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不在の王妃  作者: 黒森 冬炎
最終章 不在の王妃
295/311

295 川辺の宵に

 森の夜は早い。夕陽に赤く焼けた梢を見上げ、ケニスとカーラは食後の散歩に出かけた。みるみる暗くなる枝の下をくぐり、いつもの川辺へと降りてゆく。繋いだ手はすっかり馴染んで、離れることなど考えられない。


 小枝や枯れ葉が足の下で乾いた音を立てている。呼びかわす獣や鳥の声がする。ひんやりとした風が、薄闇に浮かぶ鮮やかな秋の実を揺らして吹きすぎる。頭上からは葉擦れの音が降ってくる。


 甘やかな夜咲く花の芳香が、若い恋人たちの気持ちを盛り上げる。繋いだ手を違いに引き寄せ、ふたりの肩は寄ってゆく。カーラの頭がケニスの上腕に預けられ、忍び見る虹色の瞳が互いに出会う。


「ふふっ」

「へへっ」


 意味もなく小さな笑いを漏らしたふたりは、慣れ親しんだ川辺に腰を下ろした。カーラは靴を脱ぎ、流れに足先を浸す。


「ひゃっ」

「足をつけるにはもう冷たいだろ?」


 ケニスが軽く笑う。


「もう、笑わないでよ」


 カーラの尖らせた唇に、ケニスは幸せそうに口付けを落とす。



「明日、生まれたお城に戻るのね」


 川の空には三日月が出ている。雲はなく、星も姿を現した。ケニスたちの魔法は進歩して、移動速度も上がっている。大人の男が歩いたら数日はかかる道のりだ。それを今では、一飛びに越えられるようになっていた。


「そうだね。どんなところなんだろう」


 ギィを倒すためとはいえ、ケニスにとっては実の家族がいたところだ。今ではもう、祖先の悪霊が乗っ取った末の妹と、邪法の者どもが残るだけ。


「氷と雪に閉ざされた、氷河の奥にある岩城なんだってね」

「カワナミたちが言ってたわね」


 ケニスは、ふと寂しそうな顔をした。


「タイグにも、本当の両親にも、会えなかったなあ」


 カーラはケニスの額に、白く細い指を載せる。そこにはもう、ギィの器である印はない。生まれ落ちる前から刻まれる、炎を現す古代精霊文字。普通の人間には見えないが、精霊や魔法が得意な者にははっきりと見える文字だ。逆さまの宮殿で、ケニスは幸運の力を使って文字を取り去ることに成功した。



「ケニー」


 カーラはケニスの秀でた額から指を離すと、緑の癖毛に手を伸ばす。


「家族っていうのはよくわからないけど」


 カーラは優しく緑の髪を梳く。川風が2人の巻毛をふわりと持ち上げた。


「会ったことがなくても、こうしてケニーが思い出してくれることだって、きっとタイグやみんなの救いになるわ」


 カーラは精霊なので、実際には心の救いということなど分からない。だが、人として育てられ、ハッサンやシャキアの愛情を見てきた。オルデンの優しさも知っている。


 ハッサンを失った時、ケニスが抜け殻のようになった姿を目の当たりにした。荒れ狂う精霊の部分を押さえつけ、人の心の悲しみには無理矢理蓋をしようとしていた。そんなにも痛む心が癒えてゆく過程にも寄り添った。



「邪法に取り巻かれてひびだらけの魂は、どんなに痛かっただろうか」

「それでもタイグや他の良い人たちにも仲間はいたって、精霊たちが言ってたわ」

「そうだね。たったひとりじゃなかったんだ」


 ケニスは緑色の眉を下げて、ぴたりと並ぶカーラを見下ろす。2人は自然に微笑みあって、ゆるく唇を合わせた。


お読みくださりありがとうございます

続きます

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