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深さと重さと  作者: 遠野義陰
第五章
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Heading for spring Ⅱ『Blue Lotus』



 晴れ渡った空の下で空っ風が吹き荒れていた。乾いた冷たい風に煽られながら普段よりも重たいペダルを漕いで進んだ。空模様は景気がよくて結構だが、こうも風が強くてはかなわない。

「すごい風だねー」と俺の後ろで同じように悪戦苦闘している公康が言った。

「お前が先に行けよ」俺は振り返らずに言った。「でかいんだから風除けになるだろ」

「えっ? なに?」

 絶対聞こえてるだろ、と思いながら「なんでもない」と答えてとにかくペダルを漕いだ。

 待ち合わせ場所は町のはずれの方にあるコンビニの駐車場だった。位置的に井上の方が近かった為か、彼女の方が先に着いていた。軒下の壁際に自転車を停め、その隣でスカートの裾を押さえながらコーヒーを飲んでいた。

「おはよう」と声を掛けると彼女は白い息をほっと吐いてから「うん。おはよう」といつもより心なしか柔らかい声で挨拶を返した。俺はここ数日のことがあったのでその態度がなんだか不思議で思わず彼女の顔をじっと見てしまう。彼女はコーヒーの紙コップに口を付けたまま目を反らした。顔が赤いのは寒さのせいか、或いは。などと考えていると「ちょっと買い物してくる」と言って公康が店内に入ったので、俺も「じゃあ、言ってくるわ」と井上に声を掛けて店内に入った。

 とりあえず向かったのはトイレだったが、公康に先を越されていたので悶々としながら雑誌コーナーで立ち読みして気を紛らわせた。

 用を足した後は高菜のおにぎりと暖かいペットボトルのお茶を買って外に出た。

 井上はドーナッツにかぶりついていた。

「寒くないの?」と俺は訊いた。イートインがあるのになぜか彼女は外にいるのだ。

「風が気持ちいい」彼女はそう答えてコーヒーを啜った。

 公康が苦笑を浮かべながらボトル缶のコーヒーを飲んだ。

 俺だけお茶か、とか思ってちょっと仲間外れ名感じを味わいながらおにぎりを食べてお茶で流し込む。

「そうだ。実は加賀さんとも待ち合わせしてるんだよね」と急に公康がそんなことを言い出した。「言うの忘れてた」

「まあ一人増えたところで問題はないけどさ」俺は言った。「イチャついててちゃんと前見てなかったとかはやめてくれよ」

「あはは。それはしゃれにならないね。気をつけるよ」と公康は笑って言った。まあなんだかんだ、たぶんこの三人の中で一番しっかりしてるから大丈夫だろうけど。

 先ほどから黙ったままの井上は二つ目のドーナツにかぶりついていた。

 俺の視線に気が付いた彼女は一言「お昼ご飯、食べ損ねたから」と言い訳のように呟いた。

 それからしばらくして加賀がやってきた。待ち合わせ時間のちょうど一五分前であった。彼女の到着時刻を知り、自分たちがやけに早く来てしまったことと、結構緊張していることを知った。

