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深さと重さと  作者: 遠野義陰
第五章
54/55

番外編『西から来た双子』 前編

 

                    1




 虫の知らせと言おうか。何かしらの気配を感じて、掃除機を掛けていた手を止め、俺はとっさに身構えた。

「おるー!?」

 大声である。

 清々しくよく通る少女の大声が玄関の方から響き渡った。

 その大きさたるや、玄関が開けっぱなしになっていたのではないかと疑ったほどだ。

 しかし廊下へ出るドアは閉まったままだし、廊下に出て玄関の方を見ても閉まったままだ。それにしてもでかい声だった。多分この住宅街一帯に響き渡ったのではなかろうか。

 玄関の、ガラスの向こうに二つ並んだ人影が見える。

 背丈は全く同じくらい。

 聞き覚えのある声だったので、おや? と思いながら俺は廊下に出た。

 玄関の方へ向かう間にチャイムが連打されて、人影のうちの片方はぴょんぴょん跳ねたり落ち着きのない動作をしている。

 式台で靴を履いて、土間に出る。

 そして玄関を開けて俺は言った。

「うるさい」

 玄関先に居たのは二人の女の子だった。

 小柄で、背丈は150センチちょっとくらい。

 片方は髪が長く、ぱっつんと切りそろえた前髪の下で勝ち気な眉と目が挑発的につり上がっている。もう一方は肩のちょっと上辺りで切りそろえたボブで、眉にかかる長さの前髪から覗く目は臆病そうに揺れていた。

 服装は二人とも淡い白系統の色合いの春っぽいセーターに、デニム風の丈の長いサロペットスカートを合わせていた。

 そして特筆すべきは二人とも、全く同じような顔立ちをしていた。与える印象は対照的なれどその瞳は大きくつぶらで、唇は少々厚めでぽってりしているけれど、それがかえって愛嬌を引き立てていた。鼻筋ははっきりと通りながらも、鼻先はちょっとだけ丸い。ほっぺたは豊頬という言葉がよく似合う柔らかそうな曲線を描き、それらがびっくりするくらい小さな輪郭の中に丁寧に収まっていた。自分の中にある比較対象が、怜だとかさくらさんだとか夏井じゃなければ、彼女たちのことを絶世の美少女と褒め称えていたであろう。とにかく見目麗しきその双子は、しかしとても親近感のある容姿をしていた。

「宗平兄ちゃん、久しぶり!」髪が長い方の女の子はそう言うとぴょんぴょん跳ねた。

「ああ、久しぶり。小鳥」俺は答えた。「それに、雛も」

「うん」と髪の短い方、雛は頷いた。

 二人は俺の、母方の方の従姉妹である。見た目に親近感があるのも当然だ。それに叔母が母さんと一卵性の双子だったからか、雛と小鳥もそれとなくうちの母さんと顔立ちが似ているのだ。

「で、いきなりどうした?」

 叔母の嫁ぎ先は関西である。つまりはそれなりに遠いところから二人ともやってきたことになる。歳は二つ下で、一応中学生だし、自力でここまで来れないことはないだろうが、それにしたって何の連絡もなくいきなりだったので、俺は困惑していた。

「いきなり、って。もしかして伯母さんなんも言うてへんの?」と小鳥が言った。それから溜息を吐いて「またか」と呟いた。

「また、やね」と雛が頷いた。

「俺に判るように説明してくれると助かるんだけど」

「せやから、あれなんよ。ちょっとなんか色々用事があって家族みんなでこっちに出てきとるんよ。ほんで、大人だけでなんかするから、って」

「その間うちに居ろと」

「そうゆうこと」と小鳥は腕組みをして言った。

「しょーゆーこと」雛がぼそっとそう呟いた。

 今日は母さんの実家の方で法事があるからと、うちの両親も朝早くから出かけている。

「ていうかなんで宗平にいちゃんは家におったの?」

「いや、母さんから留守番頼むって言われて。って、ああ、つまりこういうことか?」

 俺は二人の顔を交互に見た。

「そういうこと、なんやろなあ」と小鳥はうんうんと頷く。

 言葉足らずというか、肝心なことを伝え忘れていたらしい。

「そういうわけやから」と小鳥はさっさと靴を脱ぎ始める。

「お姉ちゃん。邪魔するでー、は?」と雛が小声で言った。

「あかん。宗平にいちゃんにそれやってもスルーされる。知らんのやなくて知っててスルーするから、やったら事故るだけや」

 なにやら愉快なことを話ながら二人は丁寧に靴を揃えている。叔母さんのところは、うちの本家のような格式張ったところではないが、単純に躾が良いのだろう。まあその反動からか小鳥は少々やんちゃ者なのだけれど。

