166 異変
寝室に使った大広間で、カーラはふと眼を覚ます。精霊なので、元は眠る必要がない。人間の姿で顕現していると、食べたり眠ったりすることができる。今後町で過ごすことを考えて、人間の生活に慣れるため、カーラは夜に眠るのだ。
普段はオルデンやケニスと同じに、夜に眠って朝早く目を覚ます。だが、この日は突然目が覚めた。音が聞こえたとか、気温が急に下がったとか、そうした異変はなかった。起き上がり辺りを見回すと、皆は静かに眠っている。
「ケニー?」
隣に寝ていた筈のケニスの姿が見えない。
「ケニー、どこ?」
ケニスは精霊の血が流れているとはいえ人間なので、夜中に起きることもあるだろう。だが、カーラはいいしれぬ不安に襲われた。
オルデンを起こすこともなく、音もなく立ち上がったカーラは部屋を出ていく。カーラのカンテラで虹色の炎が膨らんだ。火の粉がパチパチと音を立てて、宮殿の夜を照らす。
「ケニー、ケニー」
カーラは囁くように呼びながら、モザイク天井の下を歩いてゆく。
「いないの?」
閉じられた扉は開き、扉のない回廊から庭を除く。宝石の蝶が眠ることなく遊ぶ部屋も確かめた。
「ケニー?」
カーラは一度通った場所も、何回か調べて回る。
カーラは、月夜の花園に足を踏み入れる。既に数回来てみたのだが、また隅々まで探してみる。頭の上は空ではないし、足の下は地面ではない。足元から逆さまに降るオアシスの月光が、宝物殿のある花園を洗う。
精霊たちの気配はない。水龍は宝物殿の中で眠っている。昼の花は花びらを閉じて俯き、夜の花は強い香りを放っている。攻撃植物はなりを潜めて、水も風も今はすっかり見えなくなっている。
「ケニー?」
低い唸り声が聞こえる。丈の高い花の中から、生の葉が焼ける青臭い臭いがした。カーラは足を速めるが、慎重に草花を分けてゆく。
「大丈夫?そこにいるんでしょう?」
唸り声ばかりで返事がない。
「ケニー、どうしたの?何があったの?」
カーラの声が震える。
「ケニー、具合が悪くなった?」
カーラの細い手が、折り重なって茂る茎を分ける。途端に、虹色の炎がごおっと立ち上る。
「あっ」
炎の勢いが増して、熱風にカーラの髪がぶわっと持ち上がった。炎の柱の中央で、うずくまっている影がある。
「ケニー!ケニーなの?」
カーラは炎の精霊なので、焼ける心配はなかった。迷わず業火に飛び込んでいく。
「来るなッ!」
「ケニー」
ケニスの声だ。
「ギィだ!カーラは逃げろ!」
「ケニー!」
ケニスの叫びを無視して、カーラは炎の中心へと走り寄る。
「何してんの!来るなよ、カーラ、逃げろ!」
ケニスは低く唸りながら、絞り出すように怒鳴り続けた。
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