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不在の王妃  作者: 黒森 冬炎
第四章 イーリスの子供たち
163/311

163 何もない場所

 突き当たりの壁を調べていたハッサンが、風を感じて探る手を止めた。


「目ではわからねぇけど、こっから風が吹き出してるぜ」


 ハッサンの言葉に、一同は水晶の花咲く海を渡る。バンサイも画材道具を箱に詰めて腰を上げた。硬い花びらの波を分けて進めば、傷にはならないものの多少は痛い。大きく揺れた水晶の花に驚いて、宝石の蝶たちが騒がしく舞い立つ。


「わあっ」


 ケニスが思わず耳を覆った。ガラスを砕くような音が部屋中にこだましているのだ。大人たちも顔をしかめた。


「やだ、魔法が始まるわ」


 部屋の中の平穏が破られたのだろうか。カーラが警戒の色を濃くする。


「風も強くなった」


 壁に手を触れたままでいたハッサンも、硬い声を出す。



「離れろ、ハッサン!」


 オルデンが思わず走り出す。ハッサンは驚いて飛び退(すさ)る。何もなかった平らな壁が、溶けるように消え去った。向こう側はやはり青白い月光に満ちている。向こうから吹き寄せる強風が、どうっと音を立ててハッサンを襲う。


「ハッサン、大丈夫か?」


 突然、金色の扉を矢のように抜けて沖風の精霊が飛び込んで来た。水晶の花畑にいる蝶を吹き飛ばし、ハッサンを巻き込む強風に歯向かう。


「ちぃっ、カーラの不安はここか」


 精霊たちと協力して、オルデンが風を防ぐ魔法の壁を作り出す。ハッサンの周りに集まった一同は、消えた壁の先を眺めた。そこは、強風が吹き荒れているだけの空間だ。


「何にもないわ」

「外なんだな」


 カーラが不服そうに頬を膨らませ、ケニスがつぶやいた。そこには壁も天井もなく、吹き荒れる風が乱す草木すらない。開けた先には、オアシスの水か月の光か定かではない青白い流れが巡っている。


「サダが怖がってる」


 ハッサンの腰では、幸運の曲刀サダが激しく明滅していた。ケニスの幸運剣ヴォーラも光を強めている。(やいば)に宿る精霊たちが動揺しているのだ。


「幸運の力を使う必要があるってこと?」


 シャキアの声が震える。オルデンは肩に添えた手に力を込めて宥めた。


「邪悪なもんじゃねぇ」

「でも、カーラの不安はこれだって」

「ああ、なんかいるな」

「ケニーに悪さする?」

「さてな」


 ふたりはピタリと身を寄せ合って、強風の向こうを伺った。



「宮殿の主アーキムが眠る場所さ」


 オアシスの精霊が水でできた鳥の姿で現れた。逆さまの宮殿に住むオアシスの主である龍もやってきた。


「今日は命日だから、会えるかもしれないぞ」


 扉が開く前には一斉に姿を消していた精霊たちが、続々と押し寄せてきた。カワナミはけたたましく笑いながら宝石の蝶たちと遊ぶ。カガリビとアルラハブは、カーラが飛ばす不安の火の粉を伝ってやってきた。砂のトカゲも風に運んで貰って姿を現す。


「宝石の庭が開かれたのはいつぶりだろうなぁ」


 水の龍は嬉しそうに長い身体をくねらせた。


お読みくださりありがとうございます

続きます

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