「それで、怜ちゃんはおるの?」とこちらを振り向いて小鳥が言った。

「いまは仕事中。実家の方に籠もってるよ」

「じゃあ、宗平おにいちゃんだけ」と雛が嬉しそうに言った。彼女は少し怜と相性が悪いのだ。何がどう苦手なのかは判らないのだが、怜を前にすると全く話せなくなるのだ。

「けどもうすぐお昼やろ。あの人食べ物に関してはすごいし、多分そろそろ来るんとちゃう?」

「まだ時間はあるよ」俺は言った。「リビングで適当にくつろいでろ。あんまり悪さはするなよ」

「当たり前やん。あたしらももう中学生、今度から中二やで。小学生の頃みたいなことはせぇへんわ。なあ雛!」

「いや、うちは最初からそんなことしてへんかったから」雛はしらーっとした流し目で小鳥を見て言った。「大概お姉ちゃんがややこしいことやって、それをうちが尻拭いしてたんやから。ほんまに、頼むで?」

「え? あたしそんな信用されてへんの?」

「物事は何事も、積み重ねが重要なんだよ」

 二年ほど前だったか。二人が以前遊びに来たのは。その頃の小鳥はイタズラで人を脅かすことに異様なほど熱を上げていて、物陰に隠れて人を脅かすのは勿論のこと、引き戸の上部に物を挟んだ状態にして、開けると頭に墜ちてくる古典的なトラップを始め、そのアイディアはどこで学んだのだと言わんばかりの即席トラップを家中に張り巡らせて、上を下への※大騒ぎとなったことがあったのだ。そのときは叔母夫婦も一緒で、最終的に二人ともこってり絞られることになったのだが(雛は小鳥の暴走を止めようとして、姉の仕掛けたトラップを事前に解除したり頑張っていたので、ちょっと気の毒ではあった)。それ以外にも普段から雛は、破天荒な姉のフォローの為に日夜奔走しているらしい。確かそのときも、説教の後に愚痴を色々聞いてやった覚えがある。

 リビングに通した二人は、すぐにソファに座って、それから肩にかけていたお揃いのポーチからスマホを取り出して、そのまま黙々と指を動かし始めた。

「なんか食いたいもんあるか?」

 俺は二人に昼食の希望を尋ねた。

「肉」と小鳥。

「挽肉に色々混ぜて練って整えて焼いた奴」と雛。

 要するにハンバーグが食べたいらしい。まあ肉なら怜も文句は言わないだろう。ちょうど材料もあるし。

 冷蔵庫から食材を取り出して準備していると、雛がこちらにやってきた。

「なんかあった?」

「うちも手伝う」ふんすと鼻息を荒くしながら、腕まくりをする。

「雛なあ、最近料理にはまっとるんよ」とリビングの方から小鳥の声がした。彼女はソファに寝そべってスマホを操作している。

 俺は雛の顔をじっと見た。

「平気。大丈夫。任せて」

 やる気は十分だ。

 小柄だからなんとなく幼く見えてしまうが、歳は二つしか変わらないんだ。俺が彼女らの年の頃は普通に家事をこなせていたのだから、問題はないだろう。駄目そうなところがあっても俺がフォローすればいいだけだ。

「うちは、なにやったらいい?」

「なにがしたい?」

「じゃあタマネギみじん切りにする」

「マジか」

「宗平お兄ちゃんに女の涙を見せてあげる」

「悪いけど、そういうのはよく知ってるんだ」

「うわー。悪い男や。お姉ちゃん! 悪い男がおるで!」

「せやなー」とリビングから小鳥が答える。「ほなら罰としてタマネギみじん切りの刑や」

「せやって」

「いや、お前がしないのかよ」俺はそう言って溜息を吐こうとした。が、雛の何かどえらい期待の籠もった視線に気が付いてぐっと飲み込んだ。ここは、あれか。「もうええわ!」

