第2話 聖女は北へ旅立つ
――ここは中央大陸の大部分を占める帝国の帝都。わたくしの名はヴェルメリア・ゲルレム。皇帝陛下より信任を受けた聖女の一人ですわ。聖女は国家に祝福を与えること、帝国中を行脚して慈愛の女神の慈悲をあまねく臣民に施すのが使命です。
これからわたくしは帝国行脚の旅へ出立するところですの。いつも出立する前に、こうして大聖堂に安置されている慈愛の女神の像に祈りを捧げております。
「……ヴェルメリア殿」
――帝国は栄華を極めている反面、影もまた濃くなっておりまして……何分にも広大な領土ですので地方では皇帝陛下の威光が届かず苦しむ人々がいるとか。そんな民草に帝国の主神・慈愛の女神に成り代わり聖女たるわたくしが慈悲を施してまわるのです……。
「ヴェルメリア殿?」
(なーんて、普段は聖女様口調で話してるけど田舎暮らしが長かったせいかこっちの口調の方が性に合ってるわね)
私は子供の頃から病弱でよく熱を出して寝込んでたわ。お母様が若くして病で亡くなられたこともあったから多分長くないと思われてたのね。療養という名目でお爺様の元でずっと暮らしていたのだけれど、お爺様はそんな私を不憫に思ってとても良くしてくださった。
元・帝国軍大将で帝国守護神の一柱「武功神の化身」と呼ばれたお爺様仕込みの武芸と、元大神官だった大叔母様に教わった神聖魔法ですっかり元気になった。そして、たまたま聖女としての適性があった事と、血の滲む様な努力の甲斐とそしてコネもあって――今では帝国を代表する聖女をやってるのよね。ま、その辺の話はまたの機会という事で。
「ヴェルメリア殿、聞こえているのですか!」
「あら、マギアス神官長。ご機嫌麗しゅう」
この人はマギアス神官長。帝都にある慈愛の女神信仰の総本山である大聖堂に仕える神官たちをを束ねる人で、その象徴である高齢の大神官様たちに代わって実務を取り仕切っている……まあ、中間管理職ってやつね。
深緑色の長髪で背の高い――いわゆる美青年になるのかしら? 若くして神官長を任された神聖魔法の秀才、エリートっていうことで憧れる女性も多いらしいけど……ま、私にとってはただの堅物で口うるさい説教大好き人間ね。
「旅装束を纏われているということは、また行脚に出られるのですか?」
「ええ、どうやら北の方に病で苦しむ領があると聞きましたので……これも聖女の務めですわ」
(……私を怪訝そうな目で見ているのは、もしかしてまた何かお説教?)
「基本的に聖女は地方領主より要請があって出向くもの、要請も無いのに自ら出向くなどあまり例が……この間も近隣の領で代行官と商業ギルド長が聖女の行脚を利用して不当に相場を操作していた件を、聖女の貴女が自ら解決したと聞きましたが……本来あり得ない事ですよ!」
(この間のはちゃんと領主様からの要請で行脚してたんだしいいじゃない? まあ「たまたま」不正を見つけちゃったんだけど)
「確かにわたくしは聖女、自分では何も出来ない無力な存在です。しかし、皇帝陛下の御威光にすがることも出来ずに塗炭の苦しみを味わっている地方の民を想うと居ても立ってもいられず……」
私は両掌で顔を覆って涙声を演出してみた。指の隙間からチラっと覗くとマギアス神官長は眉間にしわを寄せてこめかみに指をあててしかめっ面をしていた。
(ああ、この手はちょっと使い過ぎた……かな?)
「貴女が行脚した先ではことごとく事件が起きているのですが、それはどういう事なのですか?」
(ははーん? 私の行動について一応耳に入っているというわけね?)
