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黎明の氷炎  作者: 雨宮麗
建国祭編

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92 「崩れゆく四龍院家の野望」

 

 朱雀(すざく)家こそが、帝の本家の血筋であるのだと知らされ、広間にいる貴族や従者たちがざわめく中、朱雀あまねだけは静かに四龍院崇景(しりゅういんたかかげ)鷹翁(たかひと)を見据えた。


 空気はぴんと張り詰め、誰一人声を発することができなかった。その沈黙を破ったのは、崇景(たかかげ)のやつれた叫びだった。


「まだだ、まだだ……! 我が四龍院家を侮るな!」


 その陰に潜めていた黒装束たち……禁呪に通じた黒魔道士が、広間へなだれ込む。しかし、支配の野望を支えるには十分すぎるその力でも、この場にいる国家守護十隊の隊長や翠蓮(すいれん)の前では脆弱(ぜいじゃく)な力だった。


「もう終わらせよう」


 あまねのその声で、国家守護十隊が一斉に動く。


 先陣を切るのは、柔らかな容姿に似合わぬ芯の強さを持つ(ゆずりは)。雪の魔法が吹雪いて黒魔道士たちの動きを止め、捕らえられていた怪我人や王宮の守衛には癒しの魔法が沁み渡る。


「痛みはもう終わりです。……立てる人はこちらへ」


 その声もまた、混乱した空間に静かな秩序を呼び戻していく。


 一方でどこか飄々とした男、宇佐はサイコロを爪先で弾く。


「見せてみろよ、お前らの運命ってやつをさァ」


 霊たちがサイコロの目に従い一斉に黒魔道士たちへ飛び込む。勝者の霊たちが味方を守り、敗者の霊たちは黒魔道士の呪詛を受けて離散する。

 しかし今日の宇佐はツイていた。(さい)の目に揺らぐ運命を自在に操るその姿は、味方にとっては“必勝”を感じさせるものだった。


「魔王戦でも役に立てっての、今日に限ってツイてやがる」


 そして戦場の中で翠蓮は京月との修行で鍛えた剣技を見せる。

 黒魔道士たちは力を失い、鷹翁が倒れた黒魔道士の魔法具を掴んで立ち上がる。それを翠蓮へと突き出す。しかし、その時だった。


「すいれんちゃんっ!下がって!」


 同期の神崎桜の声が割って入り、瞬時に水の奔流が鷹翁と魔法具ごと広間の隅まで押し流した。水流に飲み込まれた鷹翁はそのまま気絶し、黒魔道士の魔法具も破壊される。


「いい?すいれんちゃんは私の同期で、大切な友達!ぜったい傷つけさせないんだから!」


 燃える正義と友情を体現したような桜の一撃に、翠蓮は安堵の吐息と共に微笑み、負けじと凛とした表情を見せる。


 大広間には雪と水霧が舞いちり、すでに暗き野望の残穢はほぼ払い落とされていた。


 だが、主役を譲る気などさらさらない崇景が、最後の博打に出る。


「くくっ……お前たちは、本当の“力”を知らぬ。今この国の裏には“魔王”がいる。四龍院家と魔王の同盟だ、貴様らごときに崩せるものか!」


 “魔王”という、この世界そのものすら征服せんとする最上級の魔物の存在、圧倒的支配者の名声を“盾”にした脅し、保険だ。

 その圧倒的な“闇”と共謀して、四龍院家は玉座をも掴み取る算段だった。


 王都の外をも蠢いていた魔王の魔力が、今この広間にまで忍び寄り、誰もが本能的な恐怖に息を呑む。


「恭しく跪け!我が背後には世界の闇がついている!」


 崇景は嘲笑しながら、恫喝する。

 しかしその言葉は突然、空を切る。


 広間を包んでいた魔王の悪しき力が、まるで最初からなかったかのように、ふっと消滅したのだ。

 王宮の外からも、中からも、ドロドロと張り巡らされていた魔王の気配すらまったく感じられない。


「な、なぜだ……?」


 崇景の目に浮かんだのは絶望。


 その裏で、京月総司により崇景の見ていた魔王の存在が消されたことを、まだこの場にいる者は知らないでいた。


「まだ……まだ終わらん……!」


 縋るように、彼は懐から伊助の龍の魔力を封じた呪具を取り出した。その器具を砕き、 赫黒(あかぐろ)い雷光に包まれる。己の息子から奪った誇りと力、四龍院家に古くから伝わる伝説の忌々しい“龍”の魔力。

