不備』といった極限まで不利な状況でどんな立ち回りをするのかという見物に近かった。
「トイレに行きたいのですが……」と目隠し少女は俺たちに懇願する。
「トイレに行きますと言ってくれ。誘拐犯か俺たちは」
「今思ったのだが、じゃあ峰岸はトイレ禁止というルールだったらどうなのだ?集中力が切れたら記憶力も削がれるだろ?」
「どうなのだ、と言われても陽太の部屋に染みができますとしか言いようがない。いいえ、着替えもないし漏らすようなことはしたくないのでトイレに行きます。負けなら負けでも全然漏らすよりは構わない。ということで連れていってください」
と、目隠し少女は空中にふわふわ両手を揺らして介助を申し入れた。
「目隠しを取って自分で行ってくれ。異様な光景に思えてくるからその動きをやめてくれ」
「まあカード開けた時以外は別に見てても全然問題ないからな。制限時間とかもないしゆっくりしてくると良いのだ」
「ではそうします」
目隠しを取るとよく分かるが、『考えてる顔』じゃなくて『我慢している顔』だった。恐らくミナコにとって今回のゲームも大したハンデにはなっていないし、カードの配置程度ならトイレを我慢しながらでも全て覚えていられるようだ。
「普通覚え間違いぐらいあってもおかしくないのだがな。一回開けたら多分もう開けないし、同じの出たら確実に当ててると思うのだ。でも考えてみてくれ、健介。もし透視能力だとしたらあの目隠しの意味もないし、カードが透けて見えるわけだから外すこともないのだ」
「もし透視能力だとしたら、トイレ連れてけという要求など出ないだろう」
「いや、演技かも知れないだろ?透視能力の可能性がある以上、それは検証しておかないと後々のハンデ設定とかをかんが……おわ、小か、早いな」
仮に陽太の言う通り透視能力だとしたらこの陽太の企みなどトイレのドアの向こうから透けて見えるわけだから、何の意味もない。逆に色々な場面でのミナコの記憶力はすごいなというのと辻褄が合わなくなってしまう。
陽太は素早い動作でカードを二つ入れ換え、ミナコがドアを開ける前にイカサマを終えた。これを間違えたら、ミナコの記憶力が本物だ、ということになるんだろう。
確かに、いくら実例があろうと信じがたい才能には違いなかった。
で、……こちらへ戻ってきたミナコは、俺たちの予期しない想定外の方法で全てを証明する。
こともあろうにこいつは『位置が、ズレていませんか』と、そんなことを、言い出した。目隠しを外した瞬間に『見た』のでは『見えた』風景の一部の詳細な位置について、おそらく精々数センチかそこらの幅か傾きかを指摘した。
俺は息が止まったし、陽太は「なっ、なっなんのこ、こっことなのだ?」と動揺丸出しでとぼけた。
「地震かあるいは風が吹かなければ、カードが移動することはないはずである。まして一部分となるとこれは人為的な何かを疑わざるを得ない。しかし、陽太がとぼけている。真実を引き出せない」
ここまでの推理があれば、カード入れ換えただろと喚いて良い場面だろうが、ミナコは静かに座って目を瞑ってまだ考えてみるようだった。
「模様か、模様の違いで考えるしかない。模様でいうなら左だとも思う。が、元々は右だった。別にこれを今当てなくてはならないわけではないのですが。…………神が、囁いている。神が僕に、……『多分右です』と囁いている。しかし、神も……、これは、『さすがに責任は取れない』と囁いている……」
「いや、ミナコ。すまんな。陽太と共謀してその今言ってるカードを入れ換えた。だからお前から見て左で合ってる」
「ん……?なに?……左?『左はちょっとなあ』と神が囁いている。『でも健介が言うなら仕方ない』と言っている。じゃあ左でお願いします。…………。あれ、自分で捲って良い空気でしょうか。結構僕としてはこれは気になっている。はい。ああ……、ああ……、正解でした。神も少し反省して、『なんかすみませんでした』と囁いている」
「う、疑ってたというより、甘く見てたのだ……。どこらへんに模様の違いがあるのだ?これに」
