90 護衛の男
3日後の昼ごろになって、ようやく吹雪はおさまった。波も鎮まり、空には太陽が姿を見せる。精霊の助けがあってもところどころに亀裂は出来てしまう。波に揉まれる度に船べりを越えて、吹雪を巻き込んでシャーベット状になった海水も流れ込む。ヒビや穴から入り込んだ海水や雪は、船員たちがバケツリレーで掻き出した。
「ハッサン、こっちも手伝ってくれ」
「おう、ちょっとまて」
穴に詰め込んだ毛布やシーツを外し、素早く防水素材を塗って補強材を打ち付ける。その時沖風の精霊が、入り込もうとする海水を風の力で抑えてくれるのだ。
「いや、ありがてぇ」
「助かるぜ」
「見えなくっても、鳥に礼を言えよ?」
鳥の姿をした沖風の精霊は、力を小出しにしながら手伝ってくれている。この場ではハッサンにしか見えないが、その存在は皆が理解していた。
「心強ぇよ」
「ありがとう」
船員たちは、見えないながらに頭を下げて感謝する。沖風の精霊は、尾羽の細長い部分をくるくる回して喜んだ。
オルデンと子供たちは、船長に呼ばれていた。船長室には立派な机があって、革張りの椅子に体格の良い髭面の親爺が座っていた。
「我が船をお救いいただき、本当にありがとうございます」
貫禄のある親爺が立ち上がる。机を回ってオルデンたちの前にやってきた。国境の森がある地域では見かけないような、白い長衣を身につけている。腰には幅広の赤い布を巻き付けて、結んだ端は膝に届くほど長く垂らしていた。両肩からは派手な青色の光沢がある布を掛けていた。頭には白い布を巻いている。
船員たちは裸足だったが、船長はつま先が反って尖った黒い靴を履いていた。赤銅色に日焼けして、しっかりとした鼻の目立つ顔立ちだ。黒い瞳が鋭くオルデンを見下ろしてくる。
「いや、そんな」
オルデンは戸惑った。子供たちが乗っていたから、この船を沈没から助けたのである。難波船を見かけたからといって、一々助けるわけではない。オルデンは残虐な人間ではないが、善人でもなかった。
「しかし、皆さんは精霊大陸のお方でしょう?」
「はあ、まあ」
「この季節なら、風はマーレニカに連れて行ってくれる筈なんですが」
船長は黒い髭の中で難しい顔をした。
「どういうわけだか、アルムヒートに戻っているみたいでして」
それは精霊たちの仕業なので、オルデンは気まずそうに口を曲げる。
「どうやっても向きを変えられなくて」
船長は探るような目つきでオルデンを見る。部屋の隅には、腰に曲刀を帯びた護衛ふたりがいた。1人は黒い眉毛の下に無表情な黒い瞳を見せる男だ。もう1人はやや小柄で隙のない若者である。こちらも黒髪黒目だった。
「あ、よせ」
オルデンが怪しまれたと見て、精霊たちが船長に嫌がらせをしようとしたのだ。オルデンが声を上げた時には、無表情な男が曲刀を抜いて目の前に来ていた。
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続きます




