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黎明の氷炎  作者: 雨宮麗
魔天月蝕編 序

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56 「失いたくない」

 

 宇佐が不破と翠蓮の二人を引き離し、一人ノアの前に立ち塞がった時には、既に本部のあまねのみならず京月や四龍院、楪の隊長格はもちろん、各隊副隊長にも最上級『魔王』クラスの魔物が出現したことが伝わっていた。


 しかしそれは緊急応援要請では無く、ただその情報が共有されただけ。隊長、副隊長の誰もすぐに行ける距離にはおらず、一番隊の副隊長である不破だけが偶然宇佐と翠蓮の近くでの任務に向かっていたことで緊急要請を受けて二人の後に駆け付けた。

 その情報は、京月を酷く動揺させた。


 今にも自分の隊士二人を失いかねない状況なのだ。

 以前翠蓮を助けに行くことが出来た禁出任務とは訳が違う。行きたくても行くことのできない歯痒さと、自分がいないところで隊士が死に直面していることに対する恐怖。様々な感情が全身を駆け巡る。


 そしてそんな彼に伝令蝶は、言うのを躊躇う気持ちもありつつ、しかし絶対に伝えなければならない事実を話した。

 今回現れた魔王クラスがレオナでは無く、初出現した魔王クラスであること。そして今回の魔王ノアとレオナを除いて魔王クラスに分類される魔物が後八体存在していること。その中でもレオナとノアは下位であり、残り八体はその二体よりも実力が上であるという事実。


 丁度任務を終えたところで、伝令蝶を通じてあまねに成果を報告しようとしていた時に伝えられたその事実。京月は知らされたその事実に自分の中が冷たくなっていくのを感じた。

 新たな魔王のこともそうだが、今まさに戦いの場にいる翠蓮と不破のことを考えると心臓が痛いくらいに叫ぶ。どうすればいい、どうすることもできない。俺は、いまどうしてその場にいない、どうしてだ。と血の気が引き浅い呼吸を繰り返す。


「キャー!京月隊長よーっ!」

「えっ!?わぁ本当だ!かっこいい〜!」

「京月隊長ーっ!!」


 そんな隊の状況など知るわけもない一般人は任務を終えた京月を見かけて黄色い声をあげて囲むように集まり始める。少しでもお近付きになりたいと、擦り寄ろうとする女性も少なくは無いが、京月に憧れる男の歓声も多かった。

 だが今の京月にそれらを相手している余裕は無い。

 一刻も早く本部に戻りまだ何か情報が入ってこないか確認していた方が気も紛れるだろう。


 そうすることしか出来ない自分に、今はただ腹が立って仕方がない。それと同時に、もしその場にいたとして自分は再び紅蓮羅刹を使うのだろうか、使えるのだろうかと深い闇へと思考が向いていく。

 苛立ちと焦燥。普段の京月とは違った雰囲気。


 しかし彼の力や、その端正な顔立ちにのみ頬を染める女性はそんな変化に気付かない。

 自分も京月のように目立ち、強くあれたらと願うだけで努力もしたことの無い男も、そんな彼の内の変化には気付かずにいる。

 そんな中で一人の男が漏らした言葉は、京月の地雷に近かった感情を踏み荒らした。


「はぁ、ちょっとやそっと世界の為になってるとは言えチヤホヤされやがって。だからあいつらは若いくせに調子に乗り始めるんだ。あの不破とかいう副隊長もいつもヘラヘラしてチヤホヤされて気に入らねぇ。まぁ今年入った新入隊は女らしいし、すぐに死ぬだろ」


 騒がしくなっていたその場の様子を見に来ていた中年の男。その周囲にいた人々はなんてことを言うのかと怪訝な顔をするが、その男は悪びれることなく何も間違ったことは言っていないと開き直った。


