117 遥か東の国から来た絵描き
片膝を立てた旅人には、自分の懐から漏れ出す茶色い光も見えていないようだ。オルデンたちの言葉は、精霊の助けで旅人に伝わっている筈である。旅人は依然として無言だ。
「この箱、なんだろ?」
カワナミが、旅人の脇にある背負子型の四角い木の箱に寄っていく。いつの間にか箱の中に入り込んでいた夜風の精霊が、隙間から出てきた。
「水はダメだよ。絵を描く道具が入っているみたい」
「絵を描く道具?」
夜風の精霊の言葉を聞いて、ケニスが旅人に尋ねた。ケニスは、絵を描くと言っても土に円や線を描く程度しか知らない。アルムヒートでは様々な模様を見かけたが、絵を描いている人とは会わなかった。
「筆とか、絵の具とかな。濡れたら駄目なやつだ」
「フデトカエノグトカ?」
「筆も絵の具も、絵を描く人が使う道具だ」
オルデンは町生まれなので、多少は知識があるようだ。旅の絵師という存在にも出会ったことがある。
「ふうん」
ケニスには、筆や絵の具が一体どんなものなのか想像もつかない。薄ぼんやりとした目付きで箱を見る。
「見たことのない茶色の輝石に、不思議な文字が書いてあった」
先程、旅人の懐から這い出した熱砂の精霊が言った。
「精霊文字とは形が違うが、役割は同じだろうな」
やはり懐に潜り込んで見てきた、石組の精霊も話に加わる。
「守りの力を感じるな」
「悪いものを遠ざけているね」
「寒さとか暑さまで追い払ってるよ!アハハ」
カワナミも寄ってきて、旅人の懐から漏れ出す光と戯れた。
ケニスが背負った砂漠の精霊剣ヴォーラと、ハッサンの腰にある海の精霊刀サダが点滅する。輝石に宿って遥かな旅路を絵描きと共にした、守りの精霊と交流しているらしい。
ヴォーラから送られるイメージに、ケニスが言葉を失い眼を丸くする。ハッサンも、サダから受け取ったイメージに驚きの声を上げた。
「幻影砂漠を越えて、山向こうの草原を越えて、その先にある山や森も越えて、別の大海原を渡った島国から来たようだぜ」
夜風の精霊による計らいで、ハッサンの言葉は旅人にも理解できていた。知らない言葉を初めから理解出来ている状況に加えて、今度は自分の旅路まで言い当てられた。絵師の顔には、うっすらと畏怖の念が滲む。
「へー、ずいぶんとまた、遠く旅して来たんだなぁ」
オルデンの素直な感心に、旅人は遂に僅かな弛みを見せた。黒い瞳から険が微かながら取れる。
「あなた方は、砂漠の賢者なんですかい?」
砕けた調子の質問が、旅する絵描きからの第一声であった。
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