「おはようございます」と加賀がかしこまった挨拶をした。しかしこれがいつもの彼女である。

 おはよー、とか、おはよう、だとか各々挨拶をする。

「そう言えば昼だよな、もう」と俺は言った。「すっかり染み着いてるな。最初の挨拶がおはようって言うの」

「まあ部活とかあるとね」と公康が苦笑した。

「皆さん、早く来られていたみたいですね」と加賀がやらかした、みたいな顔をしながら言った。

「あはは。僕らが早く来すぎただけだよ」とすぐに公康がフォローする。「特に井上さんなんて、僕らが来た時にはもうコーヒー飲んでくつろいでたし」

 加賀が井上を見た。

 そういやこの二人、そんなに接点ないよな、と思っていると井上がこちらに助けを求めるような視線を送ってきた。

 何か言わないと気まずい感じがしたので、咄嗟に「井上は家すぐそこだしな」と俺はよく判らないフォローをしてしまった。

「はあ。そうなんですね」と加賀は不思議そうな表情を浮かべた。どうして井上が視線を逸らして、そして俺がフォローしたのか気になる様だった。

「加賀さんは、買い物とかしなくても、大丈夫?」

 公康がそう訊ねると加賀は、少しだけむっとした表情を浮かべ、わざとらしくメガネを直す仕草をした。

「えっと、あ、杏は、何か買わなくてもいいの?」すぐに公康はそう言い直した。

「はい」と嬉しそうに加賀は答える。「私は大丈夫です」

 なるほど。名前を呼ぶとか呼ばないとかでちょっともめてる初々しい時期なんだな。

 とても微笑ましい。

 健全な中学生ってこういうのだよなあ、と思って隣を見たら妙に白けた表情の井上と目が合った。リア充死ねとでも言いたげな目をしている。

「井上、それはアウトだ」俺は言った。

「気づかれなければファールは取られない」

「いや、俺が気づいたから駄目だろ」

「くっ」悔しそうにドーナツの包み紙を丸めて握りつぶし、自転車の籠の中の袋に捨て、その袋を持って店内に消えていった。

 最近のコンビニって外にゴミ箱がないことが多いよなあ、などとどうでも良いことを考えていると、

「三島くん。いつも香奈が迷惑かけてます」

 目の前にちょこん、と加賀が立っていた。

「その、色々悪い噂は出回ってますが、がんばってくださいね。私は公康くんから話を聞いて、すべて知ってますから」

「おい」俺は公康を見た。どこまで話した? と目で訴える。公康は顔の前で手を合わせた。どうやら全部吐かされたらしい。

「まさか三島くんが、あの相川さくら先生と知り合いだったなんて、びっくりしました」

 目をきらきらさせる加賀。

 さくらさんのファンって面倒くさい子が多い気がするんだが、もしかしたら公康も苦労するかもな、なんて考えつつ笑ってごまかした。





 さっきは聞こえないフリをして誤魔化したくせに、彼女が来た途端、「僕が風除けになるよ」なんて言って公康が先頭になった。二番目に加賀、その次が井上、俺は最後尾にいた。

 何となく二列縦隊みたいな感じになりそうな取り合わせだったが、真面目な加賀が「ちゃんと一列じゃないと駄目です」と怒ったのでこの形になった。

 まあそれでも不便ではあるがお喋りはちゃっかりしていて、前の方で楽しそうな話し声が聞こえてくる。そのうちちょっとずつ前二人と後ろ二人の間が開き始める。井上がペースを落としたせいだ。自転車二台ぶんほどの間隔が空いた辺りで彼女が隣にやってきた。

「いちゃついてるのが聞こえて来てつらい」げんなりした顔で彼女は言った。

「付き合い始めの頃って一番楽しいからなあ」

「羨ましい」井上は恨めしそうに前方を睨んでいる。「私も彼氏ほしい」そしてすぐさまその目はこちらに向けられた。

「俺は無理だぞ」

「知ってる。でも理解したくない」と井上はわがままなことを言う。「もしかしたらあの時って気持ちがずっと残ったまま消えてくれないから」

 まずいな。この流れは昔の事を話す流れだ。

「どうしてあんなことしたの?」

 どれのことだ。答えを探して頭の中を思考の矢があっちこっちに飛んでいくけど的にぜんぜん当たらない。

「……あんなことって?」

 仕方がないので俺はそう問い返した。場合によってはとてつもなくひどい奴になれるかもしれない、という期待も込めて。

「あの本、なんで、よりにもよって、私の前で買おうとしたの?」

 怒りとか失望とか嘆きとか、そんな感情が縒り束ねられた声を振り絞って井上が言った。

 なるほど、あれが地雷だったのか、などと冷静に考えながら心の底では、じゃあそれの何が駄目だったんだ、と浮かんで来た疑問に対して困惑していた。

「面白いから、って貸してくれたの、三島だったでしょ」

 苦しげに彼女はそう言って、前を見た。

 そういうことだったのか。

 言われるまでそこに思い至らなかった自分の鈍さに思わず渋面を浮かべてしまう。そりゃ彼女も傷つくはずだ。

「三島が事故に遭って入院して、それらずっと返すタイミングを見失ってた」

 信号が赤になって、ブレーキをぐっと握り込む。公康たちはもう横断歩道を渡ってしまって、ずっと先の方に居る。俺はスマホを取り出して、公康に「先に行ってくれ」とメッセージを送った。

