269.大吉さん、わたし……
照らされているはずのその目を、表情を、確認する間も無くわたしの視界は赤い何かで埋め尽くされた。
「藍華! 明日出発だというのは本当か!」
ソレは蘇芳さんの赤い羽織。
ものすごい勢いでやってきた彼は、わたしと大吉さんの間の壁に手をついたのだ。
「おま……! どけっ……邪魔するな……!」
大吉さんが必死に蘇芳さんを退けようと、壁につかれた手を掴んで立ち上がる。
わたしも立ち上がって、できるだけ離れようと後ろに下がるけれど、足元にあった飾り石に引っかかってよろけてしまった。
「……!」
すると突然、空から優しく光る何かがが降ってきて、わたしの肩を持ち支えてくれる。
「おぉ、お主は……毎年我が社を掃除しにきてくれている者ではないか」
それは、月のように輝くオーラを纏った人型の龍石。
「お前は……呪いのアーティファクトが解放された時にいた…………何者だ……⁉ 」
突然の、空からの来訪者に驚いた蘇芳さんは、大吉さんに腕を掴まれたまま龍石を凝視して言った。
「ん? 我のことがわからぬか?」
その時、龍石の懐から水晶龍が飛び出して、嬉しそうに蘇芳さんにすりついていく。
おぉ……?
「ははは、水晶龍はお主のことが好きらしい。社の中で一番丁寧に磨いてたもんなぁ」
「龍石……ありがとう」
わたしがそう言って体勢を立て直すと、龍石は蘇芳さんの所へ行き、大吉さんとは反対の手を掴んだ。
「まぁまぁ、中に入ろうではないか。お主も別れの宴会に来たのだろう? 掃除の礼もかねて、我がもてなしてやる」
そう言うと蘇芳さんの手を引き、カラカラと扉の音をさせて中へと入っていった。
ふと大吉さんの方を見ると、二人を目で追って扉をそのまま睨んでいる。
蘇芳さんに対して怒ってる……? その表情すらも『カワイイ』と思ってしまっている自分は、きっと深刻な病にかかっているのだろう……。
恋の病、というものに──。
視線を左手小指にはめてもらった指輪に移して、右手でクルクルと回しその模様を眺めた。
シンプルで、素敵なアラベスク模様……
小指だけども、素直に嬉しいと思う。
「大吉さん、わたし……」
わたしは、ゆっくり、まっすぐと大吉さんを見上げて告げる。
「大吉さんのことが──好きです」
「…………」
大吉さんは少し驚いた顔をしてこちらを見ると、すぐに視線を逸らし、右手で左肘を支えながら左手を口元に持っていった。
月明かりでは顔色までは分かりにくく、わたしは大吉さんを見つめたまましばらく動けなかった。
ふわりと風が吹き、わたしはたまらず下を向く。
何か……返事が……欲しいんですけど…………!
妙に時がゆっくり流れているような気がする。どれくらい経ったのかも分からないけれど。先に動いたのは、その間に耐えきれなくなったわたし。
「スミマセン! 突然……」
胸元で指輪を包むように右手を添え、ぎゅっと握ると、固まっていた身体をなんとか動かした。
「わたし、中に戻ります!」
そう言って大吉さんの横を通り過ぎようとすると──
「待て……!」
右腕を軽く掴まれ、引き止められる。
「俺にも言わせてくれ……!」
俺にも……?
涙の滲み始めた目で振り向き見上げると、大吉さんは必死な表情で……
「俺も……好きだ…………!」
滲んでいた涙はいったん引っ込んで。わたしはゴクリと唾を飲み込んだ。
「資金がちょっと……足りなくてな…… 」
そう言いながら腕を離し、わたしの左手を取る。そして少し小声になりながらも、大吉さんは何かを伝えようと口を開いた。
「だから……この指には……」




