311 最終話 不在の王妃
ランタンの中で虹色の炎が燃えている。もう人の形はしていない。眠っているのだ。虹色の瞳をした子供たちに危機が訪れる時、また幸せなほうへと導くために。
だが、ランタンの中で眠るカーラは知らなかった。ノルデネリエ直系王族であるイーリスの子供たちは、もうこの世界の何処にもいない。イーリスが救いたかったギィの血を濃く受ける者たちを、見つけ出すことは不可能だ。
ケニスの玉座を継いだのは、隠れ里で暮らしていた遠縁の男の子だ。その子の瞳は茶色で、髪は焦茶であった。魔法に長けて精霊に愛される名君だったという。
カーラを愛したケニスは、最後まで他の王妃を迎えなかった。カーラ不在で行われたあの王妃戴冠式から、ずっと。つまりノルデネリエ精霊王朝直系は、ケニスの死とともに途絶えたのである。
晩年のオルデンは、ついにデロンの籠を直す方法を見つけた。ちょうどその頃カワナミは、カーラのいた遺跡が再び現れたことを知らせてきた。カーラのランタンの底に付いたわずかな傷は、シャキアの工房を借りて見事に直すことが出来た。
だが、役目を終えて眠りについたカーラが目醒めることはなかった。カーラは、イーリスとは違う道を選んだのだ。元々カーラは契約精霊である。イーリスの最期の願いが、デロンの力を借りて具現化した存在だ。
カーラは、イーリスの子供たちを幸せな方へと導くもの。遠い未来に約束の子供が現れた時、力を貸して破滅を防ぐために生まれた。ケニスが精霊から冠を受けて、新生ノルデネリエが新王国フレグマイーロスとして始まったのは見届けた。そこで役目を終えたのである。
新たな国フレグマイーロスは、精霊の言葉でイーリスの炎を意味する。カーラのことだ。愛する王妃を国の名前と定めたのである。この逸話は今に伝わり、フレグマイーロスは愛の王国と呼ばれるようになった。
生涯ひとりの伴侶を愛し、精霊と魔法を自在に操った始祖王ケニス。いつも懐に「想い出を映す鏡」を忍ばせて、カーラ妃との日々を眺めては寂しく微笑んでいたという。伝説によれば、かつて逆さまの宮殿で鏡の成る木から贈られたものだ。その不思議な鏡は、フレグマイーロスの国宝として、年に一度の王宮開放日に公開される。
始祖王ケニスの肖像には、必ず1人の少女が描かれている。少女の名前はカーラ。カーラ妃その人だ。老いたケニスの肖像画でも、変わらぬ若さで寄り添う。ケニスと同じ虹色の瞳は、幸せそうに凪いでいる。豊かに波打つ虹色の髪は、ケニス王の緑色をした頭と良く映る。
見るからにオシドリ夫婦である。カーラが少女の姿なのは、精霊だからだと伝えられている。
「必ず始祖王に寄り添って描かれているけれど、カーラ妃を見た人はいないのでしょう?」
「いや、ケニス王の育ての親オルデンは知っていたし、遠い国の絵描きさんが残した肖像もあるんだよ」
王宮開放日に始祖王の巨大な肖像画を見上げながら、観光客が話をしている。
「カーラ妃は実在したんだ」
「ほんと?」
疑わしそうなご婦人に、得意そうな紳士が説明する。
「カーラ妃は、不在の王妃と呼ばれているのさ。けっして非在ではなくね。次の部屋には、始祖王ケニスがカーラ妃を非在ではなく不在だと公式に宣言した証書が展示されているよ」
「あら、そうなの。どこかに説明があった?見落としちゃったわ」
「僕、毎年来てるんだ」
「ええっ、毎年?ひとりで?」
「ごめん、いつも出張の帰りに寄っていたからさ」
「いえ、そういうことじゃなくて、毎年ひとりでくるほど、始祖王の物語が好きだったなんて、驚いたのよ」
「ちょっと気恥ずかしくてね。何となく言い出せなかった」
ご婦人は愛情深くクスリと笑った。
「だって素敵だろ?そんなに愛せる人がいるなんてさ」
紳士はきゅっとご婦人の腰を抱きしめる。
「やだ、なに、急に?」
「へへ、僕も奥さん愛してるよ」
「やあね、もう。いい歳をして」
紳士が素早く妻の唇にキスを落とすと、怒り笑いの奥方は、軽く身を捩って叱る。
「何すんのよ、人前で」
紳士は悪戯っ子のように瞳を煌めかせた。平凡な茶色の瞳に、僅かばかりの虹色が見える。直系ではないものの、イーリスとジャイルズの血を今に受け継ぐ人々は世界中に住むのだそうだ。
少し腰を屈めた夫は夫人の双眸を覗き込む。それから、揶揄うようにこう言った。
「何って、キスだけど?」
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完結です