「初めは、私に対する嫌がらせみたいなのなんじゃないかと思った」赤信号を見つめながら井上が呟いた。「でも三島はそんなことをする人じゃない。だから変だって思った。香奈にも話したけど、香奈もおかしいって言ってた」

 信号が青になる。

 井上の両足はべったりと地面に付いたまま。宙ぶらりんのペダルが少し揺れた。右折の車が目の前を横切り、信号が点滅して、また赤になった。

「思えば、ずっと変だった。以前はよく話していたのに、ぜんぜん話しかけてこなくなった。まるで私はただの知り合いのように、そこに居るだけだった。本を貸したり借りたりして、それで感想を言い合っていたあの時の三島はどこにもいなくて、正直、戸惑ってた。けれど部活が忙しかったからあんまり深くは考えてなかった。後から三島に恋人が居るって知って、それでなるほど、って納得しかけた。でも、香奈にはいつも通りだったし、やっぱり変」

 二度目の青信号も見送って、彼女はこちらを見た。

「私、三島に嫌われたの?」

 吹き荒れる風に乗って、その言葉が耳朶に叩きつけられる。俺は答えに窮して思わず目を反らしてしまった。井上が息を呑んだのが判った。

「違う」と反射的に、言い訳がましく、「別にそういう訳じゃない」

「じゃあ、どういうこと?」

 そう問い質されて、逃げ道がなくなったと悟る。

 彼女の気持ちを無視して強引に話を断ち切るか、正直に話すか。

 二つに一つ。

 どちらにしても彼女には優しくない選択肢だ。

 どうやっても傷つける。

 いや、もうすでに彼女を傷つけてしまった後なのだ。

 青空を仰いで、それからまっすぐ前を見た。

 信号が青に変わっていた。

「事故の影響がちょっとな」と意を決した割には曖昧な事しか言えずに、俺は逃げるように自転車を押して歩き始めた。

 からから、からから、と車輪が回る。

 少し後をついてくる井上は、何も言わない。まるで詰るような無言の視線が、背中をちりちりと焦がすようだ。

「頭を打って、危険な状態だったってのは聞いてる」横断歩道を渡り終えたところで、井上が言った。「目が覚めた直後は記憶が混乱してたっていうのも。だから、もしかして、とは思ってた。でも、そんな都合良く、ピンポイントになんて、って否定したい気持ちも、あった。でも、三島がいうならそうなんだね」

 あきらめたような顔で井上はそう言った。そして彼女は眉根を寄せ、少しだけ目を細めた。頬がぷるぷると震えている。「それで良かったのかもしれない。実はあの本を返す時に、少しくらい気持ちを伝えてもって考えてたから。でも、あの頃にはもう、相川さんが居たから、だから」と彼女は声を詰まらせた。「だけど、好き。私は三島の事が好き。たとえ三島が覚えてなくても、私の中には沢山の思い出がある。忘れたくても忘れられない。忘れたくない思い出が」

 でも、だから辛いよ。

 そう言って彼女は目を伏せた。そしてその瞼の隙間から涙が溢れて頬を伝った。伝い落ちた滴は風にさらわれていく。

 俺は目一杯背伸びをして、自転車越しに彼女の頭にぽん、と手をおいた。

「ごめんな」

「謝らないで」とぐすぐす泣きながら彼女は言う。「勝手な私の、ただの、片思いだったから」

 俺は井上の頭に乗せていた手で、デコピンをした。

 驚いたように井上はこちらを見た。

「勝手に片思いして、勝手に夏井と喧嘩して、勝手にそれに巻き込んで、勝手に傷ついて」

 俺は髪をぐしゃぐしゃとかき回した。「その、あれだ。気持ちに答えてやることは出来ないけどさ」

 どんな言葉が正解なんだろうか。手探りで見つけた言葉を手当たり次第にぶつけそうになる。それをこらえて一言一言選んでいくのはとても難しいことだった。言葉が詰まって先が出ない。それでも何か言わなきゃいけない。