「……?ここのこの、端の、模様の切れ方が何種類かしかなくありませんか?これとこの辺りは大体一緒ですが、これとこれだと途切れ方が違うのですが。ただし僕もそう視力は良くないので、首を振っているとどちらがどちらかは分かりません」
「そ、そりゃそうなのだが。言われたらそうなのだが……。そういう問題じゃないと思うのだ」
「まあ。そういう問題ではない。『健介は』『僕に対して一度も嘘をついたことがない』。ということで、この件、この二枚についていうなら陽太の敗因は健介の裏切りによるものです。健介は誠実さのために友を裏切るというのか……。陽太、しかし安心すると良いでしょう。僕は多分、きっと相当なことがない限りは陽太のことを裏切ることは稀です。安心してください」
「俺は決して陽太を裏切ったわけじゃない。友が悪事を働いたらそれを正すのが務めだという、そういうことだ」
「なんだと、不正を働いた時点では黙って見ていただけの癖に正義面するのか?共犯者がプレッシャーに耐えられなくて自白しただけだと思うのだ」
「……俺は実行犯じゃないから、自白すれば罪が軽くなるかと思った」
「そして僕がそれら罪を許そう。それで全て、地球のように丸く収まる」
俺のことを、信じてくれたりした。
◆
『例えば、そういえば、プレゼントを貰ったこともあった』
「けーんすけーやぁー♪、半日が過ぎぃー♪会えーないーが泣かーないでくれ♪都会で流行りのぉー♪財布を送るよー♪、音がぁ、音があ、出るやつさー♪い、い、なっ健介ぇ、僕も……、同じのにしようかなぁー♪たっだ、ぼくぅはぁ財布をー♪持ち歩いてなーいからぁ、持ち歩いてなーいからぁ♪」
何度も聞いていたせいだろうが、どこが一番のツッコミどころかがぼやけてきている。何度も聞いていてその脈絡のなさに慣れてくると、選曲や音程にまで文句はつけられそうだった。
「……という、この珍妙な、音の出る財布が郵送されてきたんだが……。とにかくだ、その件で話をして良いか?お前が帰ってくるのをずっと待っていた」
「届いて何よりでした。健介はどうしたのですか?嬉しいのですか?」
「ん?えっ?、あ、ああ……そうか。…………そっか。す、すまん。ちょっと待て?俺はジョークじゃない可能性に今気づいたんだが。お前が帰ってくるまでツッコミできないという拷問かと思ったが、いやちょっと待て。お前が帰ってくるのをずっと待っていた理由を検討しなくちゃならんのか?これで?」
だが、さて、冷静に考えてみてどうだ?歌詞を反芻して、音程を吟味して、この珍しい、音の出る財布とやらを凝視する。よく考えて……、よく考えてみて、どんな反応を正解とすれば良いものか。
「ミナコ、ちょっとだけ良いか?」
「なんでしょうか?」
「……は、はは、ミナコ。俺の憧れの都会でこんな謎めいたアイテムはきっと流行らない。俺の憧れの……、都会というのはもっと未来的で機械的で合理的な世界なんだ。この歌は一体どういう心境で歌われていてどういう心境で録音されているんだ。この歌が入っていなかったら、もしかして簡易ボイスレコーダーとして役に立つアイテムだと俺は勘違いしたかも知れない。あらかじめ買い物リストを録音したりとかできるかも知れんと。あるいはプレゼントに添えるメッセージカード的な役割を担うものかもと勘違いしたかも知れない」
「困り笑いというものでしょうか。気に入らなかった?」
「ああ、お前が厚意で送ってくれたプレゼントを、ツッコミ待ちのジョークアイテムじゃないかと勘繰った俺への戒めみたいなものだ。ありがとう。俺はこれを、……大切に、……。大切に……、保管しよう」
「はい」
「なんだろうな。どうあれ、プレゼントを大切にしたい気持ちだけはある。もう返せと言われても返さんし、粗末に扱うようなことはしない。お前のこの明確なボケにだ、ボケだと思われていた部分にだ、……ツッコミできなくてもやもやしていた気持ちを汲んでくれ。だから、今までの台詞は別になかったことにしてくれていい。俺は、ほら、お前がこれを純粋な気持ちで買ってきてくれたなら、純粋に感謝しなくちゃな。嬉しいんだ、ありがとう。俺は正直、財布はもう持ってるから使うかどうかは定かじゃないが、このプレゼントを見る度に、きっとお前から受け取った思い出の品であることを懐かしく思うだろう。ありがとう、ありがとう。大切に、……大切に保管しよう」
