206.特別室
「お前……何故ここに……」
藤騎がいることに気づきそう呟くと、呆れたような声色で言う。
「また学童を抜け出してきたのか……」
学童、こちらでは学校が夏休みの間親が仕事から帰るまで子供達を預かってくれる場所のこともそう呼ぶのかな……
「……真面目に話がしたいから来たんだ……!」
その言葉を聞くと、藤壱係長は深くため息を吐いた。
「まだあの話をしたいのか……。こんなとこまできてもこれ以上聞くつもりはないぞ」
気難しそうな顔は声色が変わっても、ピクリとも動かない。
表情があまり動かない人なのかな……?
「まぁまぁ、藤壱統括係長! メインの話はそれじゃぁないんで! ひとまずその書類の話、いいですか?」
少し強調されていた統括という単語が耳に残る。
「入りたまえ」
大吉さんの顔を見て難しそうな顔は崩さずに、首でクイッと促しつつ、翻して奥の方へと歩いていき、その様子を藤騎くんは固い表情のままずっと見ていた。
部屋の作りは第三研究所とほぼ同じ、事務部分と研究を行う部屋、そして所長室。
事務部分にも応接用のテーブルとソファはあるのだけれど、わたし達はすぐに所長室の方へと連れていかれる。
藤壱係長がノックをすると、どうぞと声が聞こえ、扉を開けた藤壱さんが先にどうぞとわたし達に促した。
「どうぞ、お入りください」
「ありがとうございます」
歓迎されていないことはわかっているけれど、お礼を言いながらわたしと藤騎くんが先に入ると、大吉さんも失礼します、と言って後に続いた。
中へ入ると、所長室のデスクには初老の男性が一人。
「所長、特別室をお借りしてもよろしいですか?」
後ろに立った係長が扉を閉めながら言うと、所長と呼ばれたおじいさんは、わたし達を一瞥した後すぐに書類に目を戻して言った。
「藤壱君の頼みなら良いよ。ただし何か決まったなら報告だけはちゃんと、な」
その言葉から使用不可の神器を提供していただけるかどうかは、藤壱係長に任されたのであろうことがわかる。
「ありがとうございます」
藤壱係長はそう言うと、所長室の更に奥『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉を開けて、またわたし達を先に通した。
「どうぞ」
第三研究室の方にはなかった特別室、広さは所長室と同等で、同タイプのソファとテーブルがあった。
奥の壁に扉はないけれど何かがあると感じる。
中に入るとそこが特殊な空間だとすぐにわかった。
「ここ……アーティファクトの力が制限されてます……?」
わたしの身につけている物も、大吉さんのチェーンの先にあるアーティファクトも、その輝きが一瞬揺らいで消えたかと思うくらいに小さくなる。
「ほぅ……田次郎殿の関係者だけあってどうやらカンの良いお嬢さんのようで。
どうぞお座りください」
言われてわたし達は藤騎、わたし、大吉さんの順にソファへと腰掛ける。
「俺は第三統括室副所長田次郎の甥の大吉。こっちは俺の所でマスターになるための訓練中の藍華だ」
「よろしくお願いします」
わたしが座ったまま軽く頭を下げると、大吉さんも一緒に頭を下げていた。
顔を上げて藤壱係長を見ると、彼は眉間に皺を寄せたまま言った。
「藤騎がなぜここへきたのか、大体の訳はわかっていますので、そちらは後回しにしましょう」
パサリとテーブルの上に大吉さんの渡した書類を置き、藤壱係長は話し始める。
「使用不可になった神器の中から、透明度の高いものを提供してもらいたいだなんて……随分不躾で無茶な頼み事ですね。
例え第三研究所副署長からの依頼であったとしても、今すぐなんて無理に決まってますよ」
書類には、龍石とそれをサポートする水晶龍の力を保つために必要で、即刻渡して欲しいという旨の記載もあるのだが。
渡すことはともかく、今すぐということについてはどうやら拒否する方向で話を始めたいようだった。
「何故だ?」
「そちらの選んだ物をこちらでも精査して、引き渡しても良いと決定がなされてから渡すのが正常だとは思いませんか?」
確かに、管理をしているのが第一研究室ならば、彼らの許可が必要だということもわかる。
わかるけれど──
「なるほどな。お堅い政府役人さんの真っ当な意見だとは思う────」
トウキョウにいる『誰か』を思い出して言っているのか、苦笑しながら言う大吉さん。
わたしにはその手の意見はもう聞き飽きた、と言っているようにも聞こえたけれど、藤壱さんは肯定したのだと受け取ったらしく、
「では引き渡しは後日でよろしいですね?」
と言った。
後日では間に合わない、今すぐでないと……!
アレを出すタイミングだ、と思ってわたしがポーチに手を突っ込んだ時、
「その質問に答える前に」
立ちあがろうとする藤壱係長を引き止めるよう、大吉さんが言葉を発した。
「あんたはここに書いてある事についてはどう考えたんだ?」
「龍石の力を戻し、保つ為というやつですか?」
その言葉に大吉さんは静かに頷いた。
「水はギリギリまで貯蔵のものを使えばよろしい。急ぐ必要はありませんね」
「数日間でストックが切れるということは?」
「風の噂で持ち直したとも聞いていますが?」
風の噂って。
確かに清めの水がなんとか確保できるならば、こんな余分な物の力は必要ない、よって貴重な物を提供する必要もない。
そう考えているのだろう。
「ならばそれが安定するかどうかはまだ不明ということは風に乗っては来なかったか?」
「……」
藤壱係長はしばらく黙り、一度目を閉じて一息ついた。