「なんていうか放っておけないというか。傷つけてしまったことは謝る。口で言ってどうこうなることじゃないのかもしれないけど。でも俺は、井上にそんな風に泣いていて欲しくないんだ。俺の自分勝手かもしれないけど。大切な友達だから」

 井上はぽかんとした顔でしばらく俺を見ていた。

 幾度か瞬きをして、それから彼女が口を開いた。

「私にとっての三島は、友達以上で恋人未満だった」そう言うと井上は涙を拭った。「勝手な願望でそう思ってただけなのは理解してる。でも、私に光を与えてくれて、趣味を共有出来て、無茶を聞いてくれる三島は、やっぱり特別で、だからただの友人なんて言葉は軽すぎる。恩人だと余所余所しすぎる。でも、恋人は遠すぎる。あまりにも」

 それから彼女は困ったような表情になって、「まだ、上手く言い表せない、かな」

 俺は言った。「それでいいんじゃないか。いまは」

「結論が出るまでに、私はあと何回失恋すればいいのかな」

 彼女はそう冗談めかして言って、寂しそうに微笑んだ。

「気が済むまで相手してやるよ」

 俺はそう答えた

 半分本気で、半分冗談だった。

 それをどう捉えたのかは判らない。ただありがとう」と言った彼女はとても清々しい顔つきになっていた。

「行こう。遅くなると栗原たちが心配する」

 そう言って彼女は自転車に跨がった。 

 


 既に合格者の掲示が始まっているようだった。時間を確認すると一四時一五分で、予定では一四時からだったはずだから一五分の出遅れだ。まあ早いからどうということもないのだが。駐輪場では気の早い連中が幾人か帰り支度を始めていた。大半が不合格だったのか、どこか陰りのある仏頂面を浮かべている。来て早々そんなものを見てしまったから急に不安になってきた。井上も同じなのか、緊張したように口を真一文字に閉じていた。

 掲示場所へ向かう道すがら、公康が待ってくれていた。

「遅かったね」と彼は笑った。

「あれ? 加賀は?」俺は訊ねた。

「ああ、先に行ってる。まあかがさ、杏のことだから多分大丈夫だよ」

「よし、俺らも行くか」

 俺はちらりと後ろを見た。

 井上が心細そうな顔でこちらを見ていた。彼女は受けた学科が違うので、掲示場所も微妙に違う。同じく空間ではあるけれど、張り出されているボードは別なのだ。

「井上なら大丈夫だよ」俺は言った。「俺が保証する」

 それが果たして何の保証になるのか言った俺自身も判らないが、「うん」と頷いた井上の顔はどこか安心したように見えた。もしかしたら、そう言って欲しかったのかもしれない。井上の中で何かポイントを稼いでしまったのではないか? そう思いながら彼女の背中を見送って、前を向くと公康が呆れ顔で俺を見ていた。

「そういうところだよ」

「はい」

「まあいまのは仕方ないのかな」と彼は肩をすくめた。

 


 少し行ったところで加賀と、恐らく加賀の母親らしいペアが俺たちを待っていた。彼女は母親に手を振るとこちらに小走りでやってきて、公康の隣に並んだ。

「まだ見に行ってなかったんだね」公康が言った。

「うん。一緒に行こうと思って」

 俺は二人から少しだけ距離を取る。

 それからふと思う。俺や怜と一緒に居るとき、こいつもこんな風にそれとなく距離を置いてたのかな、と。

 もしそうなら申し訳ないというか、感謝しなくちゃだな、などと思いつつ、掲示場所へ足を運んだ。




続く

タイトルはTEARS OF TRAGEDYの楽曲から拝借しました。多分大した意味はないです

今回短いのでもしかしたら来週くらいにもう1話更新するかもしれません

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