「あら、それは表現がおかしいのでは? わたくしが事件を起こしたのではなくて行く先々で事件が起こるので、わたくしは聖女としてその時に出来る限りのことをしているだけです。まるでわたくしが何か騒動を起こしているかのような仰りよう……心外ですわ」
私は殊更に落ち込んだような素振りを見せてみた――もちろん素振りなのだけれど。
「う、それは……とにかく、貴女は聖女なのです。軽率な行動はご自重頂きたい――」
「まあ! マギアス神官長様自ら、わたくしの身を案じて下さるのですね、有り難うございます」
「そうでは……いや、そうなのですが。ううむ、何と言いますか――」
「わたくしは無学なもので、神官長様の深謀遠慮を理解出来ず申し訳ございません。目の前にある聖女としての使命をひとつずつ果たしていくだけです。では失礼致します」
(実際、別に私がトラブルを起こしてるわけじゃないからね~)
まあ、本当はそういう悪事が行われている場所にわざわざこちらから出向いているのだけど……聖女は困っている民草に救いの手を差し伸べるのが使命だから、選ばれし聖女として帝国の悪をブチのめす世直し旅をしてるというのは極々自然なことよね?
「よいですかな、赤の聖女ヴェルメリア。くれぐれも聖女に相応しい行動を――」
「承知しております、マギアス神官長様。では、行ってまいります……慈愛の女神の御加護があらんことを……」
とまあ、典雅にふわりと挨拶して去る私です。
――そして堂々と"いざ出立!"と行きたい所だけれども、私は聖女だから大聖堂の正門から出ると何かと目立ってしまうので、普段は勝手口がら出入りしている。いつもの勝手口を出ると、毎回私の旅に同行してくれている二人の侍女が旅装束で待っていた。
「ヴェル様、お待ちしておりました」
短く整えた黒髪のすらりと背の高い侍女「セッテ」は冷静沈着で事情通なので彼女にはいつも情報収集などをお願いしている。
「ヴェル様ぁ、今回はどちら方面に行かれますかぁ?」
私より背が低くく丸みのある女性的な体つきで、癖のある伸びた栗色の髪をお団子で纏めている侍女「ユイ」はちょっと抜けてる所もあるけれど、社交的な性格で何より世事に明るいので旅をするには無くてはならない存在。
この二人が呼んでいる「ヴェル」と言うのは私がお忍びの時に名乗っている名前の事。聖女だと目立ってしまうので、普段は「しがない商家の末娘」を名乗っている。
「今回は帝国北部、モンティア領に行きますわ」
ユイはそれを聞くと目を輝かせた。
「あちらは小麦がよく育って美味しいのですよ……こちらでは食べられないような名物が――グフフ」
ユイは小柄だけどとても良く食べる。世事、特に食べ物には目が無い。でも彼女のオススメは大体美味しいので旅の楽しみでもあるのよね。
「ヴェル様、モンティア領ですが――聖女が居て人々に慈悲を与えているという情報があります」
セッテは独自の情報網を持っていて、いつも下調べをしてくれている。
「聖女? 今、地方行脚している聖女は居ないはずですが……」
帝国公認の聖女は私を入れて現在四名でそれぞれ「赤」「緑」「青」「白」を冠している。ちなみに私はさっき神官長に呼ばれていた様に「赤の聖女」だ。
それぞれ交代で帝都を拠点に各領主の要請で出向いたり季節ごとに各地を巡礼したりしているんだけど――今は丁度時期の合間で皆、帝都に居る。
(まあ、私はしょっちゅう留守にしてるけどね……)
「まさか、聖女様の偽者ですか?」
ユイはセッテの情報を聞き、ムッとした表情になった。
「もしそうだとしたら面白――いえ、由々しき事態ですわ」
私がそう言うと二人とも疑いのまなざしをこちらに向けた。
「ヴェル様……楽しそうですね?」
セッテが怪訝な表情で私を見つめる。
「そんなことありませんよ?」
私は聖女の微笑みで返した……でも二人とも溜め息をついている。
(――失礼しちゃうわね)
そういうことで、私たちはお忍びで帝国北部のモンティア領にいるというニセ聖女について調べに行くことにした。




