81 「最悪の可能性を前に」
あまねの魔力もとい魔力化されたエセルヴァイトの力を辿って、迷宮のような隠し通路を走り続けていた翠蓮。
先程まではいなかった傭兵達が隠し通路の至る所に配置されており、本格的に国を揺るがす何かが起きているのだと知らされる。
本当に殺す勢いで向かってくる傭兵を、殺さずに気絶させるのは中々に大変で、移動にかなり時間が掛かってしまっていた。しかし、瑠璃だけでなく、エセルヴァイトまでもが翠蓮に対して『信じている』と言葉をくれた。
向けられたその言葉にしっかり答える為に、翠蓮はそこで挫けることなく前を向く。
しかし傭兵だけでなく魔物まで姿を見せ始め、一人でこれらを倒しながら進んでいては時間がかかり過ぎてしまう。
(こんな時、京月隊長がいてくれたらな)
そう思った時だ。翠蓮の目の前に京月が飛ばされてきたのは。
「は……!?氷上!?」
「京月隊長!?あっ!た、隊長!これ全部敵です!!」
突然飛ばされ宙から真っ逆さまに落ちようとする京月だが、さすがの反応速度だ。翠蓮がそう言い切った時には既に空中で体勢を整えて鞘に手をかけていた。
「わかった」
そして、一瞬でその場の魔物を殺して傭兵までも全て切り伏せてしまった。傭兵とはいえ、魔法を使う者が殆どだ。魔法を使い悪に走るこの者達は反逆指定魔道士に分類される犯罪者。慈悲は必要無い。
「どのみち処刑対象だ、文句は無いだろ」
京月に斬られ、立ち上がることなどできず痛みに呻くことしかできない傭兵達にそう言い放つ京月。
そんな京月は刀を鞘にしまうと、すぐに翠蓮の元に近付いて強く肩を掴んでその無事を確認する。
「怪我はしてないな?一体何があったんだ、なんで翠蓮がここにいる?」
「あ……っと、色々ありまして……。瑠璃さんが守ってくれたので怪我は無いです!」
「瑠璃?」
「そんなことより、大変なことがっ!」
そうして翠蓮から序列第三位の魔王が現れたこと、政府本部で見たことを全て京月に伝えた。話の途中からどんどん京月の表情が強張っていくのが分かった。
あまねが危険だという瑠璃と、エセルヴァイトの話を聞いて、あまねの力を辿っていることを伝えているところで二人の周りに漆黒のオーラが現れる。魔王が長く王宮の地下隠し通路に留まり、力を使っている影響だろうか。
「ッ、これが魔王の魔力圧か」
突然降り掛かった魔力圧で地下空間が大きく揺れ始める。
京月が翠蓮の体を抱き寄せて魔力圧に呑まれないように庇うが、どうやらこの隠し通路全体に広がった漆黒の魔力が地下一帯を呑み込むのは時間の問題だろう。ここで時間を消費する訳にはいかない。
一人でも、やらなければ。隊長に頼っているだけの自分は必要無い。そんな時、自分の中にある力は自分の心に答えをくれた。
お前にならできるはずだと。
「隊長、わたしはエセルヴァイト様から総隊長を助け出して欲しいと頼まれたんです。だからわたしは、一人ででも大丈夫です。隊長は、この先にいる瑠璃さんの元に行ってください!」
エセルヴァイト様
普段翠蓮が彼を呼ぶのは隊長という呼び方だったはず。違和感を覚えた京月の目の前で、翠蓮の青い髪色が氷のような白に変わっていく。瞳の色は、同じ青でありながらどこか神秘さを秘めた美しい水色に。
「翠蓮……それは、」
「わたし、あと少しで何かもっと大事なことを思い出しそうなんです。でも、今はわたしがこの原初の力を持って生まれて、ずっとエセルヴァイト様を知っていたことを思い出した。それだけでいい。わたしに、もっとたくさんの人を守れるだけの力があるならそれで良いんです。だから、もうわたしのことは気にせず自分のことだけ考えて戦ってください。わたしは大丈夫だから!」
ウロボロスとの戦いの時に京月が言った言葉が二人の間を流れて行く。
『俺がいるからお前は死なない。お前の後くらい俺がどうにでもしてやる』
