Autumn perturbed scene 3
4
それほど長い距離ではないが、夜ウォーキングをするのが日課になっていた。あの丘まで走っていた頃と比べると物足りない運動量だが、まだそんなに無茶が出来る体でもないので仕方がない。
走る間は無心になるが、歩いているといろんなことが思い浮かび、思い出され、じっくりと、誰にも邪魔されずに物思いに耽ることが出来る。
果たして、夏井の唇からこぼれたこれまで聞いたことのなかった恐ろしく冷たい声色の呟きがぐるぐると頭の中を巡り続けていた。
天真爛漫で裏表のない奴だと思っていたが案外そう言う訳でもない様だ。まあ俺が知っている夏井の殆どはクラスメイトとしての彼女だけなので、そういった一面を把握していないことは何ら不思議ではない。
だがショックだった。
あまり知りたくない本性を垣間見てしまったようで、週が明けてからまた学校で会い、普段通り接しなければならないことを考えると少しばかり気が重たい。その時になってしまえばどうにかなることは判っていてもため息が思わずこぼれてしまう。
夏井にちゃんと話すべきなのだ。俺と怜の関係を。他人の秘密やなかなか口に出来ないような事情を軽々しく吹いて回るような奴ではない。だから話してしまえばいいのだ。それならどうして俺はまだ彼女に打ち明けていないのだろう。
話そうとしなかった訳ではない。何度かそう思ったこともあったが、ついに今日まで真実を告げることは出来なかった。そこにあったのは漠然とした危惧だった。何をおそれているのか自分でも判らないが、とにかくそうすることによって起こる何かに俺は怯えているのだ。
じゃあその何かってなんなんだろうか。と考えていると不意に誰かに腕を掴まれ思いっきり後ろに引っ張られた。直後鼻先をかすめるようにバイクが走り去っていく。いつの間にか横断歩道に差し掛かっていた。信号の赤くくすんだ光が仄かに辺りを照らしていた。危うく赤信号につっこんでしまうところだったらしい。冷や汗が今頃になってどっと吹き出してくる。
しかし一体誰が止めてくれたのだろう、と振り返るとどえらい形相をしたさくらさんがそこにいた。走ってきたのか息が荒い。
「姿見かけて、呼びかけても、無視するから」荒い呼吸に合間に唇からかすれた声が漏れる。「追いかけてみて、正解だった」彼女はその場にぺたんと座り込んでしまった。
「あの、ありがとうございます」
座り込んだままのさくらさんに手をさしのべた。彼女が俺の手を掴んだ。ぐっと力を入れて引っ張り上げる。
「全く。ちゃんと前見て歩きなさい」
「すみません」
「気をつけなさいよ。婚約者のいる身なんだから」そういってさくらさんは大きくため息を吐いた。
「あの、さくらさんはどうしてここに?」俺は訊ねた。彼女は隣町に住んでいるのだから、本来こんなところでばったり出くわす訳がない。
「言わなきゃ判らない?」自嘲気味に笑うさくらさん。
「ああ、またですか」肩に掛けたバッグをみて、俺は苦笑する。喧嘩して飛び出して来たらしい。
「私が黙ってテレビに出たのが気にくわなかったみたいで」
小説家・相川さくら。その名が世に轟いたのはかれこ3ヶ月前の事だ。デビュー作がいきなり売れまくった。彼女自身のビジュアルを押し出した戦略が効をそうしたのだろう。瞬く間に数万部売り上げ、あっと言う間に10万の壁すら越えてしまった。
若くしてベストセラー作家となった天才美少女をメディアが放っておく訳もない。最初に俺が彼女をテレビで見たのは、いつも見ている朝の情報番組でのことだった。最近話題になっている人物をフィーチャーするというコーナに出演した彼女が、インタビュアーの質問に緊張しつつ答えていたのをよく覚えている。
それを境に時々、テレビで彼女の事が取り上げられるようになった。
「あれ全部黙って出てたんですか」
「そう、流石にこれは話したってオーケーしてくれるわけないし。後から説明すればいいかな、って思ってたら、まあ案の定というか」
「相変わらずですね」
