八話②
「セラはそうして、世界の法則を書き換えた。私たちは何十年何百年も観測しているわけではないから、うさん臭いと思うかも知れないけれども、元村人の複数の証言は個々で検証されて議論されて、それぞれの繋がりも整合性があった。夢だったかも知れないとか昔のことだからと言う人、もしくは話を渋る人もいたけれど、セラのことを忘れている元村人は一人もいなかった」
なんともファンタジーな物語だと言えれば幸いなのに、分子生物学分室の研究をはじめとした特質抑制の報告検証が進む度、これまで科学に含まれてこなかった超能力や魔法というオカルトが、実際この世界に存在してしまうことを否応なく認識させられてしまう。
ただ、一つだけこの記録にうさん臭く幼稚な創作が含まれているとすれば、『セラの村にいた者はそれぞれその素質によってはセラと同じように魔法を使えるようになった』という部分だけだろう。セラが特質を発現させるようにした記述もなく、ある日突然魔法を使えるようになった、などとされている。
先天性の特質抑制疾患がいきなり普通の子供から出るはずもないのだから、おそらくその部分は脚色されたファンタジーだといっても良い。
ともあれ、このセラという人物は記録にしろ証言にしろ、なんともいえない魅力に包まれた男として登場していて、そう、正義のヒーローのようであった。私も彼に会ったなら、夢のような体験だった、夢だったかも知れないと言うだろう。
そしてその、不死であるはずの男が、どうしてまた急に、世界法則を書き換えてまで、限りある命を願ったのか。トロイマンに質問したりはしないけれど、私はそんなことが気になった。
アンミを救って一応の役目を終えて、自ら幕を下ろそうと思ったのか、たまたまその時期に疲れが出て歳を取るようになったのか、想像するにあまりある幾百年を、ただ話を聞いただけで結論付けられるわけもなく、ただトロイマンが言う、『彼の死後に』その小さな村をある程度包囲して状況を慎重に確認して、こちらの研究の進捗とある程度同期させるよう遠い地域から徐々に監視を狭め、最終的にアンミちゃんが必要になる時点で少なくとも数カ所の地域に確実にアンミちゃんがいるよう各所に設備を整える、というのが、なんだか悪の組織の大作戦のようだと私はしょんぼりしながら聞くことしかできなかった。
ちなみに室長を含めてこの場の全員が、現在セラが居を構える村落のことをセラ村と呼称していた。だけれど、上は岩手、下は岡山まで、全国に点々と過去セラ村と呼ばれた地域が複数存在している。
どういった事情によるのかは明かされていないながら、セラは基本的には流れ者で行く先々山の中に小屋を建てたり、あるいは目ぼしい廃村を見つけるとしばらくはそこへ居つく。
セラについてまわる者は、セラがいるしセラ村だななんてふうにその地域の名前などを調べることもせず、しかも何番目のセラ村なんてふうにカウントして区別したりもせず、歩いた距離なども不明で、手記や証言では『元々私が住んでいたところより大きな山を二つか三つ超えた盆地の』だったり、『小さな川から歩いていくと目の前に桜の木があった。桜は途中何度も見掛けたがここが一番だからここにしよう』だったり、……かなり曖昧で雑な情報しかなかったものだから、トロイマンのチームが一つ一つの場所をどうやって特定してまとめたのか読んでる最中不思議で仕方なかった。
ともあれ、現在のセラ村の位置については確定情報が記載されていて、なんとなく察していたけれど、『年間に十億円以上の赤字を出し続ける民鉄の駅からすら遠いお世辞にも便利とはいえない立地であるこの研究施設』は、どうやらアンミ奪取のためのセラ村包囲策を前提にしていたから、ここに建てなければならなかったようだ。
