245.藍華の決意
「どうしてそこまで……そこまでして戻りたいの……?」
何人もの人間を犠牲にしたと言っていた。
それの真偽は分からない。けれどこの人の雰囲気はとても常人のそれではなく、事実……なのかもしれない……。
見たところ、この人は五十代くらい。大吉さんがクゥさんと出会ったのは十年ほど前。そしたら四十代でこちらに来たということ……。
もしかしたらあちらに家族を残してきていたり……するのかもしれない…………
聞いてどうにかなるわけでもないし、同情などしたくもないのに、なぜかわたしはその質問を口にしていた。
ユキノブはじっとわたしを見下ろし、しばらくしてから口を開き
「ただ──戻りたいだけですよ────」
そう冷たく言い放った。
「……戻る方法を探すために……戻るために必要だと分かった神器を集めるために、してきた様々な事を後悔する気持ちも……ありません……」
変わらぬ冷たい口調と滾る怒りを抑えているような雰囲気なのに、ユキノブの背後に狂気という名の暗い闇が見える気がするのに……何故かまるで過去は後悔していたかのような感じを受けてしまい、わたしは少し戸惑った。
「強いていうならば、私をこの世界に連れてきた何かの責任……私は何をしてでもどんな罪を犯してでもあちらに戻りたいだけなのですから────」
狂気の中で何かを切望するようにそう呟くユキノブをわたしはただ、見つめた。
どんな理由があろうと、人の命を蔑ろにして良い訳はない……人の命に比べたら大したことじゃないかもしれないけれど、この人がわたしにしたことも許すつもりはない。
わたしはとにかくこの場所からなんとか抜け出さなくてはならない。
そして、時空を越えるための儀式とやらを何とか阻止しないといけない。
だって、わたしはこの世界に留まっていたいのだから…………!
まだちゃんと伝えてない……大吉さんに自分の気持ち────
自分の中に確かな気持ちを感じ、わたしはユキノブを見る。
「どうやら……貴女はあちらに戻りたいとは思われていないようですね………」
ユキノブがニヤリと笑みを浮かべながら近づいてくる。
体は思うように動かせず、後ずさりたいけれど下がれない。
最悪縛られたままの手でもなんとか一撃くらいは入れてやる……! そう意気込んで待ち構えていると、その顔から笑顔は消え、しゃがんで目線を合わせてきた。
「あちらに戻れたなら……その時にいくらでも恨み言を聞きましょう……。
なんなら、目的を果たした後ならばこの命さえもお渡しします」
その瞳には、仄暗い光の宿っているように見え、推測の域は出ないけれど、やはり戻りたい理由が何かあるのだと感じる。
「ですから──付き合っていただきますよ……あちらの世界への扉へ────」
そう言うユキノブの瞳に、もう狂気は見えず。
自分の心の中に生まれかかる同情という感情を外には出さないように、わたしは睨むことをやめないで真っ直ぐとユキノブを見つめた。
「時空を越えるための術式を行うのは第一候補だった明日の明け方に再変更済みです。
食事は運ばせますので、大人しくしていていただけると嬉しいのですが…………」
そう告げるとあっさりと部屋から出て行き鍵を掛け、遠ざかっていった。
そしてユキノブの持つ十字架のアーティファクトの気配は、ある場所でふつりと消える。
ファイグスのリーダーと会合していたあの場所へも、アーティファクトの力で突然現れていた……おそらくあの鍵穴のアーティファクトが、遠く離れた場所から扉一つでやってこれるような物なのだろう……。
そうすると、ここもあの場所からどれくらい離れているのか判らない…………
どうやって大吉さんと連絡を取ろう──どうやってここから逃げ出そう──色々考え、やらなければならないことがあるけれど、ユキノブが最後に見せた表情から生まれそうな同情という感情をどう処理すべきか口に出して確認する。
「突然こちらに来て、戻りたいのに戻れなかったことに同情はしても…………これまで彼がしたであろうことを……
わたしにしたことを許しはしない…………」
盗賊に依頼して砂糖を強奪することだって、神器の盗難だって許されることではない。
かといって、自分に何が出来るのかとか……分からないけれど…………。
わたしはとりあえず気持ちを切り替えて、次の手を考え始めた。