隊長の助けが無いと勝てない。自分一人で勝つのではなく隊長に繋げば良いんだ。なんて、あの時の"弱い"自分の言葉はもう必要無い。
この力でもっと強く。一人でだって先に行く。みんなを守るために。
そして京月に背を向けてあまねを助け出すために動こうとした翠蓮。
「ひが……、翠蓮!」
そんな翠蓮の手を京月が掴んで止めた。どうしたのかと振り返った翠蓮は唇に柔らかいものが触れた感触と、目の前にある京月の綺麗な顔に驚いて目を見開く。
ちゅ、と軽く音を立ててすぐに京月は唇を離すが翠蓮は突然の口付けに驚き顔を真っ赤にしていた。
そんな翠蓮の顔を見て、普段より柔らかな笑みを浮かべた京月は鞘から刀を抜いてその刀を翠蓮へと渡す。
「京月隊長の刀?なんで……」
「俺がいつも使っている分、俺の魔力が染み込んでる。もし、翠蓮が炎を必要とした時はきっと役に立つはずだ。それと、お前は俺のことを分かってない」
分かってない。なんて言葉に翠蓮が戸惑うより早く、京月は続けた。
「俺にとって、氷上や不破はいつまでも俺の大切なかわいい隊士だ。気にしないなんて出来るわけが無い。だが、俺は氷上を信じてる。いつだって、俺はお前たちのことを思っている」
口付けされたことに呆然としながらも、その京月の言葉はしっかりと受け止めて、力強く頷く翠蓮。そんな翠蓮を見た京月は、自分の刀のかわりに翠蓮の刀を受け取る。まるでお守りのようにも感じたところで、今度は翠蓮が京月の手を握った。
京月が向かうのは序列第三位の魔王の元。本当なら、京月では無く自分が行きたいところだが神の力を持ったところで慣れない力はきっとまだまだ安定しない。そんな状態の自分が行くよりも京月が行く方が良いのは分かりきったことだ。それに翠蓮は、第一に魔王と四龍院の狙いであるのだという総隊長を助け出さなければならない。
だが、京月を魔王の元に行かせてしまったら、もう会えなくなってしまうような。
そんな可能性を感じてしまった。京月自身もそれを感じたから、こうして刀を替えたのだろうか。そんな暗い考えをしてしまう。
翠蓮はそんな暗い考えを拭う為に、少し恥ずかしく思いながらも京月に問いかけた。
「隊長、まだ予備の髪紐ってありますか」
「髪紐?……あぁ。わかったから、後ろを向いてくれないか?俺が結う」
やはり京月は魔王を相手に自分が生きて戻れない可能性を顔に出さずとも感じていたのだ。
翠蓮に気付かれたことには気付かないふりをして、京月は翠蓮の髪を自分の髪と同じく青みがかった翠色の髪紐で結い上げていく。
静かな二人の時間。僅かながらの時間はすぐに現実に引き戻される。
「でき……」
ちゅ。
今度は京月の声を遮り、振り返った翠蓮が京月の隊服についた飾緒を引っ張り体勢を崩した京月の唇に自分の唇を重ねた。
「絶対、大丈夫です。だから。頑張って、亜良也」
大丈夫だと言いながら瞳を揺らし丸い大粒の涙の雫を瞳いっぱいに溜める翠蓮を見た京月はそんな彼女の表情に心を揺らしもう一度、今度は強く抱きしめて深く口付けた。
短い口付けだが、それでもしっかりとお互いの温かさを感じる。生きているという温かさだ。
唇を離した京月は翠蓮の涙を拭うと、翠蓮が元々付けていた白い髪紐を自分が持つ刀の柄に結びつけて今度こそ離れていく。
だがその前に、翠蓮を好きになって、気持ちを確かめ合ってから、思っていることを伝えることの大切さを知った京月は思いの全てを口にした。
「翠蓮、俺はお前がこの存在する世界の何よりも大切で、心底好いている」
京月はその言葉を翠蓮に贈ると、交換した翠蓮の刀を手に、魔王がいる政府本部の方へと漆黒の力を辿って向かっていく。
そんな京月の背から顔を背けて、涙を拭った翠蓮も自分にしかできないことをする為に走り出した。
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