76 「帝国事変」
黒魔法の力を得た崇景により、あまねは王宮の地下の一室に飛ばされていた。
そこで自分よりも上の存在であるあまねを自分が出し抜き捕まえたという事実に口角をあげる崇景。
そして、先程斬られた傷や、無理に魔力を引き出したこと、お茶に含まれていた毒による影響で意識が朦朧とし始めたあまねの髪を雑に掴んで顔を上げさせると、彼のいつも穏やかで余裕さえ感じさせる綺麗な顔立ちが血で汚れている姿に更に笑みを深めてその顔を殴りつけた。
「ゔッ!」
毒による吐血か、口内を切ったことによる出血かなど、既に血に塗れていてはわかるはずもない。ぽたぽたと赤い血が床を濡らす。
あまねの両腕を硬く縛っている紐は魔法を封じる力が掛けられているのだが、その内で彼の持つ魔力がまるで激怒しているかのようにガタガタと震えている。しかし弱い魔力しか持たず、魔道士として戦ったことなど無い崇景が魔力の波長の変化に気付くはずもない。
「お前の人生は……ッ!今日でッ!終わりを告げるのだ……ッ!はははは!すぐにお前の婚約者の忌々しい醜女の元に!送ってやるッ!」
ガツガツとなんども勢いをつけてあまねの腹部を蹴り付けると、ボロボロになって血を流すあまねを牢に入れておくよう傭兵に指示を出す。そんな崇景は心臓が凍り付くような寒さに全身を震わせた。
もう声もろくに出せず、すぐにでも意識を失いそうなほど傷付いているはずだ。それなのに朱雀あまねの紫の瞳は溢れんばかりの明確な殺意を宿して崇景を貫いていた。
「殺すぞ…………!」
「な、なんだ……その目は!!」
再び力一杯あまねの体を蹴り上げようとしたところで何者からか声が掛かって動きを止める。
『今ここで殺す気か?やっぱり急に行き過ぎた力を持ってしまった人間はすぐ駄目になるな』
その声で、崇景は顔を真っ青にしながらも声の主である男の方を見た。どこからともなく姿を現した男は、人間離れした恐ろしい程の美しさをして、その体内にある魔力は大きすぎるが故にろくに感じ取れない。感じ取れないはずなのに、魔力の圧で体が悲鳴をあげている。
あまねは意識を手放していきながらも、その男の正体が『魔王』であることに気が付いた。
意識を失ったあまねを見下ろす男は、面白いものを見るようにして、自分に従わなかった政府上層部の人間を殺して得た情報を呟いた。
『気を失ったか、中々にしぶとい男だな。原初神の魔法を手にする大魔道士で、その実、この男の血はこの国で最も尊い。しかしながらその位を夕月の者に譲り自分は貴族位に引き下がった、本来ならば『帝』であったはずの男か』
「そんな事実はノアール様がいらっしゃる限り一切力を持たなくなりますとも」
崇景にノアールと呼ばれた男は黒い髪に赤い瞳を持ち、それが映える白い肌をして、まるで人間を嘲笑うかのように歪んだ笑みを浮かべた。
『この前はノアがこの男の組織には世話になったからな。全てが終わった後で、この男にはしっかり礼をしなければ。組織の長の首ひとつで許してやるとは、俺はなんとも慈悲深いね』
「流石でございます、第三位魔王ノアール様」
『悪くない呼び方だ。しかしすぐに呼び方を変える必要があると覚えておくと良い。俺はきっともうすぐに第一位魔王になってやるのだから。その時にその呼び方をすれば、崇景、お前はきっと永遠に死を懇願する絶望を味わうことになる』
その言葉にゾッとしながらも崇景は牢へと連れていかれるあまねを尻目に魔王へと頭を下げて忠誠を誓った。
この時にはもう既に、日本帝国は魔王ノアールの手に堕ちていたのだ。
四龍院家が黒魔道士と手を組んで謀反を起こしたものと思われていたがそうでは無い。彼らは更に上の地位を求めて魔王と手を組んでいた。
国家守護十隊を潰す為にノアールは利害が一致した四龍院崇景と手を組み、なけなしの勇気を持って反抗する意思を見せてきた政府の人間は殺して、自分の命惜しさや、あわよくば上の地位を手に入れる為に従う意思を見せた者を配下として、今こうして帝国事変が始まった。
✻✻✻
王宮内は騒がしく、阿鼻叫喚の嵐だった。国家守護十隊の総隊長が乱心し、帝と政府幹部を殺害したのだという情報が瞬く間に広まったかと思えば、今度は四龍院家が貴族の一斉排除を始めたのだ。
突然のことにパニックになる中で、四龍院の武力を前に並の貴族は太刀打ちできず、誰もが王宮内で逃げ惑い殺害されていった。これも、自らが上にのし上がる為だ。
王宮には何らかの魔法が掛けられて、中にいる者は一切外に出られなくなっており、京月と宇佐、楪の三人も謀反を起こした共謀人として追われる身になっていた。
それぞれ別れて追っ手を撒きながら王宮内で一体なにが起きようとしているのかを探り始めるが、あまねを襲った崇景の姿も無ければあの場にいた政府の人間や傭兵の姿もない。
「どこにいるんだ……、あまね……!」
京月はずっと感じていた不安と焦りからその拳を血が滲むほど握りしめた。
自分を救いあげてくれたあまねが窮地に陥っているというのに何も出来ない自分に怒りを覚える。
伊助のこともそうだ。家に帰るのを嫌がっていた時に引き止めれば何か変わっていたかもしれない。
崇景が京月の前から姿を消す際に零した言葉を思い返す。
『伊助ももうすぐに死ぬ、案ずるな。神崎桜をダシにしたら少しも抵抗せずに痛めつけさせてくれたぞ』
伊助が一切顔を見せなくなるまで彼の心の全てを傷付けて破壊した家族だ。家族と呼ぶのもおかしい連中の元に行くのだ、伊助だから大丈夫だと思っていたが、京月は優しい伊助のことを思い出す。
(伊助はきっと、殺されそうになったとしても自分のせいだといって軽んじて受け入れる。なんで、今になってそれに気付くんだ……。)
二人を少しでも早く助け出す為に止まっている場合では無いと再び動き出した京月の伝令蝶に不破からの報告が入る。
王宮外にいる不破が無事で、外との連絡が取れることに安堵した京月だが、聞かされた事実に目を見開いて固まった。
「いま、なんて言った?」
『だから!!基地の裏手にある喫茶店の店主が、氷上ちゃんが誰かに連れて行かれるのを見たって……!!』
このタイミングで翠蓮まで。
京月の焦りはまた大切なものを失ってしまうのではという恐怖に変わっていく。
「……?すごい騒がしいけど隊長って今王宮ですよね?」
不破の言葉に京月は一旦現状を簡潔に伝えようとするが、その声ですら続けられた不破の言葉で途切れた。
『でんでん丸との連絡が途絶えてて、でも僅かだけど一回同じような騒がしい音が途切れ途切れで聞こえて……。って、もしかして氷上ちゃん王宮にいんの……?』
「総隊長が四龍院家当主と政府に謀反者に仕立て上げられて捕まった。俺や宇佐、楪も追われている。今王宮内は四龍院と政府による独壇場だ、翠蓮は俺が探す。お前は残った副隊長と信頼できる隊士に連絡をつけて隊を護れ」
「はあっ!?」
不破の返事を待つ余裕など無い。
京月は追ってくる傭兵からすぐに距離を取り更に王宮の奥深くへと入っていく。