「ありがとうございましたぁ」若干はんなりとした口調で雛は言って、くすくす笑った。「お兄ちゃん、ほんま好き」雛ははしゃいだ笑顔で抱きついてきた。

「そりゃどうも」俺は肩を竦めた。「で、どうする?」

「うちがやる。やりたい。やらせて」

 再び鼻息荒くそう言うので、俺は素直にまな板と包丁を明け渡した。

「宗平お兄ちゃんは付け合わせ作ってて、ハンバーグは全部うちがやるから」

 タマネギの皮をむき終えた彼女はやる気を漲らせながらそう言った。

「マジで?」

「安心して。得意やから」

「そこまで言うなら」

 任された。と彼女はにやりと笑った。

 彼女がハンバーグを作っている間に、俺は付け合わせを何か適当に作ることにした。

 よく洗ったジャガイモの芽をとって、それを電子レンジ用のシリコン製の蒸し器にごろごろ並べる。ついでにブロッコリーや人参を空いたスペースに押し込んで、水を振りかける。あとは電子レンジで適当に加熱するだけだ

「手抜き?」と横から雛が言った。

「生活の知恵」俺は答えた。「毎日こなすには適度な手抜きが必要だからな」

「へえ」

「そっちはどうだ?」と訊きながら手元を見ると、ちょうどみじん切りが終わったところだった。「またかなり細かく刻んだな」

「そう?」

「もしかして、タマネギ嫌い?」

「嫌いやないねんけど。あんまり存在感はあって欲しくない」目をそらしながら雛は答えた。

「じゃあそれ、半分炒めて、半分は生のままで置いといて」

「え? なんで?」

「食感」

「え、いやや」

「タマネギのシャキシャキ感が残ってないと怜の機嫌がちょっと悪くなるんだよ」

「そうなん? そうかぁ。じゃあ、仕方ないか」しゅん、とした表情になって、まな板の上のタマネギを見つめる。「半分だけで勘弁しといたるわ」多分タマネギに対して言っているのだろう。

