336.あの男よりも先に僕のことを
やっぱり。落ちたコインを拾ってくれた宗次さんが――
「奴は相手が強いと燃えるタイプなんでね。
でも、流石にまずかったと、あれ以来は大人しくしてますよ」
「まぁいいでしょう――再び鍵を手に入れるまでの期間、それ以外の雑用をお願いします」
「……了解」
「それでは……コレをその女の首につけてください」
自身の胸ポケットからネックレスを取り出し、そう言ったオーナーの顔は、まるで感情のない能面のようで……背筋がぞくりとした。
「それは……例の?」
「そうです。記憶操作系の能力を持つアーティファクト。
一時間前後から数ヶ月前までの記憶消去が可能だそうです」
そんなアーティファクトが――⁉︎
「発動まで少し時間がかかる物なのですが……最大のパワーで、どれくらいの記憶が消せるのか、試してみたいと思っていたのですよ……」
血の気が引いていくのが自分でもわかる。
「せっかくなので、試させてもらいましょう」
数ヶ月分も消されてしまったら――大吉さんと出会ったことすら――――
雷喜さんは、東オーナーの元へ行きそのネックレスを受け取ると、再びわたしの後ろに立った。
「や……!」
大人しくつけられてなるものか! と体を捩ろうとするも、前からオーナーに両肩を押さえられ、ささやかな抵抗すら封じられる。
大丈夫――きっともうすぐ警察が来てくれる――
ズキズキとお腹が痛むのを思い出しながら、わたしはそう願った。
あっけなく着けられてしまったネックレスを見ると、それは薄青い光に包まれていて、細い糸のような光の筋が東オーナーの方に伸びている。
「これは、先日外国から仕入れた物なんですが……対となる物が、一定の距離内で発動した時のみ効果を発揮するという、珍しいタイプのアーティファクトでしてね」
その言葉に思い浮かんだのは、つい先日レシピを確立した外付けアーティファクト。アレは本体と一体化してはじめて使用できる物だけれど……オーナーの説明からはソレと似たような雰囲気を感じる……
「このブローチが親、そのネックレスが子で。ブローチを発動させる事で、ネックレス装着者の記憶を消してくれるのですよ」
オーナーがズボンのポケットから取り出したソレを見ると、微かな光の筋は、確かにそれへと繋がっていた。そして、オーナーがブローチの力を解放し始めると、ネックレスも反応している事が分かる。
そのアーティファクトの仕組とか能力、気になるし興味もあるけれど……こちらに来てからの記憶、無くしたくない……!
何か、遠隔操作ができないかと、二人の持つアーティファクトの力を感じ取ってみる。けれど、やはり装着者に順ずるようで反応はなく……代わりにブローチから伸びる光の糸が、ゆっくり、ゆっくりと輝きを増しているのが目に入った。
時間がかかるというのは確かなようね……
でも五分や十分と、かかるわけではないだろう。他に何か手立ては……と、意識を部屋内から外の方まで広げていくと、わたしの足掻きに気付いたのか、雷喜さんが横に立ち、何やら話しを始めた。
「大人しくしていてください。僕は今の仕事を諦めるつもりはないですし。貴女は……記憶さえなくなればこれまで通りに過ごせますから」
陥没事故だって、花街強盗だって、死人こそ出ていないけれど……とても寛容されるような事ではない。
そんな事をしておきながら……この人は――
「わたしの記憶さえ消せれば……元に戻れると――?」
まるで「自分は何も悪いことなどしていない」というような雷喜さんの言葉に沸々と込み上がる怒り。それを胸に感じながら、わたしは彼を横目で睨みつけるようにして言った。
「…………」
彼は今、いつもと違うアーティファクトを身につけているようで、腰につけている感知阻害袋以外は、その気配に覚えのないものばかり。
そういえばわたしのアーティファクトは今どこに……?
「元に戻るより、もっと良い事になりますよ。特に、僕にとっては」
「良い事……?」
「貴女がトウキョウに来てあの男と出会ってから、まだ数ヶ月……なんですよね?」
喜光さんから聞いたのか。
「出会う前まで記憶を消せれたら一番良いんですが。まぁでも……あの男よりも先に僕のことを知ってもらえれば、貴女は絶対に僕の元に来ます」
その自信は一体全体どこからやってくるのか。屈託のない、まるで子供のような笑顔をして言う彼に、わたしは問うた。
「どうしてそう思うの……?」




