273 シャキアの心
カワナミの騒がしさに、オアシスの精霊はフイと水の中に潜ってしまった。その態度を見て、カワナミはますます笑い転げている。
「心が狭いねぇー!」
「カワナミ、アルムヒートまで運んでくれる精霊はいないかしら?」
「あれ?シャキアは魔法使えないの?よわーい!ハハハ」
カワナミの嘲笑に気を悪くすることもなく、シャキアは話を続ける。
「そりゃ魔法鍛冶のはしくれですから?少しは使えるけど」
1人で安全に砂漠を渡れるほどの力はないのだ。
「それなら、砂漠の夜風にでも頼んでみればー?」
「カワナミからも頼んでみてくれる?」
「いいよー!」
カワナミは気安く引き受けると、一旦虚空に溶けた。去り際に撒き散らした水滴が、遺跡の床で透明な球となって輝いていた。シャキアは、ケニスたちが飛ばした汗や水飛沫を思い出す。明るい声が耳に響く。あの日々には、からりと笑う青い瞳のハッサンもいた。
オルデンは、いつもゆるりと笑っていた。まだ幼さが残る養い子のケニスやカーラが高い声でふざけ合う姿を、優しい紫色の瞳で愛でていた。
「あの智慧の子と呼ばれる人にも、予想外の事は起こるかも知れないのね」
シャキアはオアシスの静かな水に眼を向ける。オルデンは、このオアシスのような人だと思った。広く深く、人々を潤すオアシスのような男。泥棒だなんて悪ぶるけれど、生きるためには仕方のない範囲だった。強欲や悪心から来る盗みではない。人違いで命を狙われた子供だったのである。精霊の助けがあるとはいえ、普通の倫理観で判断出来る状況ではなかったはずだ。
「デン、大丈夫かしら」
シャキアは、逆さまの宮殿でギィと戦った夜を目に浮かべた。優しい瞳のその人は、冷静に魔法を使って切り抜けたものだ。だが、いま凶刃に倒れたハッサンだとて、あの日には縦横無尽の活躍ぶりを見せたではないか。
「私にも守る力があれば良かったのに」
恐ろしい邪法の力に立ち向かうには、シャキアの魔法は弱すぎる。もしも強い力があったなら。デロンの竈だけでなく、デロンの技も受け継いでいたならば。アルラハブから伝え聞く不思議の技も、逆さまの宮殿で思い出の鏡が見せるアルラハブとデロンのやり取りも、シャキアの腕では活かせない。
「悔しいわ」
安否を気遣い無事を祈る身の上はもどかしい。オルデンはオアシスに戻らないと思われる。宿命の王子に寄り添う星の元に生まれたからだ。
「せめて、私の方から行けたなら」
亡きハッサンを待っていたパリサも、同じ思いを抱いていたに違いない。愛する人がついに帰らぬ人になったと知った彼女の胸の内は、どんなにか苦しかったことだろう。
「デン、どうかご無事で」
爽やかな砂漠の春風に涼しく波立つオアシスの水面は、シャキアを慰めるように澄み切った空を映していた。
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