94 船を降りる
けんもほろろな船長に、ケニスは暗い顔でオルデンを見上げる。
「なんだか悪いことしちゃったねぇ、デン」
「俺たちも逃げてたしな。生き延びる為にゃ仕方ねぇ」
オルデンとケニスの話を聞いて、カーラの眼の奥にチラリと虹が立つ。
「先生は、精霊使いの色男で決まりね」
「カーラが言うなら間違い無さそうだね」
カーラが導きの力を見せたことで、ケニスは安堵した。
イーリスの子供たちが幸せになるほうへと導く。それがカーラの生まれた意味である。
「悪ぃな」
オルデンはハッサンを見た。ハッサンは苦笑いで立っている。
「ま、仕方ねぇ。師匠、ラヒム、戻ったらアルムヒートで会おうぜ」
ラヒムは頷き、タリクはフンと鼻を鳴らす。船長はもう目も上げずに記録をつけ始めた。
「そんじゃ、失礼さしてもれぇますわ」
ハッサンが軽い調子で挨拶をした。オルデンも頭を下げる。子供たちも真似をした。沖風の精霊はくるりと細長い尾羽を回して飛び立った。羽を広げると船長の大机程ある。だが精霊は実体を消すこともできるのだ。壁や障害物はすり抜けてしまう。
所々物を通り抜けている鳥の姿をした精霊の様子に、ケニスがクスクスと笑った。船長と護衛2人は動じない。ハッサンはケニスに気さくな笑顔を向けた。
「行こうぜ」
「そうだな」
ハッサンが促すと、オルデンは子供たちの肩を押して船長室を後にした。廊下に出ると、修理に余念のない船員たちが待ち構えていた。
「遅せぇよ!」
「悪ぃんだが、船を降りることになっちまったんだわ」
「えっ?」
船員たちは、ハッサンが海に落とされるのかと思った。
「精霊がいるから、アルムヒートに帰るだけだぜ」
「なんだよ!脅かすな」
「みんな、世話んなったなー!」
「もう行くのか」
「降りろって言われたからな」
「修理どうすんだよ」
「何とかなんだろ」
「いい加減だなあ」
「じゃあな!」
ハッサンは沖風の精霊に相談したが、特に他の精霊へと引き継いではくれなかったようだ。精霊とは気まぐれなものである。なかでもこの、マーレン大洋の沖を吹く風の精霊は、人の世話をする気はほとんどないのだ。精霊仲間からすら、勝手なやつと言われている。
「船、大丈夫かなぁ」
「知らないわよ」
カーラも精霊なので、この後船がどうなろうが気にしない。特別な目的で作られた精霊である。ケニスのこと以外は冷たいのだ。
「みんなに頼んではみたから、誰かは手伝ってやるだろ」
「そっか、デン流石。俺も頼んどこ」
「そうしとけ」
オルデンはその日暮らしの泥棒のくせに、お人好しであった。善人とまでは行かなくとも、目の前で困っている人を気にかけるくらいのことはする。オルデンとケニスの頼みなら、聞いてくれる精霊も多い。船はきっと無事にマーレニカの港へと着くことだろう。
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