首都圏出身者なんかは『なんでわざわざこんなところに』とかなり不満を持っているようだったけれど、つまり彼らには知らされていなかっただけで、建設の計画が持ち上がった時点で既にこうした作戦の計画は練られていた、ということになる。
「ということで、時期によって各グループの仕事内容も変わってきますし、割り振りはもちろん各部それぞれに任せますが、あくまで現時点での予定ということになりますので、高田院長から方針自体の転換があったり、誰かからより良い方法の提案などあって吟味の結果そうした方が良いという場合、各部に変更の通達はします、ところで、絵里さんいますか?」
「ええ、いるけれど。私個人へのお話があるなら、三十分ほど時間を取るからついでに面談も済ませておきましょうか。なんでこんな仕事まで私に回ってくるのか説明しないと分かってくれないのかも知れないから」
「私が絵里さんのところに回るまで担当が逃げるのを待っていたからなのでは?そういえば絵里さんのところに笹塚さんいるのに……」
どうやら話の終わり掛け、少し弛緩した空気が笹塚さんの鼻息によって再び張りつめ、私たちは一番後ろでこそこそ隠れていた笹塚マネージャーに気づかれないように静かに足の親指を這わせて、あるいは足が疲れたと心の中で言い訳をしながら体を横にひねくって、突然名を呼ばれた彼から離れようとした。
「笹塚さんがどうかしたの?トロイマン、言っておくけれど私の方もこれ以上人を減らされると困るのよ」
「ああ、いえ。笹塚さんは知っているので別にいいのですが、そこの……、二列目にいた、それはわざわざセットしたのでしょうか?頭のとんがっている人」
笹塚さんははっと気づいたように私の両肩を掴み、自分の前にいつの間にかできていたカメラとの一直線上に私の体を引っ張り込み、自らは身を縮ませてそろぉと顔半分だけ出してモニタの様子を窺った。
やがて俯くように顔を下ろすと「佐藤泰ですよ」とまるで私が自己紹介をしたというふうにでもしたいのか、ミッキーマウスのような高い声を発した。
「へぇー、へぇー、佐藤さん、はじめまして」
「は、は……、はじめまして、はじめま、はじめまして」
ど……、ど、どうすれば良いんだろう?仮に私が落ち着いていたとして、目的のないお声掛けに対する正しい返答など思いついたりしなかっただろうけど、せめて種類分けをして失礼に結びつかない流れ図を決めておくべきだったかも知れない。
この時まで私はトロイマンとの会話があるとしても、許可と謝罪とせめてどこかに正答のある質問と回答だけだと思っていたのに、いきなり目の前の線路が外され、想定していなかった自由空間でのやり取りを強制され掛けている。
はじめましてはおかしかった?上官は部下の名前などいちいち覚えていなくて良いけれど、無能な部下でなければ、『ノーレンジャー、お初にお目に掛かれて光栄であります。しかしながら本官はあなた様に憧れて入所した次第であります。あなた様のことを知らぬなどとんでもございません』と言うものだったり……。
でも、無闇に言われたことを否定するわけにもいかないから、ここは無難に、はじめましてというのが適当、だろうか。
「ああ、でも、いいえ、あなた様に憧れていて……」
「トラフィックのルート選択で復号化されるんでしょうか?」
「あっあ、け、けーゆ、た、た、端末が二つあた、あったので、いちお、今回は所内でも極秘扱いだだだと……、ぃぅことで」
……あ、しまった。これはどうやら咎のあるなしを尋問するための呼出しだ。もし、もしかして室長がどんな通信してるかリアルタイムで確認しようとしてたりなんてことであれば、私は室長が閲覧する端末など知らないし、あっちからすればどんな操作しているか把握できな、けど、でも、だ、だって後から記録を出すなら、こっちからの、しかも操作記録の送受なんて不審なものだったりしないし、記録は今さっき、て、提出したばかりなのに?
人を減らされると困る?笹塚さんは別にいいのに、私クビなんですか?
