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不在の王妃  作者: 黒森 冬炎
第四章 イーリスの子供たち
179/311

179 月明りの夜更けに

 月は煌々と照っている。恐ろしいほどに明るく強く輝いている。空は藍色を深くして、一面の星は煩いほどに瞬いていた。雪渓の奥に聳え立つ要塞のような岩城は、三重の壁と林立する塔に守られて眠る。


 つい先程まで賑やかに聞こえていた、舞踏会の音楽や宴会の哄笑はすっかり消えた。酒に酔い、踊り疲れて、多くの人はしじまの中に密やかな寝息を立てていた。


 狭く冷たい渡り廊下を、足音を忍ばせて高い塔へと急ぐ子供がいた。白くしなやかな絹のネグリジェを夜風が撫でる。微かな衣擦れは、四角く並ぶ窓穴から真夏の夜空へ溶けてゆく。夜鳴きする鳥たちが、或いは低く、或いは高く、不気味な声を上げている。


 分厚いフェルト底の寝室履きに包まれた童女の足先は、忙しなく武骨な廊下の敷石を踏む。やがて城の中で最も古い塔に辿り着く。



 月光に漣模様をつけられた茶色の髪が、うっすらと汗ばんで額に張り付く。煩わしそうに細く白い首をふれば、子供らしいふっくりした頬に流れて口元に触れる。あどけない童女の顔が、不快に青ざめ歪む。ゆらりと立ち上る炎は虹色だった。


 ジジと音がして、焦げた羽虫がボトボトと足元に落ちる。塔の内側を巡る螺旋階段は、所々踊り場があり、部屋を区切る扉に通じている。壁の覗き穴は小さく、月明りは細い筋となって壁や扉を射る。足元は暗く、焼け落ちた羽虫は見えない。


 精霊の炎は人には見えず、見えない炎に焼かれる者は恐怖の内に息絶える。虫たちは精霊を知り、鳥や獣も精霊を見る。夏の篝火に飛び込むように、虫は童女の炎に身を投げる。鳥は危ぶみ、ネズミたちは恐れて縮こまる。



 長い髪の童女が、ついに塔のてっぺんに辿り着く。明かり取りの高窓を仰ぎ、軽く床を蹴る。ふわりと浮かぶ白い影は、真っ直ぐに窓をすり抜けた。外は強く風が吹く。夏でも溶けない雪渓から、氷のカケラが舞い上がる。地上遥かな物見の塔の屋根にまで、冷たい雪が吹き上げられて来た。


「ちいっ、まだ抵抗するか、病弱タイグめ」


 樹氷が風に鳴るように可憐な声で、呪詛を吐く。たおやかな両の手を上品な動作で上げると、童女は王の寝室に顔を向ける。


「我、精霊龍の末なるルイズ姫、月光の波に洗われし氷雪の流れに問う」


 風は益々強まって、ヒューヒューと啜り泣くような声を出す。雪や氷の精霊たちが童女の周りで踊っていた。


「相応しき王は()そ?」


 ぐるりぐるりと回る精霊たちが、邪法に染まった澱んだ目でルイズを見る。


「タイグ」

「タイグ」

「タイグ」

「虹色の瞳」

「緑の髪」

「双子の弟」

「相応しき王はタイグ」


 ギィの器は、現在タイグだ。ギィにかしずく精霊たちは、ギィの器を王とする。


「気に食わぬ!」


 氷と炎が虹色に渦巻き、精霊たちは逃げ去った。


「タイグめ、精霊どもめ、我こそ王と思い知れ!」


 大声を張り上げるルイズの髪やネグリジェは、強風に煽られて膨らんでいた。


お読みくださりありがとうございます

続きます

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