163 何もない場所
突き当たりの壁を調べていたハッサンが、風を感じて探る手を止めた。
「目ではわからねぇけど、こっから風が吹き出してるぜ」
ハッサンの言葉に、一同は水晶の花咲く海を渡る。バンサイも画材道具を箱に詰めて腰を上げた。硬い花びらの波を分けて進めば、傷にはならないものの多少は痛い。大きく揺れた水晶の花に驚いて、宝石の蝶たちが騒がしく舞い立つ。
「わあっ」
ケニスが思わず耳を覆った。ガラスを砕くような音が部屋中にこだましているのだ。大人たちも顔をしかめた。
「やだ、魔法が始まるわ」
部屋の中の平穏が破られたのだろうか。カーラが警戒の色を濃くする。
「風も強くなった」
壁に手を触れたままでいたハッサンも、硬い声を出す。
「離れろ、ハッサン!」
オルデンが思わず走り出す。ハッサンは驚いて飛び退る。何もなかった平らな壁が、溶けるように消え去った。向こう側はやはり青白い月光に満ちている。向こうから吹き寄せる強風が、どうっと音を立ててハッサンを襲う。
「ハッサン、大丈夫か?」
突然、金色の扉を矢のように抜けて沖風の精霊が飛び込んで来た。水晶の花畑にいる蝶を吹き飛ばし、ハッサンを巻き込む強風に歯向かう。
「ちぃっ、カーラの不安はここか」
精霊たちと協力して、オルデンが風を防ぐ魔法の壁を作り出す。ハッサンの周りに集まった一同は、消えた壁の先を眺めた。そこは、強風が吹き荒れているだけの空間だ。
「何にもないわ」
「外なんだな」
カーラが不服そうに頬を膨らませ、ケニスがつぶやいた。そこには壁も天井もなく、吹き荒れる風が乱す草木すらない。開けた先には、オアシスの水か月の光か定かではない青白い流れが巡っている。
「サダが怖がってる」
ハッサンの腰では、幸運の曲刀サダが激しく明滅していた。ケニスの幸運剣ヴォーラも光を強めている。刃に宿る精霊たちが動揺しているのだ。
「幸運の力を使う必要があるってこと?」
シャキアの声が震える。オルデンは肩に添えた手に力を込めて宥めた。
「邪悪なもんじゃねぇ」
「でも、カーラの不安はこれだって」
「ああ、なんかいるな」
「ケニーに悪さする?」
「さてな」
ふたりはピタリと身を寄せ合って、強風の向こうを伺った。
「宮殿の主アーキムが眠る場所さ」
オアシスの精霊が水でできた鳥の姿で現れた。逆さまの宮殿に住むオアシスの主である龍もやってきた。
「今日は命日だから、会えるかもしれないぞ」
扉が開く前には一斉に姿を消していた精霊たちが、続々と押し寄せてきた。カワナミはけたたましく笑いながら宝石の蝶たちと遊ぶ。カガリビとアルラハブは、カーラが飛ばす不安の火の粉を伝ってやってきた。砂のトカゲも風に運んで貰って姿を現す。
「宝石の庭が開かれたのはいつぶりだろうなぁ」
水の龍は嬉しそうに長い身体をくねらせた。
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