199.水神様
「あともう五十メートル程です」
出発してから五分程して辺りが暗くなりはじめ、帰りは明かりが必要だろうと思っていた時、花子さんは振り向かずにそう告げた。
「通常このようにわざわざ御神託を受けに行くことはありません。拝殿、本殿でお参りしているときに降りてくるものなんですが……。どうしても、国家の危機クラスの問題が起こった時は、こうやって神の座す所に赴き御神託を受けるために儀式を行うんです」
「国家の危機クラス……」
「私は水と相性が良くて、この先にある小さい滝と泉の所で御神託を受けます」
「なるほど。双葉ーちゃんは火と相性が良いと……」
そういえば、わたしは何と相性がいいんだろうか?
チートな自分の状況状態で全部オールマイティに使えてしまうからいまいち把握していないことに気づいた。
「藍華さんは、おそらくですけど水と相性が良いように見受けます」
「…………!…………」
もう先ほどからだったけれど、当然のように今まさに考えていることの返事をいただき、驚いてしまう。
「こちらにいらっしゃる水神様は、とても気性の荒いお方で……遥か太古の昔からここにいらっしゃいます。
水神様がお暴れになった時に遺恨なく抑えられるのは同じ水か木です…………
いざというときは、よろしくお願いします」
先を行く花子さんの顔は見えないけれどその声は真剣そのもので、わたしはピリッとした緊張感を感じていた。
御神託を受けるときに一体なんの問題が起きようというのか、この時のわたしは想像もできていなかったけれど──。ふと、花子さんの手首にあるわたしの作った身代わり守りが何故だか目に入った。
ソコに近づくにつれ、空気が変わっていく。
元の世界ならば『気持ちの良いマイナスイオンのある場所』とでも言い表したであろうその場の雰囲気を、わたしは“マイナスイオン”という単語では言い表したくなかった。
それ程までに荘厳で神聖な──ともすれば威圧感すらも感じる空気がそこには…………
「さ、こちらです。」
茂みをこえると、わたしの背の二倍くらいの高さの崖の壁から一筋の水がキラキラと輝いている場所に出た。
滝壺は、龍石の泉の三分の一くらいの大きさの泉を作り、神社とは別の方向へ小さな沢となって流れていっているのが見える。
花子さんが袴が土に汚れるのも厭わず泉の縁に膝をついて座り、持ってきた包みを開くと──中から出てきたのは、小さなお供え用の台(三宝)だった。
来る途中で採取した榊の軸を左手に、右手で葉を支え額に当てるようにして掲げる。
わたしはなんとなく、そのすぐ左斜め後ろに正座して、花子さんが慣れた手つきで軸を滝壺の方に向けて台の上に置き、両手をつき頭を下げると、わたしは同じように両手をつき、頭を下げて、そのまま目をつむり止まった。
何故だか、そうしなければならないと感じたから。
その体制のまま十数秒が過ぎると、滝壺の方から突然冷たい気配が来るのがわかった。
条件反射、と言えるのだろうか。確実にわたしの危機管理能力もレベルが上がっている。
「ベルカナ‼」
体を起こし咄嗟に張った結界は、花子さんとわたしを覆うように展開し、迫り来た水の刃に押されて少し動くが、立膝になって気合を入れなおすと刃を弾き飛ばした。
花子さんは微動だにせず頭を下げたまま。水の刃がトスっと地面に刺さると、数秒でそれはバシャリとただの水に戻り、地面へと吸収されていく。
ソレが飛んできた方向を改めて見てみると、いつの間にやらスモークのような物が広がり、そこの一帯が強く光っていて、中から声が聞こえてきた。
『ほぉう。珍しく勘の良い者が来よったのぅ……』
その声は明らかに人のものではなく、大気全体が震えているかのように響いていた。
『巫女よ、我の姿を目にすることを許そう。面を上げるがよい』
花子さんは頭を上げて真っ直ぐその光の方向を見た。
わたしは結界を解き、正座しなおして目を凝らしてみると、そこには……
白く輝く狩衣を纏い袴は深い森のような緑色、長いストレートの髪はアクアマリンのような色合いで、神々しいという表現がぴったりであろう美しい人が滝壺の水面に浮いていた。
纏う光が、その気配が、明らかに人ではなく……
この美しい姿の人が水の神───
男性とも女性ともとれないその水神様に目を奪われていると、花子さんが再び頭を下げて言った。
「お久しぶりです、水神様」
『何をしに来た巫女よ。我の存在を消しにやって来たか──』
えらく攻撃的なその言葉に、わたしはむっとして何故、と問おうとして気が付いた。
この神は────