「フライパンはヒーターの下の収納に入ってるから」

「うん」頷いて彼女は、ドアを開けて中からフライパンを取りだした。「これでええんよね?」

「ああ。同じところにサラダ油も入ってたろ、それ使っていいよ」

「わかった」

 フライパンの上でじゅわじゅわとタマネギが音を立てて、段々ときつね色に色づき始める。

「なあ、宗平お兄ちゃん」

「なに?」

「飴色って、なんで飴ちゃんなん?」

「べっこう飴みたいな色だからじゃね?」

「ああ、あの」

「そう。ちょうどいまのタマネギみたいな色の奴な」

 炒めたタマネギは一度ボウルに移して、冷蔵庫で粗熱を取る。

 待っている間に俺は蒸し器を電子レンジで加熱する。

「付け合わせの方が先に出来よるね」と雛が苦笑した。

「気にすんな」俺は言った。「そろそろ肉の用意をしようか」

「うん」頷いて彼女は冷蔵庫へ向かった。

 挽肉は使う直前まで冷蔵庫で冷やしておく。冷たいまま混ぜた方が油と肉のまとまりがよくなるのだ。

「タマネギはどう?」

「大体冷めとると、思う」

「じゃあオッケーだな」

 得意、と言ったのは嘘ではなかったらしく、用意していた挽肉の重さを伝えるとすぐに、それに見合った量の塩とナツメグを振りかけて、一心不乱に挽肉をこね始めた。

「ひゃあー、冷たい」

「頑張れ」

 俺は言いながら盛り付けるお皿をカウンタに並べて、先にできあがった蒸し野菜をお皿の端っこに盛り付けた。

「こんなもんかな」と雛は呟いて、一度手を洗った。ボウルの中では挽肉がほどよい感じのピンク色になっていた。

 それから彼女はテキパキとした動作でパン粉を混ぜ、タマネギを混ぜ、卵を混ぜ、そして捏ねた。

「何人分やっけ?」

「四人分な」

「それにしては多ない?」

「怜は大食いだから」

「そう言えばそうやっけ」

「だから一個だけ特大にしといてね」

「りょーかい」

 雛はそう頷いて、小さな手一杯にできあがったパテを取ると、丁寧に形を整え始めた。それからパテを、手に交互に叩きつけるようにして空気を抜いていく。最後にもう一度形を整えて、それをバットにそっと置く。そうやって四人分用意して、また手を洗った。彼女の横顔は真剣で、それでいてとても生き生きとしていた。だから俺は特に横からなにも口を挟まず、どんな仕上がりになるのかわくわくしながら見守っていた。

 タマネギを炒めたフライパンを一度綺麗にしてから、油を引き直して、ヒーターのスイッチを入れる。その横顔に少しだけ緊張の色が混じった。フライ返しでバットのパテをすくい上げて、そっと、フライパンの中に下ろした。弱火から調理していくつもりらしく、油が爆ぜる音は聞こえてこなかった。

「どうしよ。宗平お兄ちゃん。全部一気に焼かれへん」

 怜の特大ハンバーグが邪魔で、四つ並べようとするとスペースが足りないらしい。

「一個は後からで良いよ」俺は言った。「先に三人で食べてていいから」

「そんなん悪いわ。それにその言い方やと、お兄ちゃんが自分で焼くみたいやん」

「そのつもりだけど」

「うちはお兄ちゃんに、うちが作ったハンバーグ食べて貰いたいの」

 そう言ってこちらを睨む顔が小鳥そっくりだったのでやっぱり双子だなあ、なんて考えていたら「余計なことはせんといて」と念を押すように怒られてしまった。

「じゃあ、あと頼んだ」俺がそう言うと同時に炊飯器のアラームがぴーっと鳴った。

 何か言いたそうな雛を尻目に、俺は炊飯器の方へ向かった。

 立ち上る蒸気からは、普段とは少し違う磯の香りとスープが焦げたような香ばしさが漂ってくる。

 それもそのはずで、蓋を開けるとそこにあったのは、炊飯器で作ったパエリア擬きであった。

「なんかすっごい美味そうな匂いがしてきたんやけど」ふらふらとリビングから小鳥がやってきた。「ピラフ?」

「なんちゃってパエリア」

「へー、炊飯器で。そんなんも出来るんや」炊飯器をのぞき込みながら小鳥は言った。

「じゃあ、これを器に盛り付けておいてくれないか? 俺は怜を呼びに行ってるから」

「へーい」と小鳥はやる気のなさそうな返事をした。

「お姉ちゃん。もっとしゃんとしぃな」

「さっきまで寝てたんやもん」

「ええからほら、お兄ちゃんが言うとるねんから、はよしぃ」

「はいはい」

 二人のやりとりを微笑ましく思いながら、俺はキッチンを後にした。

 玄関から出ようとしたところで、ばったり怜と鉢合わせた。

 彼女はうつろな目で一言「空腹」とだけ言って、抱きついてきた。

「お疲れさま」俺は受け止めて言った。

「なに?」

「ハンバーグと、パエリア風炊き込みご飯」

「で、いつもと違う匂いは?」

「小鳥と雛が来てるんだよ」

「なんで?」

「今日母さんたち法事だろ?」

「そんなこと一言も言ってなかったような」

「言い忘れてたっぽい。だから俺に留守番頼むとか言ってきたんだと思う」

「そっか。いつもならそうちゃんも参加してたもんね」

 この手の行事に怜は殆ど参加していない。うちに来てすぐに一度参加したことはあったが、そのときの居たたまれない雰囲気を思い出すと、彼女が行きたがらないのも無理はないと思う。事故で両親を失って、失意の中に居た彼女に、母方の親族はとても丁寧に接していた。しかし丁寧過ぎた。あまりにも気を遣いすぎたせいで、完全に腫れ物扱いになってしまっていたのだ。そのせいか、怜は胃痛になった上に熱を出して法事の後数日間寝込んでしまった。

「小鳥ちゃんたちと会うのいつぶりだろ」と怜は口元をほころばせた。

 法事で向こうの親族に囲まれることは嫌っているが、従姉妹二人は例外だ。小鳥とは仲が良いし、雛には苦手意識を持たれているとはいえ、怜自身は雛の事も気に入っているらしい。

