七話⑰
「いや……、ワンアップキノコは蘇生薬みたいなもので、例えば、コインを百枚集めるとそれが買えるというだけだろう。ゲームオーバーになった時とかは近場に滞在してる親切なキャラが持ってるコインだけで蘇生させてくれる、ということだ。配管工はな。後遺症を必死に隠して、途中で拾ったキノコだけで食いつないで、ずっと昼間の直射日光に耐えながら、走り続けている。敵なんかはデフォルメされててかわいらしく見えるがおそらく猛毒なんだ、触るだけで、常人は死ぬ。基本的にはお姫様を助けるために何度も何度も死んでは生き返って死んでは生き返ってを繰り返して、全財産はたいて、それでも姫様を助けようと頑張ってる」
いくら説明されても折れない俺に、ミナコはため息を吐くだろうかと思った。ミナコはつい昨日も、陽太と話がかみ合わないと嘆いていた。こんな話は不毛だ。
別に俺はケンカになるような予兆を感じていたわけではないし、ミナコの主張も一理あるなとは思っている。だから、もしも俺が適当にでっち上げた説を否定する十分な論拠をミナコが示すのなら、無理してマリオを擁護してやる必要はないのかも知れない。
俺が、折れてやっても良いのかなと思っていたところだった。ミナコは少しきょとんとして、ゲームの画面と俺とを交互見た後、すくと椅子から一度立ち上がり、またすとんと椅子に座り込む。
「猛毒であると……?死んでも、生き返ってますか?蘇生薬、なるほど。なんだ、それは。……すごくロマンティックである。そっちが良い。説明書にはなぜかそういう背景みたいなものが全く書かれていませんでした。……これはもしかして、プレイヤーの心の汚さみたいなものを、なんというのか、この」
「説明書に書いてないのは細かいこと気にする人間などそう多くないからだ。お前の言うように、命をお金や薬でどうこうできるものじゃないだろうから、お前の主張も筋は通ってる。好きなように解釈してくれて良いものだろう。まあ、あくまでゲームの話だけどな」
「これは……、相当に、魂が震える。……死んでた?どうしよう、結構もう、割と、大分死んでます。そんな大したことじゃないさ、と思って、朝から大分死んでます。すごく複雑な心境です。それならもういっそのこと、お姫様を諦める選択をした方が良かったりするのでは……。死んでる、とは思ってなかった……。最初は死んだかと思ってたけども、もう少し前には軽い気持ちで動かしていた。キノコもわざと意地悪して食べさせてあげなかった。すごく今可哀相な気持ちになっている」
「…………。好きなようにやってくれ。せめてお姫様を救ってその配管工の願いを叶えてやってくれ。それが……、まあ、死んでたとしてもな、供養的なものにはなるだろう」
「なるほどなるほど。ではでは、待っていると良い、配管工。僕がその願いを叶えてあげよう。おそらくもうかなりの回数死にますが、それでも諦めないくらいにお姫様のことは大切に思っていますので」
俺はそうして、「じゃあ頑張れ」と言って、その場を去った。ミナコの頑張りを邪魔するのを悪いとも思ったし、……良い誕生日だったんだろうなと、満足した。
楽しんでいるようだ。結果を求めて前向きに挑戦しているようだ。だから、良いプレゼントだったんだろう。
果たして数日の後、ミナコは姫を救い出したことを、俺と陽太に、とても嬉しそうに報告した。
◆
それが俺の、後悔の象徴だろうか。……そんなことはない。巡り合わせが悪かったんだと、諦めてはいた。
俺は、何とかなった、と思っていた。十分な誕生日になったと考えて納得していた、はずだった。
ただこの件を正しく伝えるには、俺の残念な蛇足的エピソードも添えなければならない。
ミナコの誕生日当日、そしてその翌日も、俺は夕陽の落ち掛けた商店街を歩き回っていた。
誕生日らしい贈り物がなんなのか思い浮かばなかったから、ミナコが欲しがるものも分からなかったから、せめて服なら……、あっても困るものじゃないだろうと思って、店が閉まるまでうろうろと見て回って、……結局何も買えなかったという、成果の伴わない空しい努力が存在する。
ただ店がガラガラシャッターを下ろし始めた時には、『誕生日ではないにしろ』、『後で本人を連れてきて』、『気に入ったものをプレゼントしてやれば良い』と思っていた……、のに、その予定は結局実現しなかった。
プレゼントを決めかねて何日かが過ぎて、気持ちが薄らいだし、ミナコは誕生日プレゼントの出資者が俺だと認識しているようでもあった。