「……?日頃お世話になっているお礼のようなものです」
「そうか。俺もお前にお世話になっているから何か返さないとならんな」
「ん、んぅー、いやあ僕はその、そういうよく分からないものを貰ってもどうお礼を言って良いのか困ったりします。ちなみに一応言いますが、おそらく都会でそんなものが流行るはずがありません」
「いや、そうは言ったけどな。例えば死ぬ直前に携帯が電池切れで誰も助けを呼べない時なんかに遺言を残せるだろう?そういうことを考えれば……、使い道をいくつか思いつくかも知れない」
「そうでしょうか?ただし、手伝いをしてくれた人は少し苦労したようです。僕もその中から選ぶのには苦労しました。その苦労を労ってくれるのであればそれを受けます。つまらないものですがと言って渡せるほど誰が見てもつまらないものというのは中々見つからなかったりします」
「ほお、……落語チックにオチを取りにくるのか。それは予期してなかったな。こんなぱっと見、エキセントリックな物体を『つまらないもの』として贈られていることには気づかなかった」
日頃お世話になっているお礼に、つまらないものですがと、贈り物を受け取った。
センスはともかく、贈り物を。他にも色々と、お土産的なものを貰ったことがある。
◆
「四桁のダイヤル式南京錠をルービックキューブに見立てて延々とプレイする幼児のような心持ちで楽しんでいる。解法も解答もそこにはないのであろうけれども、いやむしろ、意味や答えを欲しがってはならない。これは生きるということだ。宇宙との対話だ。ガチャガチャガチャガチャっ。禅の精神は大体きっとこういうところに通じている。実はこれはルービックキューブではありませんが、ゼロから九までの四桁のダイヤル錠ですが、……ルービックキューブと、色合いが似ている。あ゛あああああああああ……、色が揃わないのでパニックっパニックっ、パニックに陥る。ん……、いやしかしけれども待てよ。縦にしか回らんから、色は絶対揃わんな?ああそういうことか。宇宙の全ての解けない謎は大体全部そういうことか。そうするとまあ、なんと宇宙のちっぽけなことか。人はそう簡単に法則を変えることはできません。ただ、あるようにあるのだと知ることはできる。そうありたいと願うことが叶うか叶わないか知ることはできる。この世の真理が詰まっているこれをそしたら健介にあげます。特に目的もなく難しいことを考えなくても良いです。どうにもならないことを考えても仕方ありません。これを持って回してみると良いでしょう。健介の悩みというのはそれの色を揃えようとするようなものです。結論として解決しません。あと、おまけですが鍵を掛けられます。開錠番号をそれは自由に変えられます」
「どうしような……。何に使おうか……。俺はきっとそんなテンションマックスでこのダイヤル式南京錠をルービックキューブと間違えて延々プレイしたりはできない人種だろうから、順当に鍵を掛けることぐらいしか使えないんだろう。何に鍵を掛けるかまたしょうもないことに悩むが、鍵を掛けられるというのはそれだけでも立派な機能に違いない。だから、何か鍵を掛ける必要があればこれを使おう。言いたいことは分かってる。どうにもならんことを、くよくよ悩むな、ということだろう」
年に一度くらいは気分の落ち込む日というのがある。俺がそうあった時、何故持ち歩いていたのかも定かではないダイヤル式の南京錠を貰った。
会場番号を、あの日にセットし直して、そのダイヤル錠をくるくると回してみる。
一列目が緑、二列目が赤、三列目が青、四列目が黄色。これをルービックキューブだと思い込んで延々と遊んでみたら、俺も宇宙の法則のどうにもならなさに気づけたりするんだろうか。
ただ一つ明らかだったのは、ミナコは俺を励まそうとして慰めようとして、こんなものをくれたんだろう。それだけは分かった。