「二年ぶりくらいじゃ?」

「え? 去年もうちに来てたでしょ?」

 不思議そうに彼女は首をかしげた。

 俺は一瞬、言葉を失った。

「そうだっけ?」とすぐに我に返って、言葉をつなげられたことを、自分でも褒めてやりたいと思った。

「うん」と怜はどこか納得がいかなそうに頷いた。

「そう言われればそんな気がしてきた」

 そう答えつつ俺は、心臓が、きゅっと縮み上がりそうになるような、冷たい戦慄を感じていた。

 本当にただのど忘れなのか、それとも事故の後遺症によるものなのか。いや、あるいは去年の同じ時期だったなら俺のメンタルがボロボロだったので、単に上手く記憶できていなかっただけかもしれない。

 不安が、もやのように立ちこめていく。

 いつだったか。それを確認すれば良いんだ。もしきっちり一年前なら、覚えてなくても仕方がないことだ。

 でも、それだったら、怜の反応が妙だ。俺が間違えていたことを不可解に思っているようだった。もし俺が大変な時期のことだったのなら、あんな反応はしないはずだ。

「大丈夫?」俺の顔を見つめながら彼女は言った。「怖い顔、してたけど」

「いや、ごめん。なんでもないんだ」

「そっか。まあ、春だもんね」少しだけ寂しそうな顔で、彼女はそう言った。その表情に、俺は胸が痛くなる思いがして、思わず強く抱きしめていた。罪悪感の強さが抱きしめる強さだ。そう感じていた。罪悪感から逃げるように、埋め合わせるように抱きしめれば抱きしめるほど、却って後ろめたさが強くなって、胸の奥を締め付ける。

 怜は何も言わなかった。ただ彼女は俺の背中に回した手で、優しく、ぽん、ぽん、と背中を叩いた。まるで愚図る赤子をあやすように。

 しばらくそうしていると、腹の虫の鳴く音が響いた。少しだけ体を離して怜を見ると、困ったような笑みを浮かべていた。

「ごめん」俺は体を離した。

「ううん。弱ってるときはいつでも甘えてくれていいからね。その方が姉さん女房的な気持ちに浸れるし」

「なんだよそれ」俺は彼女の得意げな顔がおかしくて、気づけば笑っていた。

「なんで笑うのよ」不満そうに彼女は唇をとがらせる。

「どうしてだろ」俺は言った。何気なく吸い込んだ空気が、先ほどよりも軽く感じられた。「安心したから、かな」

「うーん。そっかあ。なら仕方ないね」

 そう言って怜は俺の手を取った。

「ほら、行こ? 私たちのハンバーグが待ってるよ」


 