陽太に感謝するのは当然だとして、俺にも同じように礼を言って、大層満足なプレゼントだったと感想を述べた。
別に陽太から金を回収して、これこそが俺からの誕生日プレゼントだと言って何かしら渡してやれば良かったかも知れない。
だが、面倒くさくてそれをやめた。
まあ、そんなこんなが、吐き出されないまま、俺の中に残されている。だから俺は、好きな柄など知らなくて当然であるはずのアンミやミーシーにすら、服を選んでやれなかったんだろう。
服を買えとだけ言って、何か気に入るものを選んでくれることだけ期待していたんだろう。それでも目に見える成果がなくてがっかりしただろう。それはわざわざ何かに重ねて論じるべきじゃないとは思っている。
ただ、確かに、どうしてと問われたのなら、胸の中にそうした後悔が残されていることを、俺は正直に白状せざるを得なかった。
◆
俺は目を瞑ってすらいないから、それを思い出す間ずっとそのまま椅子に座った姿勢で硬直していたはずだ。俺は確かに椅子に腰掛けていて、無言のまま同じ姿勢で、まるで誰かに説明でもするかのようにあの時のことを思い出していた。
何時間掛けても言い訳ばかりに終始して語り尽くせない気持ちを、誰かに、汲んで欲しかった。
そんなことを、くよくよと思い悩んでいる。ミナコから不満が出たわけじゃない。なんならもう何カ月も過ぎた今から取り組んだって構わないことなのかも知れない。
でもな……。俺はいまだに、おめでとうと言っていない。ミナコが何を選ぶのか知らない。それに限らず、何を話しているのかすら理解できないことがある。そもそも話してくれなかったり、聞く機会がないことだってある。俺の答えをミナコが気に入るかなど分かりようがない。
「…………。健介、どうしたニャ?」
「……ミーコ。俺は何時間こうしてたんだ?なんか最近、妙に昔のことを思い出す。しかもだ、俺はこんなに記憶力が良かったとは思えない。忘れていたはずのことをだ、不思議な気分で時間忘れてぼうっと、思い出してた」
「健介戻ってきてから多分、二十分くらいだとは思うニャけど、不思議な気分というのは、なんか悪い気分の方ニャ?」
「悪い気分というわけじゃないが、……二十分ってことはないだろう。あれ、……夕飯は?」
下手をすると、十時間とか、それくらい過ぎていてもおかしくないつもりでいた。十時間も椅子に座っていて尻が痛くならないはずもないからそれは大げさだったとして、それでもだ、これらを、十分やそこらで時系列に思い浮かべられるとは到底思えなかった。
ちらりと、時計を見て、まず時計が止まっていることを疑った。一秒がちゃんと切り替わるのを見て電池切れの疑いは消えたが、それを凝視して頭が混乱し掛ける。
「俺が戻ってきてから……?戻ってきてから五分くらいぼうっとして十分くらいミナコと電話してただろう。……陽太が帰ったのが何時くらいだ?」
「さあ?下のことは分からないけど、じゃあ、もっと経ってたかニャ?」
それもどうやら違うようだった。携帯電話の発信履歴の時間が、確かにミーコが証言通り、十五分くらい前であるから?なら俺はミナコと電話している間にも、色々思い出してたり、したんだろうか
「……分からん。いや、お前の言う通りだった。電話発信した時から十五分しか経ってない。そうなると俺はすごく不思議な体験をしたのかも知れんな。夢を、見てて、夢の中では、何日も過ぎていたんだが、現実世界ではたった数分のことだったのか?」
「健介電話した後静かになるから声掛けたニャ。邪魔したならちょっと悪かったニャ」
「いや?ちょうど区切りも良かったとは思うし、急に寝たら起こしてくれて良い。じゃあ、晩御飯はまだなんだよな?」
「まだ呼ばれてはないニャけど、もうそろそろじゃないかニャ。気分悪かったりするのかニャ?」
「それも、大丈夫だ。そんな顔してるか?なんか、気分悪そうとか、そういう顔をしてたとしても、別に気分は悪くない」
「それなら良かったニャ」
しばらくの間、俺はまた黙ったまま身動きせず椅子に腰掛けてみた。ただ、晩御飯に呼ばれるまでの間、同じように思い返すことはどうしてもできなかった。
アンミが階段を上る足音に合わせてドアを開け、ミーコを引き連れて夕食へと向かう。
『アンミと合流する、アンミと会話する、階段を下りてテーブルに座る』、これらはまさに俺の現実世界での現在の出来事に間違いないわけだが、どうやら先程体感した過去の世界の仮想体験のせいでか、俺が今、用意された食事の前にいて、アンミとミーシーと食事をしていること、首を振ると喋る猫がいただきますと言って食事に口をつけること、それらのほとんどに実感が伴わない。