「へぇすごい。これはつまりあれだ。所内でも閲覧権限に関わらず発信側の端末を押さえない限り、特定の人間以外は正しい情報を手にできないということですね」
あれ?違うのかな。というよりも、責められているにしろそうでないにしろ、まだ決定的な糾弾の言葉を聞いていないのは幸いだ。分かりませんと答えるしかない話題というわけでもないし、後手に回れば言い訳にしか聞こえないだろうけど、今ならまだ調子に乗ったふりをして解説と申し開きと責任転嫁ができる気がする。
「そ、そうなんですよ。ほ、ほらここの端末は同一のOSを使っているから常駐するアプリケーションの解析も簡単で、これすごく手軽にリモートで書き換えできちゃうんですよね。あ、書き換……、まあ仕様だと思うんですけど。そうだ、これ私が考えた圧縮トラフィックの暗号化アルゴリズムなんです。ここでしか使えないんですが、所内の暗号化通信だと中にス……、スパイが、いたとして、いたら……、困るじゃないですか?一応、完璧を目指すと、ログで可逆性持たせたくなくて……、あれ、ちょっと待てよ?ダメなんでしたっけ?そんなこと書いてなかったと思ったけど……。でも、これなら複数端末がタイムスタンプとルートからお互いに親の交配情報を求めてだけ通信するので、普通に考えたら施設のネットワーク全部乗っ取って私の端末を奪わないと処理の再現はできないはずだし、私の端末も必ず経由地になってるから、えっとご覧頂ける通り許可した全て送受信の記録はあって、不正な通信があった場合は当然報告しますし犯人は分かりますし、……ああ、あとなんというのか、この、このOS、内部ネットワークでは割と好き勝手にできちゃう感じがしてて……、いや、誰が作ったんだろうこれ、はは、ははは。これ、これを、このOSを作った人とかが良くなかったりするのかなあ……?」
私はちらちらとモニタを目線でだけ確認し、彼女がふむふむと納得している様子の時はおかしなところで息継ぎしながらも説明を広げて、一度大きく頷いて決断したのだろうというタイミングになんとか合わせてさりげないふうにOSの開発者を悪く言ってみた。
この先彼女が仮に目尻を上げた場合、一応ボード機能の使用を許可頂いていたのだから、私は万全を期すよう目指してそうしなければならなくて、そもそもこのクソOSがスパイに対して脆弱なセキュリティしか持っていないのが悪いのですと、私の些細な配慮の足らなさよりももっと大きく全体的な問題提起をすることで少しばかりは焦点をずらすことができたり、しないかな。
「すごいなあ。すごいなあ。すごいですね」
なんてことを考えているとトロイマンは威厳をどこかに置き忘れたかのように下僕であるはずの私にお誉めの言葉を連呼した。
私の心臓はいつの間にかバクバクと高鳴っていて、体が火照っている。顔は果実が熟れたみたいに青から真っ赤に染まっているんじゃないだろうか。ほ、誉められてる。私は誉められてますよどうですか、と、肩を少し持ち上げて腕は下のまま、市倉マネージャーに親指を立て合図をした。
わ、私、ポイントを稼ぎましたよ、どうですか?なんとかやり過ごしました。……笹塚さんには後で文句を言うとして、これはもしかすると市倉マネージャーの信頼を勝ち得たことになるのではないか。
そしたら、コーヒー当番も任せて貰える。良い豆を用意しますし、カップの柄は毎日変えて、お疲れのようなら砂糖を私からの気持ちですと言わんばかりに入れよう。私、佐藤だから。
「そんな……、すごいかな。すごくはないんですけど、は、ははっ、こんなのちょろいもんなんですよ」
「そっかあ。ください」
「…………。本人が行きたいのなら止めないけれど……。でも、その、もし行くと言ってもあんまり無理に働かせたりは、……しないでちょうだいね」
気付くと市倉マネージャーは落ち込んだようにため息をついていじらしく床を見つめていて、そして誰もが私を可哀相だと言わんばかりの目で見ていた。