     2


「小鳥ちゃん久しぶり」ダイニングに入るなり、怜がはしゃいだ声で言った。

「あ、久しぶりー。怜姉ちゃん」怜の声にスマホから顔を上げて、小鳥は笑顔で答えた。

 テーブルの上には料理が並べられていて、いつでも食べられる状態だった。二人を待たせてしまったらしい。

「ごめん。遅くなって」

 俺がそう言うと、雛が「ええよ」と笑った。

「元気?」怜が小鳥を見て言った。

「めっちゃ元気」にこっと笑って小鳥は答えた。

「なにしてたの?」席に着いた怜は小鳥にそう訊ねた。

「彼氏とお話」小鳥はふふん、と自慢げに鼻をならしてスマホを裏向けて、テーブルの上に置いた。

「へえ。小鳥ちゃん彼氏いるんだ」

「最近出来たばっかやけどね」

「早いなあ。私が中一の時なんて……、ああうん。やめとこう。この話は」

「どうしたん?」

「余計なこと思い出しそうになっただけ」へへ、と笑って怜ははす向かいに座った雛の方を見た。「雛ちゃんも久しぶり」

「久しぶり、です」

 雛はぎこちない口調で答えた。目の前の料理に目線を向けたまま、怜と目を合わせようとしない。時々ちら、と正面に居る俺に助けを求めるような視線を送ってくる。

「ひーな」と小鳥が窘めるように言った。「ちゃんと顔みなさい」

「う」と雛はうめき声みたいな音を喉から出して、それから太陽を直接見つめるみたいな渋い表情になりながら顔を上げて、「おひさりぶりです」と言った。

「相変わらずだね」怜は苦笑した。

「なあ、雛。なんであんたそんなに怜姉ちゃんのこと苦手なん?」頬杖をつきながら小鳥が言った。

「苦手、というか」もごもごと雛は口ごもった。

「宗平兄ちゃんとおるときは饒舌やのにな」

「小鳥、それくらいにしなさい」俺は語気を強めて言った。

「宗平兄ちゃん。そうやって甘やかすのは良くないで。こんなんやから雛はいっつも、」

「いまは食事の時間だ」俺は言った。それからくいっと、顎で隣を指した。小鳥は視線を移し、目をぎょっと見開いた。

 怜がにこにこと微笑んでいた。だがその目が笑っていなかった。何のことはない。腹が減っているのだけなのだ。しかしそれが怜にとっては重大な問題である。小鳥が泣きそうな顔でこちらを見た。この状況を打開する最も良い方法は、一つだけ。

「ほら、飯食うぞ」俺はぱん、ぱん、と手を叩いた。よどみ始めた空気を晴らすように、強く手を鳴らした。

「さあ、お手を拝借」と怜が言った。両手を大きく横に広げて、それからぐるりとテーブルを見回した。そしてにっこりと、柔らかい笑みを浮かべてから、そっと手を合わせた。「いただきます」

 小鳥と雛もそれに続く。二人とも先ほどの怜の様子にびびっているのか、声にあまり元気がなかった。

 最後に俺も手を合わせて、いただきます、と丁寧に言ってから箸を手に持った。

「これ、そうちゃんのじゃない」

 ハンバーグを一口食べた怜が神妙な面持ちで呟いた。

 雛がびくっと肩をふるわせた。

 俺は雛に目配せをした。

 雛は心細そうな目で俺を見つめ返した。

「雛ちゃんが作ったんだ」

 このやりとりで察したらしい。怜は雛に微笑みかけながら「まあ悪くないかな」と言った。

「素直に褒めてやれよ」

 そんな言い方したら余計に苦手意識持つだろ。というかもしかしたら怜も雛に対して接しづらく感じている部分があるのかもしれない。まあ怜も外面が良いだけで実は人付き合いはそんなに上手なタイプではないので、お互い様なのかもしれない。

 ともあれ。

 自分で得意と言っただけあって、雛の作ったハンバーグは、火加減もほどよく、断面からは肉汁が溢れるもジューシーな仕上がりだった。俺が作るよりは、ちょっと劣るかな、などと大人げない対抗心を燃やしてしまう程度にはできが良かった。

 ウスターソースとケチャップ、とんかつソース、それにマスタードを混ぜ合わせたソースも濃厚な味わいで、それが口の中で脂とほろほろとほぐれる挽肉と絡み合って、口の中が幸せになる。パンが欲しくなる味だ。なんて考えていると怜が黙って席を立ち、キッチンの戸棚から食パンを取り出してトースターで焼き始めた。

「あ、あたしも」と小鳥が手を上げた。

「お姉ちゃん。ご飯あるのに……」と言ってから、雛はこちらを申し訳なさそうな目で見た。

「俺もパンの方が合いそうだって思ってたところだし」

 気にすんな、と俺は笑った。

「あの、じゃあうちは、焼いてないのを」おずおずと雛は言った。

「そうちゃんは?」怜が言った。

「俺も焼かずに」

 この味の濃いソースなら焼かない方がパンによく味が染みこんで良い塩梅になる、と思う。

「うちの真似?」と雛が小声で言って俺の脇腹を肘でつついた。

「どうだろう」はぐらかすように俺は言った。

「一緒やね」

 雛は唇をきゅっと窄めるようにして微笑んだ。照れの混じったその表情を微笑ましく眺めていると、目の前に、ばん、と食パンが差し出された。テーブルの上に直にである。顔を上げると怜がむくれていた。