 この国の守護を担ってきた伊助から奪ったその力を、崇景は己の私利私欲のためだけに振るおうとしていた。


「伊助、貴様の力も、国もすべて俺のものだ……!」


 魔石がひび割れ、辺りに龍の気配が濃密に立ちこめる。


 だが、不意に広間の片面が蒼く耀く。


「それは、違います」


 静かながらも澄み切った声。

 その場に現れたのは、もう愛の無い家族を恐れず、飾らぬ素顔のまま立ち向かう伊助だった。


 伊助は、かつて父に疎まれ、無視され、己の存在価値すら疑った日々を思い出していた。


(ただ一度でいいから、家族として見てほしかった。愛してほしかった)


 その願いだけが空しく、切実に心の奥底で燻り続けている。けれどもう、堕ちていく家族の“幕引き”を担えるのは伊助しかいなかった。


「やめてください。四龍院家は国を守るべき軍部の頂点、そう言われてきたはず。いつから、国を我が手に収めようとするほど堕ちたのですか」


 伊助の龍の魔力が空間を満たし、封じられていた自らの力も一瞬で呼び戻す。額に浮かび上がる赤い紋章。瞬く間にそれは崇景が振り翳そうとする力を超えていく。

 蒼き風が吹く中、伊助は崇景の手からも完全に、龍の魔力を奪い返した。


「なんだ、その水魔法の女にそそのかされでもしたのか?気味が悪く、惨めな、忌々しい顔をさらしおって……!」


 恨みと憎しみに染まった崇景が、伊助の素顔を押しつぶさんばかりに侮辱する。


 だが、そこで神崎桜の声が響いた。


「ふざけないで!!」


 その背筋を伸ばし、伊助の隣に立った桜は広間に響く声で言い切る。


「四龍院隊長は誰よりも強くて、優しくて、いつだって私たちを支えてくれる。あんたなんかに、そんなこと言う資格ない!」


 桜の水魔法が湧き上がり、広間の中央に凛とした煌きを描く。

 翠蓮も頷き、桜に続く。


「四龍院隊長がいなかったら、魔物の被害はもっと酷かったはずです。あなたなんかより、京月隊長の方が四龍院隊長のことを知ってそうだ!」


 そして(ゆずりは)も、静かに伊助の背中に手を添えた。


「そうね。四龍院隊長はいつだって傷ついた人を守るために最前線にいる。そして皆を包み込む力がある。私は、四龍院隊長を心から尊敬しています」


 伊助は皆の言葉に驚きつつも、素顔のままでいることで震えかけていた口元を少しずつ緩めていく。

 宇佐が口の端を持ち上げて続ける。


「運が味方をする奴が本当に弱いかどうか、勝負の世界じゃすぐわかる。伊助、お前は誰よりもしぶとい勝者だぜ」


 一人ひとりの思いが、伊助を覆っていた長い孤独を和らげ、広間にあたたかな光のように反響する。


 崇景の顔には、理解できないという混乱が浮かぶ。


「そんな……こいつの、どこが……」


 伊助は、もう迷いも、恨みも込めず、まっすぐに父を見ていた。


「俺は、皆に支えられてここにいます。どれだけ打ちのめされようと、それでも守りたい人がいるから俺は止まらない。全てを、もう終わりにしましょう」


 崇景が膝をつき、王座の影に呆然と沈み込む。

 彼が最後の綱にした“魔王”も、忌々しい力だと蔑みながらも野望の為に奪った龍の魔力も、もはや遠い彼方だ。


 長い夜が明ける兆しの中、伊助の背に仲間たちの温かなまなざしが注がれていた。


 崩れた父と、やっと本当の対話を始められる息子。

 親子の会話は、広間の静寂に包まれ、今まさに始まろうとしていた。

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