二人から聞こえる「いただきます」の掛け声に遅れて慌てて手を合わせて箸を持った。夢での出来事など目が覚めればあっと言う間に夢らしさを見つけることができたろうに、俺はこの時になってまだ、さっきの回想が、まるで今に続いているかのような不自然な感触を引きずっている。
「いただきます。ああ、……ただもう、慣れてしまったな。こうして飯を食うのが当たり前のようになってしまった。どうだ?家族みたいだな」
「アンミお母さんに親孝行しなさい。そうね。あなた負担の肩たた叩き券を私が大量に発行して流通させてあげましょう。折角だからそれを我が家の通貨にしましょう。ミーシーお姉ちゃんの言うことをよく守りなさい。近所のいじめっこに会ったら泣いてないで立ち向かうのよ。とりあえず今なら千肩た叩き券で加勢してあげるわ。よく稼ぎなさい」
「その肩たた叩き券は最後全て俺の労働力に集中しそうなんだが……。お前らそんなに肩叩かれてもしょうがないだろう。せめて俺が発行するなら分かるが、お前が発行してたら、あっと言う間に通貨価値が暴落しそうだ」
「公平な調整役はいた方が良いでしょう。円に換算する時に不当に高かったら流通量は増やさなくちゃならないでしょう?」
「お前が円を買うために肩たたき券を発行して俺に渡すのか?俺はその肩たたき券は使えないだろう」
「自分で肩を叩いて自分に渡したら良いでしょう。それか、私に渡していじめっ子とのケンカに加勢して貰えば良いでしょう?というか、使い道は基本的に肩を叩くだけのことよ。ただそういうのがあった方が家族っぽいでしょうというだけの話よ」
「そもそもな、俺はいじめられてもいないし、仮にいじめられててもお前に加勢を頼むような惨めなことはしない。……ミーシーお姉ちゃんだと?俺がお兄ちゃん券を発行してやるからかわいらしく恋愛相談でもしてみたらどうだ?お手伝いしてくれたら肩たたきしてやっても良いし、なんなら円に換金してくれても良い」
「もうアンミにはそこそこ結構肩たた叩きクレジットされているでしょう。洗濯一回で肩たた叩き百回券一枚とでもしましょう。アンミもそんなのたくさん持ってても仕方ないでしょう?健介に何かして欲しいことがあったらそれ使って頼んでも良いのよ?」
「うん。でも、私そんなに肩凝ったりしない。ミーシーが疲れてるから、ミーシーにあげる」
「…………はぁ。健介は、嘘だと、思ったでしょう?私もちょっと思ったわ」
「ところでアンミは、ミーシーの発言にツッコミしたりしないものなのか。肩たたきが正常に発音できてないんだが」
「かたたたき、かたたたき、私言えた。でも、言ってることは分かる」
「……そうか。きっとツッコミ役というのは心が狭いな。俺は気になって、我慢したけど結局指摘せざるを得なかった」
「年中あら探ししてたら心が狭い人みたいには思われるでしょう。偉そうに間違いを指摘するのも誉められたものじゃないわ。……肩たたき、肩たたき。足りないよりは多い方が良いでしょう。ある程度躍動感が必要でしょう?」
「俺も別に本気で間違えている人間に対して文句を言ってるつもりはない。ジョークかどうか分からん時があるからな」
「でも今のはわざとボケたのよ?ツッコミがないとしつこく何度も言わないとならないでしょう。さっきのは人語が理解できない猿でも本能的におかしいこと察知するでしょう。もうちょっとスマートに気づきなさい」
「気づいてなかったわけじゃないんだけどな」と、俺が呟いたタイミングでの出来事だった。
ミーシーは背もたれにギィと体を押しつけて、まず首を傾げた。黙り込んで、箸を左右へ揺らして困惑の表情を作る。皿にはまだ食事が残っているにも拘らず、手を合わせ、片目を瞑り眉間にシワを寄せ立ち上がり、よたよた後ずさりながら、「ごちそうさまアンミ」とかすれ声を出した。
階段の手すりに手を掛け何段か上ったところでミーシーは俺の死角へ入って見えなくなる。
突然のことだった。一体何がどうしてそうするのか見当がつかないが、演技をしているようには見えない深刻な表情ではあった。すぐ直前まで平気そうにしていた様子から考えると、体調不良というわけでもないとは思うが。
「…………」
一つの可能性が思い浮かんだのは、立ち上がる前にお茶を一口だけ飲もうとカップを持ち上げ口をつけた瞬間だった。
『ミーシーが、不都合な未来』を、見た可能性がある。