「それで相変わらずあなたのところに避難しようと思ってはるばる徒歩で来たわけだけど」
「そういえば自転車どうしたんですか?」
「頭に血が上ってて、はっと我に返ったときにはもう夜道を歩いてたわ」
「さくらさんて、何と言ったら良いのか、見た目の雰囲気はもの凄くクールですけど実際はあんまりそんな感じじゃないですよね」
「あんまり褒められてる気がしないわね」不愉快そうにさくらさんは言った。
「ええ、褒めてはないです」俺は言った。「それでうちなんですけど、今日は母さんが居るんで、許可がもらえれば大丈夫です」
「へぇ、お母様が。珍しい」
「そういえばうちの母親と会ったことありましたっけ」
「いえ」と彼女は首を横に振る。
「とりあえず電話して聞いてみますね」
ポケットから携帯を取り出してアドレス帳を開いて自宅に掛ける。すぐに母さんが電話に出た。さくらさんのことを話すと簡単に許可を出してくれた。
「大丈夫です」
さくらさんはほっとしたように息を吐いた。
「それじゃあまたお世話になります」
二人並んで歩き始めた。
静かな夜だった。もう虫の声はほとんど聞こえず、風もないので草木も揺れず。ただ二人の足音と互いの息づかいだけが静謐な夜の空気の中に沈んでいく。
左手に彼女の手が触れた。はっとして振り向き掛けたが、偶然触れてしまっただけかもしれない。ヘンに意識してしまっているな、と心の中で苦笑していると、また手が触れ合った。偶然というには、彼女の指から伝わって来た躊躇いは明確過ぎた。
ここはどうするべきなんだろうか。毅然とした態度で、そういうことはやめるべきだ、と言うのが模範解答だと思う。しかしそれはそれで冷たすぎる気もする。じゃあ一体俺はどう彼女をたしなめるべきなんだ。
考え込んでいると左腕に彼女が抱きついて来た。指を絡めて手を握ってきて、抱きついた腕に胸を押しつけるように。
「あの、さくらさん」
「いいじゃない。夜道を歩くのは怖いんだから」
「怖いんですか」
「とっても」
「なら仕方ないですね」
どうしてだろう。彼女の妙に幸せそうな顔を見た途端にそれまで出掛かっていた拒絶の言葉を飲み込んでしまった。
「ねえ宗平くん」その声色は、付き合っていた頃を思い出させるのに十分なほど甘く艶やかだった。「なにか悩み事でもあるの?」
「そんな風に見えます?」
「じゃないと私の呼びかけ無視して赤信号に突っ込んだりしないでしょ?」
それも確かにそうだ。それにさくらさん相手なら話してもいいだろう。俺は現在自分が置かれている状況について彼女に話した。
「宗平君は、その子が自分のことをどう思ってるか、とか考えたことある?」
「夏井が俺をどう思ってるか、ですか?」
「その顔だとなさそうね」ため息をついて、さくらさんは俺の肩に頭を乗せた。「その子、たぶん宗平君のこと好きよ。私がそうであるように」
「あの、さくらさん。さすがにこれは……」
「手、つないじゃったんだし、細かいことはいいじゃない」
「いや、でも」
「元カノにこんなこと許して置いて、今更焦ったって説得力ないわよ」そう言ってさくらさんはくすっと笑った。「それで話を戻すけど。私だったら好きでもない男の子の家に、二人っきりになるかもしれないって判ってて行ったりしないわよ。それにもっと知りたいだなんて恥ずかしいこと言えないわ」
「やっぱりそうなんですかねえ。周りから割と煽られたりしてたんで、でもまさかと思ってたんですけど」
「宗平君って結構酷い人よね」俺の腕に抱きつく力が強くなる。少し痛い。けれど黙って彼女の言葉を待った。「その気がないくせに思わせぶりなことばっかりして」
「俺は別に、そんなつもりじゃ」
「けどたぶん、その子はこんな風に思っているはずよ。いまはまだダメだけど、この調子で押していけばいつかかならずあなたに思いが届くって。真実を知った時、彼女はどう思うのかしらね」
風が出てきた。雨の香りがする憂いを帯びた風だ。
「あなたが恐れているのは、そこなんだと思う」
俺は立ち止まってさくらさんの顔を見つめた。まるで胸の内を見透かされているような気分だった。