「ありがとう」食パンをハンバーグのプレートに移しながら俺は言った。

「どういたしまして」怜は不自然なくらいにっこりと微笑んだ。

 隣で雛がひっ、と悲鳴を漏らした。

 こういうことやってるから雛に苦手意識を持たれてるんじゃなかろうか。

 雛の分のパンはちゃんとお皿に乗っていた。でもそれが却って何かの示威行為に見えたのか、雛は泣きそうな目で俺の方を見た。

「大丈夫だ」俺は言って雛の頭をぽんぽん撫でた。

 怜はつん、とした表情で食パンをむさぼり食っている。隣にいる小鳥は何も見ていないという顔で黙々と食事を続けていた。

 変な空気になってしまった。

 そして、そのままみんな何も話さずに食事を終えてしまった。

「そう言えば、二人はこのあとどうするんだ?」

 沈黙が苦しかったので、俺は何か話題を、と思ってそう訊ねてみた。

「ああ、うん。それはなあ」と小鳥が言いかけて、止まった。

「どうしたん? お姉ちゃん?」と雛が怪訝そうに眉を寄せた。「今日は泊めてもらうんやろ?」

「う、うん。そうやねんけどな」小鳥は何故か気まずそうに視線をあさっての方向へ逸らした。「ごめん。雛」

「なにぃ、急に謝って」ますます怪訝そうに雛は目を細めた。

 俺はなんとなく小鳥が何を言わんとしているのかが判ってしまった。二人はうちに来たとき、お揃いのポーチしか身につけていなかった。お泊まりセットが入りそうな大きさではなかったので、つまりはそういうことなのだろう。

「ほら、新幹線降りたあと、駅で荷物あたしが持つって言うて預かったやん」

「うん」と雛は頷いて、それから「あっ」と口を開けて、「嘘やん」

「嘘やったら良かったんやけどな」

「しみじみ言うとる場合ちゃうやろ」雛は冷たい声で言い放った。「お姉ちゃんが持つ言うたから、うちは荷物任せてんから。大体、昔からしょっちゅう忘れ物とかしとって、やっとマシになってきたと思ったら。ほんまに、なんでお姉ちゃんなんかに任せてもうたんやろ」

「はあ? あんたこそ。なんで気づかんかったんよ! ずっと一緒におったんやから途中で気づきぃや」ばん、とテーブルを叩いて小鳥は立ち上がった。

「誰かに盗られとったらどうするんよ!」雛も椅子を蹴飛ばすように立ち上がった。

「そんなん、盗られへんわ!」

「なんでそんなこと言えんのよ!」

「知らんわ! でもそんなん、あたしに言われても!」

「もうええ。ほんま、お姉ちゃんはうちがおらんと何もでけへんねんから」

「知らん人とちゃんと話せへんような子にそんなこと言われたぁないわ! というか知らん人どころか、怜姉ちゃんとも上手いこと話せてへんやんか!」

「そんなんいま関係ないやろ!」

「あるわ!」

「ないわ!」

「もう雛なんか知らん!」

「うちもお姉ちゃんのことなんか知らんわ! どっか行って!」

「判ったわ。あたしもあんたの顔なんか見たぁないしな」

 アホ! と叫んで小鳥がリビングを飛び出した。

「私に任せて」立ち上がろうとした俺を制して怜が言った。「そうちゃんは、雛ちゃんのこと、お願いね」

「ああ」俺は頷いた「頼んだ」

 怜はうん、と頷いて小鳥が開けっぱなしにしていたドアから小走りで出て行った。

 ぐい、と袖を引かれて振り向くと、泣きそうな顔の雛と目が合った。

「お兄ちゃんは、うちの味方やんな?」

 縋り付くように、彼女はそう言った。



 続く

お久しぶりです。すっかり変わり果てた日常を皆様いかがお過ごしでしょうか。私は、葦名で御子の忍びをやったり、ロスリックで火の無い灰をやったりして、死んだり生き返ったりしています。あと時々バブルの神室町を走り回ってます。


今回は番外編でした。以前からずっと出そうと思いつつ機会がなかった、宗平の母方の従姉妹がメインのお話です。関西弁キャラを出したかっただけです。思ったより長くなったので幾つかに分けてぶん投げます。

次回、中編は6月19日更新です。

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