「おい」


 いつもなら気にもとめずに去る京月だが、今だけは駄目だった。タイミングが悪かったとしか言いようが無い。男はまさか京月に先程の言葉が届くとも、ましてやそれを聞いた京月がこちらに向かってやってくるなど思ってもおらず、なにやら口籠りながら後退り、周囲にいた人々は京月と男の様子を見守るように二人から距離を取り始める。


 京月はただ何も言わずに刀を鞘から引き抜くと男の目の前へと突き出した。


「へ、へ……っ?な、なんだ………、なんですか…………?」

「持たないのか?いつ、どこから魔物や反逆指定魔道士が現れて自分を襲ってくるかも分からないこの状況で」

「え……っ、いや……なんで俺が……っ」


 その行動の意味が理解出来ずに戸惑う男に、京月は問いかけた。


「家族はいるのか」

「か、家族?……嫁と、十六の娘が一人……」

「そうか。なら何故家族を護るために戦わない?」

「え?何故って……戦うのはアンタら若いガキ共の仕事だろ?」


 男の言葉を聞いて、京月は息を吐くようにして小さく笑う。これでも一般人相手だ。京月は相当な怒りを押さえ込んでいる。

 まぁ、相手が魔物や反逆指定魔道士であったのなら即殺していたのだろうが。


「そうだな、戦うのは俺達だ。俺はもう子供って歳では無いが、今貴方に侮辱された不破と氷上は違う。十七と十五歳だ。そんな歳で刀や魔法を持ち血濡れた戦地に立つ、生身の人間がだぞ」


 ひしひしと伝わる京月の怒りに、周囲の人間たちは改めて残酷な世界の現実を知らされる。そうだ、隊にいるのはほとんどが二十代で、中には十代の隊士も多い。こうして傍観し、隊士のことを侮辱する間にもまだ子供と呼べる年齢の隊士達は戦い続け、死と隣り合わせな状況にいる。


 だが男はまだ反論することをやめない。自分は何一つ間違ってなどいないというように。


「なにがいいたいんだ!?」

「俺の隊士に文句があるのなら、まず同じ舞台に立つべきだと言っているんですよ」

「はぁ!?俺なんかが試験に合格する訳ないだろ!?」

「なるほど、つまりは入れるのならば入っていると?」


 その問いかけに、男はその場しのぎで口角を上げた。入りたくても入れないのだから、俺が戦地に立てないのは仕方がないのだと。

 そんな男を見て、京月はすぐに自分の肩に止まっていた伝令蝶に対して声を掛けた。


「総隊長に伝えてくれないか?入隊志望がいると」

『わかりました、その通りに伝えます』

「頼んだ」


 そんな京月と伝令蝶のやり取りを聞いていた男は焦りで目を瞬く。なんで総隊長に?と疑問に思っているのだろう。そんな男に対して京月は薄ら寒く感じるほど冷たい声を向ける。


「知らないのも無理は無い。隊の入隊試験はきっかけを作る為に過ぎない。実際、隊士の募集はいつでも受け付けている。試験時でなくとも一定の魔力と意思があれば最初は一般隊士、若しくは準一般隊士にならなれるでしょう。見たところ魔力はちゃんとあるようですしね」

「いや……俺は…………」


 しどろもどろになっていく隊士に対して、京月はため息を吐き出した。


「冗談ですよ。戦う意思の無い一般人を戦地には連れていきません。しかしながらよく考え直して頂きたい。今この時にも戦地にいる氷上は貴方の娘よりも年下だ。貴方の娘が戦地に行く可能性だってあったかもしれない。今自分がどれだけ救われた位置にいるのか、よく考えるべきだ」

「……………」


 それ以上男は言葉を発さず、京月に背を向けると逃げるようにその場を去っていった。

 その背を見ながら京月は男の漏らした言葉を思い返す。


『いつもヘラヘラ……』


 不破に対して向けられたその言葉。

 その場で京月だけが言葉の間違いに気付いていた。


(不破は婚約者を守れなかったあの日からずっと、怒っている)

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