「さくらさん。俺はどうしたらいんでしょうか」
「それは自分で考えてちょうだい。けどこれだけは言えるわ。中途半端な優しさが一番残酷だってこと」
手を解き、さくらさんが俺の正面に回る。「こんな風にね」そう言って俺の胸に顔を埋めた。「宗平君はね、無防備すぎるの。その上怒らないから。だからついつい調子に乗っちゃう。夢の続きがあるんじゃないかって期待しちゃう」
俺はさくらさんの肩をつかんで押し返そうとした。けれど彼女はそれにあらがうように、俺の体にしがみつく腕の力を緩めようとはしない。
「なんとなく言いたいことは判りましたけど、この状況には微妙に合ってない気がします」
「ばれた?」そう言って彼女は上目遣いに俺を見た。「私ね、最近愛人的なポジションでもいいかな、って思うようになってきたのよね」
「さくらさん。その冗談、あんまり笑えないですよ」
「割と本気だって言ったら?」
「本気で笑えないです」
「それはそうと宗平君。もしかして最近鍛えてる? 抱きついたときの感覚が昔よりたくましくなってる気がするのだけれど」
「唐突ですね」
「ひとまずお茶を濁しましょう。それで?」
「鍛えてますよ。リハビリも兼ねて。ボールを投げられるようになることを当面の目標に頑張ってます」
「でも、宗平君」とさくらさんは言い淀んだ。
「まともに歩けるようになるまで数ヶ月かかるって言われてましたけど、実際は2ヶ月もしないで退院出来たんです。医者の言うことなんてそんなにアテにならないですよ」
俺は彼女の頭を撫でた。
「ごめんなさい」
消え入りそうな声で彼女は言った。
「もしかしてまだ自分の所為だ、とか見当違いな思いこみしてるんですか?」
「そんなことない、とは言い切れないかもしれない。少なくとも後悔はしているわ。もしあのとき、例えば待ち合わせの時間を少し早くするか、遅らせるかしていれば、今この瞬間に罪悪感を二通りも覚える必要なんてなかったかもしれないのに、って」
それでも彼女は離れようとはしない。俺の胸に顔を埋めたままじっと何かに耐えるように、肩を強ばらせている。
その肩を抱いてやりたかった。しかしつい先ほど彼女が言った言葉が、動かし掛けた手を押しとどめた。中途半端な優しさは残酷なのだ。既に越えてはいけないラインは眼前に迫っている。これ以上踏み込んでしまうことは、俺にとっても彼女にとっても良くないことのはずだ。
だから俺は再び彼女の肩を掴みそっと押し返した。今度は抵抗なく、彼女の腕がほどけた。俺を見上げる彼女の姿はまるで路傍に捨てられた子犬のように弱々しく思えた。
「やっぱり駄目よね」そういって彼女はほう、と息を吐いた。それでなにか切り替えたらしい、明るい声で「いきましょう」と言い、歩き出した。
だが、どうやら切り替えは上手く行っていなかったようで、それから彼女はぱったりとしゃべらなくなった。だんだん空気が重たくなってくる。
「そういえば」沈黙に耐えきれなくなって俺は彼女に話しかけていた。「怜が漫画家になったの、知ってました?」
少し間があってから彼女が俺を見た。どうしてそのことを知っているの? と問いたげな表情をしていた。
「さくらさんも口止めされてたんですか」
「ええ」彼女はうなずいた。それから彼女は怪訝そうに「怜が自分で話したの?」
「いえ、母さんから聞きました」
「そういうことか」彼女は得心したようにうなずいた。
「どう思います? 母さんは俺に遠慮してるんだって言ってたんですけど」
「それで間違ってないわ。自分で言っていたもの。自分だけ、好きなことで夢を叶えてしまって、どうやってこのことを伝えたらいいのか判らないって」
俺はため息を吐いた。
「そんなこと気にする必要なんてない、って言っておいたんだけどね。宗平君はそんなことで妬んだりするような人じゃないって」
「正直に話してくれれば、むしろ自分のことのように喜びますよ、俺は。だって怜がすごいことを成し遂げたんだから」知らず知らずのうちにため息がこぼれる。「俺ってそんなに頼りないんでしょうか」
「そんなことない」いきなり強い口調でさくらさんは言った。それからはっと我に返ったような表情になって、「私も、宗平君はちゃんと祝福してくれるって言ったんだけど、どう言うわけかあの子、納得しなくてね」
一体何にそんな罪悪感を覚えているのかしら。腹立たしげに彼女はそう言い捨てた。
「あの子の苦悩なんて私のそれと比べれば」さくらさんはそこで言い淀み、「実は私、あの後デビューするのをやめようかと思ったの」と独白を始めた。「大切な人の人生狂わせておいて自分だけこんなことしてていいのかって。けど5月頃だったかな。あなたとあの場所で会って、それからなにか吹っ切れたのよ」さくらさんはそう言って夜空を見上げた。俺もつられて空を見る。真っ黒な曇天が広がっているばかりで星は一つも見えない。「怜にあなたを取られてしまったこともあったし、いろいろあんまりに考え込みすぎて、気が付いた時には体と心のバランスがおかしなことになってたわ。食事も喉を通らなくて、眠れば悪夢ばかりで夜が怖かった。けどあの日を境にちゃんと食べられるようになったしちゃんと眠れるようになった。なんでしょうね。たぶんあなたが元気にしているところを見て安心したんでしょうね」
「そういえばあの時と比べると大分丸くなりましたね」深刻な空気に耐えきれず俺は思わず、見て思ったまんまのことを口にしてしまった。
「宗平君。それはつまり太ったってことかしら?」
「あ、いや、そういうことじゃなくて。ほどよくふっくらしてる、っていうか。本当にあのころのさくらさんは風が吹いたら飛んでいってしまいそうな感じでしたから」
「どうかしてたんだと思うわ、あの頃は」そう言って彼女は自分の左手首を握った。
彼女が手首を切ったという話は怜から聞かされていた。ちょうど俺と怜が付き合い始めて一月ほど経った頃のことだった。そのことを話したあと、自分の所為かもしれない、と怜が泣き崩れたことをよく覚えている。二人の間でなにかあったのは間違いない。その原因が俺にあるということも。
幸い、腕のいい医者が主治医だったらしく、彼女のその自傷の後は、じっくりと観察でもしなければ見つけることは出来ないだろう。
けれど確かに刻まれているその疵痕は、俺と怜にとっては抗い難い呪いにも等しかった。
怜と相思相愛になった今でさえ、さくらさんへの未練を捨てきれないのはそれが原因の一つであると思っている。またあんなことになったら。その恐怖に縛り付けられているのだ。
「また考え事?」俺の顔をのぞき込んで彼女が言った。「手、繋ぎましょう? やっぱりなんだか心細いわ」
そして彼女はそのことを判っているんじゃないだろうか。そう思わせられることが度々ある。
それでも俺は、思惑に乗せられるように彼女の手を握ってしまう。その手から伝わってくる温もりは、在りし日々の記憶を呼び覚ますには充分過ぎて、その残滓が放つ甘い香りに俺は引き寄せられているのだ。その先にあるのが底のない泥沼であることが判っていても。
玄関を開けると怜が出迎えてくれた。彼女はなにか言いたげな目をしていたが、結局「おかえり」と俺に言っただけでそそくさと階段を上がって自分の部屋に戻っていった。入れ替わりに奥から母さんがやってくる。
「いらっしゃい」と母さんはにっこりと笑んだ。今日もお酒を飲んだのか顔が赤い。
「初めまして」さくらさんが丁寧なお辞儀をした。
「怜から聞いてる。あの気むずかしいのの親友なんだってね」
「あ、いえ、その」さくらさんが狼狽えながら目で俺に助けを求めてきた。そういえば人見知りが激しいんだったか。
「違うの?」
「いえ、親友、です」
がちがちに緊張しているさくらさんに、母さんは柔和に微笑んで、「そんなにしゃっちょこばらなくていいから、いつも通りでいいのよ」
はい、とうなずいた彼女は相変わらず肩に力が入っている。俺は見ていられなくて、母さんに耳打ちをする。
「母さん。さくらさんは人見知りするタイプだからそう言うこと言うと余計に意識しちゃうだろ」
「あら、そうなの?」
「そうだよ」
ちょんちょん、と袖を引っ張られて振り返るとさくらさんが小さくなりながら、上目遣いに「なんの話?」と訊ねてきた。
「なんでもないですよ。そんなことより上がってください」
「宗平。先にお風呂入るから、後かたづけお願いね」そう言って母さんは階段を上がっていった。
リビングにはワインの甘酸っぱい香りが漂っていた。どうやら今日は赤いのを飲んでいたらしい。テーブルの上のグラスの底にうっすらと赤紫の液体が残っていた。
「ここに座るの、なんだか久し振りな気がする」ソファに腰を下ろしたさくらさんが辺りを見回しながら言った。
「そういえば最近来てなかったですね」
「まあ私も忙しいから。原稿とか受験勉強とかで」
「そういえばさくらさんは進学するんでしたっけ」
「ええ。怜は卒業したら専業になるつもりみたいだけど」
「どこ受けるんですか?」
「D大が第一志望ね」
「あれ、県内なんですね。てっきりもっと良いところ狙うのかと思ってました」
「そう考えたこともあったし、お前ならいける、って先生にも薦められたんだけど。まあいろいろ考えて決めたことだから」
「けど、D大ってここからだと結構遠いですし、やっぱり一人暮らしするんですか?」
「ええ。ようやく家をでれるかと思うと清々するわ」
俺は苦笑した。「相変わらずですね、ほんと」
「そういう宗平君は?」
「北高受けるつもりです」
「へえ。じゃあ私の後輩になるんだ。残念ね。後一年宗平君が早く生まれるか、私が遅く生まれるかしてれば一緒に通えたのに」
「怜も同じこと言ってましたよ」
その瞬間、さくらさんの顔がわずかに強ばった。「そう」まるでこの話題には興味がないとでも言いたげな口調だった。顔も不機嫌そうに見える。さくらさんの豹変に、しかし驚くことはなかった。いつものことだ。時々彼女は仕様のない嫉妬を燃やすことがある。怜も嫉妬深いがさくらさんも大概だ。むしろ執着心という部分では怜以上かもしれない。
重たくなってきた沈黙から逃げるように俺はソファから立ち上がった。「さくらさん、夕飯食べました?」
「あんまり。食べてる時に喧嘩になったから」
「それじゃあなにか適当に作るんでちょっと待っててください」
あとついでに怜の夜食も作ってやろう。冷蔵庫の中身を思い出しながらそそくさとキッチンに逃げ込んだ。
有り合わせの材料で作った焼きそばリビングで待っているさくらさんのところに運んでから、二階の怜の部屋へと向かった。
「夜食あるけど、食うか?」扉越しに問いかける。
すぐに「食べる」と返事が聞こえてきた。あわただしい物音がしてから扉が少しだけ開いた。
「さくらは?」隙間から顔をのぞかせて、怜が言った。
「下で食べてる」
俺が答えると怜は「ちょっと入ってきて」と声を低くした。俺は言われるままに怜の部屋に入った。
「なにかされなかった?」
「いや、別に。いつも通りだったけど」
部屋の真ん中においてあった座卓の上にお皿を置いて、近くにあったクッションを掴んで尻の下に敷いた。座卓を挟んで反対側に怜が腰を下ろした。
「いつも通りってことは、また手繋いだりとかしてたのね」
「まあなんて言うかその」
「そうちゃん。さくらはね、まだそうちゃんに未練たらたらなんだよ。それなのにそんなことしてたら、いつまで経ってもさくらさはそうちゃんから離れられない、って判ってる?」
「いや、それは、……はい」
「あのことがあるから強く突っぱねられないのは判るけど、そうちゃんは私の恋人だし、婚約者なんだから。さくらとはいえ、あんまり私以外の女の子と仲良くしないで欲しいの。この前来てた子もそう」
「まあその、善処します」
「うん。私も交友関係にまでは縛り付けようとか思ってないから。そういう線引きだけ、ちゃんとしてね。じゃないと私、嫉妬でどうにかなっちゃうかもだから」
そして彼女は箸を持ち、焼きそばを食べ始めた。
つづく
次回はまた来週。一応このエピソードは次で一